生々流転
真田家は上田の地で孤軍奮闘した。徳川家の戦力の多くを足止めする事に成功する。
兄にしかなしえない、戦と謀の両面作戦。
しかし。肝心の関ヶ原の戦いは、相次ぐ調略で瞬く間に東軍の勝利に終わる。いや、予定通りなのやも知れぬが。ま、家康公も底知れぬ怪物だったわけで。
戦後、兄と信繁は紀州九度山への流罪となった。
出発の日。
「まぁ、本来であれば打ち首だわな。信伊、すまんな。恩に着る」
「いやさ、まっこと骨が折れ申した。ワシはまぁ良いが、今度信之の肩でも揉んであげなされ」
兄に会ったのはこの日が最後だった。
「ああ、そうじゃな。盆はあやつの枕元に立つから宜しく言っといてくれ。正月はそちじゃな」
カカカ、と笑う。西日が眩しい。
「伯父上、世話になりました。御達者で」
信繁も兄ほどでは無いがすっきりした表情だ。最近いい男になった。
「ああ。信繁、偏屈親父殿が死んだら顔を出せよ。ワシがなんとか取りなすゆえな」
大声で言ってやったら、遠ざかる馬上で兄が屁をこきやがった。
「はぁ。お主も苦労するの」
「産みの親ばかりは選べませぬ!では、御免」
微笑みながら、信繁も去っていく。
俺はただ。あいつらが眩しくて。
悔しくもならないほどに遠い。
俺は本当に武士って言えるのかな。
馬影が山の端に消えても。
いつまでも眺めていた。
秀頼公が育つにつれ、世はきなくさくなってきた。
家康公は先人から学び、同じ轍は踏まぬお人だ。そして自分以外の誰も信用していない。息子ですら。
つまりそれは。江戸幕府の安寧たる存続と繁栄には、豊臣家の完膚なきまでの抹殺が必要、ということだ。
兄はとうに世にはいなかったが、真田の武名を豊臣は頼りにしていた。大方の予想通り、信繁は大坂に入ると俺が聞き付けたその頃。
俺は家康公の使者より、信繁の懐柔の任を受けた。
ぶら下げる人参は、信濃真田庄。
信之や俺が何度手柄を立ててもかなわなかったもの。
俺は大坂へ向かった。