第7話 ポコ
「ふーん、ヴァルターさんに意地張ってボッコボコにやられちゃったんだ」
「要約するとそうだけど、ただのボコられ損じゃないぞ。今度こそ能力のコツを掴めたからな」
「え、スゴイじゃんセシル! あたしにだけベネディクトさんとかには内緒で見せてくれたりしないかな?」
セシルを引き起こし座らせると、クラリッサは目を輝かせながらセシルをまじまじと見つめる。
クラリッサは桃色の髪を揺らし、期待に胸を躍らせながらセシルに顔を近づけた。
「ちなみにヴァルターさんは腕折ってたぞ」
「……やっぱ遠慮しとく。それよりも痛くて動けないんでしょ? あたしが医務室まで転移してあげるって。あたしもフレデリカさんに用事あったし」
急に態度を翻したクラリッサの提案はセシルにとって願ってもないことだった。
「頼んでもいいか? 身体中が死ぬほど痛いんだ」
「いいよー。目はつぶっておいてね」
クラリッサはどうにか立ち上がらせたセシルの手を取ると、水中を思わせる不思議な空間を通じて医務室へ一息に飛んだのであった。
無事着地できたセシルがフレデリカに声を掛けようとすると、突然クラリッサがセシルの口を手でふさいだ。
(!?)
(フレデリカさん、誰かと話してる。誰だろう)
「そうね。わたしもがんばらないといけないよね。分かってるわ。いつも心配してくれてありがとう」
フレデリカは医務室の椅子に座り、誰かと話している様子。
それもとても親しげに。
(え、すごい仲良さそう。でもカーテンが邪魔で相手が見えないなあ。セシルは誰だと思う?)
(さあ、ベネディクトさんかヴァルターさんじゃないか? そういえばヴァルターさんは医務室に行くって言ってたよな)
小声で二人はフレデリカの会話相手を探る。ちょうど二人から見て医務室のカーテンで遮られた場所に相手がいるのか姿が見えない。
(えー、ヴァルターさん!? 意外ー! ていうかあの三人はそういうのじゃないと思ってたけど、案外そうだったのね!)
「うん。あなたはそうやっていつもわたしの味方でいてくれるよね。そういうところ、本当に助かっているわ」
会話は続いているようだが、何か様子が変だ。
相手の声が聞こえない。
(きゃー! なんかいい雰囲気! このままここにいて大丈夫かな!?)
(大丈夫ってなんだよ)
(その、大人なら色々あるでしょうが。言わせんなっての)
クラリッサはセシルの後ろから身を乗り出して、前のめりになっていく。
(痛い痛い。痛いって!)
クラリッサに押し倒されるように、セシルは医務室の床に倒れ込んでしまう。
「誰!?」
フレデリカは椅子から立ち上がると、二人の方へ向き直る。
立ち上がったフレデリカの手にはぬいぐるみが握られていた。
「ぬいぐるみ……?」
「え、これは、その、見ないで。見ないでください!」
慌てふためくフレデリカ。フレデリカはこじんまりとした茶色い垂れ耳ウサギのぬいぐるみを二人から隠すように背中側に持ち直した。
「のぞき。くそにんげん」
垂れ耳に小さなにんじんの耳飾りと、首にピンクのリボンを付けたウサギのぬいぐるみがフレデリカの手から飛び出し、彼女の頭に飛び乗って幼い女の子の様な声でしゃべった。
「え、え、え?」
「あっちいけ。ばか」
ぬいぐるみは二人に対し、敵意をむき出しにするように告げた。
「はあ。もう今さら隠せないですね。この子は……わたしの連絡用の使い魔なんです」
フレデリカは観念したかの様にため息をついた。
「連絡用? ぬいぐるみを使って連絡するんですか?」
「ぬいぐるみの使い魔!? 初めて見た! かわいー! けど話し相手ならあたしがいるじゃないですかー! もー!」
「これ以上わたしを追い詰めないでくださいー!」
セシルとクラリッサが思い思いに問いかけると、フレデリカは頭を抱えてうずくまった。
「フレデリカいじめるのゆるさん。あとぬいぐるみじゃなくてポコちゃんな」
フレデリカのぬいぐるみ使い魔改め、ポコちゃんは、うずくまるフレデリカの頭から飛び降りると二足で着地。
フレデリカを二人から庇う様に小さく仁王立ちするのであった。
「そうです! わたしはこのご時世に三十路手前にもなって未婚で、ぬいぐるみ作りが趣味で、あまつさえ作ったぬいぐるみの子に意思を持たせて会話をしている寂しい女なんです!」
切羽詰まったフレデリカは錯乱気味にまくし立てる。
「覗き見てしまったことはすみません。そこまで自虐する必要はないと思いますよ。型にはまった人生だけが正しいわけではないですから」
「そうですよ! フレデリカさんはあたしの憧れの女性です! あたしの好きな人のことをそんなに悪く言わないでください!」
セシルとクラリッサは必死にフレデリカのフォローをする。
「フレデリカさびしくない。おうちにみんないる。みんなフレデリカのことだいすき!」
ポコちゃんも手のひらサイズではあるものの、堂々とした立ち姿のまま、胸を張ってフレデリカを励ます。
「ぬいぐるみの子が他にたくさんいることをバラさないでくださいー!」
ポコちゃんの悪気のない一言が、余計にフレデリカをパニックに陥らせてしまう。
「ポコちゃんでしょ? シーちゃんでしょ? ブーちゃんでしょ? プニちゃんでしょ?」
「やめてー!」
ぬいぐるみ達の名前を列挙し出すポコちゃん。必死にそれを止めようとするフレデリカ。
クラリッサも初めて見るフレデリカの狼狽ぶりに驚いてしまい次のフォローの言葉が出てこない。
(元はといえば俺を倒したクラリッサが悪い気もするが、ここは俺がなんとかするしかない!)
「ポコちゃん! ちょうちょ、ちょうちょがいる! おっきいやつが!」
セシルが偶然にも開いていた窓の向こう、適当な方向を指さして叫んだ。
「ちょうちょ!? どこだ!?」
「お外の……木の辺り! 早くしないと逃げちゃうかも!」
ポコちゃんは見事セシルのウソに食いついた。ポコちゃんは勢いよく窓から飛び出す。
「フレデリカ! ポコちゃんちょうちょつかまえてくる!」
「え、あの、暗くなる前に戻ってくるのよ!」
「つかまえたらシーちゃんつうしんでおしえるね!」
シーちゃんとはポコちゃんの対になる連絡用ぬいぐるみ使い魔のことだ。
ポコちゃんがいなくなりようやく医務室が落ち着くと、次第にフレデリカは落ち着きを取り戻すのだった。
「お見苦しいところをお見せしました……」
フレデリカがセシルの治療をしながら謝罪する。
「なんというか、誰にでも隠したい秘密の一つや二つあると思いますよ。俺だって身の上が外部に知られたら不味いんでしょう?」
「そうですよ! あたしだって……なんかしら秘密があるはずです! 多分!」
セシルとクラリッサはフレデリカが再び取り乱すことのない様にフォローを欠かさない。
「でも……」
「そう! そういえば気になってたんですよ! セシルが『原石』だってことがバレるとどんな問題があるんですか?」
何か言いかけたフレデリカを無理やり遮って、クラリッサが話題を変える。
「クラリッサちゃん。今後の為にも言っておくけど、『原石』についての話は遮音の魔術がかかっているか確認してからしてちょうだい? 今回は……その、ポコちゃんと話していた内容が外に聞こえないようにかけたものがまだ残っていたから大丈夫だったけど」
「ご、ごめんなさい……」
思わずクラリッサは小声で謝る。
「俺もその辺りの事情を全く知らないから、フレデリカさんの話せる範囲でいいので聞きたいです」
「わかりました。ただ『原石』のことを隠し通せと言われても、何かの拍子でぼろが出るかも知れないですからね。そもそも『原石』については教王府に管轄権があることをお二人は覚えていますか?」
「前にベネディクトさんが言ってたやつですね。俺のことがバレると最悪『特務』が潰れる、とか」
「あたしは当然知ってますよ? でもなんで教王府は『原石』のことをそこまで重要視しているんですか?」
初めてベネディクト達に出会った日、自身を巡って論争が巻き起こったことをセシルは忘れていなかった。
「『原石』の存在がなくてはローレ・デダームは国家としてそもそも成立できないからです」
「じゃあ『原石』の力を使って人々を助けたり、使徒と戦ったりってこと……ですか?」
ベネディクトが対使徒戦に向けて戦力を欲していたことをセシルは思い出し、聞く。
「いいえ。教王府によって『原石』は資源にされてしまうんです。残酷な言い方ですが、燃料と言った方がわかりやすいでしょうか」
「でも『原石』を燃料にしているなら、教王府はそれを利用して何をしているんですか? それに『原石』の命の保障は?」
「それについては……わかりません。今話したことが『原石』についてわたしが知り得る内容の全てなんです」
セシルとクラリッサは共に沈黙する。
(『原石』が資源? じゃあ俺は燃料にされるためにスカウトされたのか?)
セシルの理解が追いつかない。
自分も燃料とやらにされていたかもしれないのだ。それに自由や命の保障もなく。
「じゃあじゃあ。あたしが決まり通りに教王府へ引き渡さずに、こっちにセシルを連れてきたのは『いいこと』だったんですよね?」
「使徒との決戦に向けて戦力拡大を目論んでいるベネディクトにとってはそうでしょうね。でも、すみません。わたしにとっては少し難しい話です。最悪『特務』が取り潰される可能性もあるわけですから」
(使徒と戦っている勢力で一番精力的に活動しているのがこの特務騎士団だとベネディクトさんは言っていた。だとしたら、俺の失敗で特務を潰させるわけにはいかない……)
セシルは改めて、任務の成功を心に誓う。
だがその一方で、この国を統治する教王府に対する疑念が僅かに芽生え始めていた。