第29話 勇者様、神殿で暴れる
神殿内にいくつもある修練場の一つが、ソーマの舞台となる。
修練場には、3人の枢機卿や審問会に顔をそろえていた司祭達の他、第5騎士隊を含む多くの教会騎士が、修練場の端に並んで様子を見守っている。
パーテライネン卿としては、情けなく敗北するソーマの姿を皆に見せつけるつもりなのだろう。
「……あのパウリはちゃんと仕事してるんだな」
体術や魔法の使用を制限するのは、ソーマの力を正しく理解していればこそだろう。クローナ教会で恥をかかされて得た情報を、パウリは無駄にしなかったらしい。
ソーマが対戦する相手は、第5騎士隊のラッセ・オルヴォ。
ほぼ全身をフルアーマーで覆い、長身ということもあって、ソーマより2回りは大きく見える。
『トラフロ』における全身鎧は、胴体部分がマジックポーチに入らないため、別個に運搬するか、装着して移動するというデメリットがあった。そして、それを相殺できるだけのメリットもまた存在していた。
1つ目は絶大な防御力。
もう1点は、装着者の持つ劣属性の保護だ。全身鎧を装着すすることで、聖水騎士は電光系の攻撃を防ぎやすくなる。板金鎧以外では属性攻撃が通りやすいからだ。
装備は双方自由となっていたが、全身鎧のデメリットを考慮せずに済む騎士側は、非常に有利な条件だろう。
構える武器は氷結槍。
素肌のほとんどを覆う全身鎧や、得物の長さで勝る氷結槍は、ソーマにとって難物と言えた。
対するソーマは、回復魔法の替わりに体力を奪える黒剣『プレデター』を構えたが、フルアーマー相手では効果は期待薄だ。そして、以前にも使用した『解放の鉄腕』と『悪戯精霊の加護』と『エンジェルステップ』。
「待て! なんだ、そのマントや手枷は! 聖水神殿に相応しい装いというのがあるだろう!」
批判してくるのは当然のごとくパーテライネン卿だ。
「装備は自由のはずです。どうしてもと言うなら、フリーズスピアと全身鎧もやめてください。それで初めて同じ条件になります」
「勇者殿の主張は公正だと思うが、いかがか?」
審判を務めるダールバリ卿が、ソーマの主張を支持してくれた。
「……わかった。ダールバリ卿がそういうのならば、認めよう」
このことから解るとおり、パーテライネン卿は教会側の装備が優っていると考えていた。常識で考えれば、当然の判断と言えたが、今回ばかりは事情が特殊すぎた。
「これより、勇者ソーマと、騎士ラッセ・オルヴォの試合を行う。審判はこのライネ・ダールバリが勤める」
彼は元々武人肌の人間で、聖水教会騎士達の尊敬を集める人物である。公正な審判が必要だとして自ら名乗り出てくれた。本来ならば、とても枢機卿が行う役柄ではない。
「では、始めっ!」
突き出されてくるラッセの氷結槍を、反射速度を頼りにかわすソーマ。
ソーマの剣が穂先を払うと、槍から伝わる威力にラッセがかすかに驚いている。
聖火騎士戦では先端の重い戦斧が相手だったが、これが槍に変ると戦い方も大きく異なっていた。
ラッセが手元を動かすだけで、氷結槍の穂先がソーマの眼前で自在に踊る。
(……やりづらいっ!)
それがソーマの本心だ。
攻めあぐねているという自覚があればこそ、余計に、皆の視線が気になった。
クローナ教会での訓練でも解った様に、スキルを禁止されたソーマの剣術は非常に底が浅い。
槍との戦いに不慣れなソーマと、剣との対戦を積んだであろうラッセでは、本来なら勝敗は明かなのだ。
「いくぞ」
意図的にラッセが攻撃のタイミングを知らせる。実力差を自覚しているからこそ、ハンデのつもりだったのだろう。
剣を弾いた氷結槍が、ソーマの腹部を直撃する。
「……がっ!?」
呻いたのは攻撃を行った、ラッセの方だ。
属性攻撃を反射させるマントに触れてはいないが、装備者の全身が保護の対象に含まれるのだろう。『トラフロ』でも同様の効果だった。
「待てっ! 今のはおかしいぞ! 貴様、何をした!」
外野から異議が上がる。声の主は予想通りパーテライネン卿だ。
「……何もしてない。見てただろ」
すでにソーマの口調からは敬意が除かれていた。口を開けば批判してくるパーテライネン卿に、苛立ちを覚えているからだ。
「だから、おかしいのではないか! その変な装備のせいか!?」
「おかしな事を言うんだな。装備は自由だって言ったのはあんただろ。教会騎士だけにフリーズスピアやフルアーマーを装備させ、相手に裸で闘うよう強制するのが、神殿の公平性なのか?」
「私が命じたのは互角の条件だ! そんな、怪しい装備は認められん!」
「互角が望みなら、そいつの鎧も外せと言ったはずだ。その場合、俺がサンダーソードを使っても文句は言うなよ?」
「ぐ……」
言葉に詰まった様子に、ソーマは内心で安堵する。
実のところ、ソーマの言葉はハッタリだった。よく誤解されるが、魔法剣が前提のソーマは属性武器をほとんど持っていない。少なくとも、火・水・光の3属性は。
「パーテライネン卿は口出しを控えていただこう。審判であるわしが問題ないと考えておる。試合はこのまま続行だ」
再び、槍と剣が打ち合わされる。
剣技を学び初めて日の浅いソーマには、もともと選択肢はほとんどない。
彼にできるのは、『トラフロ』あがりの身体能力で敵の技量を圧倒すること。
力任せ、反射速度任せで、強引に踏み込んではフルアーマーを削っていく。
聴衆から湧く、嘲笑。
優雅さを感じさせない力ずくの戦法は、騎士団の目にはとても醜く映った。
(仕方ないだろ! 剣道すらやったことがないんだ!)
剣道の有段者でも、この世界の剣術に対抗できるかは非常に怪しい。武器も千差万別で、槍や斧と向き合った経験の持ち主などいるはずもない。
『悪戯精霊の加護』があるため、ラッセの攻撃を受ける確率は五分五分である。ただし、ダメージそのものは防御力で左右されるため、相対的にソーマの分が悪いと言えた。
初対戦の相手なので、もう少し接戦に持ち込めると判断していたが、当人が考えるほどほどには上達していなかったようだ。
しかし、勝算がないわけでもない。
スキルを強制的に封じられる可能性もあるので、剣技を学ぶ必要性はソーマも自覚している。だが、悔しさも感じていたのだ。
そんな彼が暖めていたのは、一つの奇策である。
右から、左から、乱暴に剣を叩きつけるソーマ。
「自暴自棄にでもなったか……」
ラッセは焦ることなく、淡々と槍で払いのける。
その時、ソーマの手から黒剣が離れた。弾かれたフリをして、自ら手放したのだ。
石畳に落ちた剣の音をバックに、ソーマの両手がラッセの槍を掴んでいた。
「な、なにをするかっ。離せ!」
「やだね」
一本の槍を互いに引き合うソーマとラッセ。
武器を失ったソーマの醜態に、周囲からは失笑がこぼれている。
ソーマの身体能力は『トラフロ』で鍛えたステータスを引き継いでおり、その体格や態度からでは想定できないほどに強かった。
ラッセはソーマの意外な力に驚きを隠せない。
ラッセが思い切り槍を引いたタイミングで、逆にソーマは踏み込んでいく。
抗っていた力が喪失し、バランスを取ろうとしたラッセの右足を、外側からソーマの右足が刈っていた。
学生時代に週一であった柔道の授業で習った、大外刈。
右斜め後方へ倒されたラッセは、受け身も取れずに背中全体を石畳で打つ。さらには、ヘルメット越しに後頭部もぶつけていた。
痛みに顔をしかめたラッセは、立ち上がろうとして、それが果たせない。
今も槍を握ったままのラッセの右手に、ソーマがしがみついていたからだ。
「なっ、何をするっ! 離っ……むぐ!」
ソーマの左膝裏がラッセの顔を覆い、右足は胸部を押さえ込んだ。
棒のように引き延ばされたラッセの腕。
槍を握るラッセの右手に、ソーマは右手をかぶせ、左手で腕を抱え込む。
腕挫十字固。
こちらは柔道ではなく、友人とのプロレスごっこで鍛えた技だ。
ラッセの右肘を腰で突き上げ、無理矢理、外方向にへし曲げる。
「ぐわっ! があああああああっ!」
打撃に強い全身鎧も、関節技が相手では効果が薄い。
鎧が活きたのは、テコの支点を微妙に外したという一点のみ。完全に技が極まっておらず、むしろ、ラッセの痛みが長引く原因となっていた。
瞬間的な打撃であれば、噴霧器で吹きつけたようにオーラは赤い霧となって一瞬で散ってしまう。
しかし、ラッセの右肘からは、オーラが赤い煙となって立ち昇っていた。持続的な損傷を与える関節技が、体力を今も奪い続けているのだ。
見物人達に技の原理はわからずとも、生じている結果は視覚的に理解できた。
「ま、待て! そこまでだ!」
聞き覚えのある声が焦って制止するが、ソーマは一瞥しただけでこれを無視。
「やめんか! 試合は終わりだ! 剣を失った時点で勝負は決まったのだ!」
勝手な言い分に腹がたったので、やはり無視する。
「ぐおおおっ! ぎぃぃぃぃっ!?」
腕の内側でみちみちと何かが鳴っている。
右腕を引き抜こうと奮闘していたラッセが、ついに勝敗や対面を度外視し、自由な左腕や両足を振り回して痛みを訴える。
「や、やめっ! いだっ……!」
ソーマの技が見よう見まねだったことが、決着を長引かせている。完全に極まっていれば、ものの数秒で右腕を破壊していただろう。
「パーテライネン卿の声が聞こえんのかっ!」
ダダダダッ!
駆けつけた騎士の一人が、剣を引き抜いた。
ラッセの右腕を解放したソーマが、慌てて転がる。
ガン!
振り下ろされた剣が石畳を削った。
ソーマが逃げずにいたら、頭部へ命中していただろう。
1対1の対決へ乱入した相手へ、怒りが一瞬にして沸点を越えた。
「中級・電光魔法」
魔法剣のような持続型とは違い、攻撃魔法は瞬間的に最大の威力で発揮される。
聖水騎士の苦手とする電光魔法が、軽装だった騎士の全身を駆けめぐった。
乱入した騎士が四つんばいのまま、ソーマをにらみつける。
傍らには、右腕を押さえて痛みに呻くラッセがいる。
「やめんか! この神殿内で乱暴狼藉は許さん! 控えよ、勇者!」
パーテライネン卿が良く通る声でソーマを非難する。
「悪いのは俺じゃないだろ」
「何を言うか! 足元を見れば一目瞭然であろう!」
撃退したふたりを見下ろし、ソーマが首を振る。
「何一つ悪い事はしてないな」
「自分のしでかした卑怯な振る舞いに、恥も感じていないとは! 勇者などとおだてられ、何一つ教養を身につけておらんのか!」
「その前に教えてくれ。何が卑怯なんだ?」
「試合で剣を手放したであろう! あれで勝負はついた! 油断した相手を騙し討ちにするなど、卑怯と言わずなんと言おう!」
「そういうルールなら、事前に言ってくれないとな」
「これだから常識を知らぬ無頼漢は……」
「俺は素手で闘う技術も学んでいるからな。そっちの希望通り、スキルを使わずに技術を見せただけだ」
「そのような技が、モンスターに通用するものか!」
「モンスター相手なら、そもそも剣技にこだわる必要ないだろ。あんたはモンスター相手に、体術も魔法も使わずに挑むつもりなのか?」
「そ、それは別の話だ」
「そうだな。モンスターと闘っているわけじゃない。だから、人間相手の戦い方をしたんだ。なんの問題もないだろ?」
「人との戦いだからこそ、礼儀をわきまえろと言っている! そのような下品な戦い方を認めるわけにはいかん!」
「聖水教会では自分が武器を失ったら、降参するように教えているのか? 守るべき者も見捨てて、戦いからも逃げ出せって?」
「なっ、なんだと!?」
「武器を失った途端に、戦いをやめるって言うのはそういう事じゃないのか?」
「そのようなことは言っておらん! 今のはあくまでも実力を見るための試合にすぎん。試合でのルールと実戦を混同してどうするか!」
「あんたの言うルールって、騎士を勝たせるために、不利な条件を強制しているだけだ。俺としては、体術も魔法もありの方が有難いんだからな。お互いに素手でもいい。だけどあんたは、体術もダメ、魔法もダメ、素手もダメ。次は、剣も禁止して、槍での戦いを強要するか?」
「ぶっ、無礼な! 聖水騎士をどこまで愚弄する気だ!」
「愚弄なんてしてないだろ。負けたとはいえ、この騎士と俺は対等に闘ったんだ。あくまでも、互いに納得したルールでな」
「くっ……。ならば、なぜ魔法を使った。禁止だと命じたはずだ!」
「1体1の戦いを邪魔するのは、恥ずかしい事じゃないのか? それが聖水神殿の礼儀だって言うのか?」
「あれは貴様が卑怯なまねを……」
「素手で闘うのが卑怯とは聞いていない。だが、決着していない戦いに乱入するのは卑怯だと俺は考えている。過失だと言うなら見逃すけど、あれが正当だと言い張るなら、少なくとも第5騎士隊は卑怯な集団だと俺は考えるし、誰にでもそう伝えるしかない」
「神殿の名誉を自ら汚すというのか、貴様は!」
「公表されて恥ずかしいなら、最初からするなって言ってるんだ。公正だとか礼儀だとか言葉を飾らずに、あんたが頼むと言えば、こっちだって譲歩してもいい。例えば、『第5騎士隊員は素手では闘えないので、武器を手放したら反則にさせてくれ』とか、『負けるのは屈辱だから、教会騎士側だけには乱入を認めてくれ』とかな。パーテライネン卿の名で懇願するなら、そのルールで闘ってもいいぞ」
「…………」
自らそんな主張を出来るはずがない。ソーマの要求する宣言内容に、正当性がまるでないぐらいは自覚していた。
「わはははははっ! 確かにお主の言う通り、2人のやりようは不実であったな。素手の相手に負けた後で、不満を言い立てては、誇りを疑われてもおかしくない」
「ダールバリ卿!」
「わしは勇者殿を指示するぞ。それとも、パーテライネン卿は戦いのなんたるかを、わしに講釈するつもりか?」
「…………」
さすがに、それ以上の抗弁は難しいようだ。
容貌や言動から見て、ダールバリ卿の方がはるかに戦いへ精通しているだろう。
「ここで終わるのであれば、わしは勇者殿の勝利を告げねばならん。パーテライネン卿は今の戦いで、勇者を認めたのかな?」
「……とても納得できん。勇者の力は、まだ示されていないと考える」
パーテライネン卿は次なる試合を要望するのであった。




