第2話 覚醒
剣士ガニメデは火球で後方に吹き飛ばされた帽子の少女を顧みることなく、乱入してきた特務騎士クラリッサと対峙する。
そしてセシルを放り捨てると抜刀。臨戦態勢に入る。
セシルは放り出された勢いで転がり、少しでも距離を取ろうとした。
「ドロシー! 『転移の符』はどうした!? 『転移門』は出せねえのか!? こいつだけでも連れてけ!」
「いったぁ……ごめん! 今ので『転移の符』が燃えた! 敵は!?」
ドロシーと呼ばれた少女が起き上がりながら告げる。
どうやら戦闘の混乱に乗じてセシルが連れ去られるという事態は避けられたようだ。
しかし、火球が直撃したにもかかわらずドロシーが炎に苛まれている気配はない。
「見失った! 森に紛れたか!?」
「キッツイのいくよー!」
再び風が吹き荒れ、掛け声とともにドロシーの顔面に強烈な一撃が入る。
ただし今度は火球ではなく急接近しての強烈な右ストレートだった。
ドロシーは吹き飛ばされ沿道の木に激突する。
「耐火の加護は準備済みだったってことね。流石は『使徒』……でも近接戦は苦手だった?」
淡々と敵の魔術師としての性質を分析しているのは、派手な桃色の髪をした黒いドレスの少女。クラリッサ。
少しスカートが短めなのは動きやすさを意識してのものだろうか。
「その子さ、『原石』でしょ? あたしに引き渡してくれないかな?」
「へぇ……断ると言ったら?」
「力尽くで奪い取るけど?」
最早問答は無用と刃を煌めかせてガニメデが斬りかかるが、クラリッサの姿は無い。
「『転移門』作成すら人任せ。ってことはあんた、武一辺倒の術師だよね?」
クラリッサはいつの間にか空高くで滞空しながらガニメデに問いかけた。
同時に風がまたしても彼女の周辺で渦巻く。
それは空間に干渉する風属性の中でも高位の転移魔術が行使されたことを意味した。
「これからあたし、あんた達を爆撃するから。多分あんたは立場上『原石』を守り切らないといけないでしょ? 死なせないようにがんばって」
クラリッサの宣言にぎょっとするセシルだったが、逃げ出す暇もなく彼女の突き出した両腕から、地上へと雨あられの様に火球が降り注ぐ。
桃色の髪が炎に揺れ、ドレスの魔術師クラリッサは最大火力を叩き込む。
状況は理解できないものの、今度こそセシルは死を覚悟した。
だからこそ次に起こったことは彼には信じられないものだった。
さっきまで自分のことを痛めつけようとしていたガニメデが、文字通り身を挺してセシルの盾となっていたからだ。
クラリッサの言う通り、ガニメデは目当てである「原石」のセシルをむざむざくれてやるつもりはなかったし、死なせるわけにもいかないのだ。
そしてクラリッサはある意味で敵であるガニメデの実力を信用し、爆撃の手を緩めることはなかった。
一方で、彼女の敵である異端の魔術師……「使徒」を倒すのに「原石」を巻き添えにしてしまっては、わざわざ無理な転移をして出張ってきた甲斐がない。
「そろそろ! あんたも限界かな!? ギリギリで救援信号をくれた騎士の分も痛い目見てもらうから!」
クラリッサはほんの一瞬爆撃の手を止め目を凝らし、煙霧の中にガニメデの姿を探す。
が、ガニメデはどこにもいない。
「ウソ……死んだ?」
そして、倒れているセシルの姿が見えた瞬間。
クラリッサの視界が“何か”に遮られた。
革鎧を身に纏った剣士、ガニメデがクラリッサの滞空している高度まで一気に跳躍したのである。
彼は爆撃が止まった瞬間を見逃さなかった。
そしてその高さへの跳躍を可能にしたのは、ガニメデが得意とする”空間を足場にする魔術”。
クラリッサの転移魔術と同じ、風属性の空間干渉。
身体強化に特化した彼は、クラリッサの視界から外れるように右斜め上への大きく跳躍。
そして二度目の左斜めへの跳躍でクラリッサに肉薄したのであった。
「ここ一番の隠し玉、ってなぁ!」
ガニメデは大きく剣を振りかぶるとクラリッサに勢いよく斬りかかった。
(!?)
クラリッサは咄嗟に使い捨ての『応急防壁』で身を覆う球状の防壁を展開するが、ガニメデの一撃はいともたやすく防壁を破りクラリッサを地面に叩き落とした。
墜落した衝撃と痛みを堪え、クラリッサは何とか立て直そうとする。
しかしようやく立ち上がったと同時に横合いへと吹き飛ばされた。
機を伺っていたドロシーの指から放たれた魔力の塊、“魔弾”が直撃したのだった。
そしてドロシーの人差し指には魔弾の威力を増幅する指輪がはめられている。
「わたしはやられたらしっかりやり返す主義なの。あんた、単独転移ができる他はイマイチね」
鼻血を拭いながらドロシーが勝ち誇った様に告げる。
ドロシーの告げたことは事実だった。
クラリッサは高度な転移魔術の使い手。
生まれ持ったその才能を買われてガニメデ達の様な異端の魔術師専門の「特務騎士団」に編入されたのであったが、他の術式の練度に関してはやや劣るものがあった。
ただ偶然辺境で任務を終えたクラリッサは王国騎士の救援信号を感知し、いてもたっても居られずにセシルの下へ駆け付けたのだ。
しかし救難信号を発した騎士達の任務が「原石」の護衛だったのはクラリッサの想定外だった。
「使徒」たちも貴重な「原石」を狙っているだけあって強力な魔術師であったし、特にガニメデの強さを見誤っていた。
「ちょっとこれは流石に……詰んじゃったかも……」
「騎士サマじゃ相手にならなかったからなあ! 満足させてもらうぜ!」
目の前には着地したガニメデ、後方には油断なく次の魔弾の狙いを定めるドロシー。
始めは優位に戦闘を進めていたクラリッサであったが、絶体絶命の危機にあった。
(何だよ。何なんだよ。俺の為に騎士の人達が死んで、今度は助けに来てくれた人まで死んじゃうのかよ……)
「……ふざけやがって、人の命を虫けら扱いしやがって、絶対、絶対お前らの思い通りにさせるか!」
セシルは死んだ騎士の近くに落ちていた折れた剣先を痛みに堪えて握り込み、喉元へと突き付けた。
「こっちを見ろバカ野郎! お前らなんかに捕まってやるくらいなら、こうしてやるよ!」
(あいつらの目当ては俺だ。俺が死ねば彼女は助かるかもしれない。俺が、あいつらの隙を作るんだ!)
「バカなこと言わないで! 諦めないって約束して! 二人で逃げるの! こんな奴ら、あたしがやっつけちゃうんだから!」
叫んでからクラリッサはその言葉を自分でも意外に思った。
さっきまで諦めかけていたのに、自分より無力な満身創痍の少年の強い意志を目の当たりにして、とことん最後まで悪あがきしてやるという気持ちになったのだ。
その一方で、二人に無慈悲な現実が襲い掛かる。
クラリッサに向けて歩み寄っていたガニメデが、立ち上がろうとしていたクラリッサの腹部を思い切り蹴り飛ばしたのだった。
クラリッサが再び倒れる。セシルは一層手に持った刃へと力を込めた。
「ヘッ! バカなこと言ってんのは嬢ちゃんだろうがよ、なあ!?」
言い終えるかどうかのタイミングで、いつの間にかガニメデがセシルの目の前に立っていた。
そしてセシルの手を蹴り飛ばすと、剣の鞘でセシルの頭を殴り付け、失神させる。
「妙な真似しやがって、流石の俺もちょっとヒヤッとしたぜ。ドロシー、帰りはどうすんだ?」
「こっちから連絡して向こうから『転移門』を開いてもらうことになると思う」
「じゃあそっちは任せるぜ。俺はこのバカ女を片づけるからよ!」
もうクラリッサには立ち上がる力はない。
ただ精一杯カッコつけた手前、クラリッサは二人同時での転移をまだ諦めていなかった。
「まだ足掻くつもりかよ、虫けら。虫けらの悪あがきばっかり見てたら吐き気がしてきたぜ」
(この際行き先はどこでもいい。転移可能な魔力が満ちるまで少しでも時間を稼がないと……)
「ねぇ、あたしが発ってから大分時間が経ったわ。そろそろ増援が……」
「時間稼ぎならもうちょっと上手くやるんだな。次がない相手に忠告する俺も俺だけどよ」
ガニメデがクラリッサの頭を踏みつけ、剣をクラリッサの身体に突き立てようとする。
その瞬間。
ガニメデは巨木に衝突されたかのように思い切り吹き飛ばされた。
「何よこの魔力! また増援!? こんなところまで他に誰が!?」
咄嗟に防壁で衝撃波を防いだドロシーは、辺りを包み込む異質な魔力が、自身の魔力探知を妨害していることを感じる。
その正体はセシルの全身から漏れ出た魔力だった。
地面には亀裂が入り、ビリビリと空気が震え、ドロシーの肌を刺すように高濃度の魔力が周囲に満ち溢れている。
ドロシーは「原石」の「開花」という可能性を失念していた。
「原石」の「開花」という現象はここ百年もの間、国の記録にも記載がないからだ。
「黙れ……黙れよ人殺し! 虫けらはお前だ!」
意識を取り戻し、心の底から絞り出した叫び声と共に、セシルは覚醒したのだった。




