31 最後の約束
「今回は、ちょっと強めにいくでえ」
私はこう宣言して、呪文の詠唱を始めた。
「<周知のように
明らかなとおり
おわかりのとおり>
まず詠唱したのは、攻撃魔法そのものではなく、これから唱える魔法の威力を増すための呪文だった。
「<今さら言うまでもなく
諸君もお気づきのとおり
皆の多くがご存じのとおり
これはアナロジーなどではない>」
私の中に、力強い魔力があふれてくるのが感じられた。続けて、私は右手を前に突き出し、魔法本体の詠唱に入った。
「<患者すなわち主体が 否定された量化詞により
自己決定する半分の中の 主体すなわち患者
それはそれ自身を確証し得ない>」
これを聞いたエイブラムが、「え、光魔法?」と驚きの声を上げた。
そして、彼と同じく、レイスもこっちの動きに気がついたらしい。詠唱を始めるのとほぼ同時に、アンデッドの大軍が、いっせいにこちらの方を向いた。さらに、黒い霧にも動きがあった。それは即座に形を変えて、エイブラムの家の方向に広がってきた。
「<それは可能な形も
共立性も準拠も結果も持たない
そして現れるやいなや
ただちに消え去る>」
私たちはあっという間に、すっぽりと霧に包まれてしまった。けど、ちょっと気分が悪くなったくらいで、たいした実害はなさそう。私は霧など無視して、呪文の詠唱を続けた。けれどその時、エイブラムが叫んだ。
「待ってください、聖女様が!」
聖女様? 私は詠唱を続けながら、ちらっとエイブラムの方へ視線を向けた。そして、彼が驚愕の表情を浮かべて凝視するものが見えた。彼が見ていたのは、道の脇にあった、小さな石碑だった。
その石碑近くの土が、ボコリ、と盛り上がっていた。
そこから、なにかが這い出てくる。それはどうやら、人の手のように見えた。既に白骨化してしまった、人の手。そうか。あそこには、マーサさんが眠っているんだ。そしてそこを、黒い霧が包んでしまったんだ。ということは、マーサさんの遺体が……。レイスが霧をこちらに動かしたのは、近くにある死体を動かし、襲わせるためだったのか。
けど、もう遅い。こっちの詠唱はほぼ終わっているんだ。私は最後に魔法名を叫んで、詠唱を完成させた。
「 ……<ホーリーレイ>!」
突き出した右手の前から、強烈な白い光が放たれた。
光はまっすぐに、リッチへ向かって走った。そして、その射線上にいた魔物や、リッチを守って取り囲んでいた魔物たちを容赦なく貫き、最後にリッチに衝突すると、爆発したかのようにひときわ大きく輝いた。
黒い霧のうごめきが止まった。
魔法の輝きが収まった後には、リッチは影も形も残らずに消滅していた。また、光の通った道やその近くにいたアンデッドたちも、多くが消し去られたか、あるいは体の一部を失って倒れていた。まだ残っていた体も、ゆっくりと塵に還っていく。一瞬動きを止めていた霧が、再び動き出した。それは地面から離れ、空へと散らばり、次第次第に薄まっていった。
グオォーと、遠くから叫び声が上がった。
声を上げたのは、トロールのアンデッドだった。だけどそれは、自分の主を倒した者への怒りや、あるいは己を奮い立たせようとする雄叫びなどではなかった。
トロールはその巨体を翻すと、手にしていた槌を放り捨て、私たちがいるのとは反対の方向へと走り出した。一目散に、足下にいた他のアンデッドを踏み潰しながら。その動きにつられるかのように、他のアンデッドたちも街の外壁から離れて、トロールと同じ方向へ走り始めた。
リッチが倒されて、彼らを支配する力は無くなった。そして彼らは、浄化魔法の光を目の当たりにした。浄化魔法は、アンデッドにとっては最大の脅威だ。おそらく彼らは、アンデッドとしての本能的な恐怖を感じたんだろう。だから、光とは逆の方向へ逃げ出したんだ。
さっきの光魔法なら、まだ何発かは撃てそう。けど、こっちに向かって来ないなら、追撃の必要もないかな。
なんとかこれで、終わったな……少し脱力しながら、逃げ去って行くアンデッドの群れを眺めていると、かたわらで小さな声がした。
「聖女様……」
エイブラムの声だった。
いやー、とうとうばれちゃいました? 私が、聖女だってこと。まあ、あれだけの光魔法を使ったら、しかたがないか。でも、これって一応、軍事上の機密らしいので、黙っといてもらわないと……と思いつつ振り向くと、目に入ってきたのはまたもや意外な光景だった。
そこには、聖女様がいた。
白のローブを着て、いかにも優しげな笑みを浮かべる、ちょっとふくよかな顔のおばあさん。聖女マーサがどんな外見の人だったか、聞いていたわけではない。だけど、この人がその聖女様に違いないと確信できるほどに、慈愛に満ちたたたずまいだった。エイブラムがひざまずき、涙を浮かべて見つめていたのは、私じゃなくて彼女の方だった。
ただし、生きている人間ではない。おばあさんの体はわずかに透けて、後ろにある石碑が見えていた。
マーサが眠る石碑は、浄化魔法は直撃しなかった。けど、間違いなくその影響を受けたみたいで、地面に出ていた手首の骨は、静かに塵になりつつある。その石碑の前に、おばあさんの霊体は立っていた。
そのおばあさん──聖女マーサが、口を開いた。
「久しぶりね、エイブラム」
「聖女様……」
「会えてうれしいわ。けど、あなたはどうやら、悪い子になってしまったみたいね。あなた、私との約束を破ったでしょう」
「約束、ですか?」
「ええ。私との最後の約束。あなたには、この街を離れて、自由に暮らしていってほしい。私はそうお願いしたはずでしょ? なのにあなたは──」
老女のこの言葉に、エイブラムはあわてたように顔を振った。
「それは違います。あなたとの約束を守って、ぼくは自由に暮らしています。ぼくは、あなたのしてきたこと、あなたが守ってきたことを守り続けたかった。だから今も、こうしてこの街にいるんです」
「あなたは昔から、優しい子でしたからね……。でも、私が第一に守りたかったのは、この街ではないの。あなたたちだったんです。ちょっと変わったジョブを持っているというだけで人々から責められ、苦しんでいる、本当は心の優しい子供たち。そんな子供たちを守りたかった。
だから、あなたがここにいる必要なんて、ないんです。どうやらエイリクは、どこかへ旅立ったみたいね。あなたもエイリクのように、旅立ってください。そして、自分の幸せを探してください」
エイブラムに話しかけながらも、老女の姿は次第に薄れていった。浄化魔法の影響だろうか。そしてついには、ほとんどそれと認識できないほどにかすんでしまった。老女は自らの体に視線をやると、悲しげに微笑んで、
「……どうやら、そろそろお別れのようですね」
「マーサ様! ぼくは本当は、あなたともっと一緒に……」
「私もですよ。でも、それはもう終わってしまったことなの。あなたは、新しい人と共に、新しい幸福を探してください。そして今度こそ、私との約束を守ってください。いいですね」
ほんの一瞬、マーサの視線がこっちを向いたような気がした。
「さようなら、エイブラム。最後に、あなたに会えて良かった」
煙が偶然に作った形がわずかな風で崩れてしまうように、聖女の姿は消えていった。




