表裏比興
天気が良いので庭に出ることにした。
俺を見るなり曾孫が駆け寄って来る。じいじ、じいじとまとわりつかれ、満更でもない。
「じいじ、昔のお話してー」
こいつは何度だってあの時代の話を聞きたがる。信之も同じ目にあったらしく、先日苦笑していた。
俺達にはいつまで経っても笑い話にはできないこともあるのだがね。まぁそれを微笑みとシワに隠すのが年の功なのかもしれぬ。
「もう何度もしたじゃろ」
「もう一回聞きたい、じいじの兄上と、幸村様!」
おい信之泣くぞ。あと俺はどうした俺は。
「なるほどの。うむ、では今日の話はな、題して真田の嘘ぢゃ」
「嘘?」
「そうじゃ。真田武士は皆、お家の為に一度だけ嘘をつくのじゃ・・・」
「でも兄上様はいーっぱい寝返ったんでしょ?」
兄、真田昌幸。
武田家滅亡、本能寺の変を大国の狭間でなんとか凌いだ兄の生き様は昨今表裏比興と評される。やれ織田、やれ北条、やれ上杉、やれ徳川、やれ豊臣・・・幾度となく主家を変えた。
江戸の世ならば後ろ指を指されるのかもしれないが、あの時代の国衆ならば当然の事。生きるための方便だった。
「あれは武士の習いじゃよ。嘘とはいわん」
兄の恐ろしい所は、そこから大名にまでのし上がった点につきる。まるで妖怪だ。
長兄と次兄の事は良く覚えていない。俺にとって兄とはこの妖怪。一生頭が上がらないであろう男。
「じゃあ、兄上さまの嘘って?」
「ワシをな、こんな軟弱者は真田家には要らんと言ったんじゃ」
兄はいつだってお家存続の為に考え抜く。結果が、有事に備え俺を分家にしておくことだった。俺を納得させられないと考えたのだろう。先んじて諸大名に手を回し、受け入れ先まで見つけてきていやがった。
まだ若かった俺は憤慨したものだ。ようやく、兄の真意が分かったのは関ヶ原の頃だったか。
真田家の置かれた立場から言って、あのまま家に残っていれば、おそらく俺は相次ぐ戦で生き残れはしなかっただろう。
兄は俺を生かそうとした。実利も兼ねてだ。
「というわけじゃ」
「ふーん、兄上様はかしこいんだねぇ」
そう。兄はずる賢くて、強くて、とても優しい男だった。
「おかげでワシはこうして生きながらえておる」
「本家も残っているもんね、すごいね、兄上様は」
本家、信之か。
あいつは昔から嘘がつけない男だったな。
俺はいったん縁側から腰を上げた。
「よいしょ。坊。腹減ってるじゃろ。お菓子あるでお茶にしようか。続きはお茶を飲みながらじゃ」
「やった!」
じりじりと暑い夏の日だ。