68 【Side:魔王】 一つの終焉
魔王ゼウロンの前に広がっていたのは、ある意味、壮観とも言える眺めだった。
巨大な街を守る背の高い外壁と、壁の前に整然と並んだ、兵や騎士たちの姿。その数は、軽く万は下らないだろう。そんな大軍が、わずか数十の魔王軍に対して、きれいな隊列を組んで対峙していたのだ。
兵たちの装備は、カーペンタリア王国正規軍のそれだった。軍としての規律もよく守られているらしく、魔王たちの姿は既に目に入っているはずなのに、整然とした隊形を保っていた。
魔王軍幹部のジスランが言った。
「さすがにエファンほどの大都市となりますと、かなりの軍を持っているようですな」
「今度の相手は、カーペンタリアの国軍だからな。これまでのは街の貴族が持っている領軍だったが、小さな街の領軍となると、どうしても質が下がってくるんだろう。おや? あの男は……」
魔王軍四天王の一人、ゼルファーが首をかしげた。彼の視線の先にあったのは、一人の騎士の姿だった。騎士は既に抜剣しており、手にした剣の刀身は青い光を帯びている。同じく四天王の一人、ドレアムが尋ねた。
「知っているのか、ゼルファー?」
ドレアムとしては、特に深い意味を込めた質問ではなかった。だがこの一瞬、ゼウロンの体から大きな魔力の高まりが感じられた。それはまるで、ドレアムの言葉に対して強い怒り、あるいは悲しみを感じているかのようだった。
だが当のゼルファーには、魔王のこうした反応の理由がよくわからなかったらしい。魔王を一度振り返り、少し首をかしげてから、
「……いや。あの男に特に興味があるわけではないが、彼の持つ魔法剣が気になってな」
「ああ、あの光を放っている剣か。見た目は派手だが、魔法剣としてはごく普通の出来だ。そこまで警戒を要するものではないだろう。
それにしても、あの騎士はどういうつもりなのかな。まだ戦いが始まってもいないのに、自分の魔力を無駄遣いしている。よほど魔力量に自信があるのか、それとも戦いの経験が浅いため、緊張して気がはやっているのか」
「いずれにしろそのような者は、たいした相手ではないでしょうな。とはいえ全体を見れば、今回はかなりの大軍です。魔王様、どういたしますか」
ジスランの問いに、ゼウロンが答えた。
「兵たちは、いったん後ろに下がらせよう。その上で、まずは私が闇魔法を放ち、敵の大半を壊滅させる。残った敵を、おまえたちで処理してもらいたい。兵たちには、おまえたちの補佐にまわってもらうだけで十分だ。そして敵軍を掃討した後に──」
その瞬間、戦場に白い光の線が走った。
その強烈な光は、街の外壁の上に設置された、見張り台から放たれたものだった。それは避ける間もなく魔王の立つ場所に命中し、周囲にいる者の目をくらませるような、大きな輝きを放った。
ヒト族側の陣の奥深く、軍の司令部が陣取っていると思われる場所から歓声が上がった。
「やった、命中したぞ! 思い知ったか魔王! これが聖剣の威力だ。貴様ら魔族など、この聖剣の前では、ただの塵芥に等し──」
言葉が途切れた。光魔法の輝きが収まった後、ヒト族たちの目に映ったのは──、
元いた場所に立ったままの、魔王の姿だった。
魔王の装備する漆黒の鎧には、傷一つ付いてはいなかった。ゼウロンは敵の発した声などには興味がない様子で、視線を下に落とした。そしてその場にひざまずき、彼の前に倒れていた体を、優しく抱き上げた。
倒れていたのは、クセ毛の黒髪が特徴的な魔族の男、ハイラインだった。
彼の背中には、大きな穴が開いていた。それは、高熱や爆発によってできた物ではなかった。聖剣による光が命中した箇所が、まるで急速に風化しているかのように、細かい砂となっていったのだ。その風化は、まだ収まっていなかった。背中の穴は今もゆっくりと拡大し続け、ハイラインの体全体に及ぼうとしていた。
ゼウロンに抱かれたハイラインは、苦しげな表情の中に、笑みを浮かべた。
「おお、魔王様。ご無事でしたか。体を張った甲斐がありました」
「……ハイライン。なぜおまえがここにいる。なぜ、このようなことをしたのだ」
「ついさきほど、王都の『子供』たちから、情報が入りましてね。聖剣が王都から運び出され、今回の戦いに使用されることになった、とのことでした。ただ、さすがに今度の作戦は厳重に情報統制がされているらしく、私の子供たちも、それ以上詳細な内容を持ってきてはくれませんでした。
聖剣は光魔法を放つ法具です。いったん発射されたら避けるのは難しく、そしてこれまでの歴史が証明しているとおり、命中すればまず助かりません。その上、射程距離が長く、命中精度も高い。非常に優秀な法具であることは、間違いありませんでした。
ですが、その優秀さ故に、相手は油断しているかもしれない。特別な偽装工作などはせず、見晴らしが良く兵員の配置も容易な、見張り台のような場所に設置するかもしれない。私はそう考え、あの外壁にある見張り台の近辺を、全精神力をもって探知していたのです。その甲斐あって、聖剣を持っていそうな術者を発見することができました。
ですが、その時にはもう発射の直前で、私にはあなたの前に体を投げ出すしか、できることがなかったのです。
それでも、そのおかげで、こうしてあなたをお助けすることができました……」
「私には、そのような法具など効かない。たとえ聖剣の魔法を浴びたとしても、ヒト族を滅ぼすまで、この体が滅することなどない」
ゼウロンは言った。だが、それは強がりなのかもしれなかった。すぐに付け加えて、
「だが、此度はおまえのおかげで助かった。礼をいうぞ」
「……ありがとうございます。
魔王様。私が身も心も捧げ、永遠の忠誠をお誓いするのは、あなただけ……」
そう答えている間も、ハイラインの風化は進んでいった。やがて彼の体はすべてが砂となり、ゼウロンの手からこぼれ落ちた。
ゼウロンは立ち上がった。
そして、そのまま何も言わずに、魔法の詠唱を始めた。
「<露出する時間とは 持続なき一瞬の時間
物理学的で機械論的な近代的時間
流動的な命の流れが失われる
生気無き生の時間>」
「魔王様、その魔法は──!」
ジスランが叫んだ。だが、ゼウロンは彼を顧みることなく、詠唱を続行した。
「<その魔はまさに
測定限界を超えた一つの客観状態となり
おのおのの諸粒子はエネルギーの理想粒子となって
おのおのの位置を測定の外に置く>」
「総員待避、待避ー!」
ドレアムが、自分たちの後ろに並んでいる兵に命じた。魔王軍の兵士たちは驚きの表情となり、後ろを向いて駆け出した。
その間も、魔王の詠唱は続いていた。
「<複雑で 超静的で ウィルス的な系は
指数的に 位相幾何的に もしくは指数関数的に
偏心性に 離心性に もしくはフラクタルに
不安定な無限増殖に捧げられ そこから逃れられない>
……<クリティカル・ディケイ>」
とうとう、魔法名が宣告された。
最初に起きたのは、小さな爆発音だった。
それは外壁の向こう側、街の中から聞こえたように思えた。たいして大きな音ではなかったため、ヒト族の兵士数人が、後を振り返った程度だった。ほんの一瞬、空に浮かぶ雲の下側が明るく照らされた──街の内側からの光によって照らされたのを見た者もいたが、大半は何の異常も発見できずに、顔を戻そうとした。
だが、彼らの顔は、すぐに驚愕の色に染まった。
自分たちの背後にある街の外壁。巨大で堅牢なはずの壁が、突如としてひび割れたからだ。そのひび割れはあっという間に広がり、その上にあった物見の塔やバリスタもろとも、一瞬のうちに崩れ落ちた。
少しして砂埃が収まった後、瓦礫の向こうに見えた光景もまた、驚きのものだった。
立派な建物が建ち並び、にぎやかな商店がひしめき、たくさんの人や馬車が行き交っていたはずの街。だがそこにあったのは、その手前に転がる外壁のなれの果てとそっくりな、瓦礫の山だった。中には人の姿も見えるが、みな地面に倒れるか瓦礫に埋もれており、動いているものの姿はない。
兵士は声を上げて、異変をまわりに知らせようとした。だが、それはかなわなかった。
その時には、彼自身の体もまた、崩れかけていたからだ。
聖剣の攻撃のように、砂となるわけではなかった。ただただ、そこにあったものの形が崩れていったのだ。緊密に連携して生命を維持構成していたはずの物質が、ただのモノのかたまりとなり、兵士は意識を保つことも出来ずに、地面に倒れた。他の兵士や騎士たちも同じ運命をたどり、ヒト族の軍一万余はそれぞれが微妙に崩れた形となって、音もなく全滅した。
それは兵士だけではなかった。街全体が同じ運命をたどり、見渡す限りのものが形を失い、崩れ去っていた。この街には少なくとも数万のヒト族が暮らしており、瓦礫に埋もれずにすんだヒト族の姿も、少なからず見ることができた。だが実際には、生き残っているものは一人もいなかった。
ただし、王都から持ち込まれた「聖剣」だけは例外だった。瓦礫の中に埋もれてはいたものの、聖剣自体は、以前と変わらない形を保っているように見えた。だがそれは、命あるものが手にとることは、既にできなくなっていた。
なぜなら、さきほどの魔王の魔法が起こしたのは、この世界を構成する要素の一つである「魔素」の崩壊だったからだ。
崩壊した魔素からは、強い貫通力を持つ魔力が四方八方に放出され、周囲を飛び交った。その魔力が別の魔素に衝突すると、再び魔素崩壊を起こして、新たな魔力を生む。こうして連鎖的に生まれた魔力の暴走が、物質と物質との連結を引きちぎる致死性の魔力となって、周囲に充満していたのである。
こうして生じた断裂は、一旦は回復しても、魔力によって再び引きちぎられた。そんなことが繰り返されて、物質のつながりは少しずつずれ、歪んでいった。そのため、元の形や生命を維持することが出来なくなっていたのだ。
たとえ聖剣であっても、この汚染から免れられなかった。
聖剣内部の、光魔法を生み出す法具の本体部分は、崩壊を免れてはいた。また、それを包む刀身やそれを収める剣の鞘、装飾の施された柄なども、いくぶんは歪んだものの、なんとか残存していた。だが、魔力の汚染自体は、確実にその内部にまで及んでいた。まるで、この世界ではまだ知られていない放射能のように、聖剣を蝕んでいたのである。
この汚染は、簡単に消えるものではない。おそらくはこの先数十年、いや数百年にわたって、この一帯は「死の世界」であり続けるだろう。
それは、あからさまで異様な、一つの終焉だった。
この光景を前にして、ドレアムもゼルファーも何も言わなかった。
彼らの周辺のものは形を保っているから、汚染はここまでは及んでいないらしい。それでも、目に入る物だけで伝わってくる終末の予兆のようなものが、彼らの体を静止させ、言葉を奪っていた。常であれば魔王を讃えてやまないジスランでさえ、「ま、魔王様。できるだけ急いで、この地を離れましょう」と口にするだけだった。
ゼウロンは言った。
「これで、この地はこの先、何人も立ち入ることが許されなくなった。ハイラインの体は失われ、埋葬することもかなわなくなってしまったが、私はこの禁断の地をもって、彼の墓標とすることとしよう。
我々は、このまま敵の王都をめざす。そして偽りの聖女もろとも、彼らをせん滅する」
これにて、第5章が終了となります。
次章では、いよいよ聖女と魔王の決戦となるのですが、ここで作者から一言。
章の冒頭に、前書きというか注意書きを書く予定です。
読者の中には前書きや後書きは面倒なので読まない、読み飛ばすという方もおられるようですが、本作に限っては、必ず読んでいただきたいと思います。ごく短いものですので。そしてできれば、その内容を頭に置いて、読み進めてくださるよう、お願いします。
それから、もしもこの話が気に入っていただけましたら、評価やブックマーク登録をいただけたらうれしいです。作者とってははげみになりますので、よろしくお願いします。




