69 決戦
本話からいよいよ終章に入りますが、その前に作者より一言。
本作では、いわゆるパラレルワールドとか、「世界線の違う世界」といった内容は扱っておりません。また、夢や幻想のたぐいも描いておりません。
全ての物語は、同一の世界線で起きた、その世界での現実の出来事となっていますので、念のため、ご注意下さい。
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アイトイの街を出て十日ほどが経った頃、私たちはついに山岳地帯を抜けて、広い平原地帯にでた。
街長のホロイズがくれた地図はけっこう正確なものだったらしくて、小さな脇道もちゃんと記載されていて、道に迷うことはなかった。また、彼が私たちを裏切って魔王国に通報……なんてこともなかったようで、兵隊とかにも会わずにすんだ。ずっとテント泊だったのは、ちょっと疲れたけど。
山岳地帯を抜けたとは言っても、道はまだなだらかな下りが続いていた。それでも、ここまでずっと山道だったから、平原の景色を見るのも久しぶりだった。
山に入る前に見た景色と、それほど違っているわけではない。それなりに整備はされてるけど、凸凹の残る街道。そこから見えるのも、畑と原っぱと遠くに見える山並みだけ。道沿いに建物がほとんど建っていないのも、カーペンタリア王国の王都モレーンを出発した時とそっくりだった。違うのは、たまにすれ違ったり、畑で働いている人の髪の毛が、黒髪だったことくらい。
でも、そのささいな違いが、大きな違いでもあった。つまりここは、魔族の国、アンタイル魔王国のど真ん中なんだ。
ここまで来れば、魔王国の王都であるアムダリヤまで、それほどの距離はない。せいぜい、1日か2日程度。目の前の平原は、王都の前に広がる最後の平原なんだ。実際、草原の向こうの方には、たぶんあそこが王都がなんだろうと思われる大きな街の外壁のようなものが、うっすらと遠くに見えていた。
そうか。いよいよか……。
ここまで来れば、そろそろ魔王と戦う覚悟をしなければならない。もちろん、ヒト族との戦争がまだ続いていて、魔王が王都に残っていなければ、だけど。できれば、もう戦争が終わっていますように。そうでなくても、魔王があそこにはいませんように……。
ジークの決意からはちょっとずれてしまうことになるけど、私はこんなふうに願わざるをえなかった。
けれど、どうやらそんな私の願いは、かなうことはないらしかった。
林の中の道を抜けて原っぱに出たところで、私たちは申し合わせたように、ぴたりと足を止めた。
「なんだ、あそこに見えるのは?」
「どうやら、魔族の軍勢のようだな。我々以外の敵が目的という可能性も、ないではないが……。
このルートは、カーペンタリア王国との主戦場ではないはずだ。そんなところに陣を張っていると言うことは、まず間違いなく、我々を待ち構えていると考えるべきだろう」
トライデンの問いに、ジークが答えた。彼らの言うとおり、数百メートルほど先の原っぱには、魔族の兵隊の一団がいた。まるで私たちを逃がすまいとするかのように、ずらりと横一列に、騎士や兵士が並んでいる。
「まさかとは思うが、ホロイズのじいさんが知らせたんじゃないよな?」
「違うだろう。もしもそうだとしたら、ここではなく、山中に兵を伏せていたはずだ。山の中であれば、不意打ちするのに都合のいい場所など、いくらでもあったからな。
おそらくは、ヘリータウンからの情報だろう。あの街では、騒動の解決にあたって、我々の身分を明かさざるをえなかった。魔王国がその情報をつかんでいても、おかしくはあるまい」
「でも、それにしては兵の数が少なくないですか? あそこに並んでいるのは、せいぜい数十人くらいですよ。主戦場のブルッヘ平原の方に兵を取られて、こっちには手が回らなかったのかな」
「それもあるだろうな。また、ヘリータウンから情報が入っていたとすれば、アイトイからアムダリヤまでの街道に兵を置いていたに違いないから、そちらにも兵を割かれたのかもしれない。
だが、一番の理由は──兵の数は少なくても、その中に強大な戦力があれば、それだけで十分、ということだろう。
あそこに、魔王がいる」
ジークは、兵の真ん中あたりに立っている騎士を指さした。その騎士は真っ黒な全身鎧を身につけていた。頭にも黒の兜をかぶっていたので、いったい中身はどんな人なのか、外からうかがい知ることはできなかった。
ただ、確かにその騎士──いや、もう魔王と呼んでしまおう。その魔王からは、尋常ではない質の魔力というか、魔力の「余波」のようなものを感じることができた。
「歴代の魔王は、漆黒の鎧を身につけていたと伝えられている。おそらくはあの黒い鎧が、それなんだろう」
「あれが魔王なのか? ……間違いなさそうだな。俺は魔力ってのはうまく感じ取れねえが、あいつのいるあたりからは、いかにもヤバそうな感じがビンビンと伝わって来やがる。どうする? 魔王に向けて一撃仕掛けるか、それともまずは、魔王のまわりの兵から、先に片付けるか?」
「ちょっと待って! 向こうはなんか、仕掛けてくるみたいだよ!」
エイブラムが叫んだ。
彼の言ったとおり、魔王の魔力に大きな変動があった。それまでは周囲の空間に霧散していた魔力の余波が、まるで渦を巻くように、魔王を中心に収束していったんだ。そして魔王は、その左手を私たちの方に向かって突き出した。魔力の渦は、その手の前にどんどん集積していき、まるで真っ黒な立方体が浮かんでいるかのように見えた。
「なるほど。どうやら向こうは、魔王の魔法攻撃で決着をつけるつもりらしい。魔王の力をあてに寡兵で現れたのなら、まずはその力を使おうとするのが道理、か。となればこちらは……。
マリー、応戦を頼む!」
ジーンの呼びかけに、私は答えなかった。そうする代わりに、呪文の詠唱を開始した。相手はもう攻撃魔法、それも相当に強力そうな闇魔法の詠唱を始めている。あれに対抗するには、同じくらい強力な光魔法を撃つほかはないだろう。それができるのは、私しかいないんだ。
ボス戦の時くらい、戦う前に言葉のやり取りとかがあるのかな。それでもしかしたら、少しは意思の疎通ができたり、戦いを回避することなんてできないのかな……なんてなんとなく思っていたんだけど、どうやらそう言うわけにはいかないらしい。
「<時間的間隔と空間的間隔は
光により ゼロの符号により
統一感ある生きる時間を経て
純粋な持続のマドレーヌとなる>」
詠唱を始めた私は、魔王と同じように、左手を前に掲げた。私の手の先に、白く光る立方体が現出する。そして、詠唱を続けると共に、立方体の内側には魔力が集積されていった。集積と同時に魔力は圧縮されていき、その輝きを増していく。
「<相対性の厚み 位相学的、目的論的な深さは
大きさであり次元でもある一方向を保有し
宇宙を測定する全方位への光は
運命の共同的考察へ溶解していく>」
魔力の集積と圧縮は、すでにこれまで経験したことがないくらい、巨大なものになっていた。ちょっとでも気を抜いたりしたら、それを封じ込めている立方体がたちまち崩壊して、魔力が暴発してしまいそうなくらいに。けど、まだこれで終わりじゃないんだ。
私は、暴発が起きないよう細心の注意を払いながら、呪文の詠唱を続けた。
「<その形態学的現実は
永遠の現実に転移され
永遠のスケールにくりこまれて
来たるべき躍動のスペクトルとなる>
……<ヘブンズ・ゲート>!」
詠唱が完了した。
詠唱に引き続いて魔法名を叫ぶと、立方体の面の一つ、魔王を向いた側に変化が起きた。面の真ん中に一本の亀裂が入り、あっという間に飛散したんだ。閉じ込められていた檻から、光の魔力が解放される。それは巨大な濁流となってほとばしり、魔王軍に向かって一直線に走って行った。
ほとんど同時に、魔王の前にあった立方体からも、闇の魔力が発射された
光と闇は正面から激突して、まるでお互いを取り込もうとしているかのようにねじり合い、絡み合った。激しい明滅が繰り返され、対消滅した魔力は熱となり力となって周囲の地面を赤熱させ、激しい砂埃を巻き上げた。
だけど、そんな均衡が成立していたのは、ほんの一瞬だった。
光の濁流は、その圧倒的な力をもって、闇の濁流を完全に飲み込んだ。
そしてあっという間に、闇を生んだ術者と、その周囲にいた者たちに襲いかかった。相手は反応する暇さえなかった。光の魔力は魔王の体に衝突すると、目のくらむような、いや、光で目が焼け付いてしまうような、爆発的な輝きを放った。
輝きは、すぐに収まった。しばらく時間が経つと、焼けてしまったかと思えた私の目も少しずつ回復してきて、あたりの光景が見えるようになってきた。私はすぐに、魔王や魔族の兵士たちが立っていた、原っぱの方を見た。
そこにあったのは、地面に転がっている、漆黒の鎧だけだった。
魔王の左右に整列していたはずの魔族の軍勢は、きれいに消滅していた。私たちは、しばしの間その場に留まっていたけれど、黒い鎧はぴくりとも動かない。そこで、万が一の反撃を警戒しながらも、鎧の落ちている場所に近づいていった。
近くまで来てみると、軍勢が消えたと思ったのは間違いだったとわかった。周囲の地面には、そこかしこに鎧や剣の破片らしきものが散らばっていたからだ。どうやら彼らの体は、光魔法の威力で爆散してしまったらしい。そして鎧のそばに立った私は、もう一つの間違いに気づいた。
鎧は、ただ倒れていたんじゃない。その内側に、魔王の肉体が残っていたんだ。
けれどもその体は、光の魔法によってさんざんに蹂躙されてしまったらしかった。特に下半身の損傷はひどくて、腰の部分で完全に分離している上に、股、膝、足首といった鎧の継ぎ目ごとに、大量の出血と、なんだか肉塊のようなものが噴き出していた。
また、兜をかぶっているから直接には見えないけど、顔や頭部も大きく傷ついているらしい。兜の下の地面に、赤黒い血が流れ出ていた。
あまりの悲惨な状況に、私は一目見ただけで、顔をそむけてしまった。
「これが魔王の鎧か。鎧自体は、マリーの魔法を受けても傷一つないようだ。他の騎士や兵士はほぼ消滅しているのに、魔王の体だけが残されたのは、この鎧の持つ防御力のおかげだろうな」
「ですけど、それが良かったかと言われると、なんとも言えませんね。なにしろこの状態では──!」
エイブラムが急に言葉を切り、私もあわてて、よそに向けていた顔を鎧の方に戻した。
完全に事切れていると思っていた、魔王の体。その体を収めている鎧の中から、弱々しい声が響いてきたからだ。
「……貴様、聖女か」
頭には兜をかぶったままなので、魔王がどんな顔でどんな表情をしているのか、うかがい知ることはできない。けれど、ほんのわずかな兜の動きから、魔王が間違いなく私に顔を向けているのはわかった。
私はうなずいて、
「そういうあんたは、魔王のゼウロンさんやね?」
「そうだ……どうやら貴様は、召喚されたマレビトのようだな」
「ようわかったな。そうや。うちは地球っちゅう星の日本っちゅう国から、いきなりここに呼ばれてきたんや。ほんま、迷惑な話やで」
「やはり、そうか。しかし、なぜマレビトの貴様が、このような真似をするのだ」
「なに言うとんねん。あんたが魔王になって、あんたんとこの国が戦争を起こしたからやろ。もちろん、召喚なんかしたのはカーペンタリア王国とかいうヒト族の国で、それにはうちも、けっこう頭にきとるんやけどな。でも、そんなことになったもともとの原因は、あんたんとこが作ったんやないの」
私がこう答えると、魔王はふっ、と軽く息を洩らした。どうやら私は、瀕死の魔王に鼻で笑われたらしかった。
「我々が戦争を起こした、だと? 何を馬鹿なことを言っている。こたびの戦争を仕掛けてきたのは、カーペンタリア王国の側ではないか。
……だが、私が言いたいのはそんなことではない。先ほど問うたのは、なぜマレビトがヒト族の側についているのか、と言う意味だ。マレビトであれば、我ら魔族の側についてしかるべきだろう」
「ん? それって、どういうこと?」
「知らぬのか? 我ら魔族の祖先は、異世界から来たマレビトなのだ」
「マレビトが祖先、ってどういうこと? どうして地球の人間が、魔族にならないといけないの?」
私の言葉からは、久しぶりに関西弁が抜けていた。自分では気づかなかったけど、よっぽど動揺していたらしい。
けれども魔王は、私の質問に答えなかった。しばらくの間が開いた後、さっきよりもさらに弱々しくなった声で、
「……どうやら私には、あまり多くの時間は残されていないらしい。だから貴様には、初代魔王様から伝えられてきたお言葉を、教えておいてやろう。
真祖様は、同じマレビトの仲間と酒を飲み交わした時などに、こんな言葉を漏らしていたそうだ。今の我々には、その意味を理解することが出来ない。もしかしたらマレビトにだけ意味の通じる、一種の符丁なのかもしれない。
その言葉とは……」
また、長い間が明いた。もう終わりかな、と思ったら、ヒュー、とかすれるような音が漏れた後に、
「……『フトンガフットンダ』」
この言葉を最後に、魔王は息絶えた。




