第3話 勇者以外が知る勇者の目的
全身に青い光を纏わせた少女が、夢うつつの様子で言葉を紡ぎ出した。
「私はアクアリーネ。導かれし勇者ソーマよ。この地を救うのです」
その声は、驚愕で静まりかえった中庭で、皆の耳を通じて心へと染み込んでいった。
彼女を包む青い光は、心を波立たせる感情を鎮めるような、静かな威厳を感じさせる。
「……アクアリーネ? 水神の?」
皆が青い少女に見入っている中、教徒ではないソーマだけがつぶやきを漏らした。
駆け寄ったソーマが真っ正面に立っても、シシリーの視線は彼をすり抜けてその後方を見つめ続けている。
「いや……、おかしいだろ? 勇者なんて大げさなイベント……噂すら聞いた事ないぞ」
50万人はいると言われる『トラフロ』ユーザー全員に、個別のイベントを仕掛けるなんて考えられない。
誰にだって自己顕示欲はあるわけで、ソーマだけを、いや、彼だけでなくともごく少数を優遇しては、大多数から反発を招くだけだ。
「……勇者って、なんのことだ? 俺をここに連れてきたのは、おまえなのか?」
シシリーなどの『キャラクター』に感じた違和感。大会や戦争といった大規模イベントらしからぬ展開。状況への疑念から生じた、否定したい悪い予感が、彼の混乱を助長する。
「これは……イベントだよな? これは、ゲームなんだよな? 俺は目が覚めるんだよな!? 向こうへ帰れるんだろっ!?」
乱暴に肩を揺すると、ようやくシシリーの目がソーマを捉えた。
しかし、彼女を包む青い光は薄れていき、ついには消えてしまう。
パチパチと瞬きしたシシリーが目を見開いた。礼拝堂で出会った時と同じように。
「ソーマ……さん? ケンカはやめてくれたんですか?」
「……アクアリーネと名乗ったことを覚えてないのか?」
「何を言っているんですか?」
これまた礼拝室と同様に、要点が噛み合わないまま二人は質問をぶつけ合う。
今回に限っては、状況を把握できていないのはシシリーの方だ。
まるで憑き物が落ちたかのようにシシリーは周囲を見渡し、自分へ向けられている驚愕の視線に戸惑っている。
しかし、ソーマはそれどころではない。
右腕を動かしてシステム画面を表示させる。
ログアウトのアイコン上へ移動させたソーマの指先が、小さく震えていた。
このアイコンを押してしまえば、状況は明らかになる。わずかな可能性も残さず、事態が確定してしまう。
ためらいを振り切ってアイコンを押した彼の指は、何の感触もないまますり抜けていた。何度試しても同じ結果だった。
ログアウトの機能は働かず、ソーマはこの『現実』に囚われたまま。
ドタドタと慌ただしい足音をたてながら、白地に青を配色したローブ姿の老人が駆けつける。
「何事です? 何が起きたのですか!?」
恰幅のいい体格で、普段は動じる様子を見せない老人が、一人の少女に目をとめた。
「しっ、司祭様!」
対応に困ったシシリーが慌ててぺこりと頭を下げる。
「アクアリーネ様がシシリーに宿り、この者をこの地へ召喚したのだと告げられました」
「ええっ!?」
アストレアが事情を説明すると、当の本人であるシシリーが素っ頓狂な声をあげた。
「そんなもの、その小娘の戯言に決まっている。信じられるものではない」
カリアスがすかさず反論したが、この件についてはアストレアも退こうとしない。
「アクアリーネ様ご自身のお言葉だぞ。それを確かめもせずに無視するなど、どれだけの不敬かわかっているだろう!」
「…………」
さすがに強弁を諦めてカリアスが口を噤む。
「シシリー。少し話を聞かせてもらえますか」
二人が司祭の部屋へ姿を消すと、アストレアもソーマに話しかけた。
「お前にも話を聞いておきたい。そちらにも疑問があるなら私が答えよう」
言葉づかいは堅いままだが、どうやらこれは彼女の地らしい。先ほどまでと違い、口調からは怒りを感じなかった。
「……わかった」
困惑から抜けきっていないソーマがおとなしく頷いていた。
○
一つの机を挟んで、ソーマとアストレアが向き合って座る。もう一人、付き添いの教会騎士が同席し、壁際の椅子に腰を下ろしていた。
「お前をここへ招いたのはアクアリーネ様なのか?」
「……え?」
促されるままに行動していたソーマが、アストレアの声に反応して視線を彼女に向けた。
先ほど、シシリーが自我を取り戻した時のように、呆然としていたソーマの目に理性が戻った。
「アクアリーネ様に招かれたというのは本当なのか?」
一度頭を振って、ソーマが口を開く。
「……気がついたら礼拝堂に寝ていただけで、それ以外の情報はまったくない。さっきの声はシシリーのものだったし、アクアリーネの姿も石像でしか見たことはない。俺に頼み事をしたいわりには、説明する気もなさそうだな」
当然と言えば当然だが、ソーマはアクアリーネに対して畏敬の念をまるで持っていない。
さすがに、アストレアも眉をひそめたが、口に出しての非難まではしなかった。
「最初に会ったときの話に戻るが、どうやって礼拝堂まで入ったんだ?」
「俺が潜り込んだわけじゃない。転移門や転移石みたいに空間を越えて召喚したんだろ」
「転移門?」
「これも通じないのか……。とりあえず、この街の名前を教えてくれ」
「クローナの街だ」
「聞いたことないな。街なら全部知っているはずだけど」
「全部? 大陸中の全てか?」
「まあ、だいたいは。ここはどの大陸になるんだ?」
「シャングリラ大陸だ」
「シャングリラ大陸のクローナ……? 知らないな」
「ミッドライン湖周辺では一番大きい街だぞ。聞いたことぐらいあるだろう?」
「ミッドライン湖? それなら、一番大きい街はアクアポリスのはずだろ?」
悩むまでもなくソーマが応じると、怪訝そうにアストレアが見返した。
彼女に指示された一人の教会騎士が、地図を持ってきて机の上に広げた。
直角三角形に近い形状のシャングリラ大陸が東西に伸びている。
北東側が直角にあたる部分で、そこには大陸で一番大きな湖があった。
「ここが、クローナになる」
彼女が指さしたのは、湖の南側の一点。
ソーマの記憶ではアクアポリスのあった場所だ。
「……本当か?」
「ああ。こんな事で嘘をついてなんになる。むしろ、そこに疑いを持つお前の常識を疑うぞ」
他にも幾つかの場所を確認してみるが、その結果はひどくチグハグだった。
基本的に、山、川、湖の名は同じであることが多く、街などは大きく異なっている。
国の名前や国境などは、ほとんど一致しない。
「ゲームの中じゃなさそうだな。よく似た別の世界ってことか……」
ソーマのつぶやきに、アストレアが首を捻る。
「なぜゲームの話になるんだ? カードゲームやボードゲームに関係するのか?」
「あ~、説明が難しいな……」
VRはもちろんのこと、MMOも、RPGも概念を伝えるのは難しすぎる。
端的に言ってしまえば『ごっこ遊び』になるだろうが、これはとても自分の口から説明する気になれなかった。
「ゲームは忘れてくれ。どうやら俺は、こことよく似た大陸で暮らしていたみたいだ」
「シャングリラ大陸とよく似た大陸が他にもあるのか? 地名まで同じ大陸が?」
「いや、どう言えばいいのか……。例えば、誰かがいなくなって欲しいと思ったことがあるだろ?」
「ある」
即答だった。
「もしかしたら、ちょっと運命が違っただけで、そいつと一度も顔を合わせずに一生を過ごしたかも知れない。あるいは、そいつが怪我をして死んでいたかも知れない。そんな風に、なにかのきっかけから分岐して、違う結果の出た別の世界ってことだ。俺がいたのはそういう、別な街の存在する世界……なんだけど、難しいか?」
相手の表情をうかがったソーマが問いかける。
「……よくわからん」
SFやファンタジーに馴染んでいなければ、パラレルワールドという概念は通じないのかも知れない。単に彼女の想像力が貧困という可能性もあるが……。
ソーマは理解させるのを断念した。
「それなら、さっき言ってたそっくりな大陸や、そっくりな街でいいや。そこには俺みたいな魔法剣士が他にもいて、俺より強い奴もいっぱいいた。俺はそういうところから来たんだ」
「お前よりも強い者がいるのか?」
「そりゃあ、いるさ。あんただって自分が世界最強だなんて思ってはいないだろ?」
「それはそうだが……、もっと強い者がそんなにいるのか……」
剣の腕にそれなりの自負があるようで、納得できないらしい。
「お前の名はソーマといったな?」
「ああ」
「私の名はアストレアだ。一応、名乗っておこう」
「そうか。よろしくな」
「ところで、その革袋はどういう仕組みになっているんだ?」
アストレアが指さしたのはソーマが腰につけているマジックポーチだ。
「俺も詳しくは知らないんだよな……」
ゲームの開始時点で必ず所有している物だから、ソーマが仕組みなど知るはずもない。
「俺が住んでいたところでは全員が持っているから、疑問に感じたこともなかった」
「魔法をかけた剣もそうなのか?」
「あれは剣の力じゃなくて、俺の特性というか……能力なんだ。どんな武器にでも魔法をかけられる」
「そっちの大陸では、武器に銀を使うのは一般的なのか?」
「うーん……、そこまで違うのか? ミスリルという特殊な銀だけど、高くてもそれなりに流通してる素材だから、気にしたこと無いなぁ。誰かが見つけたり、作ったりすれば、ここでも出回るんじゃないか?」
ソーマは、ゲームプログラマーでもないし、マジックアイテムをつくる鍛冶師でもない。『システム的にそうなんだ』としか言いようがないのだ。
こうして、お互いに情報をやりとりし、魔法の系統や死亡条件なども『トラフロ』と変わらないことがソーマにもわかってきた。
それに、使用言語は日本語ベース。
他にも、教会騎士の間では身分の差がないはずなのに貴族風を吹かす人間もいるとか、通常は保管されているはずのフリーズソードを自己顕示欲から持ち歩く人間がいるとか、そんな話題も出た。
二人の会話を終わらせたのは、司祭からの呼び出しである。
○
司祭の部屋で待っていたのは、司祭とシシリーとカリアスの三人だ。
「シシリー様の身体にアクアリーネ様が宿ったことは間違いないようです。シシリー様を聖女と認めましょう」
厳粛な態度で司祭はそう口にした。
「聖女ってなんです?」
明らかな年上ということで、ソーマは丁寧に問いかけた。
「聖女とは神が降臨するための依代となった人物のことで、神の御心に触れた者として畏敬の対象となります」
神を宿すという現象は、教会にとって重大事なのだ。
司祭は現場に居合わせていないが、シシリーの魔力から降臨の痕跡を知ることができた。えせ宗教家とは違い、魔法的な実力が備わっていることも司祭となる条件の一つなのだ。
「それじゃあ、さっきの話はアクアリーネの意志ってことで間違いないんですか?」
「その通りです」
「それで勇者ってのは何をすればいいんですか?」
「アクアリーネ様がおっしゃった通り、この地を救ってもらえるとありがたいですな」
「簡単に言うけど……、救うってのは、具体的に何をどうすればいいんですか? そもそも救いが必要な状況なんですか?」
「……神の御心は我々には計り知れないものですからな。何を望んでおられるか、じっくりと考えてみてはどうでしょうか?」
司祭にも心当たりはないらしく、慰めの言葉をかけられたソーマが悄然とうなだれた。
「ゲームの勇者なら魔王を倒せばそれで終わりだけど、魔王なんていないよな? それに、俺の力で倒せるのか……?」
「魔王……というのは魔神に仕える王ということでしょうか……。そんな方が存在するんですか?」
浮かんだ疑問をそのまま口にするシシリー。
「ん? こっちではそんな伝説が残ってないのか? 何百年も前に勇者が倒したって話。俺のいたところだと伝説の武器が世界各地に残されて……」
ソーマの説明が途切れる。
「あれ……、ちょっと待て。魔王が存在したという言い伝えも存在しないのか? それとも、魔王がまだ生まれていないのか?」
単純にゲームと似ている世界と考えていたソーマは、一つの仮説に思い至る。
自分を取り巻く環境がゲームの設定と異なるのは、場所の問題ではなく、時間が原因だとしたら?
例えば、クローナの街が発展を遂げることで、将来的にアクアポリスの都となるのかもしれない。
そして、いずれ魔王も出現し、それを打倒する人間が必要となるのかもしれない。
「もしかして……、俺は本当に勇者なのか?」
「アクアリーネ様はそうおっしゃっていたのでしょう?」
何を今更と、司祭はにっこり笑って口にした。
あとがき
2013-05-19 女神との対話部分を修正しました。