第4話 勇者と騎士と貴族と泥棒
一夜明け、ソーマは井戸までやってきた。
眠気を洗い落とすため、冷たい水で顔を濡らす。
彼には立派な客間が与えられたし、新品とまではいかずとも洗いざらしの綺麗な服を渡されている。布団やベッドも悪くはないし、そこにこだわるほど繊細な性格でもない。
それでも、昨夜の寝入りは遅くなってしまった。
一人っきりになったことで、否が応でも事態を直視するしかなったためだ。
仮想現実に閉じこめられるという設定の物語は以前からそれなりに存在する。VR技術が一般に普及してからは、より身近な題材となって、多くの作品が発表されている。
冒険やサスペンスにとどまらず、哲学的な話までジャンルは様々だ。
それらが原因なのか、『一時的にゲームから出られなくなった』と主張するプレイヤーが現れ訴えを起こしていたが、すべて敗訴している。
ゲームなどで使用されるVR技術は、被ったヘッドギアから脳へ電磁波を送って五感を誤魔化す方式をとっており、装置や回線が停止すれば、多少の不快感はあっても簡単に目が覚めるのだ。
最近では、プレイヤー側の操作ミスやプログラム上のバグを争点に、拘束時間の補償をめぐる民事裁判が主流になりつつある。
しかし、ソーマの現状はこれらに当てはまらない。
なぜなら、彼は昨晩食事をしているのだ。『トラフロ』では味覚や嗅覚は扱っていないというのに。
ソーマは、何らかの事情でこの世界へ転移……、身も蓋もない言い方をするなら、『この地を救う』という仕事を押しつけるために、アクアリーネによって拉致されたと考えていた。
ゲーム世界と似ている事情については、単純に元ネタという可能性もある。この異世界を夢などを通じて知ったゲームデザイナーが、『トラフロ』で再現したのではないか?
あるいは、パラレルワールドやら異世界というのは『あらゆる可能性』を内包しているのかも知れない。
人気ゲームもクソゲーも含め、ありとあらゆるゲームからアニメから、全ての物語が実在しているという可能性だ。人間が思いつく道具は全て実現可能という説もあるし、人の想像力など異世界の存在確率に比べてちっぽけなものなのかもしれない。
物理的にどうとか、科学的にどうとか、そんな前提条件は地球上だからこそ口にできる疑問であって、『この世界における法則』などソーマが知るはずもないのだ。
「まあ、俺が考えたところで、正解はわからないけどな……」
自分が本当に勇者だったとしても、しょせんは神様の操り人形という立場である。真相に辿り着くのは非常に困難だと思えた。
彼にできることと言えば、この世界では『そう』なのだと納得することだけだ。
昨日は、『トラフロ』における過去という仮説を思いついたが、これも確かめようがなかった。
ゲームでは新世紀303年と表現されていたが、これは魔王退治を起点とした年号のため、それ以前の年号をソーマは知らないのだ。
魔王や勇者の伝説を知らないのならば、未来という可能性は低そうだ。
そして、ここが過去だと仮定するなら、『トラフロ』時代に残っている国や滅んだ国に関する情報は、未来の知識ということになってしまう。特に滅んだ国にしてみれば、看過できない情報だろう。
何かの物語で、国の滅亡を告げた予言者が国王に殺されたというネタを彼も読んだ記憶があった。
現代社会でもデマや風評被害は大きいのだし、この世界でこの情報がどんなかたちで波及するか非常に判断が難しいところだ。
公表しない方が良さそうだというのが彼の結論である。
気がつけば、彼はあてがわれた客室の前まで戻って来ていた。
この街でソーマが頼るべき者は他になく、当分はこの部屋に住み教会の世話になることになりそうだった。
自室に戻ったソーマは奇妙な違和感を覚えた。
「……まあ、いいか」
朝食の時刻になれば呼びに来ると言われており、それまでは何もすることがない。
時間つぶしにアイテムでもいじろうかと、左腰に手を当て、続いて机を眺め、ようやく気づく。
「あれ? どこいった?」
室内を見て回るが、マジックポーチが見あたらない。
昨夜、着替えるときに机の上に置いたはずだと、ようやく思い至った。
部屋を出て井戸までの経路を確認するが、やはり見つからない。
右手のジェスチャーでシステム画面を呼び出してみると、昨日と同じように所有アイテムのアイコンが一覧表示されていた。
「……どういうことだ?」
廊下に突っ立ったままソーマが首を捻る。
手元になくても、ポーチの持ち主には確認が可能なのだろうか?
それとも、どこか近くに落ちている証拠だろうか?
『トラフロ』においては、他のプレイヤーを直接殺すという行為は珍しい。蘇生が可能なため『殺す』という表現も的確ではないのだが、ここではおいておく。
殺害が少ない理由は単純で、所有アイテムを奪いにくいという点にあった。
通常、持ち主でなければポーチからアイテムを取り出せないと言われているが、この制限を正確に記述するなら、『知っている収容品しか取り出せない』ということになる。事前に教え合っておけば、行動不能になった持ち主に替わってアイテムを取り出すことも可能なのだ。
どこにでも裏をかく人間はいるもので、脅迫して所有アイテムの情報を聞き出したり、仲間が裏切るという事例もある。
それらの事情から、希少価値の高いアイテムは貸金庫に預けたり、信用できる仲間以外には秘密にするというのが一般的なのだ。
そして、ソーマが所有していた利用価値の高いあれこれは貸金庫に預けており、彼の手元にはないという状況にもつながっていた。
……今や、そのマジックポーチすら紛失しているという体たらくだ。
「もう、起きていたのか」
声をかけてきたのはアストレアだった。
「ああ……。それより、俺のポーチをどこかで見かけなかったか?」
「……なくなったのか?」
「部屋の机に置いてたつもりなんだけど、見あたらなくてさ。井戸までの道を確認してきたところだ」
「ちっ……。食堂に行くぞ」
踵を返したアストレアに、ソーマは動かずに反論する。
「いや、だからポーチを探してるんだって」
「朝食のために人が揃っているはずだ。まずは聞き込みをする」
「そうだな。知っている人がいるかもしれない」
「ずいぶんとのんきだな。あのポーチを取り戻さなくてもいいのか?」
「だから探してる途中なんだって……」
アストレアが呆れたように首を振った。
「盗まれたとは考えていないのか?」
「え? いや……、だって、なんで? 『トラフロ』では……」
考えてみると、ゲーム中にマジックポーチを手放すということがありえなかった。
「ここは教会なんだろ? 盗みなんてする奴いるのか?」
「教会だろうと、盗みはあり得る。残念なことだとは思うがな……」
憂いを見せるアストレア。
「お前のところでは多く出回っている品でも、ここでは貴重な品だ。欲しがる者がいてもおかしくはない」
「別に盗まれたと決まったわけじゃないし……」
大事になりそうな気配を感じソーマが及び腰になるが、アストレアは重ねて告げる。
「もしも盗まれていたとすれば、動くのが遅れれば遅れるほど、戻ってくる可能性は低くなる。それを理解したうえで、後回しにするのか?」
「……いや、頼む。取り戻したい」
かさばらず、重さも無視できるあのポーチは、とても役に立つ。
もちろん、しまってあるアイテムも同様だ。
聖水教会に受け入れてもらえたのは幸運だったが、以降の事を考えるなら、使える手札は多ければ多いほどいい。
○
広い食堂には長テーブルが何列も平行に並んでおり、食事待ちの人間で八割方席が埋まっている。
「皆に話がある」
アストレアが唐突に声を張り上げると、皆のざわめきが減少していき、視線が彼女へ集中する。
「昨日の騒ぎで覚えている者もいると思うが、ソーマの革袋が無くなった。どこかで見た人間はいないか? 何か知っている人間でもいい」
その問いかけに、一同は互いの顔を見つめ、ざわざわと疑問を口にする。
アストレアが言っていた通り、この教会内でも『紛失』事件の発生事例がある。残念ながら、品物が見つかることは稀だという。
監視カメラがあるわけでも無し、目撃情報が無ければお手上げだ。
いまさらながらに、焦りを感じたソーマがシステム画面を立ち上げる。
何かしらの情報があれば……、そう考えたからだが、なんの情報も表示されなかった。
「……えっ!?」
ソーマの上げた驚きの声に、アストレアが振り向く。
「どうした?」
「あ……、これなんだけど。……やっぱり見えないのか?」
「何がだ?」
重ねて問われ、ソーマはシステム画面が自分にしか見えないということを理解した。
「……真面目に探すつもりはないのか?」
呆れたようなアストレアに、ソーマは慌てて弁解する。
「革袋の中身を確認しようとしたら、まったくわからなくなったんだ。さっきまでは反応があったのに」
システム画面上では、アイテムが何一つ表示されなかった。
収容物を全て取り出していれば、空になることもある。
しかし、全て出したまま持ち運ぶのは効率が悪すぎるし、ソーマの所有アイテムを全て知っている人間などいるはずもない。
「考えられるのは……、距離……か?」
「おい。なんの話をしている?」
「廊下からここへ来るまでの間に、遠くへ持ち出された可能性がある」
「それがわかるのか?」
「……たぶん」
「改めて尋ねる。今、この場にいない人間は誰だ!? ソーマの部屋の近くでその者を見かけたことはないか?」
再び食堂内を見渡したアストレアが、一人の少年に視線を止めた。
おどおどと身を縮ませている少年は、様子を窺うようにある教会騎士へ目を向けていた。
「マルコ。何か知っているのか?」
名前を呼ばれた僧侶見習いの少年が、驚きのあまりビクリと身体を震わせる。
マルコはアストレアと視線が合うと、怯えるように俯いてしまう。
「どうした。何かやましいことでもあるのか?」
「ち……違います」
問われたマルコは必死に首を振る。
「知っていることを話せ」
しかし、マルコは何度も口を開きかけては、その度に口を閉じてしまう。
チラチラと動くマルコの視線を追って、アストレアはその人物へ声をかけた。
「お前が盗んだのか?」
「ふざけたことを。私が平民の持ち物になど手を出すものか」
疑惑の対象、カリアスは動じることなく否定した。
「だったら、なぜ、マルコが貴様を見ている」
指摘されたカリアスが、不機嫌そうにマルコを睨みつける。
「おい。この子を脅すのはよせ!」
「黙っていろ、平民が! おい、小僧。知っていることがあるなら、さっさと言え!」
「……ひっ」
怯えるマルコに、カリアスは重ねて追及する。
「聞かせてもらおうじゃないか。誰が犯人だと言うんだ? 言わないなら、貴様を共犯として牢屋へぶちこむことになるぞ」
「さ、さっき、アントンが教会から出て行くところを見かけたんです。革袋を持っているようには思えなかったけど……」
革袋そのものは、どれほど物が入っていてもかさばる物ではない。隠すことは容易だろう。
疑惑はあるという程度のはずだが、アストレアは激しく反応を示した。
「なんだとっ!? ……貴様っ!」
なぜか、カリアスを睨みつける。
「ふん。私ではないと言っただろう?」
嘲笑で応じるカリアス。
「信用できないなら、クラウスの屋敷にでも行ってみたらどうだ?」
「教会を出たばかりなら、今すぐ追えば間に合うかもしれん!」
そう告げて、アストレアがソーマの腕を引っ張った。
困惑しながらも、彼女に従って駆け出すソーマ。
「話の流れがよくわからなかった。犯人はアントンじゃないのか? カリアスに関係しているのか? クラウスって誰?」
「アントンは伯爵家――カリアスの実家の紹介でここへやってきた。クラウスとは奴の兄の名だ」
それが彼女の答えだった。
2013-07-19 サブタイトル変更