第35話 エルフと対話する意義
樹海を走る一行の行く手を、白い霧が覆っていた。
先導するエルフのリヒャルトは、構わずに霧の中へ駆け込んで行く。
霧の中に突然現れる木々をひらひらとかわしながら、霧に薄れがちな先行者の背中を追った。
ほどなくして、減速し始めたリヒャルトがソーマに告げる。
「到着した。ここが俺達の村だ」
霧が風で吹き飛ばされたかのように、視界が開けた。
木々の密度が薄くなっており、さながら樹海の狭間に生まれた盆地のようだ。
「……ずいぶん、外周に近いんだな。もっと樹海の奥にあると思ってた」
時計が存在しないため、ソーマの体感で言えばほんの1時間程度に思えた。
「正確な位置は樹海の北部にあたる。森に現れる迷いの霧はエアロファ様の加護で、精霊界を通じて遠くの場所をつないでくれる。不埒な者を惑わせる守りの結界ともなる」
説明から察するに、虚神の仮想現実同様、部外者を拒むための結界なのだろう。
村へ足を踏み入れた直後、ソーマはその場にとどまるよう指示された。
部外者である以上、仕方のない事だろう。
リヒャルトは長老への報告に向かい、トビアーシュの仮死体はどこかへ運ばれていった。
やがて、リヒャルト自身が再び姿を現した。
「長老がお会いになる。私の知る事情は全て知らせてあるため、お前が説得できる可能性は極めて低い」
「そうかもな。説得材料が増えた分けじゃないし、話す内容も騎士隊の主張と変らないから」
「それでは離すだけ無駄ではないか」
「だからといって、騎士隊とエルフが闘うよりはマシなはずだ」
「……それは理解できる。こっちだ」
リヒャルトの後を追いながら、ソーマは周囲に興味の視線を向ける。
太くねじくれた幹が、他の木や枝と絡み合う様は、まるで巨大な蔦をそのまま固めたようにも見える。
そこかしこに見かけるエルフが、逆にソーマへ忌避感や好奇心といった視線を向けていた。『この世界』へ来てからは、似たような視線に晒される事が多く、ある程度慣れたソーマは黙殺できるようになった。
隠れている可能性もあるが、若者や子供の数は数えるほどしかいい。『トラフロ』においてもエルフは長命な設定なので、出産率がそもそも低い可能性がある。
ソーマが案内されたのは、窪地を利用した、中央部が低い鉢状の広場だった。
30人近いエルフ達が思い思いの場所から、広場の中央を見下ろしている。
中央には仙人を思わせる、長い髭を蓄えた老境のエルフがいた。エルフでありながらあの容貌なのだから、よほどの歳月を過ごしたのだろう。
傍らに立つ長耳の少女も、エルフである以上は、人間の平均寿命を越えた年齢のはずだ。
「リヒャルトより話は聞いた。お前がエアロファ様の力を使うヒトか?」
「そうだ。……追風移動」
場所が場所なので攻撃魔法を避けて強化魔法を使用すると、ソーマの周囲をゆるやかに風が舞う。
『おお……』
事情を詳しく知らないエルフが、驚きの声を漏らす。
「御子はどう見た?」
「……確かに追風移動の魔法です」
体術にしろ魔法にしろ、『トラフロ』では攻撃モーションや発動エフェクトが存在する。長老や御子が確認したのはその予備動作や魔力変換を指しているようだ。
少女の答えに、長老が頷く。
「うむ。エアロファ様の加護を得ているのは確かなようだ」
どうやら、聖水教会のように戦いで証明せずに済みそうだ。その点においては、彼の遭遇した教会騎士達よりも、理性的に思えた。
「どのようにして力を得た?」
当然の疑問ではあるが、同時になんとも答えづらい質問だった。
『トラフロ』では自キャラ作成時に職業が選択できる。魔法剣士は最初の選択肢に含まれており、無属性かつ6種魔法の洗礼済みという特徴を備えていた。
エルフに対し『トラフロ』の説明など通じるはずもないため、アレンジした形で告げてみた。
「……南葉の森にある、風守の祠で」
南葉の森とはシャングリラ大陸南部にある森で、風神を奉る祠は三柱神でいう教会にあたる。『トラフロ』時代に、ソーマはその場所で魔法の調整を行ったのだ。
「南葉の森のエルフ達は、ヒトが祠へ近づくのを容認したのか?」
「俺にはエルフの事情はわからないから、そっちで調べてくれ」
まったく無関係のエルフ達に責任を押しつけた形だが、ソーマとしては他に答えようが無いのだ。
「とにかく、エアロファ……様は俺の洗礼を認めてくれた形なんだし、エアロファ様が導いてくれたと考えるのが自然じゃないか」
この際なので、全てを風神に押しつけることにした。
「エアロファ様の真意はわからぬが、確かにエルフ内の問題をお前に聞くのは筋違いだ。事情は南葉のエルフに直接問うとしよう。では、エルフに告げるというお前の言葉を聞こう」
いよいよ本題である。
「森の西に位置する村がケルベロスに襲われた。ほとんどは聖水騎士隊が倒したけど、そのうちの数頭がこの森へ逃げ込んでいる。森から出て行けと言われたけど、ケルベロスの討伐が終わるまで、森へ入ることを認めて欲しい」
「リヒャルトに聞いた話と変らぬようだ。ならば、我らの返答も変らぬ。森への侵入は認めん」
「エルフにも犠牲が出ているのに?」
「襲ったのがケルベロスとは断定できぬ」
「襲われた人の蘇生はまだ終わってないのか?」
「もうしばらく時間が必要だ」
「だったら、ケルベロスだと確認できれば認めてもらえるのか?」
「それでも認められぬ。ヒトがケルベロスを追い立てたせいで、エルフに犠牲者が出たと思える。ヒト側の要求を容れることはできぬ」
「森へ向かったのもエルフを襲ったのもケルベロスが勝手にしたことだ。俺達のせいだと主張するのは強引すぎる」
「原因の一端を担っているは確かだ」
「そういう話をするなら、もう一つ面白い情報があるぞ。ケルベロスが逃走する寸前、鳥の鳴き声が聞こえたんだ。エルフが仲間を呼び寄せる合図と似た鳴き声だ。つまり、ケルベロスを操っているはエルフだという推測も成り立つ」
「妄言である。森に棲息していないケルベロスを操ることなどできぬ」
「それはエルフ側の主張だ。全面的に信用はできない」
「お前はエルフが全ての元凶だと主張するのか?」
「いいや。相手側の問題点をあげつらうだけなら、どうとでも言えるってことだ。お互いがケルベロスを迷惑に思ってるなら、ヒトとエルフで協力して対処することも可能なはずだ」
「合理的ではあるな」
「それに、この森の東側は帝国領だと聞いている。王国とエルフが争ったところで、どちらも得はしない。むしろ、第三者である帝国が漁夫の利を得るかも知れない。なんの確証もないけど、炎神を崇拝する帝国がケルベロスを利用するってのは、自然な推論だと思わないか?」
深緑の森の存在が大陸中央と東部を隔てており、海を渡ってきた帝国の領土となっているのは事実である。事が起きたには100年も昔の話だが。
「お前の主張は憶測に基づくもので根拠が薄い。判断の指針にするわけにはいかぬ」
「じゃあ、どうする気なんだ?」
「もちろん、エルフの裁量で対処する。ヒトの介入など不要だ」
「そこまでしてケルベロスを守りたいのか?」
猿の一件も含めて、ソーマはそう思い込んでいたが、これは間違いだった。
「……やはり、ヒトはエルフを誤解しているのだな。エルフは、森の調和を守るために危険な生物を排除する事もあるし、自衛のために殺生をする事もある」
「それじゃあ、ヒトもエルフも変らないだろ。ヒトだって身を守るために闘ってるんだ」
ヒトとエルフを同一視した事が不満だったようで、長老の眉間にしわが寄った。
「ヒトの行動の多くは、独善的な行動であり、自然との調和を顧みようとしない。一つ許せば際限なく踏み込んでくる強欲な生き物だ。狩りを楽しむため、食を楽しむため、不要に命を奪うのは野蛮と言わねばならぬ」
(ヒトの狩りは悪い狩りで、エルフの狩りは良い狩りだって事か?)
ソーマの感性から言って、エルフの主張や言動は非常に高慢に感じられ、つい、反駁してしまう。
「……動物だって、食べない相手を襲う事があるだろ」
「自身の領域を守るための戦いならば許されている」
「領域ってのは縄張りの事だよな? 自分が食べるための食料を得る場所って意味であってるか?」
「その通りだ」
「それはつまり、今現在の飢えを満たすためではなく、将来に渡って食事を得るための備えって事だ。それは許されるのか?」
「もちろんだ」
「動物が巣に木の実を溜め込んだりするのも、あんた達が、例えば果物を干して保存するのも同じなのか?」
「……そうなるな」
「だったら、ヒトが狩りをするのも許すべきだ。動物が長期的に獲物を得るため土地を独占するの同じく、毛皮なんかを金に換えて将来の飢えに備えているんだ。他の動物と変らない生存本能に根ざしたものだ」
「ヒトの振る舞いは備えの域を超えている。獲物を狩るための土地ならばまだ良い。だが、金や宝石といった財に変えて蓄え、贅沢を貪ろうとする。悪しき知恵だ」
「贅沢って言うけど、あんた達だって食糧確保以外の楽しみを持っているはずだ」
ソーマは、村で見かけたアレコレを思い返しつつ口を開く。
「例えば……、楽器だって狩りには不要で、娯楽のために生まれたものだ。自然との調和と言ったって、裸で暮らしているわけじゃない。服の形にも好みがあるだろうし、紐を編んで飾りにしてるだろ。珍しい品や縫製の技術に付加価値を与えるなら、それも生命活動とは無縁の贅沢品だ。ヒトが金や宝石に価値を見出すのと変らない」
「これは森の恵みによるものだ。ヒトの手垢にまみれた金や宝石と一緒に扱うべきではない」
「森の恵みを独占してる時点で、十分に強欲だ」
「……何を言っている?」
「木の実とか果物がふんだんに取れれば、悠々自適な生活だってできるさ。だけどそれは、恵まれた環境をエルフが独占しているからだ。実りの少ない土地を『押しつけられた』人間は、土地を耕して、水や肥料を撒いて、野菜を育てる。面倒な家畜の世話をすることで、ようやく肉にありつける。そんな工夫や努力を知らないエルフが、森の外でどれだけの生活ができるって言うんだ?」
「世界の成り立ちも知らぬか……。エルフに森が与えられたのは、エアロファ様の御意志だ。後から生まれた種族に非難される謂われはない。エルフの境遇を妬み、批判するのは利己的な主張に過ぎぬ」
「それだってエルフが言い張っているだけだろ?」
「馬鹿な事を……。短い寿命のヒトにはわからぬだろうが、長く生きるエルフにとっては数代前のことなのだ。エルフにしてみれば、お前の主張こそ妄言に過ぎぬ」
「それは、森に乗り込んだ人間が、『ここは俺の領地だ』って勝手に言い出したの同じだ。他人に認めさせ、領土の境界を決めないと、いつまでだって解決しない。エルフにだって、自分の家があるならわかるだろ? 他人に踏み荒らされたくなかったら、壁や塀で囲って、境界を明らかにするべきだ」
「ヒトが生まれるより前から決まっている。森の全てがエルフの領域なのだ」
「だから、森ってのは『どこまで』を指すんだ? 外側に一本でも木が生えたら、エルフの土地が増えるのか?」
「森が広がったのならば、それは自然の流れと言うべきだろう」
「逆に木が枯れたたり倒れたりしたら、土地は減ったってことでいいんだな? 山火事でも起きて、森の半分が焼失したら、エルフの土地も半減したと納得するんだな」
「……そのようなことは認めるわけにいかぬ」
「その言い分は通じない。森の境界で決めるというなら、増えても減っても、それに準じるべきだ」
「それはヒトの理屈だ」
「ヒトを説得するのに、ヒトの理屈が必要なのは当たり前だ。お互いに合意しないまま、勝手に主張しているんじゃあ、最終的には力で解決する事になる。建前を取っ払えば、いつだって実力行使の危険性はあるけど、建前を整えれば本音を出しづらくなる」
「森にいる限り、エルフはヒトに負けたりはせぬ」
「森を手に入れるためには、エルフを倒す必要がある。だけど、森の中ではエルフに勝てない?」
「その通りだ」
「だったら、森を焼き払ってしまえば、エルフと闘う必要すらない」
「それでは論理が破綻している。森を手に入れる事ができないではないか」
「エルフがいる限り不可能だっていうなら、森にはこだわらず、最初から諦めてしまえばいい」
「森が不要ならば闘う意味がない」
「森はなくなっても土地は残る。寿命が短い分だけ、ヒトは数が増えるのは早いんだ。いずれ、土地の取り合いになる」
「森よりも、土地を求めるか。どれだけ、自然を荒らそうというのか……」
「自分の食い扶持を稼ぐための、縄張りの問題だ。それこそ、自然の理で言うところの、生存競争ってやつだろ。どんな動物だって、生きる場所を得るために闘ってるわけだし」
「エルフはヒトとは違う。自然の調和を保つのを目的としている」
「木の実を奪い合うのも、獲物を狩るのも、土地を狙うのも、生き延びるための戦いだ。自然界に存在する全てがそうやって闘っているのに、『調停者』だって他人面してることこそ、一番自然の摂理からはみ出した行為じゃないのか?」
「なかなか面白い意見だ。多分に不快ではあったがな。ヒトにどう思われようと、エルフはエルフの役目を全うするのみ」
ここで長老が軽く咳払いをする。
「それで……、お前の目的はエルフの有り様を批判することだったのか? これで要件は済んだか?」
問われたソーマが、虚を突かれたように目を丸くする。
「……いや……そうじゃない。ケルベロス退治のために森への侵入許可がほしい」
「その要求にはすでに回答している。それとも、今の話を代価に譲歩を求めると言うのか?」
「……無理か?」
おずおずと尋ねるソーマに対し、長老はなんの同様も見せずに応じる。
「先も言ったがトビアーシュと、南葉の森のエルフに話を詳しく聞いてから、エルフの対応を決める。それまでは、この村へのお前の滞在を許そう」
○
ソーマには、村はずれの空き屋があてがわれた。
いくら風属性魔法が使えようと、彼個人の信用度はかなり低く、軽い軟禁状態となった。
退屈な時間を強いられ、自然と長老との対話が思い起した彼は、強く後悔していた。
工場勤めをしていた彼が交渉経験を積む機会などほとんどない。商人相手の値段交渉ならまだしも、政治的、理念的な交渉は困難だ。
長老との対話では、反発を覚えた事柄に屁理屈を返してしまったが、大局的に見るならこれは悪手と言える。むしろ、エルフの主張を認める形で話を進め、こちらの要望を容認させるべきだった。
気分的にはすっとしたが、交渉の進捗状況はゼロか、場合によってはマイナスに転じているだろう。
エルフの彼に対する印象は、間違いなく悪化しているはずだ。
エルフへの同行を申し出た時点で、自分の身に危険が及んだ場合は、転移石で逃亡するつもりだったため、深刻な危機感を覚えているわけではない。
ただし、クローナ境界へ直接帰還してしまうと、神殿へ事情を説明するまで時間がかかる。最悪の場合、騎士隊がエルフの謀殺を疑うかも知れず、騎士隊とエルフは深刻な衝突を余儀なくされるだろう。
命を狙われてしまったのなら、そんな心配は不要だろうが……。
そして、もうひとつ。
外部ではなく、内面的な問題も彼は抱えていた。
『現代日本』で暮らしていた『相馬賢司』という人物は、もっと穏和で、初対面の相手を批判するような真似はしない。お互いの立場や関係にもよるが、もっと穏当な対応を心がけていたはずだった。
ところが最近は、自制の枷が緩んでいるのだ。
理由は単純で、自分の強さにある。
口論が高じて殴り合いになったとして、『相馬賢司』では喧嘩の勝ち目も薄いが、『ソーマ』ならば戦闘で負ける心配はない。その意識の現れだろう。
この心理的傾向はひどく危うい。
貴族という身分や雇っている護衛の力で、マジックポーチを奪おうとした『元』貴族のクラウスという事例を、ソーマは知っている。ソーマの道徳観では、とても醜い人物像だったが、力に溺れれてしまった自分も、あんな風に見られるのだろう。
自分の要求を力で押し通し、嫌う相手を殺す様な人間には、絶対になりたくなかった。
思案していたソーマは、ノックの音で我に返った。
開いた扉の外に立っていたのはひとりのエルフである。
「少し話がしたいんだけど、……いい?」
長老の傍らで、御子と呼ばれていた少女だった。
「いいけど、話せる事はもうほとんど話したぞ」
ケルベロス事件のことにしろ、長老との対話にしろ、ソーマが知りうる事や話したい事は全て明かしてある。伏せていたところで、交渉は進まないと考えたからだ。
「ううん。その話じゃなくて……、腰に下げているマジックポーチのこと」
「これ?」
「うん。もしかしたら……だけど、『トラフロ』の物?」
「……え?」
一瞬呆気にとられた。
『この世界』に来て、他者の口から『トラフロ』の名を聞いたのは初めての事だ。それ以前に、マジックポーチという呼び名も彼女は知っていた。
「どこで聞いたんだ? 『トラフロ』のこと」
「誰かから聞いたわけじゃなくて、私は『トラフロ』のプレイヤーだったの。貴方はどうなの?」