第32話 ケルベロスの吠える草原
割り当てられたテントで寝泊まりして、はや2日。
ソーマ達異分子が加わったことで、行動を共にしている1班の連帯感はあまりよくない。
第5騎士隊所属の50名とカティヤの班分けは、本隊が19名で、4つの偵察班はそれぞれ8名だった。追加の5名が全て1班に編入され、4名が他班へ移ったため、新規メンバーが過半数を占めているのだ。
(これはこれでやりづらいけど、シシリー達と別々にされるよりはマシだよな)
ソーマからすればありがたい判断と言えたが、それを決めたクレメッティ隊長は頭が痛かったことだろう。
8頭の馬が適度な距離を保ちつつ、定期的に北西を巡回していた。
『トラフロ』の騎乗スキルの影響か、乗馬経験のなかったソーマでも躾られた馬なら問題なく操れた。馬に乗れないシシリーだけが、アストレアの後ろにしがみついている。
先頭を行くのはダグの馬で、後ろを気にかけず、先を急ぐことがたびたびあった。
『ダグは虚栄心が強くてさ。まだ若いから、やる気が空回するタイプなんだ。パウリにすり寄ってるのも、利己的な理由だと見てる』
というのが、幾度か助言してくれたトビアスの評だった。
神殿で行われたソーマの試合中も、乱入してきたり、対戦を希望したりと、彼の無茶な積極性が見て取れる。
合図の呼び笛が聞こえた。
「……長音2回!」
隊長が断じる中、周囲を見渡した騎士達は、南東の空に上がった狼煙を見る。
「くそっ! よりにもよって4班か!」
馬首を返したダグを班長が一喝する。
「待て! どこへ行くつもりだ?」
「狼煙の上がった場所ですよ! 決まってるじゃないですか!」
「それは許さん!」
「どうしてですか!?」
詰め寄るダグに、班長は表情も変えずに告げる。
「シシリー様を危険にさらすことは許さん」
「……俺達はケルベロス退治が仕事でしょう! 仲間達だけ闘わせて、戦いから逃げるつもりですか! シシリー様だって闘うために来たはずです!」
強く断定されて、シシリーが思わず身をすくめてしまう。当人は危険を覚悟したつもりでも、動じずにいられるかはまた別の話だ。
「これは、クレメッティ隊長の指示だ。従え」
歯がみするダグが、思わずシシリーを睨みつける。お前のせいで、戦いから遠ざけられていると。
視線を遮るようにソーマが割って入る。
「シシリーを恨むのは間違ってる。指示を出した隊長や班長を恨むべきだし、どうしても不満なら、俺が枢機卿に伝言してやる」
シシリーが同行したのは本人の意図ではない。言い出したブロムステット卿や、活躍させたくないパーテライネン卿による綱引きの結果だ。
「……ちっ!」
舌打ちするも、ダグはそれ以上抗弁しなかった。シシリーの参加が当人の意志だと思い込んでいた、彼の考え違いがそもそもの原因だ。
「じゃあ、どうするんですか、班長?」
「このまま待機だ。いずれ、終了の連絡がくるだろう」
思いはさまざまで、狼煙のあがった南東を皆がただ眺めている。
草原と言っても起伏があるため、戦闘状況などはとても見えない。
事態が判明するのは、次に呼び笛の合図が聞こえた時だろう。
弛緩した雰囲気の中で、馬が騒ぎ出した。
「どうどう。落ち着け」
騎士達が乗馬をなだめる中、1頭が甲高いいななきを上げた。
ヒヒーン!
叫んだ馬の遠くから、こちらへ向かってくる動物の群れ。
「ケ、ケルベロスだっ! 気をつけろ!」
混乱する騎士達を尻目に、恐慌を起こした馬がケルベロスに襲われた。
騎乗していた騎士が地面に投げ出される。
馬はモンスターとの戦闘には向かないため、あくまでも移動の足として使用されるものだ。
「馬から下りて、シシリー様を守るぞ! ケルベロスを近づけるな!」
当初の予定を変更して、1班長が部下達に命じる。
1班が最初に遭遇したのなら、シシリーは本隊との合流を優先し、残りがその場で足止めする手はずだった。しかし、他班が交戦中となって本隊との合流も難しく、シシリーを向かわせるべき安全な場所が存在しない。
1班長の指示で、ひとりの騎士が呼び笛を鳴らす。
「狼煙は俺が!」
宣言したダグが発煙筒に火をつけた。
こちらを囲んでいるのは、6頭のケルベロス。
体長は2m程度。
狼と虎を掛合わせたような頭部が、横に3つ並んでいる。1つの胴体に3つの首だ。
全身が黒い毛で覆われており、赤い房が何カ所かを彩っている。
「中級・氷結魔法。中級・氷結魔法」
『比翼の剣』の双方に、ソーマの魔法が付与される。
やはり驚きの目を向けられるが、ソーマはすでに慣れ始めていた。
「アルマス、属性支配をかけろ!」
「はっ! 聖水支配下」
僧侶でもあるアルマス・ティモという騎士が、自分たち周辺を水属性とする魔法陣を描き出す。
教会内に施されている魔法建築と本質的には同じで、水属性の威力が底上げされるため、ケルベロス相手では非常に有効な手段だ。
「魔力障壁陣」
続いて使用したのは、魔力によって物理衝撃を半減させる結界だ。あくまでも結界なので、効果対象も人間ではなく場所であった。
障壁陣の境界ぎりぎりに立って、騎士達がケルベロスの牙に対抗する。
しかし、単純な噛みつきならばまだしも、唾液や血に混じる毒は、剣で防ぎようがなかった。
「俺が敵を引きつけてみる。隙を見て後ろから襲ってくれ」
そう告げてソーマが行動を起こす。
「追風移動。身体加速。浮遊足場」
飛びついてきたケルベロスの牙を、上方にかわしたソーマは、敵の後背へと飛び越えていた。
群れから孤立したソーマを襲いやすいとみて、襲いかかるケルベロス4頭。
ガウッ! バウゥゥゥ!
実数以上に頭部が多いため、その咆哮がいくつも重なっていた。
「剣舞踏行進」
バフッ!?
残像を産みだすと、驚いたケルベロスが動きを止めていた。
ソーマもはたと気づく。囮として突出したはずなのに、分身で警戒させても意味はない。教会を襲った盗賊と違って、ケルベロスにはソーマだけを狙う動機は薄いのだ。
「解除」
ソロ戦闘ではないため『悪戯精霊の加護』も使用できない。騎乗していたため『エンジェルステップ』も履いていない。そのため、防御面で頼れるのは自分の脚力頼のみだ。
「三段連撃」
体力の自然回復を待ちながら、初級の体術でケルベロスを突き崩していく。
「飛燕連撃」
ペットを飼った経験がないため、ソーマは動物相手でも過度な思い入れはせずに済む。
神殿のように制限を課されるでもなく、ただ暴れるだけでいいなら、モンスター戦の方がソーマにとっては気が楽だ。
1班は総出で2頭のケルベロスを相手どっていた。
「あいつっ!?」
ひとりで4頭を翻弄するソーマの姿に、ダグが悔しさを見せる。
「こっちにもいるぞ! かかってこい!」
戦列から単身で駆けだしたダグが、ソーマの方へ向かって行く。
壁に空いた穴を、アストレアが慌ててふさぐ。これでシシリーが襲われでもしたら、聖水騎士の存在意義に関わる問題だ。
「ダグ! 暴れるつもりなら、勇者と協力しろ!」
班長の指示は、彼の意志を汲んだというよりも、ダグへの指揮を拒んだ結果だろう。
そのあたりを察することなく、ダグは我が意を得たりと大声で応じていた。
「はいっ!」
ソーマに牙をむけていたケルベロスの尻へ、ダグが氷結細剣で斬りつける。
振り向いた鼻先へ、切っ先を向ける。
「全開・三段連撃」
奇襲の形となった当初は良かったが、3つ首による絶え間ない攻撃に、ダグの攻勢も長くは続かない。
細剣も含めた片手剣や短剣は、扱いやすい一方で、ちょっとした制限がある。他の武器と違って中級以上の体術が使えないのだ。初級体術からの発展形に限られてしまい、単純な威力が不足しがちとなる。
牙や毒を受けて体力を減らし、ダグの内心に焦りが浮かんでいた。
「氷結魔法。氷結魔法。氷結魔法」
間合いから遠ざけようとして、敵の嫌がる魔法を繰り返し発動させる。
「ばかもん! やめんか!」
班長の叱責も耳に届いていたが、ダグの行動は改まらない。
体力勝負の戦士達は、もともと魔力が少ない。その場合、体力が尽きて仮死状態となった場合、蘇生猶予時間は魔力残量に左右される。戦士にとって魔力とは命綱とも言えた。
「全開・十文字斬」
自分の敵ではなく、ダグを襲っていたケルベロスを双剣が斬りつける。
「じゃ、邪魔をするな! 俺の敵だ!」
状況をわきまえず非難する声に、ソーマも言い返した。
「あんたが手間取っているからだ。嫌なら、もたもたしてないで、さっさと倒せ!」
ライトソードでケルベロスを貫き、こじるようにして傷口を大きく開く。
ケルベロスが断末魔にのたうち回った。
「貴様っ……!」
にらまれてもソーマは知らん顔だ。
「あの人に回復魔法を」
「後にしてください。今、近づくのは危険です!」
シシリーを押しとどめるアストレア。
「……アルマス。属性支配でシシリー様とダグに手を貸してやれ」
「はい! 聖水支配下」
この魔法は複数発動ができない。
そのため、皆の足元を覆っていた魔法陣が消え去り、ソーマとダグに届くよう、あらたな魔法陣が出現した。
「ありがとうございます。聖水回復。聖水回復」
礼を告げたシシリーが、ダグに向けて治癒魔法をかける。
本来なら、回復対象者へ接近しなければならないが、同じ聖水支配下にいる場合は距離制限が発生しない。
アルマス本人も回復魔法は使えたが、この場はシシリーに花を持たせてくれたのだ。魔力の節約という一面もあるだろう。
ケルベロスに単独で挑んだダグだったが、味方の攻撃力を分散させただけで、客観的に見れば悪手の類だろう。
その証拠に、班長達は2頭目を屠り、ソーマを狙っていた3頭目に移っていた。
ソーマ自身はあくまで囮のつもりだが、回避だけでは危険なので、鼻先を斬りつけるなどして、ケルベロスの攻撃を封じていく。
結果的に、ケルベロスを葬ったとしても、それは彼が望んでの事ではない。ダグは悔しそうだったが。
残念ながらダグの見せ場がやってくることはなく、無難にケルベロスの掃討が成功した。
「班長! 別行動をとっていても、また襲撃される恐れがあります! 本隊と合流してはどうでしょうか?」
ダグの意図は透けて見えたが、検討した班長はすぐに頷いた。
「そうしよう。これより我々は本隊と合流する」
この場を逃げ出していた馬も、笛の音で集まるように躾られている。
馬を失った騎士がトビアスの後ろに同乗し、馬の数を1頭減らした1班が南東へ向かった。
○
到着した時、地面は白かった。
生い茂っていたはずの草地が、降り積もった雪で広く覆われている。
目立つのは、倒れて動かないケルベロスの黒い毛皮や、雪を赤く染めている大量の血だろう。その数は10頭。
「何故ここへ来た!? 待機を命じていたはずだ」
めざとく見つけて問いかけるクレメッティ隊長に、1班長が負けじと声を張り上げる。
「待機していた北西でケルベロスと遭遇し、6頭全てを討伐しました! 他にもケルベロスがいる可能性があり、シシリー様の安全確保のため、本隊との合流を優先しました!」
「了解した! こちらはロニーとボルイェがやられた。敵はまだ13頭残ってるが、数ではこちらが有利だ。第1班もこれよりケルベロス討伐に加われ!」
『はいっ!』
隊長に代わって、班長が部下に命じる。
「アルマスとシシリー様は仲間の回復に専念。残りは、ケルベロスをねじ伏せろ!」
『はいっ!』
いまだ、そこかしこで戦闘は行われている。
雪の上に聖水支配下の魔法陣が光って、ケルベロスとの戦いを有利に導いている。
交戦の間をすり抜けるようにして、多くのケルベロスを補足できる位置まで移動するソーマ。
彼はマジックポーチから、奇妙な短剣を取り出した。
クリスタルナイフ。刀身が六角柱の水晶となっていて、物を斬れるような形状をしていない。
それもそのはずで、このナイフの価値は攻撃力ではなく、短剣には珍しい魔法力上昇という恩恵にあった。杖や魔導書を頼れない戦士系にとって、クリスタルナイフの価値は非常に高い。
「並列・暴風雪魔法」
魔法に反応してクリスタルナイフが、青と緑に輝いた。
空気中の水分が急速に凍りつき、ソーマを中心とした広範囲に、低温の嵐が吹き荒れる。
実際のところ、威力の心許ない魔法だったが、現状で彼の使える広範囲魔法はこれしかない。敵が火属性であり、聖水支配下という条件ならば、多少は威力の底上げが期待できる。
「聖水支配下の解けているものは、もう一度かけ直しなさい!」
カティヤの指示が飛ぶと、幾人かがそれに応じて魔法を発動させる。
「聖水支配下」
「聖水支配下」
隙間を埋めるように展開されるふたつの魔法陣。それを踏んでいるケルベロスの数は11頭だ。
「上級・ 白 雪 」
聖女と称される事実も、皆の尊敬を集めるのも、伊達ではない。カティヤが使用したのは上級調整魔法だった。
数拍を要して彼女の魔法が発動する。
青空の下、白い雪がしんしんと降り注ぎ、再び草原を白く塗りつぶしていく。
調整の目的はソーマの暴風雪魔法同様に、長時間、広範囲、連続ダメージを狙ったのだろう。
ダメージ回数だけは暴風雪魔法が優っているものの、効果範囲も、持続時間も、魔法攻撃力も『白雪』の方が上だった。特に最終的なダメージ総量は桁違いだ。
補足しておくと、風属性特有の効果を組み込んだ並列魔法では、水属性を3倍に掛合わせる純粋な上級魔法に及ばないのは、当然の結果と言えた。
カティヤの魔法を受けて、7頭がその場に倒れている。
「残りは6頭だ! 油断するな!」
隊長が仲間を奮起させ攻勢に出る。
「倒しましたっ!」
喜色を混じえた若手の声があがった。
「こちらもです!」
聖水騎士達が攻撃魔法の範囲内にいても、大きなダメージを受けていないのは、『神の加護』と呼ばれる効果のおかげだった。
今回の例で言えば、水属性の騎士達に対して、水属性魔法のダメージが一定値に達しない場合は、無効化されてしまう。ソーマの暴風雪魔法やカティヤの白雪が、断続的な発動形態なのは、その効果も狙っているからだ。
ここで、遠くから鳥の鳴き声が聞こえてきた。
残っていた4頭が、戦闘をやめて瞬時に身体を翻す。
「感電魔法」
最後尾のケルベロスにかろうじてソーマの魔法が届いた。
「武器投擲」
ビルドから購入した硬化鋼鉄製投擲用短剣を投じて、ケルベロスの足を傷つける。
残念ながら、追撃まではできなかった。マジックポーチの所持容量は、種別によって圧迫されるため、残りの6本は全て束ねた状態で収納してあるのだ。
とどめを刺したのは、追いつけた騎士のひとりだった。
逃げ出した3頭を、人の足で追いかけるのは不可能だ。
「ロニーとボルイェの様態はどうか!?」
隊長の問いかけに、司祭でもある騎士が応じた。
「魔力に十分な余裕があるため、1週間は仮死状態が続くはずです。次のアルバトロスによる巡回で帰還すれば問題ありません」
討伐隊に聖女が同行していたため、神殿との間には定期的にアルバトロスが往復しているのだ。
「これ以上、手間取っては聖水教会の威信にかかわる。取り逃がした3頭は、このまま追って確実に仕留めるぞ」
「さっきの鳥の声がなにかの合図だとすると、操っている黒幕がいるかもしれませんよ」
トビアスが念を押したのは、獣使いを想定したからだろう。
「あの数の、それもケルベロスを使役する可能性は極めて低い。だが、もしも獣使いだったら、なおさら捕える必要がある。加勢しなかったことも考えれば、残りの戦力は多くないはずだ。今は追撃を優先する」
隊長は、倒れた騎士2人が所属していた2班と4班に残留を命じた。
「カティヤ様もシシリー様も大切なお身体です。おふたりはこの場にとどまってください」
「わかったわ」
「はっ、はい」
シシリーを後ろに乗せたアストレアもまた同様だ。
追撃を行うのは本隊19名と1班7名と3班9名の、総勢35名となった。
『トラフロ』でのモンスターは、イベント戦を除けば、敵が逃走するという事態は発生しない。逃走を選ぶのはあくまでもプレイヤー側だけだ。
こうして、追いかけるのは、ソーマにとって初めての経験である。
第5騎士隊とソーマは、負傷したケルベロスを追って、東へ向かうのだった。