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第56話 砲声

 砲声が二度、響いた。


 “雷杖”の名が示すように、雷の如き轟音が空気を揺らす。


 ハインリヒがポケットに忍ばせていた魔鉱石の破片が“雷杖”に引き寄せられ、弾丸として射出されたのだ。


 ベネディクトは防壁を展開することができないまま、二発の弾は彼の胸と肩に直撃した。


 ルキウスほどの才能ではないがベネディクトも鍛錬により魔力の流れを読むことに長けている。


 だが、旧友の狂気に動揺したことが対応の遅れの理由としてあった。


 壁まで吹き飛ばされたベネディクトは体勢を崩し倒れかけたが、すんでのところで踏みとどまり顔を上げてハインリヒを見据える。


 彼は一瞬で攻撃の予兆を見逃したことを悟って瞬間的に身体強化に全身の魔力を回したのだった。


「ふむ。“雷杖”にもまだ改良の余地があるか……いや、ベネディクト。君ほどの魔術師をこんな不意打ちでどうにかしようという考えが誤りだったかな」


「いいや、この身で十分その威力は味わった。確かに魔術戦の歴史が変わる発明だとは思うが……冗談が過ぎるね。私でなければ死んでいたかもしれないよ」


「殺すつもりだったさ」


 ハインリヒは技術者として一流の魔術師相手に試作品を使用した所感を述べ、ベネディクトは軽口を叩きながら追撃を警戒する。


 ベネディクトの左の鎖骨は折れ、肋骨も数本が折れている。激痛が彼の脳を焼く。


「私の首を土産にでもして使徒に与するつもりかい?」


 急速な治癒魔術で無理やりに骨を繋げるベネディクト。


 彼は態勢が整い次第、技術局を脱出するつもりだった。どんな未知の試作兵器が存在するかが読めないからだ。


(どうやら“雷杖”の入手はもう無理そうだが、技術局が敵に回ったことを早い段階で知れたことは収穫だ。そう前向きに考えるしかないな)


「使徒? 関係ないよ。教王府……技術局は僕ら第二開発室を見限った。だから僕たちも教王府に相応の報復をする。それだけだ」


「なら、それは正当な手段で訴えるべき話だね。ただ仮に私が力を貸すと言っても聞き入れてもらえそうにないのが残念だ」


「僕のことをよくわかってるじゃないか」


 ベネディクトは強引に治療した身体を、まだ負傷したままのように装って逃走の機会を探る。


 “雷杖”を構えたままのハインリヒが再び先端に魔力を込め始めた。


 その姿をじっと見つめるベネディクト。


 弾丸は発射されなかった。彼がこの部屋全体に土元素由来の魔術を阻害するという指向性を持つ魔力を巡らせていたからだ。


 四元素の力を増幅させたり、逆に空間へ干渉して魔術を不発に終わらせるというベネディクトの得意技だ。


 そして不発を確認するまでもなく、彼は全力で駆けた。


 じくじくと痛みを訴える身体を力づくで動かし、足に魔力を集中してハインリヒの執務室から逃げるベネディクト。


 そして、ベネディクトが飛び出した廊下には一人の少女がいた。


 その姿を確認して急停止するベネディクト。


 見かけは十代前半で、その姿は市井の人と何ら変わりない。


 だが王立魔導技術局は普段であれば騎士団員が巡回している重要施設だ。


 平民の少女が本来いるはずの場所ではない。


 今度のベネディクトの判断は正しかった。


 瞬間的に防壁を五重に展開し、足に集中させていた魔力を全身に流す。彼の力量であれば複数人からの“雷杖”の砲撃にも十分耐えられるはずだったからだ。


 結果として、現実は彼の判断を超えた。


 少女の肩までかかった黒髪がなびいて、次の瞬間にはベネディクトの背後にいた。


 背後から少女の異常なまでの魔力を感じると、既に防壁は崩れており、彼の右脇腹が深々と切り裂かれている。


「『原石』……!」


 痛みと出血から膝をつきながらも倒れずに治癒を試みるベネディクトだったが、既に少女の正体を看破していた。


 これまで身近に接してきたセシルのものと似た、人の形に魔力を凝縮したような気配を体感したからだ。


「ご名答。さては君にも子飼いの『原石』がいるのかな? まあ、特務の事情は僕の知ったことではないけどね」


「……君の復讐にそんな子供まで巻き込むつもりかい?」


「僕だけのものではないさ。彼女……ミアだって教王府に捨てられた被検体なんだよ」


 ベネディクトは正面に現れたハインリヒから背後に目を向け、ナイフを手にしたミアと呼ばれた少女を見据える。


 特別なナイフではない、簡素な狩猟用のものだ。


 だが、膨大な魔力を注ぎ込むことで防壁が何枚重ねだろうと彼女は容易にそれを打ち破ることができた。


「教王府主導の実験の失敗作として処分予定だった彼女を僕が引き取った……名目上は“雷杖”試作品の『的』としてね。酷い話だろう?」


 ハインリヒの目は狂気を孕んでいたが、彼を古くから知るベネディクトにはその言葉が嘘だとは思えなかった。


「技術局やその周辺には教王府に恨みを持つ者が少なくないんだ。特務騎士団の司令官が知らない話ではないだろうに」


「……君までもがそういった復讐心に身を任せるとは考えたくなかったからだよ。少なくとも私は君を信じていた」


「もうこれは僕一人の復讐ではないんだよ。この国の歪みは使徒だけが作っているんじゃない、教王府がそうさせているということを皆に知らしめる。その後は好きなやつが政治をやればいいさ」


 ベネディクトは使徒対策として秘密裏に技術局を訪れた軽率さを悔やんだ。確かに技術局や騎士団で冷遇されている一部の層が教王府に不満を持っていることは周知の事実だったからだ。


 しかし彼はハインリヒが気遣うようにミアに視線を向けているのを見て一縷の望みを抱き、それに賭けた。


「彼女が本当にいるべき場所へ返す方法を私と考えるつもりはないのかい? 私の下には『原石』の少年がいる……“天馬遊撃隊”隊長のセシル君だ。今でこそ使徒打倒という同じ目的のために戦ってもらっているが、彼には共に戦う友と求める理想がある。そこに彼女、ミアが加わる未来だって……」


「残念だけど、ミアの余命はあと半年ほどなんだ。実験の影響でね。恵まれた境遇にある『原石』の話なんて、ミアを傷つけるだけだよ」


「なら君は彼女のために復讐を……」


 言葉の途中でハインリヒが“雷杖”でベネディクトを撃った。


 今回は射撃への干渉は行われず、脇腹から流れた血だまりにベネディクトが崩れ落ちる。


 そしてハインリヒはミアを連れ、急いで技術局を出た。


 彼ら反逆者は、王都を使徒が攻めるような事態に蜂起する備えをしていたからだ。


 騎士団員と技術局員と助け出された被検体たちによる反動勢力。


 その集合場所に足早に向かう二人をベネディクトは血だまりの中から見送り、立ち上がった。


「全く……。ルキウスといい、ハインリヒといい。どうして君たちは私やヴァルター、フレデリカに相談しようとせず自分だけで闇を抱え込むんだい?」


 ベネディクトは“雷杖”発射の妨害はしなかったが、自身を中心とした強力な土元素拒絶の結界を張っていた。


 ハインリヒに感知されないように肌を覆う形で作られたその結界は着弾直前で弾丸を破壊し、自ら倒れることで直撃したように見せかけたのだ。


 細かい石の破片が腹に刺さったが軽症で済んだ。問題はミアという少女に斬られた傷だ。


(どの元素のものでもない独特の魔力だね。セシル君のものと似ているが……少し違う。毒に近いかな)


 治癒魔術が満足に作動しない脇腹の傷の状態を冷静に確認しながら、ベネディクトはこのままハインリヒたちを追うか特務騎士団に戻るか思案した。


「まあこうすべき、なのかな」


 そう言ってベネディクトは技術局を出てゆっくりと歩き始めた。


 友が敵になる哀しみを既に知る彼は、命を賭してでも暴走するハインリヒを止める覚悟を決めたのだった。

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