第23話 教会へ帰宅します
「ずいぶん長かったね。すぐ戻ってくると思ったのに」
ソーマを出迎えたブリジットの態度は、いつもと何も変わらない。
虚神の結界によって『なんとなく通路を軽視』しているだけだ。
「あの先には、虚神がいたんだ」
「……どういうこと?」
「もともと、この遺跡は虚神のために作られたものらしい。虚神の欠片ってのが今もこの遺跡に残っていて、通路に入ってこられないように結界を張ってあるんだ。『よけ香』みたいなものだな」
「とてもそうは思えないけどなぁ」
ソーマの背後を覗き込むが、彼女の目にはまるで無価値に感じられる。
「ブリジットも一緒に行ってみるか?」
そう水を向けたソーマに、ブリジットが肩をすくめる。
「結局、盗賊はいなかったんでしょ。それなら意味ないじゃない」
「虚神のところまで、1分もかからないぞ」
「いいってば。ボクは虚神に興味ないし」
この対応そのものが結界の効果なのだろう。
無理強いして虚神と会わせたところで、ソーマにメリットはない。なにより、彼女はソーマの言葉を否定してもおらず、ただ、価値を見出していないだけなのだ。
「虚神の話だと、盗賊は数日前から姿を消しているらしい。時期的には、引ったくりを捕まえるより前だな」
「それじゃあ、引き払った後だから、警備隊に情報を漏らした可能性もあるね」
「完全な無駄足ってわけだ」
とは言え、引受けた調査依頼そのものは済んだ事になる。
グロリアとの取り決めでは、盗賊が去ったことなど想定していなかったため、追加報酬はまったく期待できないのだが。
ソーマ個人としては、依頼とは無関係に一つの成果を得た。
虚神との遭遇で、神の存在や判断基準を知る事が出来たからだ。虚神の力は大きく制限されているようだが、それでも、危機的状況で『神頼み』できる可能性が生まれた。
肝心の水神が放任主義を決め込んでいるため、虚神のように接触を図れる存在がいるのは非常に有難い。
「……街まで帰るか」
ソーマが『転移石』を取り出した。
「これは?」
「『転移石』といって、割った半分を残した場所へ、瞬間移動できるアイテムなんだ」
ゴーレム退治の後には使用を自粛したが、今回は違う。短いつきあいだが、ブリジットは信用できると思えたからだ。
「本当に?」
「試せばわかる」
「他の大陸なんかだと、そんな物が普通に入手できたりするの? 属性魔法を複数使えるのも常識はずれだし」
「前にも言ったとおり、事情があるんだ。そういうものだと受け入れてくれ」
「まあ、見てる分には面白くていいんだけどね」
ブリジットが他意のない笑顔を見せる。
○
虫の羽音のような小さな音に続き、ソーマとブリジットがこの場に出現する。
「ホントに聖水教会なんだ。凄いね……」
礼拝堂に奉られる水神像を目にして、ブリジットが嘆息した。
「……あっ!?」
ソーマが今になってあることに気づき、ブリジットに問いかける。
「もしかして、属性の違う人間は、他の教会へ出入りが禁止されていたりするのか?」
「ボクに聞くわけ?」
苦笑するブリジット。
「そんな事はないと思うよ。ほら、火属性のボクが聖光教会から仕事を受けているでしょ? 信徒すら追い払う聖火教会は論外で、他の信徒を差別する事はめったにないよ。少なくとも建前上はね。むしろ、聖水教会がどうなのかは、ボクの方が聞きたいくらいだし」
「大丈夫……だと思う」
最初にこの礼拝堂を訪れた時、ソーマの立場は不審者でしかなかった。ソーマ本人の態度はおいておくとして、正しく手続きをしていれば、あのような騒動には至らなかっただろう。
カリアスの反応はちょっと微妙だが、あれはクラウス絡みで光属性に隔意を抱いていた可能性もある。
「一応、教会騎士に紹介しておくよ。ブリジットの顔を知ってる人間もいるだろうけど、事前に許可は得てないしな」
二人は連れだって廊下に出た。
廊下の照明は壁の高い位置にあり、床面を照らす光量はおのずと少なくなっている。
その暗がりに、小さな人影が倒れていた。
「……おいっ! どうしたんだ!」
ソーマは顔を覚えていなかったが、教会内で暮らしている孤児の一人だろう。
「あっちにも!」
ブリジットが指さした先に、教会騎士の青年が倒れていた。
「どうなってるんだ?」
戸惑うだけのソーマと違って、ブリジットが少年の身体をあらためている。
「君! 聞こえたら返事をして! 呼吸はしてる。顔色は問題なし。……気絶してるだけかな?」
ブリジットの簡易的な診断に、ソーマがすぐさま魔法を行使する。
「心身正常化」
状態異常から回復させる魔法だ。『トラフロ』の状態異常と混同しての判断だったが、結果的にはこれが正しかった。
少年の瞼がうっすらと開かれ、口からは呼吸音のようにかすれた声が漏れる。
「ぅう……、あ……」
「麻痺もあるのか? 心身正常化」
『トラフロ』における状態異常は、種類が違えば重複して発生し、その解除も複数回必要となる。ソーマの行動もその知識があってのことだ。
「え? あれ? ここは?」
少年自身も不思議そうに回りを見渡した。
「ねえ、落ちついて。君は廊下に倒れてたんだよ。なにか持病でもあったりする?」
ブリジットの質問に、少年が記憶を辿る。
「よくわからないんだ。急に身体が動かなくなって、ここで倒れたんだと思う」
「心身正常化。心身正常化」
教会騎士の治療も行ってみたが、彼から聞き出せた情報も少年と変わらないものだった。
教会内を歩くうちに、麻痺に冒されたのが二人だけではないと判明した。
教会で暮らしている者達が、至る所に倒れている。
初めのうちに遭遇した3名へは治療を行ったが、次の4人目で制止がかかった。
「待って。この調子だと魔力がいくつあっても足りないよ。命に関わる異常じゃないから、魔力は温存した方がいいかもしれない」
ブリジットが教会騎士達に問いかけた。
「麻痺毒用の毒消しはないの?」
「倉庫にストックがあるはずだ。数は多くないと思うが……」
「案内して」
騎士に案内された一行が、足早に倉庫へ向かう。
到着した倉庫は、扉が開けっぱなしになっていた。
「……どこにあんだよ。ったく」
漏れてくるのは、男のぼやき声と、ごそごそと物色する音。
自分たち同様、解毒剤目的だと見当をつけた騎士が、自然に声をかけた。
「解毒剤はまだ見つかって……、誰だ、お前は?」
入室するなり眉をひそめる騎士。
薄汚れた身なりの男は、出入り口を見て驚愕の表情を浮かべていた。
「……っ!?」
ソーマ達の心を占めていたのは不可解な事態に対する当惑であり、あきらかに警戒心が薄かった。
そのため、即座に動けたのは、室内にいた男の方だ。
こちらに突っ込んできた男が、押しのけるようにして廊下を走り去る。
「いたぞーっ! 魔石を持ってる男だ! 倉庫にいるぞーっ!」
大声を張り上げて駆け出す男。
「ソーマはあいつを追って! あいつ等はソーマを狙ってるらしいから、気をつけて!」
「……あ、ああ! わかった!」
ブリジットの判断に蹴飛ばされる形で、ソーマが駆け出した。
「連絡は、お互いのカードで!」
その声がソーマの耳に届いたかは不明だ。
「ソーマの事なら心配はいらないと思う。こっちは麻痺用の毒消しを捜そう」
事態を飲み込めていない一同に、ブリジットが説明する。
「男の行動からの推測だけど、何人かの仲間達で教会を狙ったんだと思う。夕飯にでも遅効性の麻痺毒が仕込まれたんじゃないかな。毒消しが足りない可能性もあるから、まず、治療魔法が使える人や、戦える人から回復させていかなきゃ。部屋の入り口はボクが見張ってるから、みんなは急いで解毒剤を捜して」