『いじめ』
僕は、いじめを見てしまった。
「お前も書けよ〜!」
たまたま教室にいた僕に、太ったクラスメイトが笑いながらそう言ってきた。
「い、いや、僕はいいよ…。」
最初は断ろうとしていた。だけど、小学生というのは残酷なもので、少しでもノリが悪いと皆から罵倒を浴びせられた。
「お前もしかして、カンナギのこと好きなんだろ!?」
断っただけなのに、あらぬ疑いをかけられてしまう。僕は、それが嫌だった。
だから…。
「なんだ!お前もホントはやりたかったんじゃん!!」
気づいた時には、僕の手にはペンが握られていた。
油性で書かれた数々の暴言は、日が明けても消えることはなかった。
…僕は、いじめに加担してしまった。
「大人しく金を出しときゃ良いもんをよ!!」
学ランに身を包んだいじめっ子のリーダーは、女子生徒のお腹を、なんの躊躇いもなく蹴った。
「……」
リーダーは仲間たちを連れ、校舎裏から姿を消した。
そこに残されたのは、ボロ雑巾のようになったカンナギと、そのいじめを傍観していた僕だけが残っていた。
「…」グスッ
小さく鼻を啜る音が聞こえた。
カンナギをよく見ると、涙が流れていることに気がついた。
僕は今さら、彼女に対して罪悪感を感じた。
手を差し出そうとした手を、僕は静かに引く。
「…ごめん…。」
そして今日も、僕は見て見ぬふりをして、その場を去った。
カンナギは、それからもいじめの対象にされ続けた。
毎回、僕は傍観者を徹した。そうしている方が、僕のためになるから。だから、僕はいじめを止めずに、傍観し続けてしまった。
…僕は、いじめを止めなかった…。
「まだ生きてんの?お前…。」
「…ぇ…」
鈍い音が、高校の校舎から聞こえてきた。
その高校は、僕の通うところで、彼女も同じ場所で、また、同じクラス…。
「…ァ゙…」
「……ッ」
朝、少し早くついた僕が教室で見た光景は、今でも忘れられない。
「…おっ、愛咲。お前も一緒にヤるか?」
「……」
僕はトイレに駆け込み、胃液を吐いた。
初めて見るその光景は、僕には過激すぎたのかもしれない。
もしくは、罪悪感が耐えきれずに、すべて崩壊したのかもしれない。
頭によぎる度に、僕は何度も吐いた。
「愛咲!?大丈夫かよ!?」
僕のことを心配する声が聞こえ、ようやく僕は、意識をハッキリさせる。
目の前にいた晴政の肩を持ち、僕は教室へは行くなと忠告した。
彼は戸惑いながらも、理解を示してくれた。
…僕は、いじめを超えたその行為を、止めなかった。
「……にゃー…」
「…」
初めて、彼女がいじめられていない姿を見た。
子猫を指で優しく触れながら、猫と共に彼女も「にゃー」と言っている。
その姿に、僕は胸を締め付けられた。
「…何してんの?」
「…あっ…」
思わず声をかけてしまった。彼女は声をかけられたことに驚き、目を見開いていた。
その目は、次第に恐怖の対象を見る目へと変わっていった。
そんな目を見て、僕はさらに胸を痛めた。
「…ごめん…」
「……」
少し遠ざかる僕を見て、彼女は少しだけ目つきを和らげてくれた。
視線を僕から猫へと移し、再び撫で始めた。
僕はそれを、少し距離をとったところで見守った。
「…猫、好きなんです…。」
「…そうなんだ…。可愛いよね」
猫に向けていた目を、僕の問いに対する答えを口にした。
言葉のボールを返してくれたことに、僕は少し驚きつつ、肯定的な回答をした。
彼女は視線を猫に戻し、少しだけ微笑み「はい、可愛いです」と返してくれた。
その仕草は可愛らしく、少しずつ僕の興味を惹きつける。
「…っ!」
ガシッ、グイッ
「…わっ!?」
突然僕の腕を掴み、彼女は人気のない路地に入った。
何事かと思いながら、僕は彼女が僕の腕を掴むその小さな手を見つめながら、彼女が止まるまで足を動かした。
路地を走り始め少ししたところで、彼女はスピードを落とした。
「…ごめんなさい…」
「…大丈夫。…どうして、走ったの…?」
相変わらず進むのをやめない彼女に、僕は尋ねた。
彼女は少し間を置き、応えた。
「…いじめっ子、いたから…」
僕の腕を掴んでいた手を見ると、小刻みに震えていることが分かった。
それに気づいたからと言って、僕は彼女に、何かをしてあげる、することはできなかった。
僕が慰めることなど、許されるはずがない…。
…僕は、臆病だった…。
「…今日も、二人になれたね…」
「…キミは、倉庫に閉じ込められていたからね…」
あの日から数日が経った放課後、僕は体育倉庫に閉じ込められた彼女を解放し、誰にも見つからないように、裏道を使いながら帰っていた。
あの日以降も、彼女はいじめられ続け、僕もそれを傍観し続けていた。
「…今日のいじめ、昨日のより楽に感じた…、なんて…」
「笑えないこと言わないで…、でも、楽な方がいいでしょ…?」
彼女は微笑すると、「そうだね…」と言った。
僕とカンナギはゆっくりと歩きながら、沈みゆく太陽を見つめた。
「…太陽って、すごいよね。…ずっとみんなのことを見守ってくれて…、本当に尊敬できるよね…」
「…そんな事を言う性格じゃないでしょ。でも、確かにすごいよね…。」
微笑む彼女にそう返した。
僕は、少しずつ辺りが暗くなっていくのを見ながら、切なさを感じていた。
「…私、もっと早くキミに会いたかったかも…」
「…ごめん…」
…それから僕らの間には、沈黙だけが流れた。
「………」
彼女は、その日もいじめられていた。
きっと明日も、その先も、ずっといじめられるのだろうと、僕も彼女もわかっていた。
「…何で、いじめって起きると思う?」
「…その人が、いじめてる人のこと、嫌いだから…?」
「…それもあるのかもね…。でもね、私の場合は違うと思うんだ…」
「キミの場合?」
僕の背中に顔を埋め、コクリと頷いた。
「…私の家はね、成金、なんだって…」
「…成金…。それって、すごいことなんじゃ…?」
「…うん、すごいことだよ。だって、底辺から頑張って這い上がってきたんだ…」
「…じゃあ、なんでそのせいでいじめられるの…?」
カンナギは少し間を置き、その問いに答えた。
「…成金はね、同じ貧乏だった人達から憎まれて…
…同じ金持ちからは疎まれる存在なんだよ…
そして…、そんな成金から産まれた子は、穢れた存在なんだって…。おかしな話だよね…」
「うん…、とっても変な話…」
僕は胸糞悪いその話を聞き、なぜ彼女を助けてあげなかったのかと、今更になって懺悔を胸の中で叫び始めた。
感情が吐瀉物のように混ざり合い、口の中を言い表し難い妙な味が舌に絡めついてくる。
僕はそれらを唾とともに飲み込もうとするが、なかなかその味は消えない。
「…そいつらは、きっと羨ましいんだろうね…。
自分たちじゃ、貧乏から脱することができないからさ…。だから…」
「その通りだよ。
…羨ましいから、それを成し遂げた奴が凄いから…。
だから妬むんだよ。」
彼女は僕の言葉を遮りそう言うと、僕の首の前にあった両手を、力強く握りしめた。
握りしめられたその手は、小刻みに震えており、力を精一杯込めているのだと、すぐに理解した。
「…愛咲くんは、どうして私に話しかけたの…?」
「……それ、は…」
…僕は、それに応えることができなかった。
「……今日は、何もなかったね…」
「…そうだね、まぁ、何もない方がいいでしょ」
「…うん、不気味ではあるけど…、良かった…」
カンナギは小さく微笑み、少しだけ走り、こちらへ振り返った。
「…元気な私、珍しいでしょ?」
「……うん。初めて見たかも」
「初めて、なんだ…」
彼女は頬を膨らませると、「そうだね」と言い、プイって顔を背けた。
「…これからも、いじめのない日が続くといいね」
「…うん!」
いじめのないそんな未来は、彼女にやってくることはなかった…。
今回のメイン
愛咲 リンネ
神凪 シュウ




