第31話 聖女様とのお仕事
言い出したパーテライネン卿の思惑はどうあれ、同席した2人の枢機卿の助力もあって、クローナ教会側は過剰な責を負わずにすんだ。
神殿に召喚された要件も全て終わり、すっかり帰るつもりだったソーマが足止めを受ける。
「シシリー様とソーマさんには、もう一つ仕事をお願いしたいのですよ」
口にしたのはコルウィン司祭だ。
「……今度は何ですか?」
司祭が悪いわけではないとわかっていても、審問を受けたり、戦いを強要されたり、はた迷惑な状況が続いているのだ。思わず警戒してしまうのも、無理からぬことだろう。
「教会内のことでご迷惑をおかけして申し訳ありません」
すぐさま謝罪されると、ソーマも不満をぶつけるわけにはいかなくなる。
「それで、お願いというのは?」
「ブロムステット卿の提案で、おふたりには、カティヤ様の手伝いをお願いしたいのです」
「……カティヤ様のですか?」
「また、枢機卿か……」
「安心してください。審問のような強制ではなく、形式的にはあくまでも要請なのです。近頃、都の東にケルベロスの群れが現れて、村々に被害が出ておるんですよ」
ケルベロスというのは火属性のため、聖水教会としては狙いやすいモンスターと言えた。
「カティヤ様と騎士隊が討伐に向かっているのですが、これに2人の力を貸してもらいたいのです」
「俺達の存在とは無関係に始まった討伐ですよね? それなのに、俺達が参加する意味はあるんですか? 援軍を望んでいるなら、凄く危険な状況かもしれないし……」
どうしても裏の意図を疑うソーマを、司祭がなだめに回る。
「いえいえ、そうではありません。カティヤ様が同行している点でわかるでしょうが、神殿では危険の少ない仕事と見ております。これは、カティヤ様の実績と教会の評判を高めるための仕事なのです。ブロムステット卿がお二人に協力を願ったのは、その栄誉を分け合うため。あるいは、聖女様同士の融和を願ってのことです」
「厄介事を押しつけるわけじゃ、ないんですね?」
「もちろん。過酷な仕事を強いたり、命の危険に晒すのは、枢機卿の本意ではないはずです」
「……仮にも目的が人助けなんだし、断ったらまずそうですね」
「そうですなぁ。決めるのは、あくまでもソーマさんですが、やはり、断っては悪評を招くでしょう」
「仕方ないですね。参加しますよ」
続いて視線を向けられたシシリーも、おずおずと答える。
「……私もかまいません。ですが、私は今だ見習いで、とても役に立てないと思います」
「それを実感し、学んでいくためにも、参加する意義はあると思いますよ。アストレアには今回も護衛をしてもらいます」
「わかりました」
○
討伐隊の宿営地は、オルロープの都から近かったが、ソーマ達はアルバトロスで送ってもらえた。
都周辺もそうだが、その東部はさらに緑が生い茂っている。
シャングリラ大陸は、横長の直角三角形といった形状で、このあたりは重心よりも鋭角に近い位置だ。北側の長い底辺と、南側の斜辺が海岸線で、挟まれた陸地の9割近くを大きな樹海が縦断している。
『トラフロ』情報が正しければ、森の中央部がエルフ達の故郷なのだろう。
上空から見下ろせば一目瞭然だが、人の村と、森との間には一定の距離が保たれている。村と森の間に存在する距離が、人間とエルフに存在する距離なのかもしれない。
空中散歩を楽しむまでもなく、アルバトロスの5羽編隊が草原の宿営地に到着した。
到着した内のひとりが、報告のために騎士隊の元へ走る。
ここまで5羽で来たのは、合流するのが5名だからだ。
ソーマ、シシリー、アストレアの3名。
「また一緒だな。よろしく」
「みんなの前では、あまり、親しく声をかけないでくれよ」
気安く声をかけたソーマに、トビアスが小声で釘を刺す。召喚時同様に、またもや彼が勇者の送迎を命じられたのであった。
そして、追加メンバーのもう1名が、3人の女性を先導して戻ってきた。
「あちらが、もう一人の聖女であるシシリー様と、随行する女騎士、そして、勇者を名乗る男です」
ソーマへの敵意を向けつつ説明したのは、素手の相手に負けたという屈辱感のせいだろう。ソーマの小手返しで敗れた2人目の騎士、ダグ・フェルセンだった。
「私は皆にも知らせてきます」
「わかったわ」
聖女の許可を得て、仲間の元へ向かうダグ。彼が同行した理由は、神殿での1件を知らない討伐隊へ、勇者の情報を知らせるためだろうとソーマは考えていた。
「噂は聞いているわ。あなた達が聖女と勇者なのね。私がカティヤよ」
超然とした態度で、金髪を波打たせた美女が名乗る。随伴している2名は、アストレアのような女騎士だ。
「は、はいっ。シシリーです。新しく聖女となりました」
「俺は勇者と呼ばれてるソーマです」
「初めまして。私はシシリー様の護衛を務めるアストレアです」
3人の自己紹介にカティヤが軽く頷いた。
「……たしかに、貴女の身体からアクアリーネ様の温もりが感じられる。貴女が聖女だということを、私も認めましょう」
迷い無く断言するカティヤに、シシリーが安堵した。
「聞けば、アクアリーネ様を身に宿して、お言葉を代弁したのでしょう? ならば、私よりもよっぽどアクアリーネ様に近いわね」
「カティヤ様ご自身がそのような事を……」
たしなめようとする女騎士を、カティヤは軽くいなす。
「いいのよ。アクアリーネ様のお声を聞いただけの私より、彼女の方がアクアリーネ様と深く触れ合ったのは事実なんだから」
聖女と讃えられる生活をしてきた割に、驕り高ぶったところが感じられない。
「アクアリーネ様を宿した貴女が勇者と呼んだのならば、貴方もまたそれに相応しい人物だと私は考えているわ」
その瞳には、侮蔑じみた色は見えず、正面から二人を見つめていた。
彼女を支持しているパーテライネン卿と異なり、拍子抜けするほどあっさりとこちらを認めてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「助かるよ」
シシリーとソーマが感謝を示す。
「なんだ、その言葉遣いは!」
女騎士の一人が声を荒げ、ソーマも慌てて謝罪する。
「すみません。どうもシシリーで慣れているせいか、聖女に対する敬意が薄くて」
これはこれで失礼な言い回しだが、これもシシリーへ親しみを抱いていればこそだ。
それでいて枢機卿相手には口調を改めているから、教会の人間が言うほど、ソーマは傍若無人に振る舞っているわけでもない。
「かまわないわ。アクアリーネ様の名の元に、聖女と勇者は対等であるべきだもの」
「カティヤ様!」
崇めるからこそ、聖女を正そうとする女騎士。
「貴方こそ言葉を控えなさい。聖女であるシシリーが認めたのだから、ソーマにも相応の敬意を払うべきよ」
「ですが、この者はパーテライネン卿にまで無礼な態度をとったと聞いています」
「やめなさいと言ったわ。枢機卿であればこそ、率先して敬意を払うべきよ。それができないと言うのなら、それこそ思い上がりね」
「パーテライネン卿に対して、そのような事を口にするべきではありません!」
「貴方こそ意識を改めなさい。聖水教会が従うべきはアクアリーネ様のご意志よ。誰にどのような恩があろうと、教会内でどれほど地位が高かろうと、個人的な感情で信仰を蔑ろにすべきではないわ」
カティヤがきっぱりと言ってのける。
口にしたとおり、枢機卿に恩は感じていても、それを信仰と混同する気はないらしい。
「……わかりました」
ひとまずは、女騎士が引き下がる。
祭り上げられた存在を想定していたソーマは、堂々と主張したカティヤに驚かされた。増長することなく、自分を保っている彼女には、聖女を全うしようという意志が感じられた。
宗教を論じるのはソーマの目的ではないため、さっそく本題に入る。
「ケルベロス退治は上手くいってるのか?」
率直な問いに、女騎士ふたりが顔をしかめた。答えたのはカティヤだった。
「正直言って難航しているわ。何匹か仕留めてはいるんだけど、逃げ出されては、追いかけるのが難しいのよ」
「カティヤは今日は休みなのか?」
「カティヤ様が怠けているとでも言うつもりか!?」
噛みついてくる女騎士に、ソーマがため息混じりに応じる。
「そんな過敏に反応するなって……。どんなに忙しくても休憩は必要だから、休んでいても責めるつもりはない。予定とか役割分担を知りたいだけだ」
「私も休憩の必要性はわかっているつもりよ。だけど、ここに残っている理由は休憩ではなく、待機ね。ケルベロスを誘い出すために、準備をしているところなの」
「どういう方針で進めているんだ?」
「詳しい説明は、後にしましょう。顔合わせも必要だもの」
ソーマ達3名にはテントが一つあてがわれ、しばしの休息を取る。
カティヤに対する印象や、今後について多少話したところで、再び呼び出しがかかった。
日差しを遮る屋根だけとは言え、一番大きな天幕に3名が案内された。
カティヤはもとより、討伐班を統括する第5騎士隊隊長や、副隊長代理など、本隊の20名近くが顔を揃えている。
「クレメッティ。作戦概要をシシリー達に説明して」
「はっ!」
自然な態度で命じるカティヤに、隊長のクレメッティ・トウルネンが従った。
『王国東部辺境』の地図が広げられる。正式な地図を雑に書き写した代物だが、いろいろと書き込むにはこれで十分だった。
「我々のいるのがここ。そして、ケルベロス被害のあった場所に×印が記してあります」
地図上にはいくつもの村が存在し、南東に位置した4つの村が×で消されている。
無事な村で一番南東に位置するのがキサの村で、宿営地を示す○印は、一番近い×印との中間に存在していた。
「あてもなく探し回っていては、終わりが見えません。キサの村と宿営地の間には『よけ香』を散布し、ケルベロスを追い払います。逆に、宿営地から南東にかけて『よせ香』を散布し、餌として干し肉なども撒いています」
『よけ香』は三角印で、北西に広がっている。
『よせ香』は逆三角形印で、宿営地から放射状に伸びていた。
「『よせ香』に反応したケルベロスを、この宿営地までおびき出す予定なのか?」
「そういうことだ」
「危険すぎないか?」
「それを承知でやっている。むしろ、襲ってこないと困る。このまま長引くようなら、諦めて撤収せねばならん」
ここでカティヤが口を挟んだ。
「聞いておきたいんだけど、シシリーはどの程度の魔法が使えるの? 魔法力共振は使える?」
魔法力共振は中級の補助魔法だ。ふたりの使い手が同時に使用する事で、次に使用する攻撃魔法の威力が増大する。単純計算ならば、2倍から2乗へ跳ね上がるのだ。
「その……、初級の回復魔法だけです」
シシリーの答えが、騎士達からの負の感情を招く。
なにしろ、比較対象となるカティヤを近くで見知っているのだ。実力の劣るシシリーへ、失望の目を向けるのも仕方のないことだろう。
「これで聖女か……」
「よく言うものだ」
「やはり、なにかの間違いでもあるんじゃないか?」
シシリーが無力感に身を竦ませる。
この時、ソーマよりも早く、カティヤが騎士団に怒りを向けた。
「いい加減にしなさい! アクアリーネ様の御意志をあざ笑うというの、貴方達は!?」
「ま、まさか。そう言うわけでは……」
「どこが違うの! シシリーを笑うということは、選んだアクアリーネ様や、それを認めた私を侮辱しているのと変らないわ! なぜその程度の事がわからないの!」
カティヤから驚くほど辛辣な言葉をぶつけられ、居合わせた一同が言葉に詰まる。
「魔法が優れているからといって、アクアリーネ様のお声が聞けるわけではないわ。教皇には教皇の、枢機卿には枢機卿の役目があるのよ。なぜ、彼等にではなく、聖女にお言葉が届くのか、よく考えなさい。聖女には聖女の役割があるからよ。力が足りなければ、学べばいい。鍛えればいい。力不足を蔑むような、我が身を反省なさい!」
「…………」
全てをカティヤが口にしてくれたので、ソーマが話すべき言葉は残っていない。
いや、一つだけあった。
「勇者についても、同じように考えてくれ」
その補足は余計だったようで、騎士達からからは怒りの目が向けられた。
「……まだ、わかってないの?」
険を含んだカティヤの声に、まるで、飼い主に叱られた犬の如く、騎士達が再び視線を伏せていた。
「力が足りないとしても、後ろめたく感じる必要なんてないわ」
カティヤがシシリーに向かって真摯に訴える。
「統率力のある者。人格的に優れた者。魔法の実力が高い者。どれほど強力で尊敬に値する人物でも、神に選ばれるとは限らないのよ。聖女に選ばれたのは、それに値する資質があったから。シシリーがすべき事は、アクアリーネ様を疑うのではなく、御意志に添えるよう自らを磨く事よ」
彼女の言葉がソーマの記憶を喚起する。
「……虚神のホーラもそんな事を言ってたな。基本的に神と接触できる人間は限られていて、とても希少価値があるって。素質があるか、神に好かれてるか、そのどちらかなのは間違いない」
怪訝そうな視線に囲まれたソーマへ、シシリーがおずおずと訪ねた。
「あの、ソーマさん。その話は一体……?」
「言ってなかったか? クローナの街の西にある遺跡は、もともと、虚神を奉っていたものらしくて、今でもあそこには虚神の欠片が残ってるんだ。調査に行った際に、いくらか話をしてきたんだ」
「お前はアクアリーネ様に選ばれたのではなかったのか!?」
元から敵意を抱いているダグが、糾弾するようにソーマを責める。
「いや、アクアリーネ……様の声は俺も直接聞いた事なんてないぞ。虚神とは、聖女とか御子でなくても話せるんだ。勇者について聞いてみたけど、アクアリーネ様の意志は虚神も知らないらしくて、なにもわからなかった」
ありのまま告げるソーマ。
しかし、聖女を神聖視する事からも解るとおり、神との対話というのは、とても重い意味を持つ。いまだにソーマの言葉を疑う者が大半だった。
(……神が信仰すら求めてないって話は、しない方がよさそうだな。あくまでも虚神の認識だから、水神は別かも知れないし)
宗教に縁の薄いソーマだからその程度の認識で済んでいるが、これは重要な選択肢だった。
この点に言及していれば、いろんな神の多くの信徒が教義を貶められたと感じるだろう。場合によっては、彼への迫害にもつながりかねない。
「この話は、ここでおしまいにしましょう」
事の真偽でもめるより早く、カティヤが話を打ち切った。
「クレメッティ、人員配置はどうすべきかしら?」
「最大戦力はカティヤ様の魔法で変りありません。ならば、カティヤ様にはこれまで通り宿営地で待機してもらいます。周辺を警戒している4つの偵察班のうち、シシリー様達は北西を受け持つ1班に編入します。余剰人員は1名ずつ他の部隊に編入します」
どうやら隊長は、シシリーの身の安全を図る、或いは、戦力不足から、遭遇の可能性の低い場所に配置するつもりのようだ。
「北西は『よけ香』を使用してるんじゃなかったか?」
地図を指さしながら、ソーマが念を押す。
「ケルベロスとの遭遇確率は低いが、近くにキサの村が存在するため、警戒を怠るわけにはいかん。他班の戦闘で逃げ出したケルベロスが、北西へ向かう可能性もゼロではない」
「……わかった」
ソーマが頷いたのを見て、カティヤが改めて確認を取る。
「シシリー、貴女も納得できたかしら?」
「はい。それでかまいません」
荒事に慣れていないシシリーは、それ以外の返事を持たなかった。




