第21話 勇者へのお出迎え
「熱源探知」
暗闇の中で、生命体の発する熱量を探り、行く手の安全を確認する。
取得レベルの低さから、映像化に時間もかかるため、戦闘時ではとても使えない。しかし、足を止めての索敵なら、問題とはならなかった。
マジックポーチから『夜光石』を取り出し、ソーマは後方に向けて丸く振った。
太陽光を貯め込むことで、数時間ほど薄く発光するアイテムだ。
『トラフロ』では、真っ暗闇というのは不便すぎるためか、イベント演出以外では発生せず、『夜光石』も登場しない。
『この世界』では、夜間や室内の照明に使われており、日中は陽へさらすという手間が必要となっている。
ソーマの合図を待って、ブリジットがそれを追いかける。
火属性魔法の熱源補足はブリジットも取得していたが、隠形移動ができるソーマが先行を引受けていた。
奥深くまで足を踏み入れて、二人は不思議そうに顔を見合わせる。
「変だな。ここまで来て、一度も盗賊を見かけてない」
「人がいた形跡はあったけどね。あれはここ最近のものだと思うよ」
焼き肉の残骸らしき骨とか、すり切れて汚れたボロ布や、汚い話だが便壺など。
存在した痕跡は残っているのに、肝心の盗賊達の姿が見えない。
「どこかに出かけているのか、もう立ち去ったのか」
「立ち去った可能性が高いかな。金目の物がなにも残ってないし。ほら、引ったくりがソーマに捕まったから、警戒して逃げ出したのかも知れないよ」
「そうなると、全部無駄足だな。とりあえず、もっと奥まで確認はしておこう」
二人の調査は、無人であることの確認だけで終わっていた。
「その通路を覗いたら、一度引き上げよう」
「すぐ行き止まりみたいだし、調べるだけ無駄だよ」
どんな根拠があるのか、ブリジットが言い切った。
「そうか? まあ、行ってみればわかるだろ」
「そんなに気になるの?」
不思議そうに尋ねられたこと自体が、ソーマには不思議だった。
「……気になるな。確認だけはしておいた方がいいだろ」
「そう? じゃあ、すぐに確認してきて」
自分では調べる気がないのか、丸投げである。
「わかった」
違和感は拭えないものの、ソーマは単身で通路へ向かう。
すぐ角を回ると、その先にも通路が延びていた。
「行き止まりじゃなさそうだ」
狭い通路のため、反響だけでブリジットにまで声が届く。
「わかった。早く見て来てよ」
ブリジットはその場から動こうとせず、ソーマだけに探索を委ねてきた。
「……わかったよ」
不審を抱きながら、石の通路を歩き進める。
2度目の角を曲がってすぐ、奇妙な感覚がソーマを襲った。
上昇するエレベーターが急減速したような、かすかな浮遊感。おそらく、『この世界』では彼だけが体験した感覚だ。
その異変の正体に、彼はすぐに気づく事となる。
ソーマの行く手に明かりが見える。通路の突き当たりの部屋に、照明が点ったのだろう。
彼が足を踏み入れたのは、ぽっかりと開かれた巨大な空間。幅も奥行きも30mはあるだろうか。天井までは10mほど。
しかし、ソーマの意識は中央の存在に釘付けとなっていた。
黄土色の体表に、爬虫類的な特徴を持つ、全長20mはあろうかという巨大な生物。
縦長の割れ目のような瞳孔が二つ、ソーマを捉えた。
「ドラゴン……!?」
体色から考えれば、地属性のサンドドラゴンである。
グルルルルゥ!
うなり声を上げていたドラゴンが、口を開いて全ての牙を露わにする。
ゴアアアアッ!
『トラフロ』でおなじみの、竜種が持つ威圧の咆哮。
「……しまった!」
感電魔法と同様、ソーマの動きが封じられてしまう。
ドラゴンの喉奥からせり上がったのは、声ではなく、体内で製造された高温の息。
ゴォォォーッ!
ソーマは真っ正面から、吐き出された火炎を浴びた。地属性でありながら、サンドドラゴンは強力な火属性攻撃を持っているのだ。
麻痺が解けたところで、即座に横っ飛びしたが、受けた数秒で体力の3割近く削られていた。
ドラゴンの頭部は警戒すべきだが、横へ進みすぎると、こんどは尻尾の射程範囲に捉えられる。
戦場が広ければ距離を取って戦える。逆に狭かったら、ドラゴンは向きを変えるのも困難となる。
交戦こそ可能だが、この部屋はソーマにとって不利な戦場であった。
「身体加速」
まずは攻撃速度や回避率を上昇させた。身体加重とは逆に、攻撃力が減少してしまう風属性魔法だ。
サンドドラゴンのレベル帯は90代。すでに100を越えていたソーマならば、勝てるはずの相手だった。
しかし、『トラフロ』におけるドラゴンは、種族全体が強力に設定されており、攻略時には同レベル帯のプレイヤーによるパーティ戦が基本である。
少なくとも、防具に期待できない現状では、ソーマとしても油断できる相手ではない。
残念なことに、地属性が相手では決定打を浴びせられず、ミスリルソードに一応は氷結魔法をかけて交戦中だった。
ソーマはドラゴンの左側に位置取りしていた。
頭部の火炎や尻尾の殴打を避け、左前肢や左後肢の爪を警戒する。
その時、ドラゴンの巨体がソーマの視界を覆う。四肢で踏ん張ったドラゴンが、その身体を持って壁との間で押しつぶそうと迫ったのだ。
慌てて飛び退いたソーマを、前足が前方へ蹴り飛ばした。
転がり出た場所は、牙の届く位置だ。
ぎょっとしたソーマを、ドラゴンの顎が捉える。
上半身を噛み砕こうとする上下の牙を、両腕でなんとか押さえようとする。
奈落を思わせるドラゴンの喉奥が、赤く照らし出されていく。じょじょに光源がせり上がってきた。
顎の力で押さえられた形なり、ソーマはその場から動けずにいる。
吐き出された紅蓮の炎が全身を飲み込んでいた。
本能的な恐怖が出たのか、身体を硬直させたソーマは、押さえ損ねた牙に捉えられた。
前後から胸部を圧迫され、腕の自由が効かず、肌に食い込む牙をただ耐えるしかない。
体力が危険域にまで達した時に、それは起こった。
「があああぁぁぁっ!?」
何の言葉を発したのかソーマに自覚などない。
激痛。肉をえぐり、胸を圧する、強烈な痛みがソーマの脳内と全身を駆けめぐった。
おそらく、『トラフロ』では制限されていたもの。瀕死状態に陥り、オーラで緩和されることのない生の激痛に、初めて襲われたのだ。
『現代日本』では縁の無かった、死を覚悟するほどの痛み。それこそ、死んだ方がマシと思えるほどの。
どうすれば、ドラゴンの口から脱する事ができるか。
そんな事を考える余裕すらなく、涙やよだれを垂れ流しながら、必至で身をよじる。生死を考える余裕すらなく、ただただ、痛みから脱するための行動だった。
噛み心地が悪かったのか、ドラゴンがもう一度噛もうとしたタイミングで、ソーマが龍の顎を脱していた。
単純に幸運がソーマに味方してくれたのだ。
ソーマは部屋の角へ逃げ込んだ。深い考えなど無く、単にドラゴンから一番離れたかったためだ。
完全回復薬のエリクサーを使用する。
魔力はほとんど減っていないし、状態異常もない。通常ならばもったいない使い方だったが、ソーマはなによりも即時全回復を望んだのだ。
かろうじてミスリルソードを握っているが、非常に腰の引けた構えだった。
脳裏をしめる恐怖の中で、わずかに残った理性が生き残ろうともがいていた。
自前の『ドラゴンスレイヤー』は、『トラフロ』の倉庫に置いてきたから使えない。
水属性の防具を装備する時間も得られないだろう。
所有するアイテム情報は把握しているはずなのに、スムーズに思考が働いてくれない。緊急時に必要な道具を取り出せないという状況が、彼にはとてもよく理解できた。
(逃げるか?)
ソーマの入ってきた通路が、右手の壁にぽかりと空いている。
だが、ソーマの視線をサンドドラゴンも追っていた。
(こいつ……、俺が逃げる可能性にも気づいているのか?)
無防備にさらした背中を狙われるのは余りに危険だ。それに、細長い通路では炎から逃げ切れないだろう。
(あんな痛いのはもうごめんだ。精神獣化ならどうだ?)
精神獣化の説明文には『痛みを忘れるほど攻撃性が高まる』とあった。魔法を取得した当初、弱いモンスター相手に試用しただけなので、ソーマ自身も詳しい使用感を知らない。
一度発動させると、戦闘終了時までスキルや道具が使用できなくなる。ソロプレイヤーにとって、自力での回復が出来なくなるのは死活問題と言えた。
それでも、激痛に怯えるソーマは、痛覚遮断を期待して使用を決断してしまう。
ミスリルソードをしまうのももどかしく、無造作に投げ捨てた。後で拾えばいいと考えたからだ。
武器の前に、一つだけ防具を取り出す。
『解放の鉄腕』。ある奴隷戦士が自由になる際に引きちぎったとされる手枷だ。筒状の一対の鉄環で30cmほどの鎖が垂れ下がっている。両腕に装備する事で攻撃力が増加するのだ。
続いて、刀身に蔦のような溝の刻まれた、黒い両手剣を引き抜く。
(身体加重は……ダメだ。威力は上がるけど、回避も落ちる)
数秒ごとに体力が自然回復する『生命樹の種』も使用する。
「一滴回復」
これは、体力が半分以下に減少した時、一度だけ発動し、体力を2倍に増やしてくれる。一種の保険だった。
任意での回復を放棄し、半自動的な回復に、ソーマは全てを委ねた。
「精神獣化」
視界が真っ赤に染まる。
体術、魔法、道具の使用を諦める代償として、身体能力が大きく強化される。攻撃力も防御力もだ。
もう、ソーマ本人が泣こうがわめこうが、結果が出るのを待つだけだ。
防御をしないのではなく、反射的、或いは理性的に回避も行う。ただし、直撃を受けても痛みはないから、恐れもしない。目の前の敵を屠るまで、戦い以外の行動を取れなくなるのだ。
ドラゴンの炎を避けたソーマが、今度は右側へ移動して、右前肢に黒剣を突き立てた。
ギャオーッ!
ドラゴンが痛みに叫ぶ。
黒剣の溝に沿って、ドラゴンの赤い血が鍔元まで流れてくる。
『プレデター(捕食者)』の名を持つこの黒剣は、敵ダメージの5%ほど自分の体力を回復させてくれる。
底なしとも思えるドラゴンの体力に対し、ソーマはその体力を奪うことで食らいつく。
与える攻撃や、受ける傷が、全て同じだったなら、戦闘は全てルーチンワークとなる。
しかし、被るダメージが浅い状況が続くと、ソーマの体力は上限にとどまり、自動回復は意味を為さない。
逆に、不幸な偶然が重なって、立て続けに傷を負ったなら、ごっそりと体力が削られたりもする。
一度しか効かない一滴回復が発動し、バックアップは早々に失われてしまった。
不安を抱きながらも、痛みを感じていないソーマは、全力を持って攻撃だけに専念する。
オーラに守られたソーマは無傷に見え、ドラゴンの身体だけが傷だらけで血にまみれていた。だからといって、戦いが一方的に推移しているわけではない。
現在も、ソーマを不運が襲い、体力は半分以下にまで減らされていた。
(……次に炎を浴びたら、死ぬかもしれないな)
危険を察しながら、ソーマの頭に逃走という選択肢は浮かんでこない。
滝を下るが如く、この戦闘が決着に向かって転がり落ちていく。
左側から襲ってきた尻尾が、強烈な一撃でソーマの身体をはじき飛ばす。
ドラゴンの死角から、頭部の方へ再び押し出されていた。
満を持して顎を開くドラゴン。
喉奥から炎がせり出すよりも早く、ソーマのプレデターが鼻先を斬りつける。
ボアァァァッ!
閉じぎみだった口の隙間から、火炎があふれ出る。
放射量が少なかったため、ソーマは自ら地を蹴って炎へ飛び込んだ。
一瞬でソーマは炎の壁を突き抜けた。
ドラゴンの頭部を踏み台にして、小山のような背中へと飛び乗った。
(こいつで、どうだっ!)
両手で逆手に握ったプレデターを、真下に突き降ろす。
鱗も皮膚も筋肉も貫通し、内臓にまで達する攻撃。
ドラゴンが痛みに身悶えしたため、ソーマの身体が振り落とされた。
瀕死に陥ったソーマがそうだったように、ドラゴンもまた威厳をかなぐり捨てて痛みにのたうっている。
横たわった状態のため、頭部の可動範囲が大きく制限されているようだ。
(今なら、やれるか?)
頭部へ回ったソーマを、ドラゴンが視界に捉える。
横に傾いたままのドラゴンは、顎を左右に開いてソーマを狙った。
ソーマを捉えるより早く、横殴りに振るわれたプレデターが、下あごを殴りつけて力ずくで口を閉ざす。
がら空きになった顎の下には、他と比べて一回り大きな鱗が存在した。
故事に登場する『竜の逆鱗』が、『トラフロ』では弱点の一つとして設定されている。
(ここでも一緒であってくれよ!)
切っ先を向けたソーマは、腰だめに構えたまま突っ込んでいた。
2013-08-03 熱源補足→熱源探知に修正。