05 【Side:魔王】 魔王の復活
その、死体だったものは、ゆっくりと目を開いた。
それが横たえられていたのは、冷たい石の寝台だった。
そばには、二人の男が立っていた。一人は腰の曲がった老人、一人は若い男で、二人とも魔術師風のマントに身を包んでいる。若者はフードを目深にかぶっていてその表情はうかがえないが、老人は必死の形相で、それを見つめていた。それの瞳は黒く、髪の色も黒かった──この世界で、「魔族」と呼ばれる種族の特徴である。
それは、わずかに顔を動かした。そして小さく頭を振り、「……ここは? ……」とつぶやいた。久しぶりの発声だったためか、ひどくしゃがれた声だったが、それは明らかに、意識あるものの行動だった。これを見た老人は喜色満面になって、「おお、成功だ! 成功しましたぞ!」と叫んだ。
「無事に蘇られた。いいや、違う。純血にして真祖たる魔王様が、今ここに誕生されたのだ!」
老人が喜びの声を上げる一方、若者はいかにも疲労困憊といった様子で、肩で息をついた。それでも彼は、地面に片膝をつき、頭を垂れて拝謁の姿勢をとった。それを見た老人も、若者にならって膝をつく。そして言った。
「魔王ザウロン様の御復活を、心からお喜び申し上げます」
それはゆっくりと上体を起こし、あたりを見まわした。
周囲の壁に設置された魔石ランプの薄暗い光が、あたりを照らしていた。そこは石造りの広い部屋だったが、部屋の中には寝台以外のものは、何も置かれていなかった。より正確に言うと、三つの石の寝台以外、何も置かれてなかった。
それは周囲の状況を確認すると、先ほどの老人の言葉を思い返した。そして、いぶかしげな声を上げた。
「復活?」
この言葉や、「魔王」という呼び名もひっかかったが、それにはもっと気になっていたことがあった。フードからちらりとのぞいた、若者の顔だ。その顔色はひどく悪く、青いを通り越してどす黒くなっていた。それが「だいじょうぶですか?」と声をかけると、若者は二つ三つを息をしてから、ようやく答を返した。
「……はい。魔力を少々、使いすぎただけです」
「魔力を? 何のためです?」
「……あなたを、蘇らせるために」
この瞬間、それは思い出した。
投獄され、筆舌に尽くしがたい苦痛を味わったあげくに、無惨に殺害されたことを。特に鮮明に頭に浮かんだのは、自分の死の瞬間の記憶だった。
手かせ足かせをはめられ、わめき狂う群衆の中を引きずり回され、はりつけ台に固定された。群衆からはさんざんに石を投げつけられ、体のそこら中に当たって、それはそのたびにうめき声を上げた。石の一つは顔の真ん中に命中したため、大量の鼻血があごを伝って流れ落ちて、血と垢まみれの囚人服をさらに赤黒く汚した。
やがて、執行役の刑吏二人が現れた。二人は群衆を怒鳴りつけて投石を制止すると、はりつけ台の足下付近に近づいた。そして手にした長い槍を構え、なんの躊躇もなく、それの下腹部を槍で貫いた……。
あの情景が、ただの夢とは思えない。間違いなく、自分はあの時に死んだ──殺されたのだ。ヒト族の手によって。
それと同時に湧き上がってきたのは、胸が焼けつくような、強い怒りだった。
純粋で、凶暴で、耐えがたいほどに強烈な怒り。それはあっという間にそれの心を埋め尽くし、蘇ったばかりの体を震えさせた。さらには、魔力の奔流に形を変えて、体の外に漏れ出した。その激しさは、喜びの色を浮かべていた老人の顔をこわばらせ、後ずさりさせるほどのものだった。
老人の恐怖する様子を見て、それはようやく我に返った。そして、おのれの中に荒れ狂う怒りを支配しようと努めた。消すのではない、支配だ。あの経験、あの時の記憶がある以上、怒りをなくすことなどできるはずがない。
かなりの時間がかかったものの、それはなんとか感情の昂ぶりをコントロールし、魔力の放出を抑えることができるようになった。
老人の顔からようやく恐怖の色が消えたころ、それは若者に向かって尋ねた。
「あなたが私を、蘇らせてくれたんですね」
「いえ。正確には、蘇らせたのではなく……『反魂者』として復活させたのです」
「……なるほど」
それはうなずいた。
自分の記憶どおりのことがあったとすれば、どんなに腕の立つ治癒術師であっても、あの処刑の後で生き返らせることは不可能だったろう。だから、死体となった自分に死霊術をかけて、姿形を生前のものに戻したのだ。目の前の若者は、死霊術師なのだ。
ゾンビやスケルトンのような形にするのならともかく、「反魂者」、つまり生前とほぼ変わりない姿に戻し、はっきりとした自意識を持つものにするためには、かなりの魔力が必要とされる。場合によっては、術者の生命力そのものまで奪ってしまうことがあると、それは聞いたことがあった。死霊術師が疲労困憊の様子なのは、その影響なのだろう。
──ただし、それだけの魔力と生命力を費やしたからと言って、復活した者の中身まで生前と同一であるなどとは、絶対に言うことはできないのだが。
それは、改めて思った。すると、今の自分は反魂者なのか。そう言われてみると、自分の中にはこの術師に対する崇拝というか、依存のような感情があった。これが、復活させた反魂者に対する、死霊術師の支配の力なのだろう。
だが、支配者であるはずの死霊術師は、ひざまづいた姿勢を崩さなかった。そして少し顔を上げ、それに対して改めて確認するように、こう尋ねた。
「わかりますか? 今までの記憶は、はっきりしていますか?」
「ええ」
「それではお尋ねします。──あなたを、魔王様と呼ばせていただいても、よろしいでしょうか?」
この問いの意味するところは、明らかだった。
「魔王」という呼び名は、単なる「魔王国国王」とは異なる意味を持つ。それは、ヒト族への強い憎しみと敵意を持ち、ヒト族を滅そうとする断固たる意志を持つもののみが名乗ることを許された称号だ。つまり死霊術師は、「あなたはヒト族を滅ぼす覚悟がありますか?」と問うたのである。
そして、これに対する答えもまた、明らかだった。
「もちろん。私は魔王、ザウロンです」
この言葉に、死霊術師と老人は二人そろって、深く頭を垂れた。




