憧憬
よくよく考えると自分事で自分自身に対して感動を覚えた事はない。
ここで言う感動というのは、喜びの感動を
今まで感じた事はない。
マイナス感動の悲しみは多々ある。
言い換えると
プラス感動はなし
マイナス感動あり
あっ!謎解きの謎が解けた時感動した。
違う違う、ちがう
それはクリエイターが作った謎解きが感動のスイッチを押したのであって、
要するに謎解きがあったから感動できたのであって、
それは自分発信ではないので
そのスイッチは他者が作成し押してくれたのと一緒なので自分ではない。
世の中には自分でスイッチを作り
そのスイッチを押して
自分自身に感動してる人達がいる。
例えば
オリンピックで金メダルをとる
てっぺんをとる人達だ。
競技は誰かが作ったものではあるが、自身のフィジカルで勝ち取ったもので、嬉しくて泣いて感動しているのだと思う。
その裏には並々ならぬ研鑽努力の賜物があったからこその感動
観客や観ている人を感動に引き込む
羨望でしかない
その感動に比べたら自分は
プラス感動はない
例えば
政治家が当選した時
バンザーイと言いながらあれも自分自身に
プラス感動しているのだと思う
それとも優越感に浸っているだけか
承認欲求に浸っているのか
政治家として当選したのならば笑っているのではなく、重々しい顔をしていてほしい
これには憧れはない
よくよく考えると自分自身に感動した事はない
よくよく考えると比べる対象が間違えかもしれない
よくよく考えるとそんな事考える必要がないかもしれない
よくよく考えると誰かが何かを成し遂げた時、それを観て感動してるのも感動
よくよく考えると他人から感動という名の喜び、悲しみをもらっているので
自分自身で生みださなくても
よくよく考えると誰かと関わっていれば感動はプラスもマイナスもひっきりなしにやってくる
マイナスの方が多いかな
プラスが1つでもあれば
プラスが1つでもあれば




