第37話 森を駆ける勇者達
一夜が明けた早朝。
気の早い鳥が鳴き始めているものの、薄暗い森はまだまだ静寂に覆われていた。
その多くが楽曲を嗜んでいる事からもわかるとおり、エルフは音感や聴覚が優れている。
エルフの耳を警戒し、極力音を立てないように、ふたつの人影が村の外を目指す。
エメラルダは、森の外へ出るのは禁止されていたが、森の中であれば行動の自由を許されていた。
結局のところ、魔法的な強制を受けていなかったのだから、彼女に本気で出て行く意志さえあれば、いつでもかなえられた。言及するなら、彼女は勇気や覚悟が足りなかったのだ。
彼女が向かう先は、森の西側につながる『迷いの霧』。
当面は、ケルベロス討伐に来ている騎士隊との合流が目的だ。
霧を抜け、ふたりはさらに西へ向かう。
位置関係を考えれば、ソーマが昨日通ったルートを逆に辿っているはずだ。しかし、初めて入った森という点を差し引いても、山道に慣れていないソーマひとりでは、迷わずに帰るのは不可能だったろう。
エメラルダの足にソーマはなんなく追従するが、『トラフロ』プレイヤーである彼女は、他のエルフと違って驚いたりはしない。
「騎士隊は、森への侵入を諦めてくれそう?」
「全滅できなかったから、再発の可能性はあると思う。だけど、森の中を探し回っても、残りの2頭を見つけ出すのは難しいはずだ。『追い払った』という功績で我慢してもらうしかない。森で被害が出たとしても、それはエルフの責任で何とかしてもらう。森への侵入を拒んだのはエルフなんだし」
「そうなるのかぁ……」
曲がりなりにも暮らしてきたエルフの村である。ケルベロスの脅威に晒されるというのは不満そうだ。
「騎士隊には、エメラルダの口からも説明してくれ。少なくとも誘拐や拉致じゃなく、自分の意志でついてきたってことを」
「もちろん」
すかさず頷く。
基本的にエメラルダが強引に持ちかけた話なので、ソーマへ迷惑をかけるのは彼女の本意ではなかった。
ソーマの立場が悪くなれば、庇護下に納まるであろうエメラルダにも不利益は生じるはずだ。
しばらく走り続けていると、エメラルダが幾度か後方を振り返るようになった。
「…………」
意味ありげに視線を向けてきたエメラルダが、徐々にソーマに接近する。
「……?」
「何かが追ってきてる。たぶん、エルフ」
エメラルダの鋭い聴覚が追跡者の存在を察したらしい。
「隠れてやり過ごすか?」
「私達を追ってきてるんだし、今更隠れてもすぐに見つかると思う。直接話してみない?」
「任せる」
ソーマの答えを聞いて、エメラルダは徐々に足の勢いを緩めていく。
ふたりが足を止めても、追跡者は姿を見せなかった。
「音響探知」
「熱源探知」
火属性魔法が放射熱を探るのに対し、風属性魔法では音を頼りに敵を見つけ出す。ちなみに、ソーマは熱源探知を持っているため、音響探知は取得していない。
スキルレベルが高いのか、森という条件が良かったのか、先に相手を捕捉したのはエメラルダだった。
茂みの向こう側を彼女の指が指し示す。
「そこに隠れてるんでしょ? 話があるなら聞くわよ」
ずばりと言い当てられて、驚きのためかがさりと草が揺れた。
その場におずおずと立ち上がったのは、エルフの少年……というよりも、子供であった。
「ハヴェル!?」
「エメラルダ、どこへ行くの?」
責めるような口調でハヴェルが問いかける。
「私は村を出ることにしたの」
「どうして!? だって、僕に何も言ってくれなかったじゃない!」
「ハヴェルに相談したら、他の人にも話しちゃうでしょ?」
ソーマを置いてけぼりにして会話がかわされる。
様子を見る限り、エメラルダはハヴェルに懐かれていたのだろう。
「秘密にして欲しいって言ったら、誰にも言わなかったよ。今だって、僕ひとりで追いかけてきたんだから!」
「どうして追ってきたの?」
「昨日、その男と話したって聞いて、気になってたから……」
「そう……。秘密にしていたのは悪かったわ。だけど、……私は村を出るつもりよ」
「その男になにか言われたんでしょ?」
「え?」
「脅されてるんじゃないの? だから、急に出て行くなんて言い出したんでしょ?」
(……なんか、変に誤解されてるな)
思わぬ飛び火に、ソーマは困惑気味だ。
見たところ8歳程度のエルフで、エメラルダへは憧れのような感情を抱いてるのだろう。
「それは違うわ。いい機会だと思ったのは確かだけど、ソーマに言われたわけじゃないの。むしろ、同行するのを嫌がってたくらいだから」
ハヴェルが背負っていた弓に矢をつがえて引き絞る。
「ハヴェル!? やめて!」
鏃が向いているのは、少女を連れ去ろうとする好ましからざる存在だ。
「どうして、エメラルダを連れて行くんだ!? なんて言って脅したんだ!?」
さすがに無関係とも言ってられず、ソーマは自分の口で釈明を試みる。
「少なくとも、脅したっていうのは勘違いだ。ハヴェルがエメラルダを説得できるなら、こっちとしても有難い」
「…………」
言い方が不満だったのか、エメラルダがじろりとソーマをにらんだ。
「帰ろうよ、エメラルダ。こんな奴は僕が追い返してあげるから」
「違うんだってば。森を出るのは私の意志なの。そんな危ない事はやめて」
「エメラルダは連れて行かせない」
「……俺はどうすればいいんだ?」
「説得するから、少しだけ待ってて。ハヴェルを傷つけたりしないでよ」
「エメラルダは……、前からそいつと知り合いだったの?」
「え? どうして?」
「親しそうに見えるから」
「そう……? 自分ではなんの自覚もないんだけど……」
ヒトを蔑視するエルフ達の中で、ヒトのメンタリティを持つエメラルダが、居づらく感じるのは当然のことだ。自然と、周囲への対応もどこか構えたものになるだろう。
その点、同じ『日本人』であれば、感情面にしろ礼儀面にしろ、共通の土台を有しているため非常に気安くなる。ソーマでなくとも、日本人でありさえすればエメラルダは同じ態度になっていたはずだ。そのうえ、『トラフロ』プレイヤーに限定すれば、その他の趣味も似通っている可能性がある。
無自覚な親しさを前に、ハヴェルは誤解に誤解を重ねてしまう。
「お前なんか、お前なんか村に来なければ良かったんだ」
若者の少ない村だったため、突然現れた少女は、ハヴェルにとって唯一とも言える身近な相手だった。
見知らぬ世界に放り込まれたエメラルダにしても、成年よりは子供の方が気安くつきあえたはずで、とても慰めになっていただろう。
姉弟のように親しかった相手が、昨日会ったばかりの男に連れ去られるなんて、ハヴェルが反対するのは当然の反応だった。
震えた指先から、弦がはがれた。
小さな風を切る音と共に射出された矢は、ソーマをかすめて飛んでいった。
純然たる事故だったが、ハヴェルに謝罪の気持ちなど欠片もない。
感情の高ぶりから生じた失態は、狙いを狂わせてしまい、ソーマを怪我させるような事態にはならなかった。
「だめよ、ハヴェル! 貴方じゃ勝てるわけないんだから」
そんなエメラルダの言葉に、ハヴェルの自尊心が反発する。
(野蛮なヒト相手に、負けるもんか!)
ハヴェルがとっさに覚悟を決める。
矢筒から引き抜いた矢を、再び弓につがえていた。
ソーマが邪魔者なら排除してしまえばいいと、単純な結論に至ったのだ。
一本目の矢が放たれてすぐ、ソーマもマジックポーチから投擲用短剣を取り出していた。
「追風移動。武器投擲」
ハヴェルが第2矢を射たのと、ソーマが短剣を投じたのがほぼ同時だ。
武器投擲の射程は弓矢に比べて劣る。そこでソーマは、追風移動による付随効果でその射程を延長したのだ。弓矢にもこの効果は乗るが、互いの距離はもともと弓矢の間合いなので、ハヴェルは使用していない。
矢と短剣が互いの胴体に命中する。
「やめて、ソーマ!」
「そっちに言え」
ソーマは無抵抗主義者ではない。
最近では、相手に非があるなら、むしろやり返すべきだと考えるようになった。
すぐに力で訴える人間は、いずれ他人にまで被害を及ぼしてしまうからだ。
次弾に備えて、ソーマは束ねてあった投擲用短剣を捻り、結んでいた紐を切断する。
一本の短剣をソーマが構えたところで、パンと、破裂音にも似た音が鳴り響いた。
ひっぱたかれた頬を抑えて、呆然とするハヴェル。
「やめなさいって言ったでしょ! どうして、そんなことをするの!? ハヴェルは勝手な思いこみで相手を傷つけるような子だったの!?」
短いつきあいだったが、子供を叱りつけるエメラルダはなかなかの迫力だ。この場合、ソーマの関係者が同様の行為をしたなら、やはり自分も怒鳴りつけただろうが。
エルフである以上、ハヴェルは見かけ通りの年ではないはずだが、その言動は人間の子供と変らなかった。
「あんたもよ、ソーマ!」
「……はい」
一応、ソーマは被害者だと言う事は理解しているようで、エメラルダの説教は主にハヴェルに向けられた。
言い聞かせようとするエメラルダに対し、ハヴェルは理性ではなく感情面から反論してしまう。
堂々巡りとなる双方の主張に、ソーマが興味を失うのも無理からぬことだ。
ふと、ソーマの耳に『鳥の鳴き声』が滑り込んだ。
どこか聞き覚えがあるように感じて、ソーマは記憶を振り返る。
それは地球で聞いた記憶などではなく、ごく最近……、正確には昨日のことだ。
「……大丈夫。ヒトは危険かもしれないけど、ソーマは信用できるから」
「どうしてそんな事が言えるのさ! のこのこついて行ったら、酷い目に合わされるだけだよ!」
「静かにしろ!」
声高に言い合うふたりを、ソーマが小声で叱りつける。
「なんで、お前なんかに……っ! むーっ!」
反射的に噛みつくハヴェルを、エメラルダは物理的に口をふさぐ。
「どうしたの?」
「この鳥の声に聞き覚えあるか?」
「え……? ううん、ないわ。ハヴェルは?」
背後からの拘束を逃れた少年が、どこか残念そうに答える。
「エルフの合図に似てるけど……、これは聞いた事がないよ」
「ケルベロスが来るかも知れない。気をつけろ」
「それなら、木の上へ避難しよう!」
「だ、だけど、ソーマが」
「大丈夫だよ、強いんでしょ!?」
ソーマを気づかうエメラルダの様子に、不満そうなハヴェルが強引に押し切ろうとする。
「確かに、俺なら大丈夫だ」
本人の肯定は、ハヴェルの機嫌を余計に損ねていた。
「せいぜい、気をつければ! 浮遊足場」
風魔法に分類される浮遊足場は、本来の使用者であるエルフだけが、3歩分まで習得が可能となる。
ハヴェルは見えない階段を駆け上がり、簡単に枝の上まで到達した。
その動きをなぞったエメラルダが、ハヴェルの隣に並ぶ。
「行けるか……なっ!」
一本の木めがけてソーマが走る。助走距離は10mほど。
木の幹を下向きに蹴りつけて、自分の身体を上へ持ち上げる。
2歩目。3歩目。
垂直に木の幹を駆け上ろうとしたソーマの試みは、4歩目で限界に達した。
4歩目が強すぎたのか、反動でソーマの身体が幹から離れてしまい、5歩目は完全に空振りする。
「浮遊足場」
6歩目が虚空を蹴った。
無事、樹上へ待避したソーマに、ハヴェルが不満をぶつけてしまう。
「なんだよ! 闘うんじゃなかったのか!?」
「そんなことは言ってない。大丈夫だって言っただけだ」
「……~っ!」
ソーマが涼しい顔で応じると、対照的にハヴェルが悔しがる。
「あんたは……ハーフエルフなのか?」
「何でそう思うんだ?」
「だって、風魔法を使うし、今だって枝の上に立ってるから」
「いや、風属性魔法で身体平衡も身につくだろ。俺は風神の洗礼を受けているだけで、エルフの血はまったく入ってない」
エルフが枝を渡れたり、高い場所が平気なのは、常時発動型の身体平衡というスキルによって、平衡感覚が強化されているためだ。もしも、風神の洗礼を受けていないエルフがいれば、やはり、高所は苦手となるだろう。
浮遊足場を使いこなせるのも、身体平衡による補助があるためだ。
草をかき分けたり、枯れ枝を踏み折る音が、こちらに迫る。
姿を現したケルベロス達は臭いで状況を察したのか、エルフの登った木と、ヒトが登った木を取り囲む。
討伐班が取り逃がしたよりも数を増しており、合計で11頭いる。
「このタイミングでケルベロスか……。それに、なんで吼えないんだ?」
野生生物ならば、獲物にしろ敵にしろ、吼えかかって敵を威圧するだろう。それがない。
ケルベロス達の動作は、獲物を追う肉食獣というよりも、決められた作業をこなす機械を思わせた。
「やはり、野生状態じゃなくて、誰かにそう躾られていそうだな」