第34話 勇者は平和的な解決を望んでいます
本来の標的であるケルベロスを狩ること。
それさえ果たせれば、騎士隊が森へ侵入した理由を証明できるし、害意がなかったことも納得させられるはずだ。
しかし、ソーマの意識はまったく別方向へ向けられていた。
『この世界』と『トラフロ』にはいくつもの差異が存在する。スキルを含めた個々人の強さや、都市や国の興亡。その中で最たるものが、ヒトとエルフとドワーフの関係性だろう。
将来的に、『この世界』が『トラフロ』へつながると仮定した場合、その途上で魔王が出現するはずだ。
もしも、エルフやドワーフとの融和が、魔王との決戦に備えてのことであれば、ここでのもめ事か禍根となりかねない。
将来の可能性を考慮すれば、できる限りに穏やかに別れたいところだった。
「おい、勇者! 真面目に捜す気があるのか?」
ダグの糾弾は、ある意味で妥当なものだ。
「……あるよ。だから、こうして同行してるんだろ」
「そうは見えないな! いい加減な仕事をするなら、神殿にでも帰れよ!」
「やめろ、ダグ! カティヤ様のお言葉を忘れたのか。勇者殿には敬意を払え」
1班長にたしなめられても、ダグの態度が改まることはない。
「いい加減な仕事をする者を、認めるわけにはいきません!」
「気が緩む事もあろう。以後、気をつければそれでいい」
「しかし!」
「……以後、気をつけます」
「貴様っ!」
もともと、敵意を抱えているダグは、感情を抑えられずに食ってかかる。
ピーッ!
騎士団の使う笛が鳴った。
「全員止まれ! 音を立てるな!」
1班長が短く命じて、皆が耳を澄ませた。
繰り返される笛の合図は、長音が2回ずつ。それは交戦突入時の合図だった。
「7名全員揃っているな? ならば、今より全員で南東へ向かう」
『はいっ!』
全員が音源を目指して、馬を走らせる。
木々の間を駆け抜ける7頭の馬。
彼等を誘う笛の音と重なるように、奇妙な鳥の声も聞こえて来た。
ケルベロスの逃走直前に耳にした泣き声とよく似ている。音はそっくりだが、リズムや鳴き方が少々異なっていた。
笛を鳴らした4班の元へ、最初に到着したのは1班だった。
その場に繰り広げられた光景は、先ほどの光景の拡大再生産である。
樹上を睨む4班と、枝の上から弓を向ける5名のエルフ。
時間の経過で騎士隊も集合するはずだが、どうやらエルフもまた枝を揺らしながら、パラパラと数を増やしているようだ。
緊迫した状況だが、なによりも問題なのは、4班がひとりのエルフを取り押さえていることだ。
4班がエルフに怒りを向けるのと同様、エルフ達も騎士の振る舞いに侮蔑の視線を向ける。
「なにがあった?」
1班長の問いに、剣を構えた3班長が応じる。
「このエルフに口汚く罵られた」
3班長の説明を補足するように、エルフが口を開く。
「よく言う。私は事実を指摘しただけだ。戦闘の回避を装いながら、その実、出し抜くことしか考えていない」
先ほど仲裁を、ソーマは早くも後悔していた。
いまさらだが、穏便に納めようと考えていたのはごく少数であり、大多数が自分達の正しさを押し通す事しか考えていなかったのだ。
そもそも、エルフの縄張りたる樹海へ足を踏み入れた以上、騎士隊が行動の監視や制限を受けるのは当然と言える。それを嫌うのならば、交渉か実力をもって、行動の自由をエルフに認めさせるしかない。
第5騎士隊とエルフ達は、どちらもプライドが高い者ばかりだ。これは他者に対する妥協を拒む壁であり、場合によっては刃とも成り得る。
「それよりも、エルフを呼び集めたあの鳴き声の合図はなんだ!? ケルベロスを従えていたのは、貴様等じゃないの無いのか!」
3班長の言葉が、新たな緊迫感を生み出した。
「……いまのはどういう意味だ?」
「1班には聞こえなかったか? このエルフが鳥の鳴き声を真似て、あの連中を呼び寄せたんだ。ケルベロスを操ったのと似た声でな」
忌々しそうに、3班長は切っ先をエルフ達に向ける。
「ケルベロスなどこの森にいないと、すでに説明している。いないものを操ることなどできん」
嫌悪感を滲ませて抗弁するエルフ。
話している内容こそ違っていても、3班長とエルフは遭遇時同様、お互いの主張をぶつけ合うだけだ。双方共に自分が正しいと確信しており、歩み寄る気配が一切なかった。
(ど……、どうすればいいんだ!?)
感情に任せて怒鳴りつける両陣営を前に、ソーマひとりだけが頭を抱えている。一番、面倒な事情を抱えているのは、ソーマただひとりなのだ。
第5騎士隊の目的はケルベロスの掃討で、エルフの目的は侵入者の排除。どちらも明確な目的があり、協力すべき理由は存在しなかった。
目的が相反する以上、このまま放置していては、いつ、全面的な衝突に発展するかかわかったものではない。
第5騎士隊もエルフ側も、数を増えれば増えるだけ、収拾がつかなくなる。
先走った誰かが暴発する危険性は高まる一方だ。ある意味で、すでに一線を越えているとも言える。
ここで生じた遺恨が、魔王に対する共闘すら潰しかねない。
そんな焦りが原因なのか、次に暴走したのはソーマ本人であった。
樹上から見下ろすエルフ達も、それを見上げる4班の間をソーマがすたすたとつっきる。
エルフを取り押さえていた騎士がふと気づいた時、ソーマはミスリルソードを頭上に振りかぶっていた。
「脳天唐竹割」
予想外の攻撃を受けて、騎士があっさりと昏倒する。
ソーマの暴挙に、仲間と見ていた騎士隊も、敵対していたエルフ達も、呆気にとられた。
「なにをするかっ!? やはり、貴様は敵だったようだな!」
真っ先に反応できたのは、もともとソーマへの敵意を持っていた人物だ。
「……よっ、よせっ、ダグ!」
遅れて理性を取り戻した1班長が、制止の言葉をかけるが届かない。
敵意に露わに斬りかかるダグ。
「全開・三段連撃」
「同期相反撃」
ダグの三段突きに、ソーマは軽い動きだけで切っ先を受け止めた。
「くっ、馬鹿な!?」
ケルベロス戦を通じて、彼はソーマの実力を把握したつもりだった。
しかし、実戦経験の乏しさから、二刀流や魔法剣だけがソーマの実力だと決めつけてしまった。いや、そう信じたかったのかもしれない。
「脳天唐竹割」
脳を揺らされ、ふらつくダグ。不意打ちでもなく、魔法剣でもないため、1撃だけで叩きのめすのは無理のようだ。
ダグは、神殿での模擬戦などではない、スキルを使用した本気の攻撃を、初めて自分の身体に刻みつけた。
「どういうつもりだ勇者殿!?」
さすがに、ダグ以外にもソーマへ武器を向ける者が出てきた。
内心では怯みつつも、いまさら無かった事にはできない。
「エルフと戦いになるのは困るんだ。話は俺がつけるから、騎士隊は一度帰ってくれ!」
「引受けた任務をなんだと考えている!?」
「エルフと手を組んだのか!?」
騎士達からの非難を浴びながら、ソーマは1班長に告げる。
「エルフは俺が説得してみせるから、騎士隊は一度森から出て行ってくれ! 争い事を起こされたら、まとまる話もまとまらなくなる」
明確な根拠など何もなく、ある意味その場しのぎの嘘を彼は口にしていた。
「自信があるなら、任せてみたらどうですかね? 隊長だって戦闘は避けたいって言ってましたし」
「あの連中の相手をしたいなら、させておけばいいんですよ! 何があったって、勇者自身が言い出したことなんだから!」
トビアスとダグは、まったく正反対の意図から、ソーマの意見を支持してくれた。
「……本当に任せてしまっていいんですか、勇者殿?」
念を押す1班長に、ソーマが頷いて見せる。
「騎士隊よりは話を通し易いと思うんだ。……疾風魔法」
横を向いたソーマの視線の先で、地表の草を削ぐようにしてカマイタチが走った。
「俺は風神の洗礼も受けているからな」
その言葉は、1班長よりも、エルフ達に動揺を招いた。
複数属性を扱えるソーマは、驚きの目を向けられる事が多い。しかし、3柱神を敬うヒトだからこそそれで済んでいたとも言える。
エルフ全体が信奉する風神・エアロファが、多種族に加護を与えていたとなれば、裏切りと感じるエルフがいてもおかしくはない。
6神の洗礼を受けているソーマは、『この世界』において、あまりにも規格外と言えた。
「……では、俺の判断で森から撤退する。それでいいか?」
「俺は知らんぞ。それで隊長を説得できればいいがな」
1班長の意見に、4班長が消極的賛同を示した。
「ダグ。撤収の長音笛を鳴らせ」
「はっ」
高らかに鳴らされる一本調子の笛。
隊長の命令に背き、権限を越えた撤退を命じたのだから、1班長はなんらかのお咎めを受けるに違いない。それでも、一応はソーマの意を汲んでくれた。
ソーマの跨っていた馬も、所有権を持つ騎士隊へ返却することにした。
木が群生しているような場所では、馬を走らせづらいと聞いてたからだ。エルフの元から逃げ出すときなど、回収するのも連れ回すのも困難だろう。
「うまく、エルフを説得することを祈ってるぞ」
そう言い残して、1班と4班は森の外を目指して西へ向かう。
エルフ達に囲まれてソーマひとりがその場に残った。
「エアロファ様の加護を受けているというのは事実なのか?」
どうやら、他のエルフは話しかけるのも嫌なようで、囚われだったエルフがソーマに問いかける。
「さっき見ただろ。もう一度見せようか?」
「……いや。確かにあれは風属性魔法だった。信じがたい話だが、確かな事実を嘘で隠すのは愚かな行為だ」
そんな表現でソーマの言葉を受け入れた。
「野蛮な連中を追い返してくれた事には感謝してもいい。だが、我々はお前達と何の約束もしていないぞ。それは自覚しているのだろうな?」
「わかってる」
「では、どうやって我々を説得するつもりだ?」
「まずは責任者に会わせてくれ」
「身勝手な主張をされても困る。なんの信用もないヒトを村の長老に会わせるわけにはいかない」
「こちらの事情をきちんと説明して、森への侵入許可をもらいたい。同じくエアロファ様に認められた俺を、話も聞かずに追い返すなんて真似はしないよな?」
エルフ達の反応から、ソーマは弱みを突くようにして主張する。
「……村までは案内しよう」
「いいのか、リヒャルト!?」
「仕方あるまい。さすがに私の手にはあまる。長老や御子の意見も聞いてみたい」
一応は、説得の機会を得られたようだ。
「あんた達の手であの遺体を運べるのか?」
すでにエルフ達の手で、遺体はマントにくるまれていた。
「もちろんだ」
「なんなら、俺が運んでもいいぞ。エルフは力仕事に向いていないだろ」
エルフは種族的に筋力が低く、運搬作業には向かない。調べるまでもなく、純粋な腕力は、ヒト、さらにはドワーフの方が強い。
「足の遅いヒトが抱えても、帰着が遅れるだけだ」
「追風移動も使える。足だけならエルフにも負けないと思う」
「…………本当か?」
「ああ。試してみよう。だめだったら、最初の予定通り、エルフの手で運べばいいしな」
靴を『エンジェルステップ』に履き替えたソーマが、両腕で遺体を抱き上げた。
「……っと、やっぱり軽いな。追風移動」
ソーマの周囲を緩やかに風が舞う。
「本当に使えるのだな」
「そんな嘘ついても、信用を失うだけだろ。今後の交渉のためにも、恩は売っておきたいしな」
「打算的な理由からの行動であっても、申し出には感謝しよう。では、我々についてきてくれ。追風移動」
身軽なエルフと比較すれば、ソーマの移動速度はやや遅い。とは言え、エルフひとり分の重荷を抱えているのだから、驚嘆のスピードである。
エルフであれば、抱えるどころかひとりで背負うしかなく、その場合はさらに歩みが遅れていたことだろう。