29 アシダカは益虫です
エイブラムの話を聞いた後、私は一人で、家の外に出ていた。街の方を見ながら、大きく息を吸い込んで、ハアと大きくため息をついた。
いやー。ないわー。
なんだか重たい話が続いて、その後も重たい雰囲気が変わらなかったので、思わず逃げ出してしまったよ。
いくら私でも、あんな話にボケやツッコミを入れる気にはなれない。あの手の話って、私、苦手なんだよね。得意な人なんていないかもしれないけど。というわけで、すまんジーク、トライデン。男同士の話し合いというやつで、なんとかしてくれ。こういう時って、お酒なんかもいいのかもしれないよ。私は飲んだことないから、よく知らないけど。
あえて陽気っぽい歌を選んで、鼻歌で歌いながら、私はそのへんをぶらぶらと歩いた。
この家の建っているところは少し高台になっていて、サウロイールの外壁や周囲に広がる畑がよく見渡せる。今は午後も少し遅いくらいの時間で、朝夕の混雑時ではないせいか、街の門には人だかりはない。畑の中を通る街道にも、一頭の牛を引く農夫が、ゆっくり歩いているだけだった。
その上にあるのは、雲一つない青空と、輝く太陽。温度も暑くもなく寒くもない、実に気持ちのいい日だった。
「見た感じは、のんびりしたところなんやけどなあ」
「まったくそのとおりですね」
ぽつりと独り言をつぶやくと、突然、後ろから声がした。私はびっくりして飛び上がり、あわてて後ろを振り返った。
「わ! なんや!?」
「お久しぶりです、聖女様」
そこにいたのは、ハイラインだった。
学園都市の婦人服専門店で私に話しかけてきて、変な服を勧めてきた男。そして、あの街で起きていた薬物事件についての情報を私に教えてくれた、魔族の男だ。そのハイラインが、あの時とそっくり同じ服装で、私の前に立っていた。
「なんやあんたか。あれ、あんた、なんでこんなところにいるん。婦人服のお店はどうしたんや?」
「ああ、あの店ですか。あそこの権利は、つきあいのある商人に譲ってきました。以前から、店を売らないかとの話を、何度かいただいておりましたのでね。急ぎ店を片付けて、あなたの後を追ってきたのです」
「ええー……。なんでまた、そんなことを」
「私がいるべき場所は、あなたの隣だからでございます」
ハイラインは片膝をつき、右手を差し出して、大げさな動作でお辞儀をしてみせた。はたから見たら、まるでプロポーズでもされているような格好に見えたかもしれない。けど私は、まったく心を動かされていなかった。
顔だけを見れば、まあまあいい男の部類だろう。ちょっとキザな感じが強めな気はするけど、それでもいい方。ただ、それ以外の部分が、私には合いそうにない。
なにしろこいつ、私を男と勘違いしていたんだよ。
そして、女装をしていると。さらにその上で、そんな私をお慕いしている、なんて言ってきたんだ。つまりこいつは、そういう趣味なわけ。
いや、そういう趣味自体が、ダメだってわけじゃないよ。昨今の風潮というか、その手のものが認められてきてる、ってのはわかります。けど、公的にダメかどうかと、そういう人を私個人の好みとして好きになるかとは、ちょっと話が違うでしょう。こいつの場合、かなりひねりがききすぎてるし。
まあ、私が男だと思ってたってことは、そこまでプライベートな空間(風呂とか、着替えとか)には侵入してなかった、ってことだろう。その点だけは評価してあげよう。けどそもそもの話、私を男と思った時点で、マイナスのスタートなのだ。
というわけで、私ははっきりと首を振った。
「そういうのは、間にあっとるから。それになあ。こないだも言うたけど、うち、オトコやないんやで」
「それはわかっております。ですが、私も申し上げたはずです。私は、あなたの洞察力や、つまらぬルールを一蹴する行動力に、深く感銘を受けたと。
さらに、今回の事でもわかりました。あなたは、私がそのような趣味趣向を持つものと知った上で、それでも遠ざけようとはなさっていませんでしたね。それに先ほどは、死霊術師というジョブを持つ者まで、受け入れておられました。そこに見える街に住んでいる、心の醜い住民たちとは雲泥の差です。
その寛容なお心に、私は心からの──」
「でも、うちはこないだの事件で、あんたが犯人だと思い込んでたんやけど」
「誤りを素直に認めるのもまた、高潔さの表れかと考えます。それもまた、心の醜い者たちには決してできない──」
これだけ言っても、ハイラインはポーズを崩そうとはせず、わけのわからないセリフを話し続けた。もう理解とか説得とかはあきらめて、私は話題を変えることにした。
「あのー、ところでやな。あんた、魔王国にいた時には重要な仕事をしてた、って言うてたよね。たぶんやけど、それって情報収集の担当とか?」
「さすがですね。よくおわかりです」
「そりゃあ、こないだの事件では、あんたいろんなことを知ってたからなあ。で、一つ聞きたいんやけどが、このへんにアンデッドが出てきてるのは知ってたりする?」
「存じております」
「こっちから聞いといてなんやけど、どうして知っとるん?」
「私には、情報を集めるのにぴったりのスキルがありましてね。私のかわいい子供たちが、そこら中に散って、いろいろなことを教えてくれるのです」
「え、子供?」
「ここにもおりますよ」
ハイラインはそう言うと、左手で襟足のあたりを一なでし、その手を前に出して見せた。開いた手のひらには、一匹のクモが乗っていた。
そう、クモ。たぶん、ハエトリグモとかアシダカグモとか、巣を張るんじゃなくて地面や壁を歩き回るタイプの方だ。大きさは、小さめのアシダカくらいかな。
私、クモは嫌いというわけではないです。あれって、ゴキブリなんかを食べてくれる益虫だしね。見つけても殺虫剤なんてかけません。けど、こないだカーテンを開けた時、そこに隠れていたアシダカグモ(大きめ)がさっと飛び出して私の足に登ってきた時は、おもわずキャーッ、と叫んでました。つまり、好きなわけでもないんです。
私は、ハイラインが手をつきだしたのと同じくらいの距離を後ずさって、
「あー、な、なるほど。そのクモがそこら中に散って、見聞きしたもんを教えてくれるんやな。くわしくはわからんけど、なんとなくはわかった」
「彼らのおかげで、まわりに飛び交うハエにも、気づくことができるのですよ。そうそう。あなたのまわりにも何匹かおりましたので、始末しておきました。念のため、お知らせしておきます」
ハエ? それってなにかのたとえなの? それとも、ストレートにハエそのもの? ……よくわからないけど、ハエはまあね。クモと違って、明らかな害虫だからね。殺虫剤をまいても、いいと思います。特に小バエは嫌いだ。
「そうなんか、おおきにやで。
で、そのアンデッドなんやけど、どうしてこのあたりに出てきたのか、そこらへんはわかる?」
「ああ、それは──」
「マリー、そこにいるのか? 悪いけど、部屋に戻ってきてくれないかな。おれもなんていうか、ああいう雰囲気は、ちょっと苦手で……」
トライデンの声が聞こえた。その寸前、ハイラインの姿が消えていた。立ち去ったのではなく、一瞬にして見えなくなった感じ。たぶんこれが、隠密のスキルなんだろう。そして姿が見えないまま、声だけが小さく響いた。
「彼らにはまだ、私が敵ではないとわかってもらえないでしょうから、今は姿を隠しておきます。また折を見て、挨拶することにいたしましょう」
「ちょい待ち。アンデッドの群れって、まだおるん? それで、こっちに来てたりするの?」
「──そうですね。ですが、たとえアンデッドが現れても、聖女様なら問題はないでしょう」
その声が終わると、彼の一切の気配は、その場から消えてしまった。そして、それが消えてしまってから、いまさらのように気がついた。
もしかしてあいつ、これから先も、私について来る気なの?




