第5話 お貴族様の主張
道路には石畳が敷かれ、周囲には中世ヨーロッパを思わせる石造りの街並み。
ソーマにとっては初めて見る光景のはずだが、『トラフロ』経験者としてはあまり違和感を感じなかった。
クローナの街に関する知識の無いソーマは、ただただアストレアに並んで走っている。
「ポーチの反応というのは、いつでもどこでも確認可能なのか?」
「たぶん」
「ならば、走りながら確かめてくれ」
「……わかった」
走行中では視界が制限されるため、好んでやりたいとは思わないが、走っている理由を考えれば拒否できるものではない。
ソーマがシステム画面を表示すると、足下を隠すように視界の斜め下へ半透明の画面が現れる。
「どうだ?」
「今のところ、反応はないな」
「そうか……。向こうも走っているのか……、それとも、道が違うのか……」
アストレア自身も確信できていはいないようで、迷いが見られた。
「盗んだのがカリアスだったら、クラウスの情報も嘘って事になるのか? 二人で仕組んで、俺達を陥れるようとした罠とか?」
「そこが判断の難しいところなんだ。カリアスとクラウスはもともと仲が悪いと聞いている。それを考えると、クラウスの鼻を明かそうとして、真相を教えた可能性もあるし、逆に、カリアス自身が犯人で、私達をクラウスと噛み合わせようと企んだのかもしれない」
アストレアも短絡的に犯人と決めつけるわけではなく、この一件については拙速を重んじる理由があった。
「カリアス達の父親はこの街の領主であるホンワード伯爵だ。あのポーチをを屋敷内にまで持ち込まれてしまうと、もう手出しができなくなる。できれば、屋敷に入る前に押さえたい」
「俺はポーチを手放した経験がないから、どの程度有効か俺も知らないんだ。誰が持っているかまでは、特定できないと思う」
「それでも……、近くにあるとわかれば目星はつけられる。屋敷の中のどこかでは特定も難しいが、街中であればクラウスの関係者を疑えばいい」
「そういうことなら、可能かもな」
これまでにも、ソーマは『トラフロ』との違いをいくつか実感した。
バーチャルリアリティとはあくまでも仮想であって、現実そのものではない。もっとも、全てを再現するのであれば、バーチャルで行う理由事態が薄れてしまう。
そのため、ゲームにはゲームらしい省略化が行われていた。
教会には多くの人間も暮らしていたが、ゲームでまであれだけの人数が存在していたら、イベントに関わる人を捜し出すだけでも難しい。
それは街並みも同様で、数万単位で人が生活するような街を再現すると、町を出るだけで一苦労だ。
特別な役割を持たない人や物は、ゲーム上ではすべて省略対象というわけだ。
いつかの街区を駆けながら、ソーマはそんな事に思い至って少しばかり凹みそうになる。
『本当のソーマ』は省略される側に分類されるとの自覚があったからだ。
○
大通りの角を左へ曲がった突き当たりに、大きなお屋敷があった。接近してしまうと、周囲に張り巡らした刑務所のような大きな壁が目隠しとなって、館の外観はほとんど見えなくなる。
「ここだ」
「え? ……あれは違うのか?」
ソーマの指さした先には、街並みの上から頭を突き出した城が建っていた。
さっきの大通りもあの城へ向かっており、この街では一番高く一番大きな建造物のため、誰もが領主の城だと考えるだろう。
「確かにあれが伯爵の居城だ。しかし、クラウスは自分用にこの館を建てて暮らしている。わがままな人間だと聞いているし、親が一緒では息が詰まるんだろう」
その感情だけはわからなくもない。なにしろ相手は、父親で、伯爵で、領主なのだ。
「だけど、ここでも反応がないぞ」
システム画面に視線を落としても、空として表示されたままだ。
「この敷地内のどこかにあればわかるのか?」
「さっきも行ったとおり、補足できる範囲もわからない」
「アントンが別な道を歩いていたとしても、こっちから来ると思うんだが……」
単純に表現すると、屋敷を基準に見た場合、教会は東の方向に位置している。
屋敷の北門前に立っていた二人は、門番の視線を受けながら、塀に沿って東側へ向かって歩き出す。
「……教会よりも大きいんじゃないか?」
「そうだな。自己顕示欲が強いんだろう。カリアスを見てもよくわかる」
昨日の一件からでもわかるが、アストレアはカリアスをよっぽど嫌っているようだ。
「アントンというのはどういう子なんだ?」
「普通の子だな。孤児のため十歳としては少し発育が悪く、痩せていて背も低いが、それも同年齢の子と比較してわかる程度だ。なぜか、伯爵家の紹介で受け入れることになったが、カリアスとの接触はなかったな。教会では元の身分には触れないというのが建前だが、カリアスは元貴族しか身近に置かない。アントンは他の見習いと一緒に行動することが多かった」
東門に到着したところで、アストレアがあらためて問いかけた。
「……どうだ?」
「だめだな」
「お前はここで確認してくれ。私はこの道を通って一度教会まで戻ってみる」
「ん? だったら俺も一緒に行くけど?」
「一緒に行動して見逃したらまずい。お前は革袋が屋敷に持ち込まれないように、ここで見張っておけ」
「わかった」
頷いた彼をその場に残して、アストレアは東へ延びる道へ姿を消した。
「ポーチかぁ……。そうだよなぁ」
ソーマのマジックポーチには、レア物と呼ばれるアイテムはほとんど入っていない。
日常生活で不要不急な大金を持ち運ばないのと同じく、ソーマの所有品はフィールドやダンジョンでの戦闘に備えた品揃えが中心だった。
瞬時に帰還できるような転移石など、有用なマジックアイテムも含まれていたが、前述の通り、これらは第三者が取り出すことは無理なはずだった。
ソーマは失ったという意識が強いため、自分にとっての価値しか考慮していなかった。
いま、問題とすべきはマジックポーチそのものの有用性だ。
ゲームとしてはごく基本的なアイテムで、珍しくも何ともない。むしろ、存在しなかったらプレイヤーから苦情が出るレベルだろう。
「……あれなら長い物や重い物も簡単に運べるし、盗みなんかにも向いてるもんな……」
極端な例を上げるなら、凶器を隠して持ち込べば暗殺手段としても活用できる。
そんな事態になったら、さすがに受け止め切れる自信はなかった。
「あー……、まずいよな……」
今更ながら、嘆きが漏れた。
『トラフロ』においては、街中における戦闘行為には衛兵が駆けつけ、その場で罰金を取られる。払わなかったら、牢屋に入れられて数日間の禁固刑だ。
詐欺やらセクハラやらは、メーカーへ通報して対処してもらうことになる。
だが、『現実』においては、『トラフロ』と同じ流れにはならないだろう。
「なんと言っても、容疑者が体制派だもんな……」
そもそも実行犯らしきアントンも行方不明で、カリアスとクラウスのどちらが関わっているかも不明。そのうえで、伯爵家が隠蔽に動かれてしまうと処置無しだ。
そして、残念なことに、マジックポーチにはそれだけの価値がありそうだった。
「おい、そこのっ! なんだ貴様は!」
不意に声をかけられて、思わずビクリと反応してしまうソーマ。
「俺のことか?」
「お前以外に誰がいる! この屋敷に用でもあるのか? ないなら、離れていろ! 目障りだ!」
「……わかった」
腹立たしくはあったが、クラウスが犯人と確定していない状況でもめるのは得策ではない。
ソーマはすごすごと東門から離れることにした。
「塀にも近づくな!」
「はい、はい……」
不承不承、塀から東側に一本ずれた道までソーマは移動する。
ポーチの検出範囲は不明ながら、東側にずらしただけなら問題にはならないはずだ。
○
そして、ソーマは二人の男が走っていくのを目にした。
「貴族と聖水騎士がケンカしてるらしいぞ」
「なんだってまた……」
漏れ聞こえた会話に、ソーマはピンと来た。
彼のおかれた状況で、『貴族』や『聖水騎士』というキーワードに反応しないはずがない。
ただの思い過ごしだったとしても、たいした問題にはならないだろう。
二人の後を追いかけたソーマは、開いているシステム画面に再びアイテム一覧が表示されたことに気づく。
どうやら、当たりらしかった。
前方へ視線を向けると、大道芸を見物するように人の輪ができていた。
聴衆から生じるざわめきを越えて、良く通る声が響いてくる。
「なんの根拠もなく私を泥棒扱いするというのか? 聖水教会では礼儀をというものを、教えていないようだな」
その口調も、その声質も、カリアスとよく似ている。
クラウス当人を目にしたソーマの第一印象は、『カリアスに似た男』であった。
「私はその子と、その子が持っていた革袋に用があると言っただけだ」
正面に立つアストレアが不機嫌そうに応じている。
「だから、これは私の物だと言っている。そうだろう?」
革袋を掲げたクラウスが、引き連れていた従者に問いかける。
「もちろんです」
「……まあ、そうっすね」
ローブ姿の男がすかさず応じ、無骨な男は憮然とした態度で頷いた。
「…………」
彼等側に立っている子供は、口を噤んで言葉を発しようとしない。
「私の物を拾ってくれたから、お礼をするために屋敷に呼ぶというのだ。邪魔しないでもらおうか。聖水教会などより、いい物を食べさせてやると言っているんだ」
どうも、クラウスは秘密裏に事を進める気さえないらしく、そんな虚言を強引に押し通すつもりらしい。
「それとも、招かれた子供が妬ましいか? 頭を下げて頼めば、同席を許してやってもかまわんぞ」
「貴様っ……」
侮辱を受け、アストレアがギリっと奥歯を噛みしめる。
「そいつがクラウスなのか?」
突然上がった第三者の声。
相手を察したアストレアが答えを返す。
「そうだ。カリアスよりも……デキの悪い兄だ」
「……そりゃ、酷い」
自然に漏らしてしてしまった言葉が、クラウスにとっては逆鱗だったようだ。
「私があんな奴よりも劣るだと! 貴族の責任を放り出して、教会に逃げ出すような男よりもっ!?」
クラウスの怒りなどどうでもいいことなので、アストレアはそれを無視してソーマに問いかけた。
「あの革袋で間違いないか?」
「反応があった。確かに俺のだと思う」
「貴様……、私の言った言葉を聞いていなかったのか? これは私のものだ。つまらん、言いがかりはよせ!」
自分の主張を受け入れようとしない相手に、クラウスは不機嫌さを募らせた。
「さては、貴様等自身が泥棒だな? 分不相応に、貴族の持ち物を奪い取るつもりかっ!」
あくまでも自分が正しいと強弁するクラウス。
このままでは、いつまで経っても平行線となりそうだ。
「剣を貸してくれ」
ソーマの要望に、アストレアが息をのんだ。
「……戦う気なのか?」
「言い合いをしていてもきりがないだろ。それに、あれをあいつに渡すのもマズそうだ」
さっきの後悔を思い返す。
誰も持たない力を手にしてしまうと、クラウスみたいな人間は悪用することにためらいなど持たないだろう。
その結果、クラウスが好き勝手に暮らし、ソーマが後悔し続けるというのは、さすがに納得がいかない。
「アストレアだと教会が絡むけど、俺個人の問題ならどうにでもなるだろ? 元々の原因は俺にもあるしな……」
本音を言うなら、領主の家ともめるのも嫌なのだが、素直に渡してくれる可能性はゼロのようだ。
「私に刃向かうというのか? ……ふん。丁度いい。後で騒がれても面倒だからな。思い知らせてやる」
相手をいたぶれると考えたのか、舌なめずりするようにクラウスが嘲笑する。
「貴様は知らんだろうが、この二人は光の加護を持つ者達だ。ザジはサンダートマホークを使う傭兵で、魔術師のジョルジュは中級・電光魔法を使う。聖水教会の者が勝てるはずなかろう!」
手斧を腰にぶら下げている男が、こちらの様子を窺いながら肩をすくめた。
痩身にローブを羽織った男は、自慢げに口元を歪める。
カリアスへの過剰な対抗意識が高じて、クラウスは聖水教会までも毛嫌いしているようだ。その反発意識から、光属性の人間ばかり集めたのだろう。
ソーマに関する情報源はアントンらしいが、彼等は重要な点を勘違いしていることに気づいていなかった。
――聖水教会にいるから水系統? 結果的に間違ってはいない。
「その二人に、光の魔法剣で勝てるのか?」
剣を差し出しながら、心配そうに尋ねるアストレア。
「まあ……、それでも勝てるとは思ってる」
苦笑を浮かべてソーマが応じた。
それでも負けない。
しかし、自ら進んで苦労する必要もないのだ。
――光の魔法剣を使ったから光系統? それもまた正しい。
アストレアが所持していた剣は、昨日と同じく普通の長剣だ。
ソーマはクラウスに切っ先を向けたまま、魔法を発動させる。
「中級・火炎魔法」
預かったアストレアの剣に、紅蓮の炎が燃え上がった。
――そして、火系統の魔法までも使える。それが魔法剣士なのだ。
2013-07-19 サブタイトル変更