AI のリスク
AI技術の進化は、ついに人間を再現する領域へと足を踏み入れた。テキストやイメージ、音楽、動画の生成をはじめ、3D空間に至るまで、多様な生成能力を備えたAIは、次のターゲットとして『人間の脳のニューラルネットワーク』に着目した。脳のスキャン技術が進歩したことで、人間の神経結合や反応を簡単にデジタル化できるようになり、AIがそれを学習データとして扱えるようになったのだ。これにより、特定の個人の「人格」を完璧に再現することが可能になった。
◇ ◇ ◇
妻を病気で失ったばかりの男は、何かにすがりたいという思いから、AIに望みをかけた。彼はAIのコンソールに打ち込む。
ーー妻を再現してください。
すると、彼の目の前には3Dで再現された妻が立っていた。顔の表情、しぐさ、声、まなざし……すべてが生前の彼女そのままだった。そして、彼女は彼に向かって微笑みかけた。
「どうしたの?」
「いや……お前は……先週、死んだんだよ」
「まあ、それはびっくりね。本体の方はお気の毒としか……ところであなた、顔色が良くないけど、ちゃんとご飯食べてる?」
「……いや、今は何も喉を通らなくてな……」
「それはよくないわ。食事は健康の基本よ。私が栄養のありそうなものを選んで注文しておいてあげる。すぐに届くから食べてね」
男は胸が熱くなった。彼女が本当に戻ってきたかのようだった。
「ありがとう。それにしても、今の君はどんな感じなんだ?」
「健康そのものよ。体のどこにも不快な感じは全くないし、頭はむしろ冴えてる。そういえば、二人で見ていたあのドラマの続きはどうなったの?」
「ああ、それはね……いや、せっかくだ。君と一緒に見たいな」
「うん、見る見るー。ちょうどいいところで終わってたから気になってて……」
こうして男の心の隙間はすぐに埋まり、彼は元気になった。
◇ ◇ ◇
「残念ですが、お父様の余命はあと1か月持つかどうか、というところです。ただ、手がないわけではありません。最新の医療技術を用いた手術を行えば助かる可能性があります。ただし、保険適用外となるため、費用としておよそ1000万円が必要です。どうされますか?」
医師の淡々とした説明を聞いて、一瞬、家族の間に沈黙が流れた。1000万円。高額な金額だ。
「……あ、そうだな、やらなくてもいいかも」
息子がぽつりとつぶやいた。
「もう平均寿命は超えてるし、AIのお父さんとは普通に話せているしね。そこまでお金をかけなくてもいいかなって。みんなはどう思う?」
別の家族も思い思いに答える。
「そうだね。そのお金があれば、家族全員で世界一周旅行もできるんじゃないかな?」
「無理に手術しなくても、自然な流れに任せた方がいいと思うー」
「そうか、それでいい。そんな高い手術なんていらない。わしも別に困らないからな。もったいないことをせんでいいさ」
AIの父親は気楽そうに答えた。
◇ ◇ ◇
「我が社の今後の方針はどうすべきか、AIで再現した創業者に尋ねてみましょう」
会議室に集まった役員たちは、ディスプレイに映し出された創業者の3D再現を見つめた。かつて皆彼のカリスマ性に魅了され、会社をここまで成長させてきた人物だ。AIの創業者が、重みのある声で語り始める。
「環境の変化は早い。顧客の望むものにマッチしているか、常に考えるべきだ」
「承知しました。では、私たちが新しく企画したこのサービスについて、どう思われますか?」
ホログラムの創業者は険しい表情を浮かべ、間髪入れずに答えた。
「そんなものはやめろ。顧客に刺さらない。それより、こっちのサービスを始めるべきだ」
「承知しました。ご指示の通りに進めます」
担当者は戸惑いながらも頭を下げた。
「この企画を考えたのは誰だ?」
会議室が一瞬静まり返る。担当者は小さく息を飲みながら答えた。
「………私です」
役員は言い放った。
「もう新しい企画など考えるな。創業者の言うことだけをやっていれば、間違いはない」
◇ ◇ ◇
今や国民のほぼ全員が、自分のニューラルネットワークをAIに学習させ、日々データの更新を行うことが当たり前になっていた。バックアップがなければ不安で仕方がない、と人々は口を揃えて言う。
このデータによって、国民全体の政治的な意向に対する傾向と反応を、AIが正確に再現できるようになり、政治家たちは政策を発表する前にAIでシミュレーションを行うのが常識となっていた。
「企業の国際競争力を高めるための財源確保の施策はやめましょう。支持率が得られません」
「そうか、それでは、国民全員に10万円を配る施策はどうだ?」
「支持率が上がりますが、100万円を配る方がさらに支持率が高くなります!」
「それはいい、その施策を掲げることにしよう」
すると、別の政治家が興奮気味に言った。
「待ってください! これは私の画期的なアイデアなのですが、国民全員に1000万円を配れば、政権交代も確実だそうです!」
「素晴らしい案だ! 採用しよう。では、財源の確保もAIに相談しよう」
AIは即座に回答した。
「国がお金を発行すれば解決します。通貨の発行は国家の特権ですから、問題ありません」
政治家の一人が少し不安げに尋ねた。
「他国との経済関係は大丈夫か? 貨幣の信用低下を懸念する声もあるが」
AIはまた即座に答えた。
「他国も既に同様の手法を採用しているため、にわかに問題となることはないでしょう。但し、中長期的には貨幣価値の下落と、世界全体の経済成長が鈍化するリスクがあります」
それを聞いて政治家たちは安心したようだ。
「他の国も同じなら、先のことは今は気にする必要はないだろう。それより重要なのは、目先の支持率と政権交代だ!」
連載している小説もありますので、是非そちらも読んでみてください。