第4話 義姉さんは学校でも
もちろん、教室でも普段通りにはいかなかった。
「なあ、陸……お前さ」
「うん?」
「夕莉先輩と付き合ってるの?」
「んなわけないだろ」
休み時間。
友人の男が近寄ってきてストレートに聞いてきた。
「噂になってるぞ。お前と先輩がいちゃいちゃ恋人手繋ぎデート登校してきたって」
「いちゃいちゃ恋人手繋ぎデート登校!?」
しっかり誇張されている。
「いちゃいちゃしてないし、恋人手繋ぎもしてないし、登校はデートじゃない」
「へー、じゃあ噂は全部嘘なのか」
「…………」
「頷きたいけど頷けないみたいな顔してんな」
「まあ一緒に登校はしたから」
それだけなのに、こんな風に噂が広まってしまうとは。
今も教室には俺たちの会話に耳をそばだてている奴が何人かいる。
「特に変な関係ではないんだな?」
「当たり前だろ」
「ならよかった。クラス全員で襲い掛かる所だった」
「怖えよ」
確かに俺が答えた瞬間にクラスの空気が緩んだ気がする。
狩人みたいに俺に狙いを定めていたらしい。怖すぎる。
「でもなんで急に一緒に登校なんてしたんだ?」
「別にいいだろ。姉弟仲が良いんだ」
「なるほどな……まあいいけど」
それで満足したのか、友人はくるりと前に向き直ろうとする。
その時、教室の後ろのドアからとんでもなく綺麗な人がすっと入って来た。
「――あ、陸!」
もちろん義姉さんである。
シン――と教室が静まり返った。
やべ。
義姉さんは俺を見つけて顔を綻ばせると、そのまま近くまでやってきた。
「陸、言い忘れてたんだけど、今日のお昼は一緒に食べましょうね」
「え」
「あ……もしかして、もう誰かと約束しちゃってた?」
「と、特には」
「よかったわ、じゃあ場所は……」
そこでちらりと周囲を見ると、急に顔を耳元に寄せてきた。
「……後で連絡するから♪」
「は、はい」
こくこくと頷く。義姉さんの顔が近くてどきどきする。
「陸、またあとでね」
ひらりと手を振り、教室に衝撃だけを残して義姉さんは教室から去って行った。
立ち去った後も数秒の沈黙が流れる。
「今の、何?」
友人が複雑な表情で俺に目を向けた。
「義姉さんだよ」
「お前と何ともない関係のお義姉さんは短い休み時間にわざわざ下の学年の教室までお前に会いに来てくれるのか?」
急に早口になるじゃん。
「……そういうこともある」
「ねーだろ」
俺もこれは予想してなかった。義姉さん、なんでスマホ使わないんだ。
「いや、家族の形は家族の数だけあるから」
「かもしんないけど」
友人は眉を寄せて腕を組んだ。
「でも姉弟の距離感ではないよなぁ」
……痛いところをついてくる。
そこでチャイムが鳴った。
入ってきた先生が異様に静かな教室を見て不思議がっていたが、ひとまず追及を避ける事ができた。
◇
昼休みになって、俺は義姉さんと会議室にいた。
生徒会で使う教室らしいので入っていいらしい。職権乱用っぽいけど。
「陸、口開けてねー」
会議室には椅子が結構ある。
並んでいるだけでも十はあるし、隅で積まれている分を数えるともう少しある。
「あれ、陸ー? あーん」
――なのにどうして俺は義姉さんと同じ椅子に座っているんだろう?
「義姉さん。椅子、まだありますけど」
「うん、あるね」
義姉さんが座って、その膝の間に俺は座っている。
「……狭くないですか?」
「心配してくれてありがと。私は平気だよ。はい、あ~ってしてね~」
「いやしんぱ――むもっ」
心配ではないです、と言いきる前に口に食べ物を放り込まれた。
「タコさんウインナーだよ」
もぐもぐ咀嚼する。
「おいしい?」
義姉さんが俺の左肩に顎を置いて聞いてきた。なんとか頷く。耳元と肩がくすぐったい。
「じゃあ次ね」
「義姉さん、俺自分で食べむも――もぐもぐ――喋ってる途中!」
口を開いた瞬間に唐揚げを突っ込まれる。
「ご飯もねー、あーん」
「だから自分でもご――もぐもぐ――あの」
ご飯も。
義姉さんは微笑みながら俺が口をもぐもぐ動かすのを眺めている。
そんなに俺の食べる様子を見るのは楽しいだろうか。
というか同じ椅子に座る必要ってあるんだろうか。
狭いからずっと背中が義姉さんとくっついている。すべてが近い。
義姉さんは腕を回してお弁当を持っていて、抱き着くような姿勢になっている。
すると俺の背中が義姉さんの前面とくっつく。
……前面。
たぶんそれ以上は考えちゃいけない。
「あ、私のお弁当無くなっちゃった」
しばらく無心でもぐもぐしていたら義姉さんが呟いた。
嘘だろ……!?
見れば義姉さんのお弁当は空っぽである。
言われてみればさっきからずっと俺しか口を動かしていない。
「じゃあ次は陸の番ね」
「俺の番?」
「私に食べさせて?」
義姉さんに食べさせる? 俺が? お弁当を?
――というか。
「こういうのって普通ちょっとずつ食べさせ合うのでは?」
義姉さんがすっと視線を逸らす。
一人に全部食べさせてからもう一人って変だと思う。
「それは……次から気を付けるわ」
神妙に呟く。……この時間、次があるんだな。
義姉さんが目を閉じて口を開ける。
俺は体を捻ってご飯を運ぶ。
「あー、む」
何かいけない事してるみたいだなと思いながら箸を引いた。
もぐもぐと義姉さんが口を動かしてにこにこしている。味わっているというよりは俺の顔を見て笑っているような感じだ。
ご飯を飲み込み、面白そうに微笑む。
「恥ずかしがってるの?」
「…………」
それはそうだ。
俺はあーん初心者なのだ。
誰にも見られていないとはいえ、顔を赤くせずにいきなりあーんなどできない。
無理に決まってるだろ?
真顔であーんできる人がいたら見てみたい。
「陸、怒らないで。お義姉ちゃんが悪かったわ」
「別に怒ってないです」
怒ってないから怒ってないと言ったのに、義姉さんにくすくす笑われてしまった。
否定するとむきになったように見えるし、そういう反応はずるい。
「陸、ご飯だけも美味しいけど、おかずも食べさせてほしいな」
言われて気づく。たしかにご飯はおかずと一緒に食べるものだ。
一番多いからという理由でご飯だけを選んでしまった。
自分が食べる時は普通おかずと一緒にご飯を食べる。その辺の配慮が足りなかった。あーんにもやはり経験値がいるんだろうな。
「何回かやってれば慣れるよね」
さっきもそうだけど、次があるような言い方をされる。
昼休み、わざわざ人の来ない教室で、こうして一つの椅子でくっついて、あーんとお弁当を食べさせ合う時間がまた来るという事だ。
(ご飯どころじゃない)
俺は義姉さんの口に弁当を運んだ。
そうして嬉しそうにする義姉さんを見て、まあいいかと思うのだった。