第54話 真打
教王府の中枢。つまりは王都の中央にそびえる白い塔。
そこに押し入った二人の賊。
一人は上級使徒序列第九位“奴隷人形部隊”の指揮官。ルキウス。
そしてもう一人、少女の姿をした“最初の使徒”……またの名を“四祖の赤”ロキ。
使徒の上級幹部と最高指導者による大胆極まりない侵攻。
二人はウルスラが王都の結界を破壊した混乱に乗じて転移してきたのだ。
ルキウスは黒いコートの下に革鎧を着た軽装、ロキは名前に由来した赤いワンピースを着用している。
二人は手勢も連れずに王都の最重要拠点へ強行突破を成功させた。
そしてロキは一階広間の中央で魔力を集中。守備に当たる騎士を吹き飛ばす大爆発を起こす。
それはルキウスを巻き込むことすら厭わない容赦のない一撃。
だがルキウスは生来の「魔力の流れを読む」力によってロキによる攻撃の予兆を感知。周囲の騎士を操って壁を作り、さらに多層の防壁で魔力の奔流を受け切ってみせた。
騎士を操った力。これは魔力を司る天賦の才とは別に彼の編み出した魔術だった。
ルキウスはこのロキの行動に愚痴一つこぼさない。
一方でロキもルキウスの実力に対し、信頼とも楽観とも取れる思いから、厳重に守護された地下二階層ごとぶち抜く一撃を放ったのだ。
「生きてるかい? プロメテウスはこの下だ。それにしても、君ほどの腕をしても倒せないものなのかな。アーサーは」
「……黙れ」
ルキウスが一瞬殺気を纏う。
王国騎士団のアーサーと特務騎士団のルキウス。どちらが「最強」なのかはかつて王都市民により何度も議論されたテーマだった。
二人が直接対決した記録はない。ルキウスが二人の実力が比較されるような場面を避けたからだ。
当時のアーサーは現在と比べるとやや血気盛んで、周囲からはルキウスがいわゆる「大人の対応」をしているように見えた。
だがロキはルキウスが過去に抱いていた複雑な心境を見透かしており、時折こうして煽るのだった。
「怖いねえ。じゃあ、行こうか」
穴の中へ降りたロキは足を踏み鳴らして、さらに床を破り落ちていく。
本当の教王プロメテウスのいる薄暗い広間へと。
*
天井に空いた穴から赤いワンピースをたなびかせて落ちてくるロキと、黒コートを着込んだ男の姿を見てセシルは白剣を構える。
枢機卿ゼノンもプロメテウスの前に一歩出て、守護する態勢を整えた。
「久しぶりだね。愚弟プロメテウス。この不完全な世界をそんな姿になってまで延命してくれて、どうもありがとう」
「ロキ。貴様さえ、貴様さえ裏切らなければ、この世界は完成していたというのに……!」
「違うな。お前たちの理想など、ただの停滞した世界だ」
水晶の様な半透明の人型。異形の姿をしたプロメテウスが収められた円筒状の結界の中を、気泡が渦巻く。
先ほどまでのセシルとの対話とは打って変わった態度。
「なんだよプクプクと。言葉にしないと通じないだろう? まともな怒り方を忘れちゃった? 人間の言葉は覚えているかい?」
「『原石』たちが異能を振るって秩序を脅かすから、その力を人民全てに分配して皆が平等に『魔術』を使えるようにする……これが私たちの計画だったはずだ。だが貴様の裏切りで『開花』前ではあるが『原石』は生まれ続け、彼らを生贄代わりにしなければローレ・デダームは成り立たなくなった。今さら何の用だ……!」
プロメテウスは魔力を通じて空間に音を響かせる。彼は既に人の姿から逸脱していたが、その声が怒気を孕んでいるのは明らかだった。
しかし、プロメテウス自身にはロキが何をしに来たのかはなんとなく理解できていた。目的はわからずとも。
「僕はかつての異能者……つまりは『原石』と魔術の共存する世界を望んだ。それが歪な形だとしてもね。昔から頭の固い奴だとは思っていたが、こうまで察しが悪いとは。見る限り身も心も堅物になってしまったようだ」
「……もういいか?」
黒いコートの使徒がロキに問いかけると彼女は軽く頷いた。
瞬間。男は駆け出していた。
セシルでは反応すらできない爆発的な加速。
その速さはかつてのガニメデのトップスピードを凌駕していた。
「ルキウス! 貴様!」
ゼノンが防壁を展開し、プロメテウスを守る。
ルキウスという名でセシルにもピンときた。かつて特務騎士団に所属していたという裏切り者の特務騎士。そしてベネディクトやヴァルター、フレデリカの同期。
その男が王都の中枢に入り込んでいるのだと。
「あれがルキウス……? 特務の、ベネディクトさんの、仲間のはずだった?」
ルキウスはそのまま防壁には跳び込まず、地下室の壁を走りながら逡巡する。
(俺を警戒して防壁の魔力を全方位に散らしたか、だが全体を意識し過ぎて手元が疎かになっている)
瞬き一つ分にも満たない洞察で、ルキウスはゼノンの防壁の弱点を見つけ出した。
そしてゼノンの真正面の壁を蹴り崩しながら、中央へと突っ込む。
ルキウスはブーツのつま先に仕込んだナイフで防壁の中心、つまりゼノンの右手を突いた。
防壁が砕け散るが、精度が高かったのかナイフはゼノンまで届かない。
逆にゼノンが隠し切れない笑みを浮かべる。彼は枢機卿という教王府における政治の頂点でありながら、優れた魔術師だった。
ゼノンの左手に膨大な魔力が集中している。
ルキウスの速さを間近に見たゼノンは、防壁の破壊が起点となるように最大火力の魔弾を放つ迎撃の用意をしていた。
自身の目が追い切れないならば、自動で術式が発動すればいい──その考えは間違っていなかったし、咄嗟にそれを実践できるゼノンの能力の高さが伺える。
だが。
その仕組みまでルキウスには見破られていた。
(不味い! あの男、プロメテウスをどうする気だ!?)
プロメテウスとの会話、そして突然の襲撃で混乱したセシルは対応が遅れる。慌てて駆け寄るセシルよりも、魔弾の発射よりも先に、ルキウスの脚が跳ね上がった。
仕込みナイフが煌めき、ゼノンの左腕から鮮血が迸る。
切断にまでは至らない切り傷。通常の術式であれば戦闘の続行が可能な負傷。
ただ、ゼノンが練り上げた魔力の大半を左手に集中していたことが問題だった。
彼の魔力の通う経路が破壊されたのだ。
これはルキウスの「術式の発動前に潰す」という常套手段。
特務騎士時代に数多の使徒を葬り去ったその力が今や、実質的なローレ・デダームの実質的トップである枢機卿に向けられていた。
「おお、おおお、おおおお!」
ゼノンは魔力を押さえ込もうと必死だが、コントロールを失いいつ暴発してもおかしくない。
そして眼前でもがく部下を見ながら、プロメテウスには手を出すことができない。
彼の持つ力のほとんどがローレ・デダームの運営に割かれているからだ。
プロメテウスからしてみればロキによる襲撃の意図は自明だった。
ロキはプロメテウスを殺しに来たのだ。
ゼノンの魔力が暴発する。爆発そのものでプロメテウスが死ぬことはないが、彼を生存させている魔導器を尽く破壊し得る威力を持っていた。
爆風がセシルに届く寸前。彼の目の前に転移用の黒紫色の扉が開き、何者かが力強く引きずり込んだ。
セシルは転移中の空間で何もできなかった無力感を噛みしめながら、プロメテウスの言葉を思い出す。
「君が光になれ」
それは彼が最後に発した言葉だった。




