第4話 パン
フレデリカは「原石」には及ばないものの、通常の魔術師の数倍の量の魔力を身に宿し、使いこなす才能を持っていた。
その力によって彼女はセシルとクラリッサの治療を短時間で終えることができた。
セシル達が医務室でフレデリカによる治療を終え、ベネディクトの執務室に戻ると彼ともう一人、セシルやクラリッサと同年代の少女が来客用のソファーに座っている。
グレーの制服姿の小柄な少女はテーブル上の皿に盛られたパンの山に向かい、一心不乱に食らいつく。
「何よ……アンじゃないの」
少女の食いっぷりに思わずセシルが見入っていると、クラリッサが呆れたようにこぼした。
「もっす!」
口にパンを咥えたまま、手を上げクラリッサに挨拶するアンと呼ばれた少女。
「傷は癒えたかい? 早速計画の協力者を紹介しようと思って彼女を呼んだんだ。そうか。クラリッサと彼女は面識があったね」
「傷はフレデリカさんに治してもらえました。でも大丈夫なんですか? さっきの件にそこの方を巻き込んで……」
「ハイ! 大丈夫っす!」
両手に騎士団特製のパンを持ったまま、少女は勢いよく立ち上がり二人と向かい合う。
「で、どのくらいヤバい案件なんすか?」
セシルは確認の意味を込めて一旦ベネディクトの方を見ると、彼は微笑みながら頷く。
「セシルっていいます。『原石』です」
「そっすか! わたしはアンっす! よろしくお願いするっす!」
クラリッサが珍しく静かだったのでセシルがちらりと横目でクラリッサを見る。
すると彼女は皿へ盛られたパンに目を奪われていた。
ベネディクトはクラリッサの視線に気付いた様で、三人に告げる。
「まぁ、詳しい話は食事でもしながらしようじゃないか。アンの希望でパンしかないけどね。」
「やたー!」
次の瞬間、歩く時間も惜しいとばかりにクラリッサはアンの隣に転移していた。
「はは。フレデリカにクラリッサへどんな教育をしているのか今度聞いておくとしようか」
「ふぁい?」
「いただきます」
セシルもアンを挟む様に席に着くと皿に手を伸ばす。
皿に盛られていたのは村では見たことすらない一級品のパンだった。
自然とクラリッサやアンと競争するかの様に、口に運ぶペースが加速していく。
「……話は食べ終わってからにしようか」
ベネディクトが呆れた様に告げた。
「そろそろ本題に移ってもいいかな? 遮音の魔術はかけてあるから自由に発言してくれて構わないよ」
「その前に、一つ質問してもいいですか?」
ベネディクトが計画について話そうとすると、逆にセシルがベネディクトに問う。
「アンのことかい? 彼女はクラリッサ同様士官学校の生徒であり、特務の協力者だよ。特別な魔術を使えてね。重宝させてもらっている」
「はい! 任務を手伝うとご飯を奢ってもらえることになってるっす!」
(任務の対価が飯って……それでいいのか?)
「ようやく本題に入れるね。セシルくんにはさっき話したように王国騎士団の士官学校に編入してもらう。クラリッサとアンのサポートの下で、セシル君は魔術師としての戦い方を学んで欲しい。編入だけで目立つのに特務所属と『原石』であることが知られたらそれだけで計画は破綻するからね。士官学校での立ち振る舞いに違和感が出ないように色々教えてあげてくれ」
「はいっす!」
「前から思ってたんですけど、もう前線に立ってるあたしが士官学校に通う必要ってありますか?」
「うん、あるよ。君の戦いは転移に頼り切りで基礎がなってないからね。彼のサポートついでに一から学び直すといい」
ベネディクトの答えにクラリッサはため息を隠そうともしない。
「アンとクラリッサには任務の依頼をしばらく無くすから、空いた時間でセシル君の特訓に協力してあげて欲しい。別に卒業まで士官学校にいる必要はないからね。モノになったら『特務』に戻ってきてもらうよ」
「え、任務がないならご飯はどうなるっすか……?」
生きる目的の全てを失ったかのような表情になるアン。
「この仕事が終わったらご馳走を用意するよ。好きなものを、好きなだけね」
「やったっすー! 気合い入れるっすよ!」
打って変わって満面の笑みを浮かべたアンはセシルの背中をバシバシと叩く。
「編入後には夜な夜なヴァルターに剣の稽古をしてもらうことになる。それはもう徹底的に。編入生が剣も使えないとなると推薦した『特務』が疑われてしまうからね。一通り剣の扱い方をマスターしてもらうから、よろしくね」
「あの、剣の扱いを覚えればいずれはガニメデとも戦えるようになるんですか?」
街道での場景を思い浮かべながらセシルが問う。
「それは命を投げ捨てるようなものだ。私はもう少し長い目で君の成長を見守るつもりだよ。それで、他に質問があれば答えられる範囲で答えようか」
「じゃあ、そもそも王国騎士団と特務騎士団は何が違うんですか?」
魔術世界に足を踏み入れたばかりのセシルは少しでもこの世界の常識を学ぼうとする。
「この国、ローレ・デダームを統治するのが教王府。そして王国騎士団は教王府が指揮権を持つこの国の軍隊だね。魔術を修めた騎士による治安維持が主な仕事になる。それに対して特務騎士団は、教王府に反する異端の中でも“黒父の使徒”という異端の最大勢力と戦うことを専門として設立された組織なんだ……わかるかい?」
「ベネディクトさん、いくらセシルだってそんなこと流石にわかるんじゃ……」
「いいんだクラリッサ。王国騎士だって昨日初めて見たんだから……つまり『特務』は使徒と戦うための勢力ということですか?」
「そういう認識で結構。他に質問がなければ今日はここまでにしようか」
一つの国に複数の魔術師の勢力があるという事実に混乱してしまうセシル。
「今日はここで解散。また時間を作るから後日細かいところを詰めようか。三人とも今日は本部に泊っていってくれ。空いてる部屋をそれぞれ用意したから自由に使ってもらっていいからね」
会合は終わり、執務室を出て三人ともそれぞれ用意された部屋へと移動を始めるのだった。
この先どんな苦難が待ち受けているかはセシルにはまだわからない。
(だけど、俺に出来ることを全力でやり遂げたい……!)
そして使徒と戦いながらも底抜けの明るさを発揮するアンの姿を見ることで、少し気持ちが楽になった気がした。