第39話 倒すべき敵
「いたぞっ! ケルベロスだ!」
「数が10頭近い。森に隠れていたのか!?」
「……襲われてるのは勇者かっ!?」
聞こえてくる騎士達の声が、福音の如くソーマの耳に届く。
「枝の上を見ろ! やはり、エルフが黒幕だったんだ!」
『援護』していたエメラルダやハヴェルはもちろん、ソーマもその言葉には驚かされた。
ケルベロスに囲まれたソーマと、安全な樹上から狙うエルフという構図は、事情を知らぬ者の疑惑を招いて当然だろう。
焦ったソーマが慌ててエルフ達を擁護する。
「ふたりのエルフは味方だ! 事情は、ケルベロスを倒した後に説明する!」
危機に直面するソーマ本人の言葉なので、騎士達も疑惑を棚上げして、対ケルベロス戦に専念する。
「ただし、猿には気をつけろ! ケルベロスを動かしていたのは猿だ!」
「猿とはどういうことか!?」
問いただしてきたのは、第5騎士隊長の声だ。
「とにかく、猿には気をつけてくれ! やっかいそうな相手だ!」
事情を把握していないソーマなので、それ以上の事は言えなかった。言葉を話せるなどと言い出しても、混乱を招くだけだろう。
戦場の各所に聖水支配下が敷かれていくと、透き通るように澄んだ声が響いた。
「上級・ 白 雪 」
今回は人員を分けたりせず、聖女も含む討伐班全員が森へ侵入していた。残りのケルベロスは少ないという読みがあったためで、エルフと敵対するようなら聖女だけを早めに脱出させる予定だった。
上空のほとんどを覆う枝葉の下に、しんしんと雪が降り積もっていく。
幾重にも繰り返される痛みにケルベロスが苦鳴を漏らす中、短い『鳥の声』が高らかに響いた。
反応は劇的だった。
全てのケルベロスが一斉に東へ退いて、魔法の効果範囲から脱出する。
騎士達の驚愕の視線が、まずケルベロスに向けられ、次にエルフ達を振りあおぐ。
視線の集中砲火を浴びて、エメラルダは自分ではないというジェスチャーとして、慌てて首と手を振った。狼狽えて動けなかったが、ハヴェルもケルベロスへ合図を出してはいない。
指示を出した『モノ』は、騎士達の視線も意識も出し抜いて蠢いていた。
「おっ……! おいっ!」
「なんだ、この猿!?」
わき起こる騎士達の慌てた声。
「何事か!?」
隊長の質問に、躊躇いながらも騎士が応じた。
「さっ、猿に……剣を奪われました! 申し訳ありません!」
「お、同じく!」
剣を奪い取った猿は、さらなる獲物に襲いかかった。
騎士達の中に垣間見える猿が、両手に2刀を握ってひとりの騎士に襲いかかる。
『トラフロ』ではよく見かけるが、この時代、そもそも二刀流は珍しい。それが猿ともなれば、動揺を見せてもおかしくない。
猿が強奪した剣は、これで3本目となる。
「こんな猿相手にっ!?」
騎士の突き出した槍を、猿は上に跳んでかわしていた。
眼前の光景に、騎士は自分の目を疑ってしまう。
「なんなんだ、これはっ!?」
猿は、両腕と尻尾に3本の氷結剣を構えており、空いている足で槍を鷲づかみにしていた。
にやりと笑みを浮かべ、猿が騎士へ向かって槍の上を走った。
猿が飛び越えた騎士の顔面で、赤いオーラが霧散する。
猿の上げた『鳥の声』に呼応して、鬨の声を思わせるケルベロスの咆哮が轟いた。猿に意識を向けていた騎士隊の背後から、一斉にケルベロスが襲いかかる。
それまでの機械を思わせる動きとは違い、鎖から解き放たれた野生動物へ戻った様に見える。
騎士達の怒声やケルベロスの咆哮が飛び交う中、ソーマが捜したのは一番厄介な敵の姿だ。
敵を捕捉したのは、猿の方が早かった。
左側から斬りつけられ、慌てて向き直る。
二刀流と三刀流。
数の差以上に、尻尾で振われる剣の軌道は予測が困難だった。
「三段連撃」
それは騎士達の猿真似などではない。
ソーマを相手に、猿はスキルを実演して見せた。
「三段連撃。三段連撃。三段連撃」
絶え間なくソーマを襲う、3本の氷結剣。ソーマが取得していない、九重連撃をも越える攻撃だ。
『トラフロ』では、敵がスキルを使用するのも珍しい事ではない。ソーマの油断と言ってもいだろう。
「身体加速。中級・電光魔法。中級・電光魔法」
氷結剣を所持する猿を敵と定め、ソーマは2刀それぞれを電光魔法剣に変える。
「全開・四方連撃。全開・四方連撃」
猿の剣をかわして、撃ちこまれるソーマの双剣。
赤いオーラが飛び散る様を目撃し、騎士達が驚きの声を上げていた。
「傷を負っていない!? なんなんだ、『アレ』は!?」
「猿じゃなかったのか!?」
彼等の指摘に、闘っていたソーマもようやく気づく。
ヒトのみならず、エルフやドワーフといった知的生命体は、オーラによって身体が保護されている。人間型のゴブリンやオークがモンスターに区分けされるのは、この効果を持ち合わせていないのも理由のひとつだ。
『トラフロ』でモンスターと呼ばれる存在の中に、1種族だけオーラの保護を持ちあわせている敵がいる。
その点に思い至ったソーマやエメラルダへ、すぐさま解答が提示された。
時刻で言えば、おそらく午前7時頃。太陽は横から世界を赤く照らしている。
だが、生い茂った木々の葉をすり抜けて、ほぼ真上から一筋の光が地上に降り注いでいた。
アストレアにかばわれている僧侶見習いの身体が青く輝いた。
「勇者ソーマよ。あれこそがあなたの倒すべき敵です」
騒がしい戦場において、決して大きくない声が、不思議と居合わせた者の鼓膜を震わせた。
シシリーの指先が向けられたのは、3本の氷結剣を持った猿だ。
「やがてこの世界に、魔神の眷属が次々と生まれます。魔に染まりし、悪しき存在。貴方達勇者がそれを阻止するのです」
(勇者……達? やっぱり、エメラルダも勇者なのか?)
そう推察されたエメラルダは、戦場という事も忘れて呆然としている。
「今のが、……アクアリーネの声?」
「不敬な! エルフは我らがアクアリーネ様を軽んじるのか!?」
怒声を浴びせられて、エメラルダが軽く身を竦ませた。
「ご、ごめんなさい」
ソーマを含めた『トラフロ』出身者に、『この世界の神を尊べ』と言うのはなかなかの難題である。ゲームキャラという認識が強いためだ。
「『俺が勇者だ』と告げた時も、アクアリーネ……様はあんな感じだった」
『おお……』
漏れ聞いた騎士隊からどよめきが上がる。
シシリーが聖女と呼ばれるに至った経緯は、騎士隊も聞かされていたが、あくまでもパーテライネン枢機卿を介した情報である。そこには意図的……もしかしたら自己保身を願った無意識によるものかもしれないが、偏向が含まれていた。
そんな虚偽情報も、シシリーに顕現したアクアリーネや、ソーマが『勇者』と呼ばれた事実の前には、霞んでしまう。
水神アクアリーネから声を賜った事実は、聖水教会に属する者なら感動にうち震えるほど光栄なことだ。
「こいつは『魔物』ってわけか!? まさか、もう『魔王』も存在しているのか?」
「…………」
ソーマが大声で呼びかけるも、返答は得られなかった。
見れば、顕現の解けたシシリーは棒立ち状態で、背中にかばうアストレアが必死に呼びかけている。
「くそっ! また、言うだけ言って終わりか!」
「増長するなよ! たかが勇者の分際で!」
平常運転のダグがソーマに噛みついてきた。この場合、問題にしているのは『水神に対する勇者の態度』なので、騎士隊がダグをたしなめる事はなかった。
肝心のソーマは気にもとめずに無視している。
モンスターですらなく、単に動物と分類される猿の属性をソーマは知らない。
「試しておくか……。火炎魔法。氷結魔法。電光魔法」
ソーマの放った3種の魔法は、猿の身体に命中しても、目立ったダメージを与えられなかった。
おそらく、猿の属性は風あたりなのだろう。
武器の属性相性で斬り合いは多少有利だが、ソーマはいまひとつ決定打を欠いていた。『勇者』とは呼ばれても、彼は『勇者』らしい優位性を持ち合わせていないからだ。
ソーマのファンタジーに関する知識は、『現代日本』の創作物に由来している。それらと比べて、『トラフロ』や『この世界』には異なる点があった。
それは、神聖や魔物に関する特徴だ。
『この世界』の魔法は全て神に由来しており、『神聖系』と称すべき魔法が存在しない。
『魔物』もまた、『魔界から訪れた生物』などではく、あくまでも突然変異種なのだ。『魔物』が有している属性も、変異前の固有の属性を引き継いでいる。
ソーマは思い至らなかったが、『トラフロ』に登場する『魔人』とは、獣が、或いは人が、変貌して生み出された『獣人』である事が多い。それを考えれば、言葉を話す猿という存在は、なんの不思議もなかったわけだ。
水神の神託によれば、『魔物』である猿を倒すのは『勇者』の仕事だ。
それを理解した騎士隊は、猿の従えたケルベロスの群れを抑えに回った。露払いと言うべき仕事のため、自尊心の強い彼等ならば不満を抱いてもおかしくない。
しかし、水神の意志を汲み、水神のために闘うのだ。聖水騎士にとってはなによりの栄誉だと、今回ばかりは奮い立った。
自身の勇気と技量を示すべく、騎士隊がケルベロスを圧倒していく。
「孤狼双牙」
猿の右手の氷結剣を狙う、ソーマの比翼の剣。
しかし、猿はその間合いを微妙に外してきた。後方にではなく前方に向かって。
威力が最大になる前に、かみ合わせた比翼の剣の中心を、氷結剣で抑えられていた。
猿の持つ、左手と尻尾の氷結剣が、ソーマに斬りつける。
頭だけはかわしたが、すれ違いざまに、首筋と背中を斬りつけられてしまった。
「魔物ってのは、全部こうなのか?」
普通のモンスターを相手取るのとはまるで違う。
ソロプレイが主体の彼は、イベントで登場するボス級モンスターとの交戦経験が少ないのだ。彼とは違って、『トラフロ』の対人戦熟練者や、カンスト組ならば、彼とは違う感想を抱いたかもしれない。
また、彼の戦闘スタイルそのものも集団戦に向いていない。ソロプレイが安全を確保するには回避を優先しがちが。一方で、パーティー戦における前衛職とは敵の押しとどめる壁役である事が多い。
動き回るソーマの援護に、エルフ達も手こずっている。
猿もまたエルフと似て敏捷性が高いため、互いの剣をどれだけかわせるかという戦いになっていた。
「一撃必中。一撃必中。一撃必中」
これならば攻撃も当たるが、代償としてソーマの体力が減じていく。敵のダメージが正確に測れない状況では、対費用効果が赤字という可能性もあった。
物理攻撃に比べて、魔法攻撃の方が命中率は高いが、もともと魔法攻撃力の低いソーマが剣を握っていては、有効打にはならないだろう。
「……カティヤとエメラルダで、魔法力共振の氷結魔法を頼む!」
ソーマの簡単な指示に、ふたりの少女が反応を示した。
「カティヤって誰?」
エルフ少女の問いかけに、聖女が手を挙げて応じる。
「私よ。……それより、貴方はエルフなのに氷結魔法が使えるの?」
「上級魔法までなら」
「…………」
軽く答えられて、カティヤが言葉に詰まる。
風神を信仰するエルフが氷結魔法を使えるというだけでも驚きだ。だが、なによりもカティヤを驚かせたのは、上級魔法『まで』と彼女が表現した点だ。
水神の導きで研鑽を積み、聖女とまで称されたカティヤですら上級氷結魔法が限界だ。教会内でも使える人間は両手の数しかない。
「それなら……、上級氷結魔法で魔法力共振を行うわ。いいわね?」
カティヤとしては複雑だろうが、彼女は私心と責務を切り分けられる人間だった。
水神の求めに応じて勇者へ手助けするのを拒む理由などない。
「わかったわ!」
頷くエメラルダ。
「魔法力共振」
「魔法力共振」
地上と樹上で、聖女と勇者がそれぞれ魔法を発動させた。
意識が通じ合ったふたりは、お互いの視線を感じ取る。2方向から放たれた聖女と勇者の視線が、猿を焦点として交差した。
「聖水支配下」
騎士のひとりが気を利かせて、猿とソーマの足元に支援魔法をかけた。
「撃っちゃって大丈夫!?」
『この世界』で戦い慣れていないエメラルダが、改めてソーマに念を押す。
「やれ! 好きなタイミングでいい!」
ソーマの声に、至近にいた騎士達が慌てて離れた。
暗号や身振りでのやり取りではないため、打ち合わせの内容は、言葉を解する猿にも筒抜けだった。その証拠に、猿の顔は嗤っているように見えた。
「上級・氷結魔法」
「上級・氷結魔法」
ふたつの声が唱和する。
上級魔法が使えないソーマは、発動から発現までの間隔を正確に把握できていない。彼が飛び退いたタイミングは、彼が使い慣れた中級魔法の発動時間に即したものだった。
そのため、反応が遅れた猿でも、十分に待避できるだけの余裕がある。
ソーマとは逆方向へ逃走を図った猿へ、ソーマが魔法を発動させた。
「感電魔法」
放たれた電撃が閃いて、猿に命中する。
ダメージはなく、生じる効果は数秒間限定の麻痺だが、この場はこれで十分だった。
中心からわずかにずれていたが、それでも猿の周囲を包み込むように冷気が凝縮される。
空気中に含まれている水分が、一瞬で凍り付き、ガラス製の鈴のような澄んだ音を立てた。微細な氷片が宙を舞って、キラキラと光を乱反射させる。
直径10メートルの空間が極寒に呑み込まれ、細い草などは芯から凍り付き、樹木の表面も霜で覆われた。
氷の彫像となって転がる猿の元へ、ソーマが駆け寄った。
「中級・電光魔法」
あらたに引き抜いたミスリルソードを電光魔法剣に変える。凍結状態の相手には、電光魔法の威力は大きくなるのだ。
凍結した状態から抜け出すまで、さらに数秒はかかるはずだ。
「身体加重」
かわされる不安がないため、威力だけを求めてソーマが強化魔法を使用した。
「脳天唐竹割」
雷を纏ったミスリルソードが、頭上から一気に振り下ろされる。
ごがん、と巨岩が落ちたような音と共に、頭頂部で生じたひびが猿の身体を縦断した。
頭から股下まで、完全に分かたれた猿の氷像が、ころりと霜の這った草地に転がった。




