第28話 聖水神殿での歓迎
クローナの街を中心に、北を起点としておおまかな位置関係を上げていくと、次のようになる。
12時方向に、ミッドライン湖と隣接。
8時方向に、古代遺跡。
5時方向に、一番近い街でもある王都。
3時方向の遙か遠くに、聖水神殿のあるオルロープの都となる。
ミロの、正確には神殿の要請により、聖女達一行は東へ向かう予定だ。
「クローナ教会については、我々にお任せください。あのような失態を起こさないよう、十分に配慮いたしますので」
監査目的で教会に残るミロの言葉は、旅立つ者達の不安を到底拭えない。それどころか、嫌味としか聞こえないセリフである。
「私が留守の間、騎士団は貴方に一任します」
「クローナ教会の名誉は、騎士団で守って見せます!」
アンソニー団長の言葉に、決意を持って応じるカリアス。
先日の襲撃にクラウスが絡んでいたことは、当然、ホンワード伯爵家経由で彼も聞かされていた。なにしろ、クラウスが廃された以上、伯爵家を継ぐのは彼なのだから当然だ。
教会騎士としてだけでなく、伯爵家次期党首としても、あんな失態を2度と犯すわけにはいかない。
本部騎士のうち5名が残り、5名が神殿までソーマ達を送り届ける。
クローナ教会側で、神殿からの召喚を命じられたのは、司祭、教会騎士団長、聖女、勇者の4名。
『随伴が男だけでは聖女様も不自由でしょう。私も同行させてください』
そう願い出た女騎士のアストレアも、これに加わっていた。
○
5羽のアルバトロスが空へと飛び立つ。
操るのは本部騎士の5名で、クローナ教会の人間がそれぞれの後ろに跨っていた。
眼下に見下ろすのは、ソーマ達が暮らしている聖水教会だ。その周囲には生活圏であるクローナの街。
歩いて回るだけでも大変な街を、鳥の背中から一望する。
「いい眺めだな」
『トラフロ』でいろいろと経験しているソーマであっても、空の旅というのは初めての経験だ。
事前に注意された通り少しばかり寒かったが、風を切って飛ぶのは嫌な事ではない。
ソーマは自分が訪れた世界を、これまでと違った目で見渡していた。
小麦畑や果樹園。そこで農作業に従事する人々。長く伸びる大陸行路にそって点在する村や街。
珍しい景色であっても、それがしばらく続けば飽きもする。
意外な事に、話しかけたのは、アルバトロスの手綱を握る本部騎士の方からだった。
「あんた、強いんだな」
「ああ……」
「あのオボッチャマは強いし、なにより、枢機卿のご子息だろ。うちじゃあ、敵なしでさ」
「……ふーん」
騎士の気安い口調は、むしろ、ソーマの口を重くさせていた。
「まあ……、あんたが警戒するのはわかるよ。俺は第五騎士隊のトビアス・アルーンだ。よろしくな」
外見を見る限り、ソーマより一回りは年齢が上の青年だ。姓があるため貴族のはずだが、全然それらしく見えない。
「俺はソーマだ」
「第五騎士隊てのはさぁ、パーテライネン卿の影響がでかくて、所属する騎士は全て貴族ばかりなんだよね。気位の高い奴ばっかりでさぁ」
肩をすくめるトビアス。
「俺は一応アルーン男爵家の嫡子ではあるけど、妾腹で庶民生活が長かったんだよ。うちの騎士団じゃあ俺の立場は低くてね。あんたを後ろに乗せるのも、押しつけられたから。ってわけだ」
「そいつは悪かったな」
「あんたを責めてるわけじゃない。俺はむしろ、あんたと仲良くやりたいって思ってるんだ」
「……なんでだ?」
「第五騎士隊の連中と付き合うのは面倒が多くてね。あんたはあのオボッチャマに恥をかかせてくれたからな。仲良く出来そうだと思えたんだ。勇者様ではあっても、平民くさいしな」
あのパウリと同じ騎士隊所属ならば、気を許すのは危険に思える。
その一方で、なんらかの情報が得られる機会を、自ら投げ捨てるのも得策とは言えない。
「クローナ教会は神殿から嫌われてるのか?」
「ずばりと聞いてきたな」
苦笑したトビアスが、他の隊員の視線を気にしながら口を開く。
「それは、ちょっと違うんだな。正確には『第五騎士隊が聖女様や勇者様を警戒している』だ」
「俺やシシリーを? なんで?」
「神殿につけば解ることだから、教えてもいいんだけど……。貸しとして、恩に着てもらえるか? なら話すよ」
「まあ……、いいけど」
「神殿にいる聖女様の話は聞いてるか? カティヤ様っていう聖女様のことだ」
「……え? 聖女って一人だけじゃないのか?」
「これまでにも、複数存在していた実例があるんだよ。そうでなかったら、とっくの昔に神殿が動いて、シシリー様を連れ去ったんじゃないか?」
言われてみればトビアスの言う通りだ。生き神様扱いされそうな聖女を、地方の教会に放置しておく時点でおかしい。
単純に、聖女を神聖視しすぎたソーマの思いこみである。
アクアリーネに対して、もともと信仰心を持ち合わせていないソーマは、教会の情報に興味を示さなかったのも原因だろう。
「カティヤ様は凄く優秀で尊敬できる人物なんだ。神殿で聖女様と言えば、誰もがカティヤ様を思い浮かべる。シシリー様への接触が控えめなのは、その当たりも理由だろうな」
「だけど、第五騎士隊は何を警戒してるんだ? 俺に対して、得体が知れないと考えるのはまだしも、シシリーは守るべき対象じゃないのか?」
「そこが面倒なところでね。カティヤ様はヒッタヴァイネン子爵領の出身で、枢機卿が幼い頃から世話をしてきたんだよ。だから、唯一の聖女様を握っていれば、権限を拡大できるってわけだ。実際、パーテライネン枢機卿の名を継承できた理由の一つだろうしな」
「なるほど。独占できていた『聖女』の権威が、二人目の存在で薄れてしまうのか」
ソーマの思考から外れていたが、聖女だけでなく勇者まで現れたことが、クローナ教会やコルウィン司祭に対する反感につながっているのだ。
波風立てず沈黙していたら、そのまま放置され続けたかもしれない。
「枢機卿としては、シシリー様に対する悪評は望むところなんだよ。相対的にカティヤ様の存在価値を高められるし、うまくいけば聖女様という肩書きすら剥奪できるってね」
「枢機卿の権力ってそこまで強いのか? 聖女の方がよっぽど教会にとって重要な存在だと思うけどな」
「教会も組織だからね。上の連中は既得権益を守りたいんだろうさ」
貴族社会を外から眺めた経験のあるトビアスは、ずいぶんと客観的な視点を持っているようだ。
話しているソーマは、彼に反感を抱くことがほとんどなかった。
「その割に、クローナ教会は静かだった気がするな。それこそ、神殿から偽物呼ばわりされてもおかしくないのに」
「偽物の聖女様を仕立てても、すぐにバレるからな。そうなったら教義を汚したと言われて、処断されるだけだ。その点じゃ誰も疑ってないさ。それに、コルウィン司祭は派閥などに興味が無くて、聖女様を押し立てて権益を求めたりしなかった。そのあたりは、枢機卿と逆ってわけだ」
ずいぶんと辛辣に話をまとめる。
騎士隊内での扱いに関する不満なのか、シシリー関連で義憤を抱いたのか、どちらにせよ、嘘は言っていないように感じられた。
○
オルロープの都。
大公の位を持つ王弟の領地である。クローナの街より数倍は大きく、豊かそうだが、観光できるほど余裕のある来訪ではなかった。
5羽のアルバトロスが神殿に降り立ち、わずかな休憩をとるなり、すぐにお呼び出しがかかった。
クローナ教会への審問の場に、シシリーは同席しない。
聖女の証を調べるためという口実だったが、クローナ教会への糾弾を見せて、神殿への反発心を抱かせないための配慮だろうと、ソーマは勘ぐっている。シシリーが擁護に回れば対応が難しくなる、という理由もありそうだ。
審問対象となるソーマ達は入り口側に立たされ、コの字型に配置された椅子と机に囲まれた。
上座に当たる正面の席には、3人の枢機卿が腰を下ろした。左から順番に、大柄な武人、隠居した老人、神経質な学者、といった風情だ。
一番右側の席のパーテライネン卿が、審問を主導する形で、コルウィン司祭やアンソニー団長を糾弾する。その内容は、ミロとの会話の再現だった。
皮肉混じりだったミロに比べ、直接的な罵倒が多く混じっていた。
『この世界』では神が実在するため、確実な恩恵がある一方で、全知全能には及ばず、限界があることも周知の事実だった。
盗賊達の行動がある種、不徹底だったのはそのあたりによるものだ。
神をも恐れず教会を侵し、それでいて、殺人のような重罪は犯さなかった。『この程度』ならば、容認されるという判断が働いたのだろう。
クローナ教会に油断があったのは事実だが、おそらく、どの教会でも条件は同じだろう。好んで教会を狙う者などいないと、誰もが思い込んでいたはずなのだ。
「勇者などと言っているが、その証はどこにもないのだろう? 聖女様と違って、なんの証もないと聞くぞ」
疑念を露わにしたのは、口ひげを生やし、痩せている割に、精気に溢れた人物。ピエタリ・パーテライネン卿その人が、ソーマの存在に言及してきた。
「確かに証はありません。ですが、アクアリーネ様直々のお言葉です。クローナ教会には多くの証人がおります」
コルウィン司祭は堂々と枢機卿に反論する。
「それをどこまで信用していいものか……」
「そこまでお疑いであれば、信頼できない理由をまず明らかにしていただきたい」
「……勇者などと言うが、行く当てもない風来坊なのだろう? 盗賊達を引き入れた当人ではないのか?」
「勇者様はその当日、用があったため不在でした。襲撃には無関係です」
「偶然と言うにはできすぎている。意図的に離れたと見るべきだろう」
「それならば、襲撃のただ中に帰ってくる必要もないでしょう。なにせ、盗賊の過半を撃退したのは勇者様ですから」
「こうは考えられないか? 自身の実力を誇示するために、撃退までを含めて襲撃を画策したのだと」
「悪意をもって推測すれば、どのような見方も可能でしょう。なんの証拠もなく疑いの目を向けるのは、主張の正当性を損なう元です」
「所詮は出自も不確かな人物だ。疑いの目を向けるのも当然ではないか?」
あからさまに不審の目を向けられ、鬱積していた不快感がソーマを突き動かした。
「私にも少し話をさせてもらえますか?」
「これは教会内部の問題だ。部外者は黙っていてもらおう」
パーテライネン卿が高圧的に言葉を封じようとすると、左端に座る枢機卿が言葉を挟んだ。
「いや、彼はアクアリーネ様に勇者と認められた人物なのだろう? ならば、私はその言葉を聞いてみたいな」
すでに50歳を越えているというのに、鎧が似合いそうな筋肉質の大柄な体で、無骨な容貌をしている人物で、学者風のパーテライネン卿とは対照的だ。
「ダールバリ卿……」
不満を表わすパーテライネン卿に構わず、ダールバリ卿はソーマを見ている。
7人存在する枢機卿達は、それぞれが強い権限を持っており、パーテライネン卿の意見だけがまかり通るわけではない。
ソーマが改めて口を開く。
「私が襲撃を企んだという指摘もありましたが、今、私たちはこうして審問を受けています。そんな事を望むはずがありません」
「それは考えが浅かっただけだろう。こうなる事を予測できずに、浅はかな考えで行動を起こしただけだ」
パーテライネン卿の主張は変わらない。
「私はここに来て日が浅いし、教会の事情に疎いのでよくわかりません。簡単に推測できることなのでしょうか?」
「当然だろう。どうやら、勇者殿は頭の巡りが悪い事を、恥と感じぬようだがな」
嘲笑する枢機卿に、ソーマが反論する。
「では、こう考えたらどうでしょうか。盗賊の襲撃は、こうしてクローナ教会の人間を審問するのが目的で、起こされたと」
「なっ、なんだと!?」
「聖女であるシシリーや、勇者と呼ばれている私を、貶めるのが目的だったとも考えられます」
「そんなのは被害妄想だ! くだらぬ戯言だ!」
「襲撃を受けた責任で審問を受けるのは、『簡単に推測できる』と私は聞いています。ならば、私やシシリーを糾弾するために事件を起こした、と考えるのは自然な流れでしょう。つまり、あの事件が起きたのは、この審問会を開くためだったんです」
聖女を擁したパーテライネン卿は、教会内で自身の権威を高めるために動いた過去がある。
一方でコルウィン司祭は、誕生した聖女や召喚された勇者を、教会での地位向上には用いていない。そのような態度こそが水神に認められ、聖女と勇者の出現につながったという噂まで流れていた。
このあたりは、利己的に見えるパーテライネン卿へのあてつけが含まれているため、枢機卿がクローナ教会へ敵意を燃やすのも当然と言えた。
「貴様は私が盗賊達に命じたと言うのか!? ふざけるな!」
彼にしてみれば、うさんくさいソーマから、身に覚えのない疑いをかけられて、聞き逃すことはできなかったのだろう。
「今のは一般論だったんですが、もしかして、パーテライネン卿がこの審問会を積極的に望んでいたのでしょうか?」
「……望んでなどいない」
「ではなぜ、一度も名指ししていないというのに、自分が疑われたなどと言い出したのですか?」
「私に向かって言っていたからだ」
「人の目を見て話すようにと親から育てられただけなので、失礼でしたら謝ります。ですが、本当に言いがかりだと思うなら、笑い飛ばせば済むでしょう。腹にやましいことがあったのではありませんか?」
先ほど、司祭が言及したように、状況証拠から悪意を見出すなら、どのような見方だって可能なのだ。
パーテライネン卿が裏で糸を引いていた……などとはソーマも本心では考えていない。
しかし、どうあってもこちらを糾弾するつもりなら、相手にも相応の代償を払ってもらう。物的証拠もないまま言い合ったところで、所詮は水掛け論だが、こちらだけが汚名を甘受するのは承服しかねる。
「それが言いがかりだといっているのだ! 私が教会の襲撃を画策するなどありえん」
「襲撃は画策しなかったとしても、審問会は開きたかったんですね?」
「そんな事は望んでおらん。責任の所在を明らかにするために審問会を開くのは、神殿としては当然の対応だ。非難される覚えはない」
「ですが、襲撃の目的が審問会の開催だったとすると、審問会を開いていることこそが黒幕の思い通りなのでは?」
「馬鹿なことを! そんなのは貴様の勝手な推測にすぎんではないか!」
「だったら、俺が力を誇示するためなんていうのも、『勝手な推測』ですよね」
「貴様の言葉と私の言葉を同格に並べるな、小僧!」
「でも考えてみてください。審問会が開かれている現状から見て、損をしているのは俺で、得をしているのはパーテライネン卿です。だったら、俺の自演というよりは、枢機卿が企んだと考える方が妥当でしょう?」
「ふざけるな! 枢機卿たるこの私を、そこまで侮辱したのは貴様が初めてだ!」
「勇者の俺に敬意を払わないのも貴方が初めてです」
澄まして答えるソーマに、パーテライネン卿が怒りを爆発させる。
「貴様のような無礼者が勇者であるはずがない! そんなことは認められん!」
「それって、アクアリーネ様の目が曇ってると言ってるんですかね?」
「そうではない! 貴様には勇者とやらに相応しい気品が不足していると言ってるんだ!」
「思い上がってませんか? 貴方にはアクアリーネ様の声なんて聞こえないんだし、その真意がわからないのも当然でしょう」
「わっ、私は枢機卿だぞ!」
「関係ありません。そもそも、枢機卿がアクアリーネ様の声を聞けていれば、聖女という存在は不要です。枢機卿『ごとき』が、アクアリーネ様の言葉を否定するなんておこがましいんじゃないですかね?」
「きっ、きっ、貴様はっ……!」
「それとも、枢機卿という地位は、アクアリーネ様よりも偉いと言うつもりですか?」
「そこまでにせんかっ!」
一括したのは、先ほども口を挟んだダールバリ卿だ。
ソーマもパーテライネン卿も口をつぐむ。
「さて、どう思われますかな? ブロムステット卿」
「そうじゃのう……」
中央に座る年老いた枢機卿が、正面のソーマや、左の席で立ち上がっているパーテライネン卿を見る。
「勇者殿の言葉にも一理ある」
「そ、そんな! この小僧は我々枢機卿を侮辱するような暴言を……」
「乱暴ではあったが、虚言とは言えんよ。枢機卿よりもアクアリーネ様を上に置くのは正しい言葉だしのう。よもや、パーテライネン卿は逆に考えておるのか?」
「そんなはずがないでしょう……」
「なんの確証もないまま、疑惑や暴言をぶつけ合ったのはお互い様じゃ。襲撃の一件では、クローナ教会で処罰も対策も行っているようじゃし、神殿が口を挟むこともなかろう。パーテライネン卿個人としては、何か言うべきことが残っておるのかな?」
「…………」
個人的な意見と決めつけられてしまっては、いまさら主張を繰り返すわけにもいかない。
口をつぐんでいるものの、眉間のしわや目尻の小さな痙攣が、パーテライネン卿の怒気を表わしていた。
「勇者殿にはもう一つ用事があったのじゃろう?」
その言葉に、ようやくパーテライネン卿は気を落ちつかせる。
「……わかりました。勇者殿とやらには、これから一仕事してもらいましょうか」
彼の計算通りに進めば、溜飲も大きく下がるはずだ。
「貴様が勇者とやらにふさわしい力の持ち主かどうか、この神殿で確かめさせてもらおう。真に、アクアリーネ様の信頼に値するかを」
クローナ教会まで迎えに来たあのパウリと同じだ。
闘って価値を示せというのは、戦闘力が大きな意味を持つこの世界で、当然の発想なのかもしれない。
「……わかりました」
すでにクローナの街で、パウリを退けているのだが、その情報を知らずにいるとソーマは考えた。
しかし、実情は真逆である。
勝ち誇ったようにパーテライネン卿が告げた。
「教会が知りたいのは貴様の持つ真の力だ。よって、体術も魔法も使用は禁止とする。貴様自身が身につけた技のみで力を誇示してもらおう」