第22話 勇者様の虚構と現実
ドラゴンを倒したところで、ソーマの周囲が激変した。まるで『転移石』を使用したかの様に、数秒前とはまるで違う光景に切り替わったのだ。
バランスを崩し、膝から崩れ落ちそうになった身体を、壁に手を突いてなんとか支える。
彼が立っていたのは、左右を石壁に挟まれた狭い通路だ。
「え……? 何だ? どうなったんだ?」
先ほどの広間やドラゴンが存在した形跡などまるでなく、一瞬にして夢から醒めたような気分だった。
状況の変化に意識が追いつかない。
「……さっきのあれが原因か?」
角を曲がったあたりでソーマが感じた、無重力を思わせる浮遊感。あれは、ヘッドギアが稼働して、仮想現実空間に入る時に生じるものだ。重力を感じる方向がリセットされてしまうため、どうしてもそうなってしまう。
それを考えると、ソーマはあの時点で五感へ介入されたに違いない。この世界において、彼は『仮想現実』を体感したのだ。
彼が握っているのもミスリルソードに戻っていて、マジックポーチの中身も数をまるで減らしていない。
生々しい痛みと共に経験したドラゴン戦は、彼の脳内に描かれた幻に過ぎなかった。
「この先に、何かあるのか……?」
盗賊のアジトどころではすまない状況に、内心で不安を抱く。
それでも、厄介なドラゴン戦という『強制イベント』を終えた以上、すごすごと引き下がる気にはなれなかった。
通路を進んだソーマは一つの部屋に到着する。
それほど広いわけではなく、ソーマが寝起きする教会の部屋よりわずかに広いくらいだ。
ただし、正面の壁に姿見ほどの大きなガラス板があった。鏡であれば銀膜が貼り付けている場所は、平らに研磨した岩肌が素通しになっている。
『トラフロ』で使用する、携帯型の『通信板』によく似ていた。
「……え?」
ガラス板に女性の姿が浮かび上がった。
磁器のように滑らかで白い肌と、正反対に床にまで達する艶やかな紫紺の髪。血の気が薄いためか、唇の赤みに欠けるのが美の完成度を落としている。
ソーマが振り返っても、彼の背後にそんな女性などいなかった。そもそも、ソーマが映っていないのだから、鏡ではないのだが。
「映像かなんかか?」
ガラス面に触れたソーマが連想したのは、液晶画面やプロジェクターだ。
「その通りじゃ。これは私の姿を映しだす『魔鏡』じゃからの」
彼女は『トラフロ』に登場するある存在とよく似ていた。
「虚神・ホーラなのか?」
「正確には、ホーラのひと欠片じゃな」
「ホーラの? なんだってそんなのが、ここに? ……それとも、もともとそういう遺跡だったのか?」
「私は、私がすべき事のために、この場に存在しておる」
「すべき事ってのはなんだ?」
「世界を見守ることじゃ」
「そうか……」
ある意味で模範的な回答と言えたが、ソーマにはあまり関係のない話だった。
「それなら、なんで盗賊を放っておいたんだ?」
「獣の群れでいさかいがあった時に、お前はいちいち仲裁をするのか? 魚ではどうじゃ? 虫ならどうじゃ?」
「そういう意味じゃなくて、遺跡に入り込んだ盗賊だよ。自分の家に土足で踏み入られたら迷惑だろ? 懲らしめたり、追っ払ったりしないのか?」
「長くこの場所に籠もって退屈じゃったからのう。紛れ込んだ小動物が動き回るのを、のんびり観察しておった。数日前に姿を消しておるし、遺跡内の行動だけでは盗賊かどうかもわからんわ」
「遺跡は誰でも好き勝手に使って良かったのか?」
「目に余れば追い払いもする。結界があるから、ここまで入り込んだりはせんしの」
「サンドドラゴンがそれか?」
「それは違う。私の言う結界とは精神威圧に似た代物で、人間の意識へ干渉し、通路から注意そらす働きをするのじゃ」
「……ブリジットの妙な態度も、それが原因か」
「ドラゴンを見せたのは、通路に踏み入ったお主を追い払うためじゃ」
「あー……。そいつは悪かった」
精神威圧も、レベル差が小さくなれば効果が薄れる。ホーラにしみてれば、遺跡内部を動き回るだけの盗賊より、結界の効かないソーマの方が迷惑だったのだろう。
「普通の人間ならば、ドラゴンには恐怖の感情しか抱かぬものじゃ。しかし、お主にとっては未知の存在ではなかったようじゃな。ドラゴンに対する理解が、イメージ上のドラゴンに枷をはめて倒せる存在に貶めたのじゃ」
「そうだな。何度も倒した事があるよ」
「まがりなりにもドラゴンを倒し、その力を見せたお主じゃ。粗暴というわけでもなさそうだし、一応は歓迎してやろう」
「ありがとう……か?」
「礼儀は理解しておるようじゃが、神への畏敬は感じられぬな。奇妙なことじゃ」
特に気分を害するでもなく、ホーラが首をかしげる。
「俺の暮らしていた国では、どんな宗教を信じるのも自由だったし、神様は架空の存在だと認識している人が多いんだ」
さらに言えば、ゲームキャラという意識も強かったためだ。
「架空、か。信じるも信じないも本人次第じゃ。まあ、そういう者もおろう」
「怒らないのか?」
「私には関係ないな。誰がどう思おうと私は私じゃ。有り様が変わるわけでもない」
「人の信仰を求めてないのか?」
「信じたい者が信仰するのであろう? 信じたければ信じればよいし、崇めたければ崇めればよい」
「なんだよそれ。信者がどれだけ祈ろうが、どれだけ願おうが、無駄って意味じゃないか」
「声が届く事も少ないし、叶えるべきかも状況による。決めるのは私らじゃ。気分次第と言ってもよいぞ」
「気分って……」
「お主とて、興味のない人間に手を貸したりはせんじゃろう? 神も変わらん。まあ、出来るとも限らんしの」
「出来ない事ってあるのか?」
「もちろんじゃ。海を想像してみるがよい。海に生きる生命にとって、海とは世界の全てでもある。その海が、小魚の群れにいる特定の魚だけを優遇するのは難しかろう? 区別することすら難しい。神の目には、小魚も人間も大してかわらん。仮に、群れ全体を優遇しても、小魚はそれに気づきもせんじゃろう」
ホーラが口にしたのは視点の違いだった。
隣人に比較して幸運が舞い込めば、当人は喜ぶだろう。だが、街全体が恩恵に浴した時、当人は恵まれているという意識を抱きにくい。
「じゃあ、話をしたり力を貸したりするのも、特別な誰かを選んだわけじゃなく、誰でも良かったのか?」
「それは少し違うの。先も言ったとおり、見分けがつかぬから、特徴がある者を選んだり、自ら印を付けたりするのじゃ」
「俺がアクアリーネに目をつけられたのも、気を引くような何かがあったということか?」
「私には知りようもないが、そう考えてよかろうな」
「どうにかして、アクアリーネと話す事はできないか?」
「それは難しいじゃろう。海や山と話すようなものだ。神とは無限の意識を持つ存在。人の世への関わりなど、意識の海原に生じた小さなさざ波の様なもの。だからこそ、神との接触は希少で、かなえた者を御子だの聖女だのと崇めるのじゃ」
「……その割には、あんたとは普通に会話ができてるよな」
「私は精神を司る虚神・ホーラの欠片じゃぞ。地上の存在と、意志を交わせて当然と言うべきじゃ」
「俺はアクアリーネに、別の世界から召喚されたらしいんだけど、そういう事はよくあるのか?」
「少なくとも、欠片である私は知らぬ。本体の私ならば、事実を知っているかもしれん」
「あんたの力なら、俺を元の世界へ戻すことも可能か?」
「戻りたいのか?」
「……ああ」
「まずは、その世界を見せてもらおう。思い描いてみるがよい」
「わかった」
○
身じろぎすると、頭部に違和感があった。
視界がふさがれているため、頭に手を当ててその正体を探る。
すぐに彼は思い至った。
頭に装着されいるのは、仮想現実型ゲーム用のヘッドギアだ。
どうやら、『トライポッド・フロンティア』のプレイ中に、眠り込んでしまったらしい。
長々とゲームをしていたせいか、どうも頭がぼんやりする。
掛け布団はなく、彼は6畳間に敷いた布団へ身を横たえていた。
仮想現実型ゲームのプレイ中は、身体を動かすことができなくなるため、布団などに寝て行うのが一般的だ。金に余裕があれば、専用のリクライニングチェアを使う者もいる。
ヘッドギアを外して洗面台に向かい、水をすくって何度も顔を洗った。
水滴のしたたる顔をタオルで拭うと、真っ正面の鏡に自分の顔が映る。
魔法剣士ソーマなどではない。
『相馬賢司』。この部屋の主の顔だ。
あくびをしながら、相馬は再び部屋の中央に戻る。
彼の実年齢はプレイヤーキャラより5歳上の、22歳。
勤務場所は、山間を切り開いて建設された工場で、敷地内には独身寮が存在する。彼の寝起きしているのがこの部屋だった。
最寄り駅まで車で30分かかり、社用バスが定時運行している。
通勤の不便さは、そのまま休日の不自由さにつながる。
相馬に限らず寮で暮らす者の多くが、仮想現実型ゲームに熱中している。単純に娯楽が少ないからだ。
遅刻する一番の理由も、一昔前ならば『街で飲み明かした』だったのに、今日では『一晩中ゲームをしていた』に変わりつつある。
窓の外は日も高く、午後2時ぐらいだろうか。
駐車場で騒いでいた数名が、車に乗ってどこかへ向かう。残っている車が少ないのは、休日によく見られる光景だ。
今の時間から街へ出るのも億劫なため、彼はヘッドギアを取り上げる。
先ほどの夢を思い出して、相馬の口元に苦笑が浮かんだ。
仮想現実空間に閉じこめられるなんて、そんな『非現実的な事』あるわけがないのに。
ヘッドギアが行うのは、五感に疑似情報を流して錯覚を起こすことで、精神をどこかへ移動させたりはできない。ヘッドギアさえ外せば、それだけで仮想現実から脱出できてしまう。
空腹や尿意に気づかないと、現実的な問題につながるため、仮想現実からの覚醒は容易なのだ。
これまでに起きた裁判沙汰でも、仮想現実への監禁で有罪になった事例は、現実的な監禁中に『仮想現実』を手段として用いた場合に限られた。薬などで眠らせる変わりに、仮想現実を見せるというような形だ。
「あ……。夢の場合は『トラフロ』とは違ってたっけ。過去という設定だったかな……?」
ゲームと大きく異なる点だが、スキルもアイテムも普通に使えたため、特に問題は無かった気がする。そもそも、夢の設定に整合性を求めても無意味に思えた。
「これも、ゲーム脳の一種かな」
自嘲気味に笑う相馬。
『ゲーム脳』そのものが根拠の薄い主張なのはわかってるが、ゲームと現実を混同してしまっては『ゲーム脳』と揶揄されても仕方がない。
しかし、つまらない『日常』などより、『トラフロ』の方が彼にとってはるかに魅力的だ。
架空世界を楽しむぐらいの小さな幸せを、日常生活に持ち込んだって許されるだろう。
ゲームを起動させた相馬は、再び、魔法剣士ソーマとなった。
○
「……え?」
彼の正面には虚神の姿を映し出す魔鏡。
「これで満足じゃろう?」
「満足って、こんな短時間じゃあ……。それ以前に、あの世界へ帰れたわけじゃなく、ただの幻だろ?」
「何が幻なのじゃ? お主は幻などと自覚したのか? 見て、聞いて、触れて、嗅いで、味わえたのじゃろう? お主が本物だと感じた世界ならば、それがお主の望んだ現実というものじゃ」
「そんな哲学的な話はしていない。向こうの世界へ物理的に移動してないって言ってるんだ」
「本気で戻りたいとは思えぬがな」
「どういう意味だよ」
「簡単な事じゃ。お主はお主が望むだけ、向こうの世界におれたのじゃぞ。意識の中で100年暮らそうと、こちらでの時間経過は微々たるものじゃ。お主がこちらへ戻ってきたのは、こちらに戻りたいという意志を示したからじゃ。違うのか?」
「…………」
この世界は『現代日本』に比べ、文明レベルも低く、治安も悪く、命の危険や理不尽が横行している。
だというのに、ソーマは『現代日本』を満喫するでもなく、躊躇無く『この世界』へ戻ってきた。
工場の、或いは、社会の歯車として働くだけの毎日。
それに比べれば、自分の実力のみで生き抜く、剣と魔法のファンタジー世界に憧れるのは、自然な流れだろう。少なくともソーマ自身はそう考えた。
『現代日本』を幻だとまでは自覚しなかったものの、彼は自分の意志で『トラフロ』を選んだ。
最初に召喚された時から、ソーマには『現代日本へ帰れない』という焦りが薄かった。家族仲だって悪くないし、友人だって存在しているのに。
それでも、『この世界』をすぐに受け入れたのは、ゲームに馴染んでいたからではなく、『現代日本』への執着が薄かったから……なのかもしれない。
(……そもそも、『現代日本』なんてあったのか?)
そんな疑惑までが頭に浮かぶ。
ソーマの記憶にある『現代日本』など、『この世界』の誰も知らない。いや、ソーマの頭の中にしか存在しないという表現が一番近い。
言語や単位や動植物に類似性があるのも、『この世界』の常識をもとに、『現代日本』を妄想したと考えれば納得し易い。
ソーマだけが記憶を取り違え、夢と現実を混同していたとしたら?
(いや……、それなら、俺は誰ってことになるんだ? 聖水教会以前にどこで暮らしていたのか。『現代日本』以外の記憶が無いのはおかしい)
さらにいえば、マジックポーチやその中身の入手経路の問題もある。
考えを進めたソーマは、回避できない一つの結論に至ってしまう。
(こっちから、『現代日本』へなんの干渉できない以上、夢でも、現実でも……、何も変わらないけどな)
彼が召喚の真相を知るのは、まだまだ先の事であった。