57 【Side:魔王】 子供たちからの知らせ
魔王ゼウロンは、街の外壁が見わたせる小高い道を、ゆっくりと歩いていた。
「魔王様、よろしいのですか? ソロワールの街の軍勢が、すでに集まってきておりますが」
「構わん。あの程度の雑兵の相手など、後でゆっくりとしてやればよい」
魔王軍幹部のジスランが声をかけたが、ゼウロンはそのまま歩き続けた。
外壁の外には、ある程度の広さの畑が広がっていた。そこに、ヒト族の軍が陣取っていたのだ。その真ん中では、騎士団長と思われる全身鎧の甲冑を装備した大男が立って、魔王の方をにらみつけていた。ただし、兵の数は多くはなく、せいぜい二百ほどだった。
魔王は、ヒト族の軍勢や、彼らが自分たちに向けてくる視線などはまったく無視して、街の北門へと続く道から左に折れる、なだらかな上り坂を登っていった。
しばらく歩くと、道沿いに小さな池があった。池の水は汚く濁っており、生き物の姿は見えない。魔王はそこからさらに進んだが、目指した先には何もなかった。いや正確には、何かが焼け落ちたような痕跡があるだけで、他には何も残っていなかった。
この光景を目にしても、ゼウロンは何も口に出さなかった。が、魔族四天王の一人ゼルファーは憤怒の形相を浮かべて、その巨体をぶるぶると震えさせた。
「……この街のやつらは、ここまで腐っていたか!」
「先ほどの池も、何やらひどく濁っているようでした。あの中に、大きな岩が投げ棄てられているのが見えましたから、そのせいかも知れません。どうやら、私たちの用意は、無駄に終わったようです」
四天王の一人ドレアムは、手にしていたリュックサック型の焦げ茶色のバッグを、近くで控えていた部下に渡した。
その時、ゼウロンの背後からときの声が上がった。ゼウロンが振り返ると、先ほど畑に立っていたヒト族の軍勢が、魔王たちに向かって突撃してくるところだった。
「魔王、ゼウロンーーンン!」
その先頭に立っていた大男が叫んだ。
「この俺様を無視するんじゃねえ! それとも、騎士団長である俺様の勇姿を見て、ビビりやがったのかーー?!
そうでないと言うのなら、すぐにその丘から降りてきて、いざ尋常に勝負しやが──」
騎士団長の言葉が、ここで急に止まった。言葉だけではない。動かしていた足も止まって、それまで走っていた勢いのままに、どう、と前のめりに倒れ込んだのだ。そしてそのまま、ぴくりとも動かなかった。左右にいた騎士たちが駆け寄って団長を抱え起こしたが、その全身は完全に脱力していて、何度呼びかけても、答は返ってこなかった。
もしもこの時、彼らが騎士団長の体を冷静に観察していたなら、団長の首の後ろ、ちょうど延髄の隙間にあたるところに、小さな、しかし深い傷痕があるのに気づいたかもしれない。
「まったく。騒がしいだけのゴミの相手をするのは気疲れしますな」
ゼウロンの背後に、四天王の一人であるハイラインが現れた。ハイラインは、倒れた騎士団長を取り囲む騎士たちに視線を向け、やれやれ、といった表情で肩をすくめて、
「そんな大げさな甲冑を着けていても、隙間を狙いさえすれば、針を通すことはできるのですよ。そして針が通れば、命を奪うことも。わかりましたか? ……まあ、もう聞こえてはいないと思いますが」
「ハイラインか。ご苦労だった」
「ありがとうございます。私が身も心も捧げ、永遠の忠誠をお誓いするのはあなただけです」
ハイラインは大げさな動作で、魔王に向かって頭を下げた。その横で、ドレアムが剣を抜いた。彼の剣が、黒い光を放つ。
「ならば、残ったゴミどもは、私たちが掃除しておくことにしよう」
敵に向かって歩き出しながら、ドレアムは常にない強い言葉を吐いた。その後ろに、大剣を肩にかついだゼルファーが続く。彼の剣もまた、内心の怒りを反映するかのように、黒い霧をあたりに放っていた。
一方のヒト族たちは、騎士団長が死亡していることにようやく気づいたらしい。軍勢の間には動揺が広がっていき、魔王に対して再度突撃しようとする者は現れなかった。ドレアムとゼルファーが騎士団長の亡骸の前に立った頃、騎士たちはようやく剣を構え直して、二人に対峙した。
だが、騎士たちの顔は、既に恐怖に歪んでいた。
◇
戦いが終わり、ゼウロンたちはさきほどまで街だった場所に入っていった。街の北門は、完全に破壊されていた。門だけでなく、外壁の一部、さらには周辺の建物までもが破壊されており、あたりには白い石や木の破片が散乱していた。
そこには既にヒト族の姿は見えなかったが、魔族の兵たちはジスランの指示を受けて、残敵の確認に散っていった。ゼウロンたちは、かろうじて形の残っている家に入り、奇跡的に破壊を免れていたテーブルについて、今後の進軍について協議を始めた。
そこへハイラインが現れた。彼は、つつ、と魔王のそばに近寄ると、
「魔王様。ひとつ、お伝えしておきたいことがございます」
「おまえが軍議に加わろうとするのは珍しいな。何かあったのか?」
「はい。実は、敵の王都に残しておいた『子供』たちから、知らせが入りまして」
ハイラインは、これも珍しく険しい表情で、ゼウロンの顔を見つめた。
「知らせ?」
「どうやらヒト族どもは、秘蔵していた特殊な法具を、この戦いに使うことを決めたようです。カーペンタリア王国では国宝級の扱いをされている、『聖剣』と呼ばれる法具を……。
魔王様であれば問題などないとは思いますが、どうぞご注意下さい」




