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疱瘡小屋

作者: 山谷麻也

<上> 村への道


 Ⅰ 天然痘てんねんとう

 山谷麻也は一九五一年(昭和二六)、四国の寒村に生まれた。

 三足さんぞくというその村には当時、二一軒の家があった。村人は農業専業、あるいは農業と林業の兼業で生計を立てていた。


 山谷の生家は、三足村のいちばん奥に位置していた。さらに一五分ほど山道を行くと「ほうそう小屋」の跡があった。それが「疱瘡小屋」であったことを知ったのは、山谷が成人してからであった。


 疱瘡、つまり天然痘のことである。

 天然痘は長い間、世界中で猛威を振るった。発熱、全身の痛み、倦怠感などに始まり、程なく特徴的な発疹が表れる。死の病として恐れられたが、ワクチンが開発され、一九八〇年(昭和五五)、WHO(世界保健機関)が根絶宣言をするに至る。

 長い伝染病との戦いの中で、人類が初めて勝利したのが、天然痘である。よく似た症状を引き起こすものに、サル痘がある。天然痘に比べて感染力は弱く、致死率も低い。二〇二二年(令和四)、欧米を中心に、感染の発生、拡大が報じられ、多くの人に天然痘の記憶がよみがえったに違いない。


 日本では一九五五年(昭和三〇)を最後に、天然痘の感染者は出ていない、とされてきた。

 日本における天然痘根絶の基礎を築いた蘭方医に、江戸末期に活躍した緒方洪庵(一八一〇―一八六三)がいる。

 ワクチンが普及するまでは、天然痘にかかった者は隔離されるのがふつうだった。沿岸部では離れ小島などに移すという方法がとられたが、山間部では人里離れたところに小屋を建てて住まわせた。


 灯ちらちら疱瘡小屋の吹雪(かな)

 と、小林一茶(一七六三―一八二七)はんだ。


 Ⅱ 小屋の煙

 長く感染者の発生がなかったことから、三足村でも建物は朽ち果て、「疱瘡小屋」のことは忘れられようとしていた。


「どうも、疱瘡小屋の跡から煙があがっとるようじゃ」

 麻也の父は首をかしげた。見に行って、父はわが目を疑った。

 母親らしい女とその子供二人が焚火たきびをし、イモか何かを焼いていたのである。


 最近、三足村に流れて来た親子だった。近くの鉱山で住み込みのまかない婦をやっていたが、一九五二年(昭和二七)に閉山し、物乞いをしながら歩いている、といううわさだった。

 坪井タネが乳飲み子の清子きよこを背負って鉱山の事務所を訪れたのは、一九四九年(昭和二四)の冬だった。

 すでに鉱山の閉山は決まっていた。事務所では、親子を寒空の下に追い返すわけにもいかず、とりあえず賄い婦として雇うことになった。


 タネは一九三二年(昭和七)、四国の貧しい漁師の家に生まれた。弟が生まれてすぐ母は亡くなった。

 父親は、漁に出ない日は朝から酒を飲んでいた。すぐ暴力に訴え、近所ともめ事を起こすこともたびたびだった。

 ずっと弟の面倒を見てきたが、一五で小さな材木問屋に奉公に出された。


 何人かの奉公人がいた。藪入やぶいりを待ちかねて、奉公人はそれぞれ親の元に帰った。しかし、タネは父のもとには帰るつもりはなかった。

 藪入りで店はひっそりしていた。その夜、酔って出来上がってしまった主人に、居間に呼ばれた。病気がちな奥さんはその日、実家に帰っていた。


 タネの身の上話を聞いていた主人はかわやに立ったが、戻るなり、タネに抱きついてきた。タネは恐怖で声も出なかった。部屋の隅まで後ずさりするのを主人はニヤニヤしながら追ってきた。タネは何度も乱暴され、苦痛に声を上げた。

 翌日、朝早く、タネは荷物をまとめて材木問屋を出た。


 Ⅲ 逃亡

 繁華街を当てもなく歩いている時、工員に声をかけられた。工員は小野寺正二と名乗った。失意のうちにあったタネは小野寺に誘われるまま、安アパートに転がり込んだ。


 小野寺は優しかった。いつも何か考え事をしていた。物静かな小野寺の腕に抱かれて眠るだけで、タネは幸せだった。

 知り合いらしい若い男が数人出入りしていた。男たちは隣の部屋で長い間ひそひそ話をし、時には激論を交わしていた。しかし、タネには難しい言葉ばかりで、退屈な時間だった。


 小野寺がアパートを不在にする日が何日も続いた。タネのことを心配した仲間が訪ねて来た。小野寺はある任務に就いていて、もしかしてもう帰れないかも知れない、と仲間はらした。これ以上の寂しさに耐えられず、タネは激しく顔を振った。その時、男に抱きすくめられていた。


 小野寺は二日ほどして帰って来た。タネを激しく求めた後、しばらく部屋の中を何か探し回っていた。やがて

「ちょっと、まずいことになった。しばらく帰れない」

 と、言い残し、小野寺は出て行った。

 やがて、タネは妊娠したことを知った。


 それから何度か刑事が来たが、小野寺が帰っていないと分かると、無言で引きあげて行った。

 アパートでタネはひっそり清子を出産した。同じアパートに住む人夫が、困窮するタネを見かねて働き口を紹介してくれた。トンネル工事現場の賄い婦だった。

 そこも長く続かなかった。不審な男たちがタネをうかがっているとかで、現場責任者はタネを煙たがるようになったのだった。


 一九四九年冬、鉱山の賄い婦に落ち着いたタネは翌年、鉱夫の子どもを妊娠、出産した。清一せいいちである。清一の父親が誰か鉱夫たちは詮索し、ある者はタネを問い詰めたが、タネは無言だった。

 

 Ⅳ 獣

 タネは最初、三足村の中心部にあるお堂の軒下に住みついた。長く風呂に入っていない親子は垢にまみれ、周囲に異臭を放っていた。

 お堂の異変に気付いたのは、お堂の世話役の桑田厳だった。桑田は六〇がらみで、一人住まい。怠りがちだったお堂の掃除に行くと、えたような匂いがする。よく見ると、親子が薄いオーバーにくるまって寝ているのだった。


「どこから来たん?」

 桑田は顔を背けながら聞いた。

「鉱山から」

 タネは頭を起こして答えた。

 桑田は、親子を家に連れて行った。

 しかし、このまま家に上げるわけにはいかなかった。昼前だというのに、タネに風呂をかさせて、親子を風呂に入れた。タネは子供たちを洗ってやり、自分も湯にかった。着ていたものは全部残り湯で洗濯した。残り湯には垢が層をなしていた。


 タネは生き返ったような気分になった。強く絞っただけの下着が肌に冷たく、妙に心地よかった。

 うららかな春の陽を浴びて、夕方には洗濯物は乾いた。身づくろいをして、お礼を言おうと、桑田を見た。桑田と目が合った。め回すような野卑やひな視線に、タネは虫唾むしずが走った。タネの初めての男、あの夜、タネに迫って来た材木屋の主人と同じ目だった。

「炊事や身の回りの世話をしてくれるんなら、当分、ここにいてもええ」

 と、言われ、行くあてのないタネは桑田の言葉に従うことにした。


 三日目の夜半、タネは足のほうに何かの気配を感じた。しばらくして、それは太腿をまさぐり始めた。タネは反射的に蹴った。

「ゴン」という鈍い音が響き、同時に尻もちをつく音がした。桑田だった。

 翌朝、桑田は囲炉裏端いろりばたで煙草を吸っていた。目の下には青アザがあった。

「あのな、出て行ってくれんか。それから、ゆうべのことは誰にも言うな。言うたら、この村におれんようにしてやるけん」


 Ⅴ 安息

 こうして、親子がたどり着いたのが「疱瘡小屋」跡だった。

「オラんの納屋に泊まってもええで」

 麻也の父が勧めたが

「迷惑をかけるから」

 とタネは断った。


 麻也の父は当座の生活に役立つ物を買い集め、あるいは家から調達して、タネに運んで行った。やがて、村の男たちが自宅から資材を持ち寄って、屋根や床、壁をつくり、風雨に耐えるだけの住まいが完成した。

「疱瘡小屋の土台をそのまま使うのはどうかのお」

 という男たちの計らいで、住まいは手前の平地に設けられた。悲しい歴史を伝え聞いていた者もいたのである。

 麻也の父は周囲の土地の開墾も手伝ってやり、霜が降りるころには麦をくまでにこぎつけたのだった。


 桑田厳は男たちが小屋を建てているのを、苦虫をつぶしたような顔で眺めていた。そして、気の合う者には

「また小屋を建てよって。赤犬が走っても(注:山火事になっても)、行ってやらんぞ」

 と言って、せせら笑っていた。


 Ⅵ 選挙

 タネは幼い子供たちを連れて、物()いに歩いた。

 三足村は、桑田厳が親子の悪口を言いふらしているらしく、よく門前払いにあった。また、三足村を回っただけでは、親子三人が食べていけるだけの施しはなかった。

 しぜん、ほかの村へも出向くようになった。親切にしてくれた村人の一人に、町議会議員の大崎隆がいた。


 大崎はタネたちを家にあげ、食事をふるまったりもした。異例の待遇だった。わずかな食べ物を与えられては追い払われるのが、常だったからだ。

 後に、清子と清一は戸籍を得て学校にも通うことができた。これには、関係筋に対する大崎の働きかけがあったと言われている。また、タネたちの住処すみかに電気が引かれ、電灯が灯ったのも、大崎の力添えのせい、と村人は語り合った。


 タネは生家が貧しく、学校に通ったことがなかった。ひらがなで自分の名前を書くのがやっとだったし、足し算・引き算も二桁になるとお手上げだった。

 ある時、大崎はタネにひらがな五〇音の表を渡し、覚えるよう課題を与えた。そして、「おおさきたかし」と書いた紙を見せ、そらで書けるまで練習するように言った。

 タネが字の勉強をしているという話は村中に伝わった。

「タネさん。おまはん、どんなこと勉強しとるの?」

 と、聞かれ

「うん。『おおさきたかし』って毎日、書いとるの」

 タネは無邪気に答えた。

 町議会議員の改選期が近づいていた。


 Ⅶ 言いがかり

 一九五六年(昭和三一)、坪井清子は小学校に入学する。

 小学校までは通学に九〇分近くかかった。特に、麻也の家から奥は道が険しく、小学生には難儀だった。


 翌年、清一が小学校に入学してからは、二人そろって元気に通学する姿を、村人はよく見かけたものだった。

 二人とも成績は良かった。いつもクラスの上位にいて、母親のことを知る者は

「トンビがたかを産んだ」

 などと陰口をたたいた。

 三人の外見は似ていた。三人で歩いていると、村人は

「あれは、誰が見ても、親子や」

 と、笑った。


 ある年の秋、桑田厳がタネの住処すみかに怒鳴り込んできた。

「コソ泥が! 承知せんで。清一のガキを出せ!」

 桑田は、清一を小屋から引きずり出しそうな勢いだった。

 なんでも、桑田の家の柿が盗まれた。清一の野郎が盗ったに決まっとる、ということだった。


「うちはそりゃ貧乏しとるけんど、人の物を盗るような子には育ててへん。証拠があるんなら、持って来いや」

 タネは清一をかばいながら、タンカを切った。

 これ以上、もめると、タネが何を言い出すかは、桑田には分かっていた。

「まあ、ええわ。そのうち、痛い目、見るわ」

 と、桑田は含み笑いをしていた。


 何日かして、村にケガ人が出た。桑田の妹の孫が足で釘を踏み抜いた、ということだった。釘を打ち抜いた板が、捨てられていたらしいのである。当人はどこでケガをしたかは、言わなかった。


 桑田の妹は

「危ないのをおいておく者もいるんやなあ」

 と、道で会う人ごとに話していた。


 Ⅷ 肝油ドロップ

 妹の孫の肝油ドロップがなくなった件でも、桑田はタネの家に乗り込んできた。

 小学校で肝油ドロップが販売された時期があった。学童の栄養補給のためだった。しかし、購入できる余裕のある家庭は限られていた。


 桑田の妹の孫と清一は同じクラスだった。その孫が教室に戻ると、机の中にしまっておいた肝油ドロップがほとんどなくなっていた、ということだった。孫は、清一が肝油ドロップのかんを持っているところを見た、と桑田に訴えたのだった。

 これには、タネも困り果てた。しかし、清一は

「オラは珍しかったので缶を見とっただけや。その時には、カランカランというくらいしか中身は入ってなかった」

 と、言い張った。

 桑田はさんざん悪態をつき、悠々と引き上げた。


 この事件も簡単に解決した。同じ三足村の同級生が、肝油ドロップをポケットにたくさん持っていたのである。口をもぐもぐさせているのを家族に見(とが)められ、白状に及んだものである。

 桑田からは清一に何の謝罪もなかった。



<中> ワンダーランド


Ⅰ 蓄音機

 清一に一年遅れて、麻也は小学校に入学した。

 その頃から、清子と清一は麻也の家で遊ぶことが多くなっていた。


 三人はよく蓄音機を出して聴いた。どんな仕組みかは分からなかったが、曲が遅くなると箱の横につけたハンドルを回すのが楽しかった。

 レコード盤を納める木の箱があり、中に数十枚のレコードが入っていた。レコード盤には、かわいらしい少女、白い帽子をかぶりギターを持ったお兄さんの写真も貼ってある。それらをかけると、清一と清子には聞き覚えがあった。タネがよく歌っているものだった。タネも麻也の父から、蓄音機を聴かせてもらっていたのである。


 また、ラジオも楽しみの一つだった。入る放送局は一局か二局だった。しかも、電波状態が悪く、聞き取りにくい部分が多かった。真空管が熱を持ち、夏などは大汗をかいてラジオにかじりついていた。

 ラジオから流れてくるドラマは、山奥の村とはまるで別世界に繰り広げられていた。麻也たちにとって、すべてが絵空事だった。


 Ⅱ 魚獲り

 麻也は清一に連れられて、よく山へ川や遊びに行った。

 つけ針は少年たちに人気だった。たこ糸の先に釣り針を結び、それにミミズを刺して、ウナギを獲るものである。

 夕方、仕掛け、朝早く回収して歩いた。釣果は上手・下手にあまり関係なかった。糸を手繰ると、ウナギが水面から上がって来た。七輪で焼いたウナギの味は格別だった。


 麻也の家から山道を登り、一時間ほど奥に入ると峠があった。峠から振り返ると、清一たちの住処が見え、さらに遠方には通学路が見え隠れしていた。

 峠を越えると山が大きく切れ込み、ゴーゴーという谷川の音が聞こえてくる。谷の水は夏でも冷たく、一〇分も入っていると唇が紫色になった。子供たちは代わる代わる焼けた岩の上で体を温め、谷に入った。

 この谷にはアメゴがたくさんいた。子供たちはゴーグルをつけ、竿を手にもぐる。アメゴは動きが早く、麻也の手には負えなかった。そんな麻也をよそに、清一はヤスで巨大なアメゴを仕留めて水面に浮かんでくる。まるで英雄に見えたものだった。


 Ⅲ 囚人小屋

 アメゴを追いながら上流に行くと、大きな屋敷の跡があった。

 帰って父に話すと

「それは囚人小屋だったところじゃ」

 と、いうことだった。


 戦中・戦後の混乱期、犯罪者が激増した。

 刑務所がパンクしたのか、軽犯罪者は山奥に小屋を建てて収容した。麻也の家は村のいちばん奥にあったことから、囚人の一行が最後の休憩を取る場所になっていた。

 囚人に人権はなかった。反抗的な者がいると、見せしめのためか、足腰が立たなくなるほど痛めつけられた。父はその恐怖を後々まで麻也に語って聞かせた。


 囚人は、家族のためにちょっと食料を盗んだとかで捕まった者が大半だったらしい。後年、麻也の母が年賀状を見ながら

「この人は、今年も年賀状をくれとる。お茶をあげただけなのに。まあ、律儀な人やなあ」

 と、よく語っていた。


 Ⅳ 襲撃

 清一は、狩りの腕もよかった。

 二人はよく獣道けものみちにワナを仕掛けて歩いた。清一の指示した場所に仕掛けると、きじや山鳥、うさぎなどがかかった。


 ある時、清一が

「カラスの巣があるんや。卵、取りに行こう」

 と、言い出した。


 峠の手前の険しい山を分け入ると、絶壁があった。わずかに細い道がついているだけだった。岩肌にしがみつきながら、清一は絶壁の真ん中あたりまで進んでいった。


「清ちゃん。危ないよ。もう帰ろうよ」

 麻也は呼んだが、清一は

「この上や」

 と指さした。そこには枯れ枝を集めてつくられた巣が認められた。

 清一はこともなげに登って行き、カラスの卵をポケットに入れ始めた。

 その時だった。けたたましい鳴き声がした。親鳥が戻って来たのだった。親鳥はしばらく上空を旋回した後、急降下し、清一を攻撃し始めた。清一は岩にしがみつき、片方の手でカラスを追い払おうとしたが、カラスの攻撃は執拗だった。しかし、突然、カラスは大空に舞い上がった。


「卵がなくなっとるのに気付いたんと違うか」

 と、顔と手から血を流しながら、生還した清一は笑っていた。

「殻をちょっと割って、吸うたら中身が出てくるで」

 清一に教えられたとおりにしたが、見えたのは鳥の形をしたピンク色の肉片だった。清一も麻也もたまらず、ゲーゲーと嘔吐した。


 後日、麻也は両親にその話をしたところ、こっぴどく叱られた。

「まあ。あんなところに行ったんかいな。子供は何をするか分からんなあ」

 と、母は父に言った。

「うん。あんなところに行くもんはおらんわ。山伏が道をつけるから、子供が行くんじゃ。困ったもんじゃ」

 と、父は強い口調だった。


  Ⅴ マイホーム

 タネ一家の住まいは、周囲を土壁で固められていた。

 入り口の軒下には、かまどがあった。ガタガタとガラス戸を開けて入ると、土間があり、右手に台所、左手に食器棚が置かれていた。

 床の手前には簡単な囲炉裏があり、ここで鍋を煮たり、お湯を沸かしたりした。もちろん、寒い季節には暖を取るのに欠かせなかった。


 外には、近くの小さな谷から水が引かれていた。青竹を割り、節を抜いたものを三〇〇メートルほどつなげていた。

 畑も作られ、麦やサツマイモ、じゃがいも、とうもろこし、玉ねぎ、白菜などを栽培した。特にサツマイモやとうもろこしは一家の空腹を満たしてくれた。

 草取りや薪集めはもっぱら清子と清一の仕事だった。

 さらに奥まったところに、板塀で囲われた便所があった。風向きによって、強烈な糞尿臭が住まいの中まで運ばれてきた。また、野菜にこえがかけられると、何日も、臭気が漂った。


 明かりは当初、ランプだった。清子が小学校にあがるころには電気が引かれた。電気の下で、清子はミカン箱を机代わりに勉強した。清一も清子を見習った。

 二人仲良く勉強する姿を見て、タネは満足げにつぶやいた。

「あんなに学問して、二人ともどんな偉い人になるやろか」


Ⅵ 空腹

 幼いころの清一たちの思い出といえば、しょっちゅう腹を空かせていたことだった。


 ふだんは麦飯。それに、しょいの実(注:醤油の実。もろみ)をかけて食べた。

 その麦さえ底をつくことがあった。そんな日は学校に持って行く弁当はなかった。四時限めが終わるとすぐ、清一は校庭に出て行く。やがて、清子も出てきて、二人で石けりをしたり、ブランコに乗って遊んだものだった。


 娯楽の少ない村人にとって、お祭りは盆正月と並ぶ一大行事だった。家々でご馳走を作り、行き来した。タネも、これらハレの日は書き入れ時だった。一家は二、三日、おいしいものにありつけた。

 ある日、アルマイトの弁当箱を開けると、巻き寿司や煮物、天ぷらなどが丁寧に並べられていた。天ぷらは少しベトベトし、舌を刺すような感じがしたが、清一はかまわず飲み込んだ。

 五時限め。清一は強烈な腹痛に見舞われた。歯を食いしばった。全身から汗がしたたりそうだった。

「先生! 便所に行かせてください」

 と、言うのがやっとだった。


 Ⅶ 思春期

 中学校は小学校と同じ敷地にあった。

 中学校にあがった頃から、清子は背が急に伸びた。タネより頭半分ほど大きくなり、体つきも丸みを帯びてきた。たらいにお湯を張っての沐浴もくよくは、清一の目を避けて行うようになっていた。


 校庭で、清子は女友達と座って談笑していた。清子は気がゆるんだのか、やや股を開き気味にしていた。清一は何気なく見ていたが、姉の股間に白いズロースがチラチラしていた。気が付くと、そこに親指大ほどの穴が開いていた。

 清一はその場から逃げるように去った。なぜか悲しくて、涙が止まらなかった。


 ある日の学校の帰り、三足村の入り口で、男子中学生が四人、ニヤニヤしながら話をしていた。清一の姿に気付くと、四人は口をつぐんだが、清一には「清子のズロース」という言葉が耳に残った。

「それがどうしたん?」

 清一は問い詰めた。

「オラら、ズロースの穴のことなんぞ知らんもんなあ」

 と、一人が言うと、三人は相槌を打った。


 清一はその一人につかみかかって行った。押し倒して顔を殴りつけたが、四人がかりでは到底かなわない。やがて、倒されて、体中を蹴られた。


 家に帰ると、清子がいつものように夕飯の準備をしていた。

「清ちゃん。どうしたん、その傷!」

 清一はたまらず家を飛び出して行った。家に戻ったのは九時を過ぎていた。


 後日、物干しに清子のズロースが干されていた。ずいぶん履き古されたものだった。前の部分に糸でつくろわれた跡があるのを見て、清一はまた悲しくなった。


 Ⅷ クリスマス

 中学二年の冬休み前、清子はクラスの女子からクリスマスパーティの誘いを受けた。場所は、クラスの黒田英雄という男子宅。学校の近くにある、電力会社の社宅だった。

 英雄は整った顔立ちで、成績はトップ。女子生徒の憧れの的だった。

「黒田君がなあ、清子ちゃんが来ないんならパーティやらんいうのや」

 と、その女子生徒はいかにも面倒臭そうに言った。


 パーティは土曜の夕方開かれた。パーティの終わる八時に、清一が迎えに来ることになっていた。

 黒田の家には、ほかに男子生徒が一人、女子生徒が三人、来ていた。炬燵こたつの上にはみかんとお菓子、紅茶が準備されていた。


 清子はめったに他人の家にあがったことはなかった。部屋の隅に座っていると、英雄は炬燵に入るように勧めた。

 学校の成績の話になり、英雄はどんな勉強をしているのか質問攻めにあった。

「僕は塾にも行っとるし……。清子ちゃんなんか、ふつうにやっとってあれやから、頭がええと思うよ」

 女子生徒の一人が突然、立ち上がった。最初から不愉快そうな顔をしていたが、英雄をにらみつけて言った。

「ウチ、もう帰る」

 座は白け、次々に退出者が出た。


 最後は二人だけになった。

「ごめんな。ウチのことで、みんな帰ったんと違う?」

「そんなことない。僕、前から、清子ちゃんって頭のええ子やなあ、と思うてたんや」

 言い終わって、英雄は顔を赤くした。


 二人の間に訪れた沈黙は、突然、侵入してきた英雄の母によって破られた。パーティの帰りか、少し酔っているみたいだった。

 英雄の母はまくしたてた。

「あんたが清子さん? 何しとるの? あんたの母親は、あんたがここに来とること知っとるの? 英雄はな、塾もあるし、忙しいの。とにかく、もう来んといて」

 いたたまれなくなって、清子は立ち上がった。玄関まで出てきた英雄に見送られ、真っ暗な道を三足村に向かった。


 Ⅸ 雪の思い出

 提灯の明かりが見えた。清一だった。

「姉ちゃん。早かったんと違う?」

 清子は涙を拭いた。

「なんで、泣いとるの?」

「ううん。ええの。もう、ええの」


 二人はひと気のない夜道を黙って歩いた。

「清ちゃん。手つなごうか。ウチ、小学校の時から、清ちゃんとこうして歩いとるのが一番楽しかった」


 タネがよく言っていた。

 大雪になり、心配して迎えに行った。二人は麻也の家の向こうの窪地まで帰っていた。清子が清一の手を引き、膝まで雪に埋まりそうになりながら一生懸命に歩いていた、と。

 清一が小学校一年のころだろうか。確かに、その記憶はあった。


「清ちゃん。キスしたことある?」

「ううん」

 清子は立ち止まり、清一から提灯を受け取って、木の枝にかけた。

「目、つむって」

 清一が目を閉じると、一瞬、唇が清子の唇でおおわれた。ほんの一瞬の出来事だった。


「帰ろうか。母ちゃん、待っとるで」

「うん」


 Ⅹ 就職

清子は中学三年生になった。

 学校で進路相談の時間が持たれた。高校に進学するのは一学年六五人中、一〇人にも満たなかった。

「どこでもええです。都会に出て行けたら」

 と、清子は就職担当に伝えた。


 後日、泉州の紡績工場が紹介された。大阪にある工場ということで、タネも賛成してくれた。

「大阪っちゅうたら、大都会やもんなあ。四国とは大違いやで」

 タネのいう大都会の知識は、最近、麻也の父が買ったテレビから得たものだった。


 紡績工場の社長が中学を訪れ、清子に面接した。

「成績もええし、しっかりした子やなあ。後は身元保証人さえ付けてもらえればええ」

 社長は清子に書類を渡して帰って行った。


 タネは書類を持って、麻也の家に寄った。

「これなんやけんど。ここのあきらさん、大阪におるらしいから、清子の保証人になってもらえんかのう」

 どういう内容のものか、漢字が読めないタネにはまるで分からなかった。

 麻也の父は、大阪の晃に書類を送って、署名・捺印して送り返してもらうことを説明した。


 就職先が決まり、清子はタネの手伝いに前以上に精を出した。一方、清一はと言えば、中学生になった麻也と遊んでばかりいた。

「麻也ちゃんは高校いくんやから、もう勉強の邪魔したらいかん」

 と、清子はたしなめたが

「麻也、就職するって言うとったで」

 と、清一は姉の注意を聞いてなかった。

 その頃、麻也はよく、大阪に行って、晃兄のような職人になりたい、と話していた。

「オラも、大阪に就職して行くで。そしたら、三人で会えるなあ」

「そうやなあ」

 清子もうなずいた。

「それより、ウチ、給料もろうたら、母ちゃんと清ちゃんに何かうて送ったる。何がええか、考えといてな」

 清子は瞳を輝かせた。


 Ⅺ お祝い

 七月に入り、川をせき止めてプールがつくられた。

 男子も女子も、ほとんどは下着一枚で川に入る。中学生になると、川岸で、妹や弟の遊ぶ姿を見ているだけの女子も増えるが、中にはスカートのまま膝まで水につかって遊ぶグループもあった。


 その日、清一は泳いでいて、姉の清子を見上げると、まくり上げたスカートからズロースが見えた。そこには、赤い斑点がついていた。

 姉に何が起こっているのか分からなかった。ただ、清一は他人に姉の秘密を見られることに耐えられず

「姉ちゃん!」

 と叫んだ。次の瞬間、清子の動きが止まり、スカートの上から下腹部を抑えた。


 清子の初潮だった。

「気にせんでええ。めでたいことや。赤飯炊いて祝いたいくらいや」

 タネだけ、上機嫌だった。



<下> 消滅する集落


Ⅰ 再会

 七月下旬。川向こうの村で寺の祭礼が執り行われた。

 この寺は、修験・修法の道場として名高い霊峰を祀り、春と夏の祭礼は各地から参拝者が訪れる。特に夏の祭礼では夜になると、山伏によって護摩ごまが焚かれた。数多くの屋台が軒を並べ、一晩中、境内に人があふれたものだった。

 寺の祭礼の日、タネは大忙しだった。朝早くから地元の村を回る。ほとんどの家で大盤振る舞いがされた。


 護摩行の見学者の中にタネを見つけたのは、小野寺だった。小野寺の目はタネの姿に釘付けになった。

 清一と清子はわずかな小遣いを手に、屋台を巡っていた。群衆から離れようとするタネを追い、小野寺は声をかけた。

「タネ! オレや。小野寺」

 小野寺の目はくぼみ、顔は赤銅色に焼け、口ひげは伸び放題。一五年前とはあまりの変わりようだった。

「どこに住んどる?」

「三足村」

 と、タネが答えると

「明日、寄る。で、誰か一緒か?」

 小野寺はタネの顔を覗き込んだ。

「うん。子供たちと」


 翌日、清子と清一が学校に行った後で、小野寺はタネの住処に現れた。

「子供たちって?」

 小野寺は、まず聞いた。

「姉の清子が一四で、弟の清一は一三」

 小野寺はしばらく黙っていた。


「清子は誰の子や? えっ?」

 タネは答えようがなかった。本当のところ、小野寺の子か、あの仲間の男との間の子か確信が持てなかった。いずれにしても、タネの口からは何も言えなかった。


 小野寺は語り始めた。

「オレは、あの頃、ある工場に潜入して、工作活動をしていた。たまにアパートに寄ろうとしたが、刑事たちが張ってて近づけなかった。そのうち、潜入者の全リストがれ、全くの別件で全員に逮捕状が出た。


 オレが最後にお前に会ったのは、逃亡生活に入る前だった。どうしても会っておきたかった。それに、オレたちを売ったヤツの手がかりも得たかったからだ。


 オレは大阪の釜ヶ崎にひそんでいるところを逮捕され、三年間、服役した。


 何もかもが信じられなくなり、釜ヶ崎に戻ったオレはケンカ、酒、バクチに明け暮れた。そのうち、ある組から追われるようになった。

 安酒場でよく一緒に吞んだ男がいた。その男の故郷では、山岳信仰が盛んで、山伏が修行している、と聞いたことがあった。


 山伏に変装したら、オレだと分からないだろう。それに、そんな山奥まで追って来るわけがない。山伏たちの目をあざむくためにも、一通りの修行はし、今回、四国で祭礼があると知ったのでやって来た」


 タネには、話の内容がほとんど理解できなかった。うつむいていると、いきなり横っ面を張られた。

「それを、なんや。オレが警察に追われて逃げ回っとる間に、男と出来とったんかいな。オレがおらん時に来とったのは誰や?」

 小野寺は激高し、今度は反対側の頬を張られた。

「誰の子や? ええ」

 タネは首筋を持って振り回された挙句、部屋の隅に積まれた布団に顔を押し付けられた。そのまま、タネの下着を脱がし、小野寺はのしかかって来た。


 夕方、清子と清一が帰って来た。

 入り口の横に立てられた錫杖、床に乱雑に置かれた頭巾や脚絆、ほら貝や箱。それらは昨夜の祭礼で目にしたばかりのものだった。

 そして、囲炉裏端にあぐらをかいた大男。

「あ。お母さんが昔お世話になった人や」

 あっけに取られている清子と清一に、タネは平静を装おうとした。


 翌朝早く、小野寺は出て行った。

「今度は春のお祭りに来るからな」

 と、言い残し、小野寺は山奥、峠の方角に歩き始めた。

 タネが何か言いかけると

「こっちが近道と聞いたんや」

 と、小野寺は言った。

 途中の崖は険しく、村人は近寄らなかったが、修行を積んだ小野寺には何でもない道だったのだろう。


 Ⅱ 復讐

 三月。清子は卒業式を終え、大阪に就職する日を指折り数えていた。

 その日、タネは、春蒔き野菜の種蒔きに雇われ、朝早くから家を空けていた。

 清子が台所で食器を洗っていると、入り口に人の気配を感じた。小野寺だった。


「タネはどこ行った?」

 小野寺は無愛想に聞いた。

「弟は?」

「学校」

 清子が答えると、小野寺は上がり込み、あぐらをかいた。

 小野寺には苦しかった逃亡生活が思い起こされた。


(そうか。こういう復讐の手もあるんや。目の前にタネと、昔の仲間の間に生まれた子がおる・・・・・・)

 清子はいきなり背後から抱きかかえられ、床に倒されたのだった。


 清一が帰ると、清子は泣きながら何かを洗っていた。ズロースだった。清一が急いで家に入ると、小野寺が寝そべっていた。春の祭礼の前日のことだった。

 清子はそれから食事も口にせず、押し黙ったままだった。


 祭礼当日。タネは朝から家々を回った。

 簡単に務めを済ませたのか、小野寺は夕方、再び姿を現した。

 村人のほどこしを小野寺はガツガツと食べた。タネや清一の口にはほとんど入らなかった。小野寺が焼き魚にかぶりついているのを清一が見ていると

「欲しいか?」

 と言って、清一の食器に、骨だけになった魚を投げて寄こした。

 翌日、小野寺はまた峠に向かって、足早に去って行った。


 Ⅲ 悲報

 大阪に旅立つ日が来ても、清子の無口は変わらなかった。

 タネと清一がバス停まで送った。バスが近づいて来ると、タネと清子は抱き合い、人目もはばからず泣いた。


 大阪駅まで社長が迎えに来ていた。車で長い間走り、工場に着いた。簡単な見学を済ませ、寮に案内された。寮は小さな個室。風呂と便所は共同だった。


 毎日、何台か担当する機械の前を往復する。トラブルがあれば対処するのが、清子たち女工の仕事だった。

 単調だったが、働く仲間もいて、気晴らしにはなった。しかし、一人になると、清子は不安に取りつかれた。

 おりものが増えた。体がなんとなくだるい。時々、下腹も痛んだ。

 中学の時、保健の授業で学んだこと、そのままだった。清子は土曜の午後、五つほど先の私鉄駅に降り立った。路地を入ると、産婦人科医院があった。


「妊娠やな。最後の生理は?」

 医者は機械的な口調で聞いた。

「どうする? もうすぐ三か月やで」

 清子は何も答えられないまま、医院を出た。

 その後、清子は大量に睡眠薬を買ったのだった。


 ある日の早朝。晃の家に紡績工場の社長から電話が入った。すぐ来てくれ、という。清子の自殺の知らせだった。

 清子の遺骨は、多少の遺品とともに晃が持ち帰った。


 清一が中学三年、麻也が中学二年の六月末。長梅雨が続く年だった。

 タネはショックで寝込んでしまった。

 明日、晃が大阪に帰るという日の夜、父と母、晃の三人で話しているのが、寝ていた麻也の耳に入った。

「清子ちゃんもまあ、清一、麻也の三人で大阪で会うことを楽しみにしとったのに……。一人で逝ってしもうて」

 母は泣いた。

「いや。一人やなかったんや」

 晃は声をひそめた。

「妊娠しとったんや。だれかこっちで付き合うとった子おった?」


 翌日、麻也は清一に訊ねた。

「姉ちゃん、だれか付き合うとった人いる?」

 清一は麻也の目を、見つめた。

「なんでそんなこと聞くん?」

 清一は麻也に詰め寄った。

 その剣幕に、麻也は、昨夜の兄の話を聞かせるしかなかった。


 隣村のお寺の夏の祭礼が来た。

 小野寺は前日からタネの住処に泊まり込んだ。 

 床には清子が勉強に使ったミカン箱が置かれ、位牌が祀られていた。

「清子な、自殺してしもうたんや。なんで死んだんやろか。よっぽどつらいことがあったんやろなあ」

 タネは言葉につまりながら語った。

「オレには関係ないことや」

 タネがこの日のために買っておいた酒を飲み、小野寺は酔い潰れて寝てしまった。


 翌朝、清一は、清子の位牌の横に小さな皿を置き、灰を盛った。

「なんや、これは!」

 清一は、小野寺の表情の変化を見逃さなかった。

 小野寺はミカン箱を蹴飛ばした。清子の位牌は無残にも床に散らばった。

 夏祭りの夜も翌日も、小野寺はタネたちの前に姿を見せなかった。


 Ⅳ 執念

 中学二年になると、麻也のクラスには高校受験に備えて塾に通ったり、中学校の教員に家庭教師を頼む者もいた。しかし、中学を出たら職人になる、と決めていた麻也は、気楽だった。


 夏休みのことだった。

 このところ考え込む日の多くなった清一を元気づけようと

「今夜、夜釣りに行こう」

 麻也は清一を誘った。


 二人は大きな岩に腰を下ろし、釣り糸を垂れた。

「オラ。就職、決まりそうなんや」

 と、清一は言った。大阪の音響メーカーの下請け工場らしい。

「決まったら、晃兄に保証人になってもらえんかなあ」

「うん。ええよ。言うてみるわ」


 当たりがあったのか、清一は竿を引いた。やがて、ウナギが暗い水面に姿を見せた。

「麻也、針、外すから、ウナギ、中指でぐっと握っといて」

 かなり大きなウナギだった。

 麻也は言われたとおり、右手の中指でウナギの胴体を締め上げた。ウナギは暴れた。どういう加減か、麻也の中指に釣り糸がからまってしまった。鋭い痛みに恐怖感が走る。

「清ちゃん! 指、切れるわ」

 清一はいきなりウナギの頭に嚙みついた。ガリガリと、ウナギが抵抗を止めるまで噛みつづけていた。

「麻也の指が切れたら大変」

 と、いう一心だったのだろう。麻也はうれしい半面、その執念に、空恐ろしいものさえ感じた。


 瀕死のウナギを水たまりにおいて、二人は釣りを続けた。帰ろうという段になって、清一はウナギのところに行ってみた。ウナギの頭は無残に噛み砕かれていた。そして、口からムカデの死骸が出ていた。

 麻也はすばやく、ムカデの死骸を川に捨てた。


 Ⅴ 松茸まつたけ泥棒

 秋になり、清一の就職は決まった。晃兄が保証人になった。

「麻也。松茸がな、ぎょうさん生えとるんや。買うてくれる人がおってな。今度獲りに行かんか」

 ワクワクする話だった


 松茸は群生していた。マツタケを売った金は二人で山分けした。持ちつけぬ金を手にした清一は、学校の近くの駄菓子屋でよく買い食いをするようになった。

 それが、桑田の目に止まった。松茸の盗難にあった桑田が、目を光らせていたのである。


 二人とも、まさか、ホームグラウンドにして駆け回って育った山に、入っていけないところがあるとは知らなかった。

 清一にしてみれば、夏、川で獲る鮎は買ってくれる人がいて、多少の家計の足しにもなっていた。


 清一は生徒相談室に呼び出された。担任から殴られ、問い詰められた。

「桑田さんな、警察に行くって言うとるんや。警察が来たら、大変なことになるで。お前、就職やってできんようになるで。お母さんも、三足村に住めんようになるんやで。先生がなんとかするけん、正直に言うてみ」

 清一はついに口を割ったが、一人でやったと言い張った。また、誰に売ったかも口をつぐんだ。

「就職も決まっとるし、これまで他人のものを盗ったことがないので、大目に見てやってほしい」

 と、いう担任の嘆願で、大崎はしぶしぶ引き下がった。


 清一へのいくつかの濡れ衣や、タネに対する例の一件の負い目もあった。

 また

(あの憎たらしい清一が、来年の春で三足村からいなくなる)

 と、いう大崎の安堵も後押ししていた。


 Ⅵ 成就

 春の祭礼が近づいて来た。

 清一は前日から家の前に座り、峠に目を釘付けにしていた。

「来た!」

 清一は姉の形見のセーラー服を風呂敷に包んだ。そして、長い青竹を手にした。先端は鋭く切られていた。


 小野寺は身軽に絶壁を渡って来た。

 絶壁の真ん中に達した時、清一は崖の手前からスッと姿を現した。竹槍たけやりを手に、セーラー服をまとっていた。

 

「あ。お前、何やっとんや」

 小野寺はカッと目を見開いた。清一は右足を半歩引いて、構えた。しかし、「念のために」と準備した竹槍は、使うまでもなかった。逆上した小野寺はグラグラする石に足元を取られた。

「あっ」

 という声を残し、小野寺は絶壁の下の深い木立に消えて行った。


 清子が泣きながら下着を洗っていた日から、ちょうど一年が経っていた。


 麻也は清一をバス停まで送った。

「清ちゃん。オラも、来年、大阪、行くけんな」

「うん。そしたら、また、遊ぼうな」

 それが麻也と清一との最後の会話になった。

 ボンネットバスが満員の乗客を乗せ、悪路をゆっさゆっさと走って行った。


 Ⅶ 老後

 麻也は、担任の強い勧めもあって、高校に進学することになり、翌年の春、三足村を離れた。その後、東京の大学に進学し、卒業後はそのまま東京の会社に就職して、家庭を持った。


 タネは、清一が就職して行った後、村の農作業の手伝いに出たり、自分で食べる分の麦や野菜を栽培したりして、気ままに暮らした。

 麻也の母は麻也が三五歳の時に亡くなった。独り残された父親を長男宅に呼び寄せ、生家は空き家となった。父親は麻也が四九歳の時に他界した。


 清一は何年かタネに音信がなかった。何かに取りつかれたかのように働いて、三〇を前に独立、高い技術力で知られる工場にまで発展させた、と晃兄から聞いた。

 清一が四〇の秋、車で三足村にタネを迎えに来て、新築なった自宅兼工場に連れて行った。そこにはタネの部屋も用意されていた。


 タネは八七まで生きた。

 後半の三〇年ほどは清一と嫁、孫、それにひ孫たちに囲まれ、何不自由ない生活を送った。

 タネに付き添っている妻から、そろそろ危ない、と聞かされ、清一の一族が病院に駆け付けた。


 清一の妻が

「お母さん、最近しきりに、大雪や、大雪やって言うとるのよ」

 と、報告した。

「お母さん! 清一やで。雪、降っとるのか」

 清一は母の枕もとで呼びかけた。

「あ、清一か。大雪や。けど、清子に手ひいてもろうて、よかったなあ。清子はやっぱり、姉ちゃんやなあ」

 タネが途切れ途切れに呟いた。

 昏睡状態がつづき、明け方、タネは息を引き取った。いつもと変わらない、安らかな寝顔だった。


 Ⅷ 再訪

 翌年の盆、清一は車で故郷に向かっていた。

 かれこれ三〇年ぶりの帰省だった。清一たちの通った小学校・中学校は、とっくの昔に廃校になっていた。学校周辺も廃れ、人影はまばらだった。


 三足村への道も、しばらく進むと

「これから先はもう無理や。道が崩れとるわ」

 と、いう状態だった。


「あそこが麻也の家の跡、その向こうがうちの家があったところや。

 三足村も、もう三軒しか残ってないんやって。我々が住んだところ、昔、天然痘の患者が隔離されたところだったんやって。まあ、今、流行はやっとるコロナみたいなもんや。

 よう見たか? 母ちゃん、姉ちゃん。もう帰るか?」


 清一は車をUターンさせた。

 周囲を険しい山々に囲まれ、すり鉢の底のような三足村に、早い夕暮れが訪れようとしていた。

                              (完)



 のどかな昔の田舎生活から一転、終盤にショッキングな出来事が起きます。小野寺と清子の死です。その二つを除き、ほとんど私が実際に見聞し、あるいは体験したものばかりです。

 現代では信じられないこともあります。その意味では小品は「二〇世紀の風俗遺産集」になっているかも知れません。

 この作品を着想したのは、昨年です。Uターンの慌ただしさが収まり、故郷にじっくり向き合うようになってからです。確認したいこともありました。「そのうちに」と思っていた方は突然、亡くなられました。時は待ってくれません。

 かつてラジオにかじりついていた少年が、「絵空事」の世界から帰還し、「語り部」になっていました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしい作品ですね! ☆5個つけさせて頂きました。 これからも頑張って下さい! 応援してます。
2021/11/12 20:41 退会済み
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