第9話 酒場を訪れた勇者は酒を飲まなかった
日中、黄緑色の髪をした少年が酒場を訪れた。
17歳という年齢で酒を飲むのはこの世界において問題視されないものの、若年者が酒場に足を踏み入れるのはなかなか難しい。
一般の食堂と違って、客層に少々問題があるからだ。
昼日中に酒場でたむろしている面々等はやはり癖のある者が多いわけで、少年に向けて好奇や嘲笑の視線を向けていた。
不機嫌そうに視線を受け止めるも、怯むことなく少年は客達の顔を見渡した。
少年の名はソーマといった。
その視線を好ましいなどとは思えないが、それを理由に喧嘩を売るわけにもいかず、ソーマはマスターの目の前のカウンター席へ腰を下ろした。
「何にする?」
ずんぐりとした体格に相応しい渋い声が、注文を問いかける。
「何があるんだ?」
「ガキなら、レモン水はどうだ? 銅貨一枚だ」
「……じゃあ、それで」
ソーマの実年齢は22歳なのだが、ゲームに登録した17歳という設定によって、外見にも影響が出ているらしい。顔立ちを幾分整えていたことも、幼さく見られる一因となっているようだ。
「ほらよ」
木製のコップに注がれたレモン水は、ほのかな酸味がアクセントとなって以外に美味かった。冷蔵庫など存在しないだろうから、井戸水ででも冷やしているのも評価できる。
「美味い」
「そうか」
愛想をどこかに忘れてきたのか、ひどくぶっきらぼうな対応だ。
「……ここだと、いろんな噂話がはいるだろ? ちょっと、教えて欲しいことがあるんだ」
彼が寝泊まりしているのは教会であるため、良くも悪くも世俗とは一線を画している。教会相手では聞かせられない話もあるだろうし、情報が入ってくるのはどうしても遅れがちなのだ。
「多少はな。どんな話が聞きたい?」
「西の遺跡に多くのゴーレムが徘徊しているらしいけど、本当かな?」
教会で耳にした情報の、裏付けをするのが彼の目的だった。
「そう聞いている」
「ゴーレムの持つ魔石は高値なはずだけど、その割に職人ギルドへはあまり持ち込まれていないってのも?」
「ゴーレムは強いからな。普通なら避けて通る」
「強い……か。ストーンゴーレムだよな?」
「らしいな」
「……ふーん」
中途半端な相槌を打ったソーマに、マスターがつけ加えた。
「金にはなるだろうが、命あっての物種だ。無茶なことは考えない方がいい」
ぶっきらぼうな忠告も、マスターなりの親切なのだろう。
残念ながら、この時点で既に認識の齟齬が発生していたのだが。
「おいおい。背伸びするもんじゃねーぞ」
「ガキにはガキに向いた獲物があるだろうが。ウサギとかな」
カウンターでのやりとりを耳にした酔っぱらいが、嘲弄混じりに絡んでくる。
娯楽を欲していた彼等にとって、身の程知らずの小僧は格好の酒のつまみに見えたのだ。
「どういう人達?」
「向こうもハンターだ」
「……なるほど」
避けて通るしかなかったゴーレムを軽く扱われたことで、自分達までもが侮られたように感じたのだろう。
日中に酒を飲んでいるということからも、定時で働くような生活をしていない事がわかる。ハンターなどは昼夜兼行で働くことも多く、時間単位での生活サイクルではなく、日数単位での生活サイクルになる。彼等は、仕事明けや依頼待ちなのだろう。
「酒をおごってくれるなら、いろいろとレクチャーしてやってもいいぞ」
「そりゃいい」
ガハハハハと大笑いする一同。
酒場に置かれているのはいずれも丸テーブルで、同席する人数に制限はないため、多くても四人で囲むことが多い。客は大まかに分けて二グループ存在し、それぞれの席に着いた数は三人と四人だ。
「…………」
どう対応するか考えているソーマは、無言のままだ。
「何とか言ったらどうだ? おごる気になったか?」
そうは言いながらも、たかることそのものよりも、ソーマを困らせて意趣返しをするのが、彼等の目的のようだった。
「ゴーレムを倒した経験談なら聞いておきたい」
「……なにぃ?」
ソーマの返答を受けて、男達が怒気を立ち上らせる。
彼等を刺激した言葉を、わざわざソーマが蒸し返したからだ。
「子供の言うことだろう、笑ってやり過ごせ。お前も煽るんじゃない」
たしなめようとしたマスターに、客達が不満をぶつける。
「アンタは黙ってな。こいつは俺達の問題だ」
その言い分を受けて、マスターは不機嫌そうに口を噤んだ。
「ゴーレムを倒した人間はいないのか?」
「ゴーレムなんて関係ねえ。新顔ならそれなりの態度を取れよ」
「危険が転がっているのは、街の外だけじゃないんだぜ」
口々にソーマを威圧する。
彼等が体面を保とうとして、強気に出ているのはソーマにも理解できた。
うまい切り返しができれば良かったのだが、穏やかに場を納めるには謝罪する方法しか思いつかず、彼にはそれを選べなかった。実力がないと侮られるのも、気弱だと舐められるのも、どちらも彼にとっては不利益となるからだ。
ゆくゆくは冒険者ギルドを立ち上げるつもりなので、自らの強さを他人に認めさせておかなければ、発言権を得ることが難しいだろう。そのためにも、後々の禍根となりそうな弱腰な態度は取れない。
ゴーレムを狩ることで名前を売ろうと考えていたのだが、少しばかりその予定は早まることになりそうだ。
「じゃあ、ゴーレムじゃなく、あんた達の力を見せてくれるか?」
「……いい度胸だ。表へ出な」
○
街路に出た強面の一人が、腰の鞘から剣を引き抜いてソーマに突きつける。
これに応じて、マジックポーチから一本の剣を取りだしたソーマは、他の客の行動を見て拍子抜けした。
酒場には街路に面したテラス用の二卓があり、残りの六人は酒杯を手にしてそちらへ腰を下ろしたからだ。どうやら、仲間が勝つと思いこんでおり、生意気な新顔が叩きのめされるのを酒の肴にするつもりらしい。
彼等にしてみれば、ソーマという人物は新参者の小僧でしかない。年少しか見えないし、名前や容姿を噂話に聞いたこともない。
「てめぇ、その剣をどっから出した?」
「……なんで持ってんだ?」
「よく見てなかった」
対峙している当人だけでなく、野次馬達も視線を外してたらしく、ソーマが剣を握った場面を見過ごしていた。
彼等は革袋一つのソーマが帯刀していないと思い込んでいた。『正々堂々』と言う言葉をあまり使用しない彼等の理屈では、剣を持ち歩かない方が悪いのだ。
この世界では些細なケンカでも剣を抜く。これは、オーラが身を守るため重大な事故につながらない、という事情に由来していた。
「……内緒」
「ふざけやがって」
軽く流すソーマの態度に、男は頭へ血を上らせる。
「あんまり早く終わらせるなよ~」
「じっくり時間をかけて、思い知らせてやれ」
ソーマの劣勢を期待して送られる声援。
「任せとけ」
踏み込んできた男の剣がソーマに振り下ろされる。
キン!
金属音は一度では終わらず、繰り出される都度、ソーマがそれを受けた。
「左手が軽くて、やりづらいな」
不満を零すソーマだが、彼のライトソードは漏れなく攻撃を受け止め続けていた。
「おいおい、どうしたどうした?」
「だらしねーぞ」
期待した場面を見ることができず、観客達からは無遠慮なからかいの声が飛んでくる。
「こいつ、生意気な」
苛立ちを見せる男に対し、ソーマは涼しい顔だ。
(……この前のザジは、やっぱり実力者だったんだな)
名も知れぬ相手と戦いながら、ソーマはそんなことを考えている。
一応、相手の力量にも察しがついたため、手こずっていると思われないようにソーマも攻撃に転じた。
受け主体の時よりも、さらに金属音のテンポが上がっていた。これは、ソーマの繰り出す手数が相手に勝っていることの証明でもある。
「……ぐっ」
受け損ねた剣先が体を叩き、男が幾度もうめき声を発していた。
「なにやってんだ!」
「真面目にやれよ。ガキに舐められるぞ!」
男の劣勢は、彼を応援する観客達自身のものでもあった。自然と男への声援も、厳しい口調に変わっていた。
「うるせーっ! 黙ってろ!」
怒鳴り返す男へ繰り出されるソーマの剣。
相手が体勢を崩したところへ、ソーマの打突が立て続けに命中して、男が後方へと倒れ込んだ。
この程度の相手ならば、ソーマはスキルを使用せずとも押し切れる。
そのことを、男の方でも察したようだ。
「お、お前等も手を貸せ」
うわずった声で助けを求める男に、仲間達もようやくソーマの実力を見誤ったことを理解していた。
「野郎っ!」
椅子を蹴立てた三人の男が、ソーマに挑みかかった。
元々、四人でテーブルを囲んでいた一団で、別なグループの三人は不満そうだが静観する構えのようだ。
敵の加勢を見て、ソーマは新たにポーチから剣を引き抜いた。右手のライトソードと対を為す、左手用のレフトソード。
魔法剣士は様々な武器を扱えるという特性を持つ。例外は筋力不足となる両手斧や大槌、器用さに欠けるため鞭や弓も除外される。これらについては彼の所持品にも入っていない。
先日戦ったザジがそうであったように、二属性を扱うには二刀流が非常に有効であり、魔法剣士にとっては非常に相性がいい。
彼が今装備したのは、魔物の両翼の骨から作り出された双剣で、その名を比翼の剣という。
一対多、あるいは多属性を相手取る時は、この剣が彼の基本装備となる。
二刀流に付随する命中率低下というデメリットが、この一対ならば補正が働いて適用されない。『トラフロ』のプレイヤー達は、二刀流がメインでなくとも、敵が多い場合に備えてこの剣を持ち歩く者が多かった。
彼がこの場でこの剣を選択したもう一つ理由は、両手剣に比べて威力が低いという点にある。一撃で与えるダメージが少なければ、相手に与える傷をコントロールしやすい。
つまり、殺す心配が減るのだ。
クラウスとの間で起きたいざこざは、ゲーム的に表現するなら小イベントでしかない。
しかし、現代日本の価値観を有する彼の胸には、『人を殺してしまった』という罪悪感が深く根を生やしてしまった。
クラウス個人への思い入れなどほとんど無いが、その影響を彼は長く大きく引きずることになる。