65 汚れの森
翌朝早く、私たちは出発した。ホロイズがいるので、ハイラインのことはまだみんなには話していなかった。ハイラインはホロイズのことを知っているようすだったので、もしかしたらホロイズも、ハイラインの名前を聞いているかもしれない、と思ったんだ。
まあ、彼がハイラインを知っていたとしても問題なんてないのかもしれないけど、念のためね。彼に知らせておきたいなら、ハイラインが自分でそうするはずだし。
「この山を越えたら、問題の森です」
出発してすぐに、ホロイズが言った。山と言っても小さなもので、私たちは三十分(時計がないので、だいたいの時間だけど)もしないうちに、頂上の近くまで来ていた。けれど、そこに来る前から、私はなんだか嫌な雰囲気というか、気配を感じていた。そしてそれは、私だけではなかったらしい。
「これはなんでしょう。どうにも、妙な感じがしますな。なんと言葉にすればいいのか、表現が難しいのですが」
「ホロイズさんもですか? 実は、ぼくもなんです。ただ、ぼくは以前にも、これと似たことがあった気がします」
ホロイズとエイブラムが、口々に違和感を訴えた。それが何なのかを議論する前に、私たちは頂上に到着し、山の向こう側が見渡せる場所に立った。
そこから見えたのは、四方を山々に囲まれた、盆地状の森だった。いや、かつて森だったもの、と呼ぶのが正しいだろうか。そこに立つ木はほとんどが枯れて、その半分以上は、既に腐り落ちていたからだ。
「以前に見た時は、こんなではありませんでした。木の生い茂った、ごくごく普通の森でした。しかしおかしいですな。木が枯れるのはまだわかるのですが、なぜ腐っているのでしょう。数か月前、冒険者がこの付近でゾンビを目撃した際には、こんな現象の報告は受けていません。あれから、それほどの時間は経っていないのですが」
「……この黒い霧は」
「黒い霧、ですか? 確かに、森は白いもやで覆われていますが、べつに黒くは──」
「もややなくて、黒い霧や。これはあの時と、まったく一緒やな。サウロイールの街を、アンデッドが襲ってきた時と」
私がこう言うと、エイブラムもやはり、といった顔でうなずいた。
そう。森の残骸は、黒い霧のようなもので覆われていたんだ。色は全く違うけど、まるで雲海のように。本当の雲海なら、たぶんきれいな景色だったんだろうけど、目の前の森の印象は最悪だった。吐き気を催すような、いびつな魔力の気配が、森の残骸から漂ってくる。いや正確には、黒い霧の全体が、その魔力をまとっていた。
ホロイズは、違和感は感じていたみたいだけど、「霧」までは感じ取れていないらしい。状況の呑み込めていない様子のホロイズに、トライデンがあの街であったことを説明した。ホロイズは驚きの表情を浮かべて、
「同じような黒い霧が発生し、昨日と同じトロールのアンデッドが、街を襲おうとしていたのですか? なんと、そのようなことが……。この二つのことは、なにか関連があるのでしょうか?」
「そこがわかんねえんだよな。あの時、霧を出してアンデッドを操っていたっていうリッチは、もう倒したはずなんだが」
「これはぼくの、単なる思いつきなんですけど」
こう前置きをした上で、エイブラムは自分の考えを述べた。
「あのリッチは、生きていた時にはここにいた。ひょっとしたら、ここでアンデッドになったんじゃないでしょうか。その後、リッチはサウロイールへ移動しましたが、彼の怨念とか遺留物などが、この森に残されてしまった。そのため、黒い霧も残ったままになって、付近の森を枯らしてしまったんです。
そして、リッチがここにいたとすると、トロールがアンデッドになったのも、この付近である可能性があります。トロールは、リッチの支配を受けてる間は、その命に従ってサウロイールへ向かいました。が、リッチが死に、彼を支配するものがいなくなったので、生まれ故郷であるこの場所に帰ってきたんじゃないでしょうか」
「なるほど。アンデッドは生まれた場所に帰ることがある、って言ってたもんな。だとしたら、最近になって急にアンデッドが増えたのはなんでだ? あの霧が、魔物をアンデッドに変えちまったのか?」
「どうでしょうね。感じ取れる分には、この霧には死者をアンデッドにする力はあっても、生者を死者にしてしまうほどの力はないように思えます。
それよりも、あのトロールのゾンビのしわざの線が強いんじゃないでしょうか。戻ってきたトロールは、人間の街を襲う前に、近場にいた魔物を殺していたはずです。あいつが森の近くにいたオークの群れを襲い、その死体が、この霧でアンデッドになったんじゃないですかね」
そんなことを話している間に、私たちのまわりにまで腐臭が漂ってきた。どうやら、汚れの森に風が吹いたらしい。それとともに、霧ともやが少し薄れて、その中をうごめくものの姿が見えた。
そこにいたのは、大量のゾンビだった。ざっと見でも、百体以上はいそう。そのほとんどはオークだったけど、中にはレッドベアや、ヒト族の老人らしい姿も見える。それらが、黒い霧の中を、ときおりうめき声を漏らしながら、さまよい歩いていた。それを見たジークは、
「確かに、あれだけの数のオークを殺すとなると、あのトロールが犯人である可能性は高そうだな」
「なるほど。このたびの騒動の原因は、はっきりしたようですな……」
ホロイズがつぶやいた。その後に続けようとした言葉を、飲み込んだように思えた。
彼も言ったとおり、原因調査の依頼は、もう十分に達成されたと思う。けど、街の長としては、こんな物騒なアンデッドを放っておきたくはないだろう。
できればここで、倒しておきたい。とはいえ、トロールとオークのゾンビをほとんど無償で倒し、さらには森の調査まで引き受けてくれた冒険者に、これ以上の負担を強いるのも……なんて、思ってるみたいだった。
私はついつい、ジークの顔を見てしまった。これからどうする? けど今回は、ジークの判断は速かった。
「見たところ、せいぜいがオークやベアといったところだな。数が多いので時間はかかるかもしれないが、討伐はそれほど困難ではないだろう」
「そうだな。俺たちの剣技に火魔法の援護があれば、それで十分だ」
「オークメイジもいるかもしれませんから、そこは注意してくださいね」
ジーク、トライデン、エイブラムがそう言って、うなずき合った。ただ、トライデンが「魔法」ではなくわざわざ「火魔法」と特定して言っているところをみると、今回も私の魔法は封印なのかな。
ホロイズはあわてた声で、
「ちょっとお待ちください! 確かに、このような不気味な場所とアンデッドは、早めに退治しておきたいところです。特に、あなたがたのような腕利きの冒険者がそばにおられるような絶好の機会は、なかなかありませんからな。
ですが正直な話を申しますと、その働きに見合うほどの報酬をお出しするのが難しいのです。私どものような小さな街では、出せるのが限られておりまして……。ですので、ここは一度街に戻り、皆と相談してから──」
「なに、報酬をどうするかなどは簡単な話だ。一つの貸し、としておけばよい」
軽い口調で、ジークがホロイズをさえぎった。この言葉に、エイブラムも笑みを浮かべて、
「じゃあそういうことで、まずは離れたところから、魔法を一発、お見舞いしておきましょうか。ホロイズさんも、一緒にお願いします。行きますよ!
<あらゆるエントロピーへ向かう指数的傾向
そこに生ずる保守と封建、インフレーション、加速度と闇
それは無限のバリエーションの存在により
潜在エネルギーを純粋なエネルギーに統合する>
……<ファイアーランス>!」




