第7話 勇者の誓い
「おいっ、誰か! 屋敷の門番を呼んでこい! それに衛兵も呼びに行け! この男は泥棒だぞ!」
誰かの助けを求めて、クラウスが叫ぶ。
伯爵家を恐れて動いた数名は例外としても、多くの人間が第三者に徹して見物を続けている。
「何をしているっ! この男を止めろ! 貴様等も泥棒の一味かっ!?」
身分制度があったとしても、その階級が通じない時や場所は存在するものだ。
残念ながら身分もあり知名度が高い分だけ、彼の行状は平民達の間でも、あるいは、平民故に広まっていた。
クラウスの評判が芳しくなかったとしても、彼に理があると考えた者が多ければ、もう少し状況は味方してくれたかもしれない。
クラウスが革袋の中から、到底入りそうもないサイズの長剣を抜き出したのを見て、幾人かが驚きの声を漏らす。
昨日、ソーマが使用したミスリルソードで、おそらくアントンが彼の目の前で実演して見せたのだろう。それ以外に、クラウスが取り出せる理由はない。
「さ、電光魔法! 電光魔法! ……電光魔法っ!」
実質的な対抗手段を持たないためか、魔法が発動するはずという希望にクラウスがすがりつく。
「さっきも言ったけど、剣が魔法を生み出すわけじゃなくて、持ち主である俺が剣に魔法をかけてるだけだ。それに、光属性の武器一つで俺に勝てないのは見てただろ?」
真情を表すようなソーマの呆れ顔に、クラウスの顔が屈辱で赤く染まる。
本来、パーティーを組むという行為は、互いの欠点を補うために行われる。一系統のみにこだわると、特定の属性相手に有利というだけで、優位属性に対しては脆さを露呈してしまう。
この当たり前の配慮がクラウスに欠けているのは、身分に守られていることを盲信し、自分が守勢に回ることを想定していないからだろう。
「貴族貴族って、いつも持ち上げられてて、いい気になってるんじゃないか? お前のことをなんにも知らないけど、そんな気がする」
「ふ、ふざけたことをっ! 私は次期伯爵だぞ! 聖水教会の者ごときがなれなれしく話していい相手ではないんだ!」
「……言いたいことはわかった。だけど、俺もお前を見習って、自分の都合で好きに動くことにする。お互い様だ」
「私へ攻撃するつもりなのか? 貴族だぞ!? 領主の息子にそんな対応をして許されると思っているのか!? 聖水教会だって無事ではすまんぞ!」
「正直、聖水教会に手出しされるのは困るけど、だからって、泥棒を見逃すのは理屈に合わない。思い上がりを正すためにも、たまには痛い目にあっておいた方が、お前の将来のためにはいいんじゃないか?」
『トラフロ』ではオーラが体を保護するため、傷が残ることはほとんどない。昨日と今日の戦いを通じて、この地でも同様の法則が働いていることを彼は理解していた。
ただし、オーラの減少には痛みが伴うため、おしおきとしては有効だろう。
「親父にも殴られたこと無さそうだけど、……まあ、諦めるんだな」
これ見よがしに火炎剣を振り上げたソーマを前に、クラウスはパクパクと口を開閉させたまま、言葉を発することも逃げ出すこともでない。
クラウスの左肩から右脇腹へ、袈裟がけに剣が振り下ろされた。
服が裂けて血しぶきが舞う。
「ぎゃあああぁぁぁあぁっ!」
絶叫をあげてクラウスが仰向けに倒れた。
そして、そのまま動かなくなる。
「……あれ?」
歩み寄ったソーマが顔を覗き込むと、クラウスは目を剥いて苦痛に叫ぶ表情のまま固まっていた。
その一撃だけで、クラウスはあっさりと死んでしまったのだ。
「いや、だって、その……、あれ?」
唐突な状況変化に、ソーマがうろたえ始めた。
彼に人を殺した経験などあるはずもなく、自分の行為と現れた結果が頭の中でうまくつながらずにいる。
「カリアスとは違って、クラウスは戦いの経験もないはずだからな。ひょっとしたら、カリアスへの対抗心から、雷神の洗礼を受けていたのかも知れない」
アストレアの声が冷静に分析する。
「それに、まだ完全死には至っていないと思うが?」
「あっ……!?」
『トラフロ』のゲームでは蘇生が存在する。
交戦状態になると体力や魔力が失われ、どちらかが尽きた時点で仮死状態になるのだ。強大な一撃を食らったり、分不相応な魔法を使用すると、瀕死を飛び越えて仮死状態に陥ることもある。
体力か魔力のどちらかが残っていれば、これを消費しながら仮死状態は続き、どちらも空になったところで完全死となる。この完全死まで達していなければ蘇生も可能だ。
クラウスは負傷によって体力は尽きたものの、魔法は使用していないため魔力は残っているはずだ。
昨日のアストレアとの会話でも、ソーマはこの件を聞き出していたのだが、始めての状況にすっかり動転してしまっていた。
「教会で蘇生してもらえるかな?」
「……今回はアントンが絡んでいるようだし、司祭様も応じてくださるだろう」
安堵したソーマは、仮死体となったクラウスの手から、ミスリルソードを取り上げて、マジックポーチの中にしまい込んだ。
その革袋を、落とさないように腰へしっかりと結びつける。
「とりあえず、こいつらを教会まで運ぶとするか……聖光回復」
ソーマが回復魔法をかけると、瀕死状態にあったジョルジュの体がぼんやりと黄色に輝いた。
教会で洗礼を受けると、最初に使えるようになるのが回復魔法だ。これには、属性の優劣は存在せず、合致した属性魔法ならば回復効果は高くなる。
数分をかけて徐々に回復していくため、強敵との戦闘中では使いづらいものの、戦闘後であればなんの障害にもならない。
「おいっ、起きろ」
うつぶせに倒れたジョルジュの肩を軽く揺する。
小さく唸ったジョルジュが、意識を取り戻すなり跳ね起きた。
すぐ近くにソーマの顔を確認して、怯えた表情で身を退こうとするが、ソーマに腕を捕まれていてはそれも不可能だった。
「クラウスはそこで死んでるけど、続きをやるか? 傭兵と子供はもう逃げ出してる」
一応は自由意志を確認してみた。
「俺としては、おとなしく教会まで来て、素直に白状してもらえると楽なんだけど」
「わ、わかった。白状する。クラウス様が子供に命じて、その革袋を盗ませた。俺は護衛として雇われていただけで、その件には関わっていない」
あっさりと口を割った。
クラウスという後ろ盾がいない状況で、聖水教会と事を構えるのはさすがに避けたいようだ。
「聞いての通りだ!」
周囲の野次馬に向かってアストレアが宣言する。
「この者達は聖水教会で預かる。伯爵家には教会から使いを出すから、知らせに向かう者がいるのなら、その件も伝えて欲しい」
「こいつ運べる?」
「え……、私は魔術師なので……そんな力は……」
ソーマの無茶ブリを受けて、ジョルジュはなんとか拒もうとする。
「……仕方ないか」
できれば避けたかったが、ソーマはクラウスの亡骸を担ぎ上げた。
人を肩に担ぐのは初めての経験だったが、ゲームのステータスによる影響か、肩にかかる重量はたいして気にならなかった。
○
ソーマ達が教会へ戻ると、当然のごとく一騒ぎあった。
貴族の死体を持ち込んだのだから、当然の帰結と言えるだろう。
予想外の反応を示したのはカリアスだった。
「くっ、くくくくく。はははははははははっ」
肩を揺すっていたと思ったら、カリアスが大笑いし始めた。
「こんなに笑ったのは久しぶりだぞ。貴様は平民だが、間違いなく勇者だ。私が認めてやろう」
兄の死体の前で爆笑しているカリアスに、少しばかりソーマは退き気味だったが、まああの兄では仕方がないと思い直す。
「それでコイツを蘇生させてもらおうと思ってるんだ」
カリアスが笑いを納めて真剣な顔で問いかけた。
「何故だ?」
「何故って……、貴族を殺すのは問題にならないのか? 俺もそうだし、教会だってそうだろうし、……伯爵家としては死んだままでも平気なのか?」
「それは、父上次第だな」
「父上?」
「この兄に蘇生させるだけの価値があると認めれば、儀式用の寄進をするかもしれん。私なら、こんな奴には銅貨一枚払う価値はないと思っているがな」
随分と辛辣な意見だった。
「兄は光系統の傭兵を雇っていたはずだが、お前が倒したのか?」
「ああ」
「同系統を相手に一人でか? あの女では役には立たなかったはずだ」
「火炎魔法を使ったからな」
その返答にカリアスがぎょっとなった。
「火炎魔法まで使えるのか? もしかして、氷結魔法も?」
「全部使える」
「…………」
二の句も告げないという様子のカリアス。
この辺りを理解して、自分へ突っかかることを自粛してもらえれば、ソーマとしては非常にありがたい。
司祭のコルウィンは、さすがに動じることなく、こう言ってのけた。
「これもまた、アクアリーネ様の御心なのでしょう」
それで押し通すのも問題がありそうに思えたが、教会の見習い僧侶が発端と言うこともあって、彼は蘇生まで請け負ってくれた。
おかげで、ソーマは殺人犯とならずに済む。
ごくごく個人的な感覚だが、彼はできるかぎり人殺しは避けたいと考えていた。教会へ迷惑をかけないというのは二次的な理由に過ぎず、人殺しをするという罪を自分で背負いたくはなかったからだ。
本当に怒り狂っていたり、憎しみを持っていたのであれば、もう少し事情は変わるだろう。
しかし、ソーマにとってのクラウスとは、皮肉でもなんでもなく『殺す価値のない』存在だった。あんな、手応えも感慨もなく、殺した罪悪感だけを背負うなんて、罰として重すぎる気がするのだ。
殺された当人にしてみれば、到底納得のいかない主張だろうが、これは紛れもないソーマの本心である。
今回の事件を通じて、ソーマは実感と共に二つの教訓を心に刻んだ。
一つ、持ち物は盗まれないようにしよう。
一つ、人は殺さないようにしよう。
全7話では、『章』と呼ぶにはちょっと短く感じるのですが、導入部はここまで。
次話からは、第2章となります。