第2話 教会騎士はお怒りのご様子
ソーマは腰の左側に結びつけてある革袋の口を開いた。
全ての所持品を収納しているマジックポーチから、ソーマは剣の柄を握って引っこ抜く。
アストレアへ向けるのは、無属性で物理強化のみの両手剣。
「なんだ、それは?」
唖然としたアストレアの視線が向けられているのは、加工を施した『硬化ミスリルソード』ではなく、左の腰から動いていない。
「ん? マジックポーチだろ。何を言ってるんだ?」
通常のプレイヤーが持ち歩けるアイテム数は30個まで。それらを収納するためのマジックポーチは、プレイヤーの初期装備とすら言えない代物だった。プレイヤーはもちろん、NPCからだってそんな指摘を受けたことはない。
「……奇妙な手品を」
「って言うか、マジックポーチを知らないなんて、どんな田舎設定だよ。それともお前が物を知らないだけか?」
ソーマのあきれ顔が本心だと察して、アストレアは羞恥に顔を赤く染めた。
「侮辱する気かっ!」
袈裟がけに振るわれた剣を左にかわしたソーマが、翻った刀身を今度は受け止める。
キン!
甲高い金属音は一回に留まらず、二回、三回と鳴り響く。
ソーマ自身には剣道の経験などない。しかし、仮想現実型のゲームでは行動への慣れが不要なため、反応時のタイムラグもなく、熟練次第でかなりの速度で動けるようになる。
それを知っているソーマはできて当然と受け止めていた。
アストレアの剣をかいくぐり、ソーマの剣がアストレアの腹部をしたたかに切りつけた。
攻撃の威力に応じて、出血を意味する赤い霧が生じる。
『現実とゲームを混同させる』などという、ゲームに縁がない者ほど抱きやすい誤解を避けるため、『トラフロ』における出血表現は重傷時に限定されていた。
戦闘時には、オーラが身体を保護しており、ダメージによって発生する血煙は、オーラの変質と消滅という『設定』なのだ。
「剣だけでも俺の方が上そうだな」
本来、ソーマの斬撃は剣士特化型に比べて威力が劣る。
それを考慮すれば、ソーマとアストレアの間には、実力差があると考えてよさそうだ。
「くっ……。まだ、負けたわけではない」
「倒してしまっていいのかな……?」
行動や反応は人間らしいのに、ゲームプレイヤーとも思えない。NPCだとしても、引き分けを狙えばいいのか、倒すのが前提なのか、それも判断がつかない。
困っていたソーマは、ある意味で助けられた。一人の乱入者によって。
「氷結魔法」
魔法による奇襲を受けて、左腕を凍りつかせながらソーマの身体が右側へと倒れ込む。
「教会内で騒動を起こすとは、何のつもりだ!」
新しく現れたのは、アストレアと似た服装の青年だった。
右手には青い光を放つ直刀をぶら下げている。
「カリアス! いきなり魔法を使用するとは……」
「ふん。ならず者相手に剣を交える方が、よっぽど無様な行為だろう。貴様にはお似合いだがな」
カリアスと呼ばれた男は、あからさまにアストレアを見下している。
顔立ちそのものは理知的と言ってもいいくらいなのに、内面が表ににじみ出ていて、酷く歪んだ顔に見えてしまう。
「貴様の尻ぬぐいをしてやったんだぞ。原因が貴様だと言うことを棚にあげて、私を非難する気か? やはり、平民は躾がなっていないな」
反論を無駄と察して、アストレアは唇を噛んで言葉を抑え込んだ。
「さっさと、その男を牢屋に……」
カリアスの眼前で、倒れていたソーマが左腕の氷を払い落としながら立ちあがる。
「電光魔法」
今度、魔法を行使したのはソーマの方だった。
掌から電撃が迸り、直撃を受けたカリアスは髪の毛を逆立てて体を震わせる。
「き、貴様ぁ……、よくもこの私に……」
憎悪を込めて睨む相手に、負けじとソーマがにらみ返す。
「そっちからやってきたんだろうが! 勝手なこと言うな!」
職務に熱心そうなアストレアならまだしも、傲慢な振る舞いをしたカリアスへの印象はすこぶる悪い。
日本で生まれた彼にとって、マンガやゲームに登場する『悪役に仕立てあげた貴族』こそが基本的な認識となっていて、カリアスという人物造形はそれにぴったりと当てはまる。
「光の魔法剣士風情がこの教会の中まで潜り込むとは。聖光教会にでも命じられたか」
もの凄い言いがかりまで浴びせられて、ソーマが呆れている。
『トラフロ』における世界設定では、炎神・水神・雷神が人間達を守り育てたことになっており、それぞれの神を崇める聖火教会・聖水教会・聖光教会が存在する。
各教会が教えている魔法には相性があって、火炎魔法は氷結魔法に弱く、氷結魔法は電光魔法に弱く、電光魔法は火炎魔法に弱い、三すくみの状態なのだ。
そのため、洗礼済みの人間は、優位性のある相手に反感を持っている時代もあった。
「聖光教会とは何の関係もないし、お前なんかに見下される覚えもない」
「剣も魔法も使えるからといって、実力者のつもりか? 貴様の浅はかさを私の剣で教え込んでやろう」
「お前だって魔法を使っただろ」
「氷結魔法はアクアリーネ様より授かったこの剣の力だ。剣の腕だけでも貴様に負けるとは思わなんがな」
カリアスのこの言動は、さっきまでの自分に対する皮肉のように感じ、ソーマは内心で恥ずかしく思えてきた。
「カリアス、やめておけ」
「なめるなよ、平民風情が! あんな稽古一つで、私より強いなどと思い上がるなっ!」
アストレアの制止は、カリアスの逆鱗に触れたようだ。
「なんだ、あっちが勝ってるのか。だったら、俺が負けることはなさそうだ」
「ふざけるなぁっ!」
激したカリアスは、力任せにフリーズソードで斬りかかった。
とっさに、ミスリルソードで受け止めると、刀身を通じてソーマの両腕に冷気が流れ込んだ。
聖水教会は水の領域となるため、同属性の魔法は効果も強まることになる。
「ちっ!」
払いのけたソーマは、剣を打ち合わせるのではなく回避を優先する。
「臆したか」
鼻で笑われたソーマは、あらためてカリアスと向き合った。
「電光魔法」
今度の魔法は放出せず、両手で構えたミスリルソードに宿らせる。
帯電して黄色く光る刀身が、チリチリと小さな音を発し始めた。
「なんだ、それは! サンダーソードではなかっただろう! 剣に魔法をかけたとでも言うのか!?」
「魔法剣士を知ってるんじゃなかったのか……?」
どうも根本的な齟齬があることにソーマは気づいた。
どうやら、カリアスが口にしていた魔法剣士とは『魔法も扱える剣士』のことらしい。
しかし、ソーマの知る魔法剣士とは『魔法剣を使える剣士』のことを指す。
「偉そうなこと言ってたな。今度はお前が魔法剣の威力を味わってみろ!」
剣を打ち合わせた途端に、両者の優劣は逆転した。
水属性にとって、電光魔法は天敵である。
刀身を渡った電撃にカリアスの体力が大幅に減少していく。
「仮にとは言え、俺は『トラフロ』最強の魔法剣士だからな!」
自嘲の笑いを浮かべながら、ソーマはかさにかかって攻め込んでいく。
彼の言葉に誇張はないが、事実とも言い難い。
各種武器を装備でき、各種魔法を行使できる魔法剣士というクラスは、非常に重宝され人気もあった。
ところが、魔法剣による攻撃では、物理攻撃や魔法攻撃を極めた者には及ばなくなるのだ。そのため、上級者となった魔法剣士達は転職するのが一般的で、中級者最高位のソーマより強い『魔法剣士』は存在しなくなった。
「がはあっ!」
ソーマの突き出した切っ先を身に受けて、床に倒れ込んだカリアスがのたうち回る。
「やめてください!」
動けずにいたシシリーがようやく制止を訴えた。
「ソーマさんは事情が知りたいだけで、戦うことや殺すことが目的ではなかったはずです」
「そうは言っても、俺だけが悪いわけじゃないだろ」
「それでもです。ここにいるみなさんとも戦うと言うんですか?」
あらためて周囲を見渡すと、教会騎士と思われる人間がそれぞれ剣を抜き放ち、一定の距離で取り囲んでいる。
「このぐらいなら、なんとかなりそうだからな」
アイテムには回復薬もたっぷりあるし、十人程度なら包囲を斬り破るのも可能だとソーマは考えている。
「そんな……」
もう少し理性的な相手だと思い込んでいたシシリーは、物騒な答えを返されて青くなった。
しかし、シシリーの元へ意外な救いの手が差し伸べられた。
デウス・エクス・マキナと呼ばれる演出技法がある。
収拾のつかなくなった物語を超常的な存在が全て解決してしまうという結末を指し、あまり好意的な評価は受けない。
ここでも、下界の騒ぎを終わらせるべく、一体の神が訪れようとしていた。
雲間から陽光が降り注ぐように、中庭の一角へ空から差し込む青い光。
光を浴びているシシリーへ、皆の視線が向けられた。
あとがき
2013-05-19 出血に関する設定変更で、ダメージ描写を修正しました。