お中世ラブロマンス描きたくねえ事件から学ぶこと
つい先日のことである。
「お中世ラブロマンス描きたくね~!」
「受けてみたけど「興味ない」から「死ぬほど興味ない」に変わっただけだった」
「二度と受けたくないからやんわり断ろう」
「現実恋愛で色んなタイプのおっぱい女子描きたい」
というような内容のエッセイ(にしか見えない)宣伝マンガをとあるコミカライズ漫画家がX(旧Twitter)に投稿したことで大炎上となった。
今回の話で焦点とすべきは、彼女(あるいは彼)が実際に「お中世ラブロマンス」のコミカライズを手掛けていたことである。
そして問題視すべきは、明らかにバカにしているような描写を一コマなりとも入れていた件である。
これが例えば、実際には手掛けていないジャンルで、バカにするような描写をしていなければ、「ああそういう切り口の創作なんだね」で済んだ。
しかし実際は手掛けたジャンルに盛大に後ろ足で砂をかけ、原作者の心をへし折り、コミカライズを取り持った企業にも泥を投げつける事になってしまった。
この話の問題点として、「言っていいことと悪いことの分別をつけられていない」が先ず挙がると思う。
過激な言葉はインパクトこそあれど、受け取り手が過剰に精神を逆撫でされるような事態がしばしば起こる。
たとえそれが正論であっても、強い語調、乱暴な言葉で言われると、受け入れがたいということはないだろうか?それと同じだと思っていただきたい。
表現として過激にするために「言うべきでないこと」を描いてしまったことが今回の炎上の火種の一つになる。
具体的には「興味ないから死ぬほど興味ないに変わっただけだった」は言わなくてもよかったじゃん。ということだ。
思ったより大変で資料もたくさんでこりゃやってけない、でもよかったと思う。
書き込みが、とか、色々言い訳は出来た。
しかし彼(あるいは彼女)は、一度なりともお世話になったジャンルに対してどえらい失礼な言葉を投げつけてしまったのだ。
しかも、彼女(あるいは彼)自身が原作から何から負担したわけではない。
コミカライズということもあって、原作者が別にいる状態なのだ。
しかもこの原作者はコミカライズされたことをひどく喜び、感謝していた。
今回の宣伝漫画投稿を知った原作者は、ショックを受けた旨を投稿した。(後にその投稿は削除された)
当たり前である。
今後「お中世ラブロマンス」のコミカライズ等の仕事を受けたくない、好きな属性のおっぱい女子を描いて生きていくのだという決意をしたところで宣伝漫画は終わる。
実際、生きていけるかどうかはさておき、この某氏には二度とコミカライズの仕事は回ってこないだろうというのが現実だと私は思っている。
雇われ社会人でもフリーランスでも信頼は命である。
仕事をする上で必要とされるのは実力、そして信頼であると思う。
ちゃらんぽらんな人間に大事な仕事を任せてしまえば他の人間に迷惑が掛かる。
あるいはセキュリティガバガバの人間に機密情報を預けたら社運一気にデッドラインである。
そういうことを考えると、某氏は、一冊の同人誌を描き、そこからステップアップしていこうとする代わりに、それまでの一切の信頼を喪失したことになる。
なぜか。
例えば、とあるゲームのアンソロジーに寄稿を依頼したとしよう。
その後、「あのゲームマジつまんねえ」「ホントはアレのマンガなんて描きたくなかった」とネガキャンマンガを出されないという保証がないのだ。
だって既に一度やっているし。
今回の宣伝漫画はフィクションでエッセイじゃない?
その保証は?
実際そのジャンル手掛けててコ〇ティアで頒布しちゃうぞって状況は同じなのに事実とは一切関係ありませんという証拠は?
私は某氏の頒布した該当の同人誌を購入していない。
なので実際にどういうオチになったのかや展開などは一切存じ上げない。
作中でアバターのように出されたコミカライズ漫画家女子が再び鳴かず飛ばず、どころか頭を下げて「またお中世ラブロマンス描かせてくださいご飯を食べたいです」となるのか、あるいは都合よく欲望詰め合わせたマンガでヒットするのか。
なので今回は宣伝漫画数ページのみを対象に学ぶことを学んで終わりにしようと思う。
発言する場や状況は考える。
言っていいことと悪いことを一拍置いて考える。
恩義のある人たちにはリスペクトを抱いて粗末に扱わない。
改めて、大事にしていきたい。
原作者名および作品名、またコミカライズ漫画家の名前を感想欄に書くのはやめてね。
出さなかった意味を考えておくれね。