第40話 クローナ教会へ帰ろう
騎士達が、ケルベロスの死体から素材にも扱われる牙を集めていく。
昨夜は不在だったためソーマは知らないが、森の外で倒した敵も騎士達がありがたく頂いていた。討伐した証拠でもあるし、被害を受けた村民の補償にも当てるためだ。
「クレメッティ、ケルベロスはまだ残っているかしら?」
カティヤの問いに、第5騎士隊長兼討伐隊隊長が答える。
「あの猿がケルベロスを従えていたのは、まず間違いないでしょう。余剰戦力があるなら、身の危険を感じた時点で呼び寄せたはずです。ケルベロスはあの場にいたのが全てだと私は考えます」
「……私もそう思うわ。今回はアクアリーネ様より言葉を賜った上、『勇者』とともに『敵』を討ち果たしたわ。期待以上の成果と言えるでしょう。神殿に報告すべき事が増えたわね」
誇らしげに告げるカティヤに、騎士達も強く頷いていた。
騎士達の承諾を得て、エメラルダは彼等に混じり、宿営地のある森の西側へ向かう。
「アクアリーネは勇者『達』って言ってよな?」
「……うん。やっぱり、ソーマの想像が当たってたみたい」
騎士達の耳をはばかり、小声で会話する勇者達。
「エアロファから何も聞いてないのか?」
「最初に聞いてたら、もっと勇者らしい仕事もしてたってば。放り出されっぱなしで、ホント困ってたんだから」
「それを考えれば、俺は初めから助けられてたって事になるのかな……」
異世界へ迷い込んだという状況は、ソーマもエメラルダも変らない。しかし、水神の神託があったために、ソーマは一応の目的や自分の立場を知っていた。
エメラルダの様になんの助言もなく放置されては、使命感や責任感が沸くはずもなく、おおまかな指標すら持ち得ない。現に、彼女が行動を起こしたのもソーマと遭遇した後のことだ。
「正直言って、最初のお告げ以外にも、手助けしてもらえるとは思ってなかったけどな」
ソーマ達は気がついた時にはこの世界へ迷い込んでいた。極論すれば、神々は彼等の意志などお構いなしに、神々の都合を押しつけたのだ。
その事もあって、最初の顕現以降、再び現れなどとソーマは思いもしなかった。
「少なくとも、エアロファよりは親切みたいね」
「神様の性格を愚痴っても仕方ないだろ。ゲームデザイナーがいるわけじゃないし」
こちらの不満を、神様が聞き入れてくれるとは思えなかった。そのつもりがあるなら、もっと広範な支援をしてくれてもおかしくない。
「あの猿が魔物だったとして、狙いはヒトとエルフを敵対させる事なのか?」
「ソーマもそんな事言ってたもんね」
ソーマは長老を前に、『王国とエルフの関係悪化』を狙った帝国の策略という推論を口にした。敵が魔物だとするなら、その目的は『ヒト全体とエルフの関係悪化』なのだろう。
「魔物はどれだけの規模で動いてるんだ? まさかあの猿だけが行動してるはずもないし。……アクアリーネ達が掴んでる情報を明かしてくれれば、目安にはなるんだけどな……」
勇者を必要としているのは、神々やこの世界の方だ。巻き込まれた勇者としては、サポートが不足しているとしか思えない。
「……私とソーマで知ってる事が違うんだし、他の勇者はもっといろんな事情を知ってるかも」
「その可能性はあるかもな。もっと親切な神様とか、アクセスしやすい神様を見つければ、情報を入手しやすくなる。全部の神様が不親切という可能性もゼロじゃないけどな」
「ホーラとも話したんでしょ? そっちはどうだったの?」
「あくまでも端末に過ぎないらしい。俺が水神に召喚された事も知らなかったし、本人が言ってたとおり、限定された力とか情報しか持っていない」
残念ながら、『神に選ばれた勇者達』の実情はこういったものだった。
撤収作業を進める一団を、森の端にたたずむハヴェルが、悔しそうに眺めている。彼が言葉を尽くしても、もはやエメラルダを連れ帰るのは無理だと諦めているのだ。
別れを前に、ただ眺めるしかない彼は、背後に迫る足音に気づかなかった。
「御子は何をしている?」
「リヒャルト! 来てくれたの!?」
ハヴェルの合図を聞きつけたエルフが、ようやくこの場へ姿を現した。
リヒャルトの他に4名のエルフが顔を揃えていた。
「途中でケルベロスの死体を見た。ヒトの言葉は事実だったようだが、御子が共に動いているのはなぜだ?」
「エメラルダが森を出るんだって! それもヒトについて行くって言うんだ!」
「なに?」
騎士隊に混じる1名のエルフへ、リヒャルトが大声で問いかけた。
「エメラルダ! なぜ森を出る!? それもヒトなどと共に!」
その声でようやく彼女も、リヒャルト達の存在に気づいた。
「私にはやるべきことがあるの! 森の中ではできない事が!」
「迷っていたお前を救ったのは我々だ! 御子として、村のため森のために報いるべきだ!」
自然の調停者。或いは奉仕者という意識は尊いものだ。
しかし、『現代日本』に生まれた者は重要性を認識すると同時に、個人の意志や自由や権利を優先するものだ。エルフ的な価値観に束縛されたりはしない。
「私にとって、エルフだけが全てじゃない! ヒトもドワーフも含めた、広い世界を知りたいの! ヒトを拒絶していては、絶対に『この世界』を知る事はできないから! 私は『エルフが望む世界』ではなく、『本当の世界』を知りたい!」
宗教で尊重される滅私ではなく、彼女が求めているのは知識なのだ。
「風神の御子たるお前が、そのような身勝手を許されると思うのか!」
力ずくで連れ戻すつもりなのか、リヒャルトを先頭にエルフ達がエメラルダの元に駆け寄った。
「待て! お前達は、誰の許しを得て森を出ているのだ!?」
豊富な声量で一喝したのは、クレメッティ隊長だ。
「許しだと!?」
「お前自身が言ったはずだろう! エルフの領域に入るのは許さんとな。ならば、森の外はヒトの領域だ。勝手に『侵入』されては迷惑だ」
「それは身勝手なヒトの理屈だ。エルフ内の問題に介入するのはやめてもらおう」
「森全体が自分達の縄張りというのも、エルフ側の主張にすぎん。昨日はお前達の顔を立てのだから、森の外で身勝手な言動は遠慮してもらおう」
昨日は、目立った怒りを見せずにいた隊長だが、彼もまたエルフに対する憤りを募らせていたようだ。
双方の持っている縄張り意識は、互いの合意を得ていないため、どれだけ言い合っても所詮は水掛け論である。
「……お前達は、再び森を踏み荒らした」
「昨日も言った通り、ケルベロスを退治するためだ! なによりも、ケルベロスを従えていたのは、お前達が守ろうとしている猿なのだぞ。もしかすると、昨日、お前自身がかばった猿なのかもしれん!」
「な……、馬、馬鹿な事を……」
「そのエルフの子供もその場に居合わせた。疑うのならば聞いてみるがいい!」
「……本当なのか?」
「う、うん。猿がケルベロスを操っていたのは、本当だよ」
「エルフが主導していたとまでは思っていない。だが、お前達のせいで決着が遅れたのだ。お前達の判断ミスを、我々が尻ぬぐいをした事は忘れないでもらおう!」
状況的に優位な立場なので、クレメッティは非常に高圧的に対応した。
エルフの肩を持つ理由もなければ、エメラルダの件も押し通しやすいため、ソーマも口を挟まずにいる。
「昨日の一件については謝罪してもいい。だが、エルフの御子を連れ去ることは別の話だ。森を出るエルフは拒むのではなかったのか?」
「その娘は我々に手を貸してくれた。それに勇者の客人であれば拒むつもりはない」
いささか微妙な扱いだった勇者も、ようやく騎士隊に容認してもらえたようだ。この点は、アクアリーネ顕現の副作用だ。
騎士隊を相手に、数名のエルフでは対抗できっこない。また、クレメッティの言い分に理があることも、彼等の行動の枷となった。
「……待って!」
立ち去ろうとした騎士隊に、ひとりだけ声をかけた。
「僕も一緒に行く!」
「何を言っている? 戻れ、ハヴェル!」
リヒャルトの制止を無視して、ハヴェルが追いかけてくる。
エルフ側の事情は無視して、騎士隊の面々がエメラルダに視線で問いかけた。追い返すべきか、受け入れるべきか、彼女の判断を求めているのだ。
「ハヴェル! ヒトと仲良くできるの? 私は貴方をかばったりできないよ!」
エメラルダが意外と厳しい言葉をかけた。
彼女自身、ヒトに混じって生活するならば、他者からエルフとして扱われる。ハヴェルが『エルフ的な常識や理屈』でヒトと衝突した場合、どれほどエメラルダが正しいと感じても、彼女の擁護は身内だからという色眼鏡を向けられてしまう。
そんな事が繰り返されると、人間社会での生活も困難となる。
エメラルダの庇護に納まるのではなく、ハヴェル自身がヒトと関わり、積極的に親交を深めなければならない。
「それでもっ! それでも、エメラルダと一緒にいたいんだ!」
「……仕方ないわね」
苦笑を浮かべながら、エメラルダが少年を受け入れた。
○
聖水神殿へ帰還してすぐ、討伐隊から事の次第が告げられた。
ケルベロスの討伐を果たし、聖水神殿の威光を示すという目的も達している。
しかし、パーテライネン卿だけは非常に渋い表情を浮かべる結果だ。
彼の子飼いとも言える第5騎士隊の半数近くが、水神の顕現に立ち会ったのは喜ばしい。しかし、同時に気に入らないソーマが、勇者であるという啓示も事実と認識されてしまった。
非常に不満を抱える展開だったが、彼の不幸はこれでは終わらなかった。
「待ってください、カティヤ様。本気で仰っているのですか?」
動転したパーテライネン卿が、焦りも露わにカティヤに詰め寄った。
「ええ、もちろん。私は今回の件で力不足を痛感したのよ」
「なにを仰います! 見事にケルベロス討伐を成し遂げたではありませんか! それも、ゆ、勇者……の敵までも討ち果たしたと聞いております!」
「『猿』を倒したと言っても、私ひとりの力ではないわ。特にエメラルダは、エルフだというのに、上級氷結魔法を使って見せた。彼女の前では恥ずかしくて、とても聖女などとは名乗れないわ」
「ですが、あくまでもあのエルフは例外でしょう! 聞けばエルフの『勇者』だと言うではありませんか!」
「……言い変えるわ。誰かと比べて力が劣っていることは、それほど重要ではないのよ。問題なのはそこで満足していたこと。未熟さに気づくことなく、安住していたことよ」
「百歩譲って修行が必要だとしても、それはこの神殿でもできるではありませんか! なにも、神殿を出て行かずとも!」
教会関係者にとって、神殿勤めであることはステータスでもある。
カティヤが神殿へ招かれたのもその一環であり、彼女の存在がさらに神殿の権威を高めている。
「神殿にいては、やはり優遇されてしまうからよ。対外的な交渉を任される事もあるし、なにより、神殿内で政治的に利用されるのは本意ではないの」
それはパーテライネン卿に対する、痛烈な批判と言えるだろう。
「貴女を見つけ、これまで世話をしてきたのは私のはずだ!?」
思わず強く
「恩を忘れたわけではないわ。だけど、どれだけの代償を払うかは人それぞれで、捧げた金銭の多寡で信仰心を量ることはできないわ。貴方がしたのも、聖女への助力という、聖水教徒として当然のことでしょう?」
「なっ……!?」
「感謝しているし、恩も感じているから、これまで、貴方に対して便宜を図ってきたつもりよ。今後はそういう機会も減るけど、貴方が恩人である事は変らない。敵対するわけではないのだし、鷹揚に構えていてはどうかしら?」
「ならば……、なぜ、クローナ教会なのです? よりにもよって、クローナ教会へ行くなどと……」
「理由は幾つかあるわ。すでに聖女がいるのだから、対応を心得ているでしょう。それに、エメラルダも滞在するから、魔法の研鑽にも都合がいいわ。一番大切なのは、シシリーの存在ね」
「あの見習い聖女がどうしたというのです?」
「彼女の身体を依り代として、アクアリーネ様は2度も顕現しているのよ。彼女の実力次第では、もっと回数や時間が伸びるかも知れない。顕現の場に立ち会って私は悟ったのよ。アクアリーネ様が私に魔法の研鑽を積むように告げたのは、シシリーを導くためなのだと」
「そのような事……、そのような事はあり得ません」
「パーテライネン卿の解釈を聞きたいわけではないわ。私はそう感じ、そうすべきだと感じたの。それが聖女の判断よ」
「し、しかし……」
シシリーの言葉はあくまでも聖女として、なにより、仕えるべき水神の意志に沿っての行動だ。
パーテライネン卿の反対理由が、個人的な都合である以上、彼女を押しとどめることなど不可能であった。
○
かくして、審問を受けに神殿へ向かったソーマ達は、帰還時に、深緑の森のエメラルダとハヴェルを連れ帰った。
さらに、彼等から数日遅れで、聖女のカティヤが騎士を随伴してクローナ教会に転籍となる。
随伴者はソーマも世話になったトビアス・アルーンだ。貴族の多い第五騎士隊員は神殿を離れたがらず、今回も彼は押しつけられた形である。ちなみに、権威主義の貴族騎士から離れられたので、当人は喜んでいた。