08 聖女様はマリー様
「ハイファンは知ってますけど、ヘリータウンってどこです?」
急にそんなことを言われても、私はこの世界の地名なんてよくは知らない。ジークベルトもそれは承知していたようで、詳しい説明をしてくれた。
この国と魔王国をつなぐ主なルートは、さっきも説明したオーデルを経由する道だ。これがいわばメイン・ルート。このあたりは広い平原になっていて、立派な街道が作られ、多くの人が暮らしている。
そしてこれ以外には、大きな道はない。というのも、両国の間は基本的に山脈で区切られていて、ブルッヘ平原のあたりだけが、例外的に山が低くなっているからだ。だからこそ、そこに街道があるわけだね。
ただ、メインルート以外にも、道がまったくないわけではない。山岳地帯にも、いくつかの小さな道が作られている。そのうちの一つが、ヘリータウンを経由する道なんだそうだ。
周囲の人口は少なくて、道沿いにはさして大きくない街が点々としている程度。なんだけど、一応はカーペンタリア王国の王都であるモレーンからアムダリヤまで、一本の道が通じる形になっている。いわばサブ・ルートだ。
王国と魔王国の戦いは、メインルート沿いで行われている。サブルート方面は基本的に山道で、ところどころに急峻な崖があって、ほとんどけもの道と言っていいような、極端に狭い道になっているところがあるからだ。
道なんだから通行できないことはないんだけど、こんなところに大きな軍を移動させるのは不可能。そのため、実際の行軍や戦闘は、こっちでは行われていない。当然ながら、私たちもメインルート方面へ進んでいく予定だった。
ところがつい最近になって、メインではなくサブのルートを通って、魔王国の王都に直接攻撃を仕掛けることに変更されたんだそうだ。
「いわば、敵の王都を狙う奇襲部隊、といったところだな」
「ちょい待ち。向こうの王都に行くのはいいんやけど、はたしてそこに魔王さんがいるんかな。うちらの目的は、魔王さんなんやろ? だからこそ、光魔法を持っとるうちが、わざわざ出向いていくんやし。王都なんかに行っても、空振りになるんと違う?」
「いや。前線からの報告によると、今のところ、魔王は王都から動いていないようだ。
確かに魔王自身の戦闘能力は大きいが、だからといって常に軍の先頭に立って戦うとは限らない。もしも自分が倒されてしまったら、国にとっては大打撃だからな。出てくるとしたら、戦いが佳境に入り、この一戦が戦局の重大な分岐点になる、そんな時だと見られている。そうなる前に、王都で油断しているだろう魔王に奇襲をかけるんだ。
この作戦を成功させるため、我々の動きは極力、魔族側に気取られないようにしなければならない。もしも知られれば、例えば狭い道に伏兵を置くなど、敵に様々な対応をされてしまうだろうし、そもそも知られた時点で、奇襲の意味が無くなる。
我々が少人数で行動するのは、このためだ」
あーなるほど。供をつけず、装備もごく普通なのはそのためなのか。ちょっとだけ納得。王子や私が髪と目の色を変えたのも、姿形を知っている人に見破られないためだったんだね。王子の金髪も、私の黒目黒髪も、けっこう目立つみたいだから、
ただ、そうだとしても、やっぱりわからないことはある。
私はともかく、どうして王子様が、そんな方面に行くことになったんだろう。普通ならメインルートの方で、武名を上げようとするんじゃないかなあ……。
それに、魔族に知らせたくないというのなら、なぜ出発の時に、王妃様に会わせるようなことをしたんだろう? あんな事をしたら、王都に潜んでいるかもしれない魔族のスパイ(たぶん、この世界にだってそういう人はいるよね)に知られる危険が、高くなるだろうに。うーん、わからん。
でも、考えてみたらこれって、悪いニュースではないよね。
戦場に行かないってことは、戦いから遠ざかっていられる、ってことだ。サブのルートは、アムダリヤのけっこう近くまで、山岳コースが続くらしい。山岳コースが終わるまでは相手の軍隊もあまりいないだろうし、いたとしても、できるだけ戦いを避けて進むはずだ。ここに変なやつがいるよ、と相手に知らせてはいけないんだから。
まあ、アムダリヤに着いてしまったら、魔王と戦わなければならないんだけど、もしかしたらその前に、戦争が終わってるかもしれない。お城で聞いた話では、メインの戦場での戦いはヒト族の軍が優勢らしいし。戦争が終わらないまでも、魔王が王都を離れるような戦況になってくれれば、話は同じだ。
さっきは空振りって言ってしまったけど、私としては、空振りになってくれるのが一番いいんだよね。そうなれば、一度も戦わずにすむかもしれない。──って、ちょっと待った!
「いやいやいや。一応、話はわかったけど、それにしてもなんでこの二人なん? 二人だけで魔王を倒すの? いくら奇襲っちゅうても、それはないんやない?」
「いや。これから向かう学園都市ハイファンで、同行者と合流する予定だ」
「そやろなあ。まあでも、少し安心したで。二人っきりの旅じゃなくて」
「そうだ。一人が加わって、合計三人になる」
それでも三人なのかよ! とツッコミたくなっけど、王子様の頭をはたくのは、さすがに控えることにした。
ジークベルトは続けて、
「こういう次第なので、行く街々で『王子』や『聖女』としてふるまうことは避けてほしい。聖女が誕生したことは公にはされていないが、王城内にも魔族のスパイがいる可能性はあるからな。相手に知られていても、おかしくはない。だから旅の間、私は君を聖女扱いはしないし、君もまた、私を王子扱いしてはならない。わかったな」
「了解やで。ほなら、これからはうちのこと、別の名前で呼ぶことにせえへん?」
「別の名前?」
「そうや。聖女はんの名前も王子様の名前も、普通に知られてるんやろ? なら、うちらが聖女と王子の名前で呼び合うのは、やっぱりまずいんと違うかなあ。変に疑われそうやし。
ちゅうわけで、うちは元々の名前の、真奈っちゅうことで──」
「いや。聖女様をそのような名前で呼ぶことは許されない」
ジークベルトは即座に首を振った。そういえば王城の騎士や魔導師の人に、マリー呼びはどうにかならないか、って頼んだ時も、同じような答だったなあ。よくわからないけど、このあたりはなにか宗教っぽい理由があるんだろうか。縁起が悪いとか、風水がよくないとか、そんな感じの。
そのうえ、『マリー』という名前の女性は、この世界ではわりと多いらしい。聖女様の名前にあやかって、そうなっているのかも。聖女の正式名称はもっと長いので、『マリー』の名を子供につけても、不敬にはあたらないんだって。
おんなじ事を、ジークベルトからも言われた。だから、名前だけで聖女とばれることはないだろう、って。この機会にマリー呼びをやめてもらおうと思ったんだけど、やっぱり無理なようだ。しかたないね。ただその代わりに、私はちょっとした意趣返しをすることにした。
「そうかあ。なら、うちの代わりに、おたくの呼び方を変えるしかないな。そうやなあ、ジークベルトさんやったら、ジークが簡単かな。わかりやすいし、うっかり間違えることもなさそうやし。どうや?」
こう言うと、ジークベルトは微妙に嫌そうな顔をした。まさか王子である自分が、こんな相手からあだ名みたいな呼び方をされるとは思わなかったんだろう。けれど、私の言い分にも理があることは、認めてくれたらしい。不承不承という感じながら、ジークベルトはゆっくりとうなずいた。
私はにっこりと笑って、
「ほならジーク、改めて、これからよろしゅうな!」




