第3話 特務
「虫けらはお前だ!」
ガニメデの剣がクラリッサに迫る瞬間、セシルの叫びが響く。
胸が押しつぶされ、肺が潰れるような感覚と共にガニメデが吹き飛ぶ。
地面に剣を突き立て踏ん張る彼は困惑と期待を込めた笑みを浮かべ、叫ぶ。
「何だってんだぁ!? マジで増援かよ!」
だが増援の姿は無い。
そしてドロシーの金切り声が森を震わせる。
「やっぱりこいつ、『開花』してる! ガニメデ! どうすんのよ!」
ガニメデがまさかと思いセシルの方を見る。
そこにセシルが立っていた。
手のひらの傷から血と魔力を漏らしながら、そこに立つ「原石」の少年。
ドロシー自身の「開花」の知識が与える恐怖によって、彼女はその場にへたり込む。
「開花」。「原石」の覚醒を指すそれは、セシルが既存の魔術法則から逸脱した「不可能を可能にする」存在になったことを意味する。
覚醒した「原石」が力の使い方さえ会得すれば、彼女一人捻り潰すことなど容易い。
少しでも後ずさりして彼から距離を取ろうと、ドロシーが杖を振り回す。
セシルから目を逸らそうにも彼女の生存本能がそれをさせない。
ドロシーの目は恐怖に染まり、今にもその心を引き裂こうとしていた。
そのひび割れた心により、コントロールを失った魔力の斬撃が飛び交い、枝を斬るがセシルには当たらない。
「ガニメデ! 早く殺して!」
「チッ! 俺がやる!」
空間を蹴り加速しながら、ガニメデがセシルに飛び掛かる。
だがセシルに近付くほど、迸る魔力の波動に押し戻され動けなくなった。
「なるほどマジで『開花』してやがる! これか! 魔術の法則をぶち壊すってのは! それにこの波動! 魔術の素人相手に、この俺が見えねえ、避けられねえ! ああ、だから戦場はたまらねえ!」
ガニメデの獣の本能が、これ以上セシルを攻め立てるのを躊躇させる。
しかし彼はこの自身の危機すら楽しんでいた。
押し寄せる波動にガニメデは全力で踏ん張るも、勢いに負け街道脇の木をへし折りながら吹き飛ばされる。
「おい! 『ゲート』はどうした!?」
顔から流れる血を拭いながらガニメデが叫ぶ。
「わかんない! わかんない! 早くこいつ、殺してよ!」
ドロシーはパニック状態に陥り、最早当てにならないとガニメデは判断する。
だがドロシーの絶叫でセシルの視線がドロシーに移り、波動が弱まった。
その一瞬の隙を突き、何重にも空間を蹴ったガニメデは、渾身の力で勢いよく駆け出そうとする。
が。
いつの間にか背後に立ったセシルによって肩を掴まれていた。
「逃げるのかよ?」
魔力を肘から噴出させて勢いを増したセシルの拳が、振り返ったガニメデの顔を殴り飛ばした。
「……ペッ! やるじゃあねえか! クソッタレ! 時間切れだ! 今日は俺の負けってことにしてやる!」
血を吐き捨てながら再び吹き飛ばされたガニメデは、そのまま空間を蹴って加速しながらドロシーを担いで遠ざかる。
こうして。セシルとクラリッサはガニメデとドロシーを撃退し、傷だらけの勝利を得たのだった。
まず最初に感じたのは全身の痛みだった。そしてその次は後頭部を包み込むような柔らかい感触。
セシルが目を覚ますと、桃色の髪の少女、クラリッサがセシルの顔を上から覗き込んでいた。
「よかったぁ! 生きててくれて、ホントによかった……」
意識を失っていたセシルが目覚めたことに気付くと、クラリッサは今にも泣き出しそうな顔になった。
(そうか、この人は俺を助けてくれた……)
まだ朦朧としているセシルは、しばらく自分を覗き込む見知らぬ少女のぼんやりと顔を眺めていたが、自身が少女に膝枕をされていることに気付くと赤面し咄嗟に身を起そうとする。
が、痛みで動くことができない。
「せっかく手当したんだから無理に動かないでね。でもゴメン、あたし治癒魔術は得意じゃないの。痛いと思うけどもう少し我慢してね」
「ありがとうございます……」
気が付くとセシルは派手な内装の部屋にある、柔らかいソファーに横たわっていることに気付く。
「え? ここ、どこ……?」
「いいのいいの、大したことじゃないから気にしないで! あんな道端で寝てるよりずっと安全な場所だから! そうだ! あなたの名前を教えてもらえる? 命の恩人の名前を知らないなんて失礼だもんね。あたしはクラリッサ! 『特務騎士団』所属の魔術師!」
「え? 恩人? 俺が助けてもらったんじゃないんですか?」
「ん? あなたを助けようとして乱入したはしたけど、結局逆にあたしを助けてくれたでしょ? こう、ぶわーって! で、その後また急に倒れちゃったから介抱してたんだけど……」
今日一日を通じて、セシルにとって何から何までわからないことだらけだった。
(俺があの状況で、この人を助けた?)
「もしもーし、聞こえてる? やっぱりあたしの処置がダメだったのかな……?」
「いや、頭を殴られてからの記憶がなくって……」
「やっぱりあたしのせいじゃん!」
クラリッサはまたしても泣き出しそうな表情になってしまった。
「『原石』の子には下手な治療なんかしない方がよかったのかな。どうしよう……」
(ちょっと感情表現が激しい女の子だな……)
セシルは胸の中でひとりごちた。
「助けに来てくれて、治療まで……ありがとう、クラリッサさん」
「あたしのことはクラリッサって呼んでよ。あたしもあなたのこと……って結局まだ名前教えてもらってないじゃん!」
「あ、俺はセシルって言います」
「敬語もいらなーい!」
セシルは改めて部屋の内装を見渡す。書棚、今寝ている豪奢なソファーとそれに挟まれたテーブル。そしてシンプルでありながら大振りな机と椅子が一組。
木材から切り出した簡素な机しか見たことのないセシルが目を丸くしていると、突然三人の男女が部屋に入ってきた。
「こんな時間にお客さんだって言うから来たものの……彼、誰かな?」
微笑を浮かべて問いかけたのは三人のうちの一人、眼鏡をかけた金髪の青年である。
三人とも黒を基調とした軍服を着用している。
他二人は、金髪の男より少し背の高い目つきが鋭い黒髪の男と、書類を抱えた小柄で温和そうな薄紫色の髪をした女性。
全員二十代の後半ほどの年齢であろうか。
「はい! 『原石』の男の子です! あたしが保護して連れてきました!」
クラリッサが元気よく報告すると、黒髪の男の表情が強張る。
「確かに僕の見た限り『原石』の様だが、『原石』に関しては管轄が違うのは君も知ってるはずだよね? あといい加減任務中に私服はやめること」
相変わらずにこやかな金髪眼鏡の男は一旦眼鏡を外し、ドロシーの持っていたのと似たようなレンズでセシルを覗き込んだ後クラリッサに告げた。
「でもでも『開花』しちゃったみたいで、司令の判断を仰ごうと思って連れてきました! さっきまではヘロヘロだったけど、今は落ちついたみたいです!」
金髪眼鏡の男の笑顔が凍りつく。
黒髪の男は腰の剣に手をかけ、小柄の女性は手にしていた書類を床に捨て両手へ魔力を集める。
「ヴァルター、剣は抜くな。フレデリカ、君は執務室全体に遮音の魔術をかけてくれ」
「ベネディクト、しかし……」
「抑えるんだ」
ヴァルターと呼ばれた黒髪の男は諦めたかのように抜刀しかけていた手を下ろす。
フレデリカと呼ばれた小柄の女性はパタパタと部屋の入口まで駆け寄り、ドアに手を当て何かつぶやいた。
「ベネディクト、三重に遮音の魔術をかけました。もう大丈夫なはずです」
「初めまして。そしてようこそ王国特務魔導騎士団司令官の執務室へ。世間からは『特務騎士団』と呼ばれている。一応、王国騎士団とは指揮系統の異なる特務機関だよ。私は司令官のベネディクト。で、話は逸れたが『原石』の少年、君の名前は? そして『開花』したというのは本当かい?」
ベネディクトと呼ばれる金髪眼鏡の男は、向かい合うようにソファーに腰かけセシルへたたみかけるように話しかける。
「俺はセシルと言います。『開花』というのは……よくわかりません。記憶もないし……」
「でも、使徒をぶっ飛ばしてました。ガニメデとかいう男です!」
クラリッサが口を挟む。
「ガニメデ……とは“剣鬼”ガニメデ? それをセシル君が撃退したと?」
「けんき? は知らないですけど。こう、空間を跳ねる術式を使う軽薄な男でした!」
クラリッサの言葉の一つ一つを噛みしめるようにベネディクトは思案する。
「確かにクラリッサ、君の実力では“剣鬼”ガニメデと交戦したとなると確実に命を落とすだろう。しかしその様子だと……本当に戦っているね?」
「はい! 死ぬかと思いました」
「だが君とセシル君はガニメデと戦い生還した。つまり『開花』の話は真実か……?」
セシルが何か言う暇を与えず、クラリッサとベネディクトの会話の応酬が続く。
「俺が『開花』した『原石』とかいうのだったとして、何か問題があるんですか?」
今度はセシルが口を挟む。
「大問題さ。任務遂行の上で保護した『原石』は王都の教王府に引き渡すのが通例になっている。だがね、『原石』が『開花』し、真の力を覚醒させたとなると素直に引き渡すわけにはいかないよ。何せこの百年間記録のない異常事態だ」
「それは、どうしてですか?」
「我々『特務騎士団』の戦力として欲しいからだ」
(俺が騎士団に……?)
途端にフレデリカとヴァルターの顔色が変わる。
「ベネディクト、お願いだから考え直してください。『特務騎士団』が『原石』を匿っているなんて知られたら、『特務』は潰されちゃいます」
「俺も反対だ。仮にこいつにあのガニメデを退けるほどの力があるとして、その力を安定して行使できるという保証はないだろう。前例がない」
「前例がないのは承知の上だよ。だが二人は知っているはずだ。それだけのリスクを背負わないと使徒には勝てない。分かるだろう?」
「それは……」
フレデリカが言い淀む。
「本来国防の要である王国騎士団は頼れないし、異端審問官は統率が取れていない。使徒と戦っているのは常に我々だよ。二人はそう感じないかい?」
「だとしても、そいつの為に『特務騎士団』が無くなっては元も子もないだろう」
「『特務騎士団』が無くなれば……私はたとえ国家から独立することになっても、使徒殲滅を優先する」
ベネディクトは静かに、しかし揺るがぬ口調で言った。
「そこまでの覚悟があるならば俺には何も言えまいよ。ベネディクト、俺はただお前に付いていくだけだ」
半ば呆れたように、ヴァルターも覚悟を決めて答えた。
「フレデリカ、君はどうする? 降りるならタイミングは今しかない。これは教王府、国家への明確な反逆行為だからね」
「あんまりわたしを見くびらないでください! わたしは『特務騎士団』がなくなった後のことを心配してたんです。あなたがそうまで言ってのけるならわたしだって付いていきます!」
ヴァルターに負けじとフレデリカも答える。
「意見がそろったようでなによりだよ。セシル君、君には使徒と戦う為の駒となってもらう。悪いが嫌とは言わせられない」
少し、考え込んでセシルは答えた。
「……どうやってガニメデを撃退したのか。俺にはよくわかりません。でも俺はあの男を許せないと思います。俺、あいつらに襲われる前は騎士団からスカウトされて、王都で成り上がれるかもしれないとか、そんなことを考えてました。でもあの使徒とかいう連中はきっと他でも酷いことをしてるはずです。難しい話は分からないけど、俺はそれを止める手助けになりたいです。それに……」
「それに?」
「ガニメデは『原石』が王都に出ようが地獄だって、言ってました。俺は真実が知りたい」
騎士達の死。
ガニメデへの怒り。
拳を握り、セシルはベネディクトたちに自身の気持ちを率直に伝えた。
「ありがとう。セシル君。我々も君の力が十全に発揮できるようサポートするつもりだよ。君を簡単に死なせるわけにはいかないからね」
「あの、あたしは? 今相当ヤバイ話を聞いちゃったと思うんですけど……消されちゃう?」
怯えながらクラリッサが疑問を口にする。
「君にはセシル君のサポートを頼む。でも今日ここであった会話は間違っても漏らさないように、ね。残念だけどその時は本当にさようならだよ」
「こっわ……あ、はい、がんばります! で、具体的には何をすればいいんですか?」
「それはね、セシル君に制御訓練と潜入捜査を兼ねて士官学校へ編入してもらおうと思っているんだ」