第十六話 本当の破壊者
第十六話 本当の破壊者
周囲の火器類すべてが鈴花へ向けて弾を発射する。直後、彼女の眼前を半透明なものが覆う。前にも同じものに覆われたことがある。これは、ハルだ。
体に伝わる衝撃とともに体のまわりに無数の弾が食い込む。弾は鈴花の体には到達せず、すべてハルの体が受け止めた。止まらない攻撃。彼女はハルに包まれたまま移動を開始する。どこか、先の戦闘で白くなっていない場所に逃れたい。ヌルは彼女が走る間も容赦なく弾を撃つ。彼女は衝撃に耐えつつ走った。
鈴花は先の戦闘の時点で宗太はヌルに操られていたのだろうかと考える。それは宗太がブランクの一部を引き寄せて何処かへ行ってしまった為だ。それによって東京中が真っ白だろう。いや、範囲はもっと広いかもしれない。さてどうする、どうする。
鈴花はただ海の方向へ走った。特に深くは考えていない。ただ、ごちゃごちゃした町並みを走って探すよりは良いと思った。
そのとき、鈴花の背後で何かが爆発する。衝撃で前方に転がる。立ち上がりながら周囲を見ると、再び遠くから弾が飛んできた。
「私が何したって言うのよ。」
弾は地面に落下すると爆発音とともに地面をえぐる。破裂とともに直後周囲に広がる破片の混じった爆風。まともに当たったら体が無くなる。今は何も言わないハルが守っているから生きているといるだけだ。鈴花はさらに走った。
「さあ、何をしているんだい。逃げてばかりじゃ楽しめないじゃないか。」
ヌルの気持ち悪い笑い声が背後から聞こえてくる。鈴花は声が近づけば近づくほど遠ざかろうと懸命に走った。
鈴花は息が荒くなりながらも、なんとか白くなっていない地域に入る。彼女が背後を見ればヌルは一人こちらを見ている。ヌルは彼女の居る地域に入ることなく自分の陣地に居座るようだ。彼女は適当な位置に倒れるように座り込む。すると周りを覆っていたハルは剥がれ落ち、いつの間にか消えてしまった。
「ハ、ハル。私にどうしろっていうのよ。」
鈴花はハルが居た場所を見て叫ぶも彼が帰ってくることは無い。仕方なく一人で戦うことにして本を開いた。すると、自動的にページがめくれる。何も書かれていないページが開き、その次のページが開いた。そこにはハルの姿がある。その絵が光りだし、絵の中から立体的な姿が浮かび上がってきた。ハルが再びこの世界に現れたのだ。
「ちょっとハル小さくない。」
本から出てきた三体目のハルは先ほどの彼の半分ほどしかない。これまでの大きさを見ると頼りなさが十分ある。小さなハルは自分の体を何度か見ると鈴花を見た。
「俺まで出るなんてどんだけ面倒な奴らなんだよ。」
ハルは大きくため息をつきつつ羽を羽ばたかせて飛び始めた。
「もう、最後の手段に出るしかないな。正直これはやりたくなかったんだけど。」
ハルは鈴花の前で彼女と向き合う。そして、そのまま前進してきた。彼女は何か怖くなって一歩後退する。さらに後退しようとしたときハルは彼女の体にくっ付いていた。彼女は真正面から胸にくっ付かれたためにびっくりして声を出す。ハルから離れようと体を振ったり手で払おうにも離れない。動きを止めたとき、ハルが彼女の体の中に吸い込まれていることに気がついた。
「嘘でしょ。」
ハルは完全に鈴花の体の中に入ってしまった。驚く彼女をさらに驚かせるように体の中から声が聞こえてくる。
『俺だ。別々の状態でやってたら何時までたっても勝てない。だったら、一つになるだけさ。これで直接会話できる。本当は鈴花一人で飛んで欲しいが、急には無理だろうから俺が内側から操作する。お前は倒すことに専念しろ。』
鈴花は耳では無い体の内側から聞こえる声に気が狂いそうになったが、これまでのことを考えればまともでいられそうだ。
鈴花は黒い本を見る。ページがめくれて倒し方が書かれている部分へと移動した。問題は二次方程式の解を求めろということらしい。問題は全部で五問のようだ。問題数は何時もより少ないが、今回は少し変だ。まるで学校の試験問題のように問題と解答欄が一箇所になっている。
『ハル。これってどういうことなの』
鈴花は内に居るだろうハルに話しかける。
『もうこの世界の何処にも書くところが無いんだ。だから、本に直に書くしかない。こんな事言ってないで早く終わらせるぞ。敵がここまで来られないからって攻撃できないわけじゃないんだからな。』
ハルはそこで一瞬間を置いて『あ、来た。』と言う。
鈴花がすぐに周りを見ると弾が幾つも飛んできていた。すぐに今居る場所を離れて移動する。地面に落ちた弾、建物に当たった弾。どちらもこの世界を破壊しながら彼女を追い回す。走っていては疲れるしきりがない。彼女は立ち止まり、ハルに飛ぶように言う。すると、体が急に浮かび上がり、周りのビルよりも高く上昇した。
鈴花はハルに移動を任せる。ハルは自由に動き出した。幾つかの弾が飛んできたがすべて見事にかわす。一体型とはこれはこれで良さそうだ。ためしに彼女が目をつむっても大丈夫かと言えばハルは大丈夫だと応える。そういえば、どうやってハルは自分の位置と周りの障害物の位置を把握しているのだろうか。謎であるが、気にしてもきりが無いことだ。
「じゃあ、そろそろ始めましょうか。」
鈴花はチョークを持って、黒い本のページに触れる。ハルは敵陣へと向かって移動を始めた。彼女は慌てて止めようとするが、ハルが黒い本を見ろと言う。よく見れば今回は敵の陣地内にて答えをすべて書き終わらせなければならないらしい。安全な場所で終わらせることができないということだろうか。
近づく敵陣。飛んでくる弾の数々。ハルの酔うような弾のかわし方。鈴花が酔わないのは状況のためだろうか。
「お帰り。あらら、本を見たままで私を倒せるのかな。」
ヌルの声が何処からか聞こえてくる。相手の陣地に入ったためかもしれない。鈴花はヌルが何処にいるかはわからず、ただ必死に二次方程式を解こうとした。因数分解はある程度の形は決まっているものの、どの形になるかがなかなか分からない。その点が厄介だ。
鈴花がそのような事を考えている間にも体のすぐ傍を熱い塊が通り過ぎていく。しかし、気にしていられない。彼女は黒い本のページ上でチョークを動かす。しかし、本にチョークなど合うはずも無い。それをハルに言うと、『指で書け。』と言われる。ためしに指で書いてみると、なぞった箇所がインクを垂らしたかのように染みている。チョークを左手に持つと右手の人差し指で書き始めた。一つの問題を解き終えれば自動的にページがめくれる。答えが間違っていればその場で再度解き直さなければいけないのかもしれない。
鈴花は二問目までの答えを書いたとき、ふと周りを見た。周りには重そうな火器類がある。しかし、こちらに向かって撃ってこない。ハルに聞けば弾の装填中だろうという事だ。今のうちに三問目を書く。そのうちに周りの火気類は再び動き出した。再び耳障りな爆発音とともに弾のかわし方で酔う。吐きそうになりながらも問題と答えを書いていく。指が磨り減るんじゃないかと思いながら三問目の答えを書き終えた。すると、四問目に入ったとき、これまでとは比べ物にならないほど移動が激しくなる。彼女は本から目を離して周囲を見てみた。すると、明らかに弾の数が増している。近い遠い関係なくすべての火器類から弾が飛んできているのかもしれない。
『早く終わらすんだよ。俺の体だって……。』
鈴花はハルの言葉を最後まで聞かずに再び書き始めた。しかし、どう問題を見ても答えが分からない。解けないのだ。どうしたものだろう。どうしようかと思っていたら。ハルが話しかけてきた。
『二次方程式っていったら解の公式があるだろ。』
ハルの声で黒い本に式が表示される。ハルに説明されるとどこかで見たことがある程度であった。きちんと習っていないのかもしれない。そんな事を考えていると、ハルが怒鳴ってきたので早速解の公式を用いて解きだした。すると、不思議なことに簡単に解ける。その勢いのまま最後の問題まで解いた。解の公式さえ分かれば簡単な問題なのかもしれない。
鈴花は一度周りを見る。やはり、弾の数は変わらないが、もう手遅れだ。彼女が本を見ると、すべての数式が青白く光る。そして、すべてのすべきことが順に光ると最後にすべきことが浮かびあかがった。
「最後はヌルに叩きつけろと。そういうこと。」
鈴花は笑みを浮かべながら勢い良く黒い本を閉じる。事情を理解したハルはヌルを探し出す。いつの間にか弾は飛んでこなくなっていた。見つけたヌルはただじっとこちらを見ている。彼女たちは地面に降りるとヌルの前に立った。ヌルの体は震え、腰が少し引けているように見えた。そこで、彼女が小さく笑うと、ヌルは首を左右に何度も振った。何かを追っ払っているのだろうか。
「君たちは本当に強いね。うらやましいぐらいだ。その力を使えばこの世界も自由に扱える。どうだ、憎しみ合うのは止めて私と共に新しい世界を作らないか。」
鈴花は昔聞いたことのある台詞に自然と笑い出す。そして、ヌルを見た。
「その言葉、聞き飽きたわ。」
鈴花は黒い本を持ち直すと、ヌルに近づく。そして、本を思い切り叩きつけようとした。しかし、ヌルに当たる寸前で彼女の手から体へと衝撃が走る。彼女がヌルに本を押し込もうとするが一定以上近づかない。
鈴花はなんとか叩きつけようと本に力を加える。すると、突如ハルが彼女の体の中から出てきて、次に黒い本へと入っていった。黒い本が一瞬光ると、押し返されていた力が突然消える。彼女は加えていた力をそのまま本に託してヌルへ叩き付けた。頬にびんたをするように黒い本をぶつける。彼女は力を加えたために音がするかと考えたが、何も音はせず叩き付けた本はヌルの中へと消えていった。
鈴花は一歩後退して今後の展開を待つ。すると、ヌルは何も言わず地面に倒れた。直後ひどい揺れが彼女を襲う。しゃがみこみ周りを見れば世界が揺れているようである。
鈴花がヌルを見れば眠りから覚めたかのように目を擦っている。元に戻ったようだ。彼女が宗太に近づこうとしたとき。
「もう俺とお前の仕事は終りだ。帰るぞ。」
ハルは鈴花の手を持って引っ張り上げようとする。彼女はその手を振り解いて宗太に近づいた。
「宗太、ねえ宗太。」
宗太は鈴花の声が聞こえているのか、ゆっくりと目を開いた。そして、彼は彼女に手を差し出す。
「助けてくれて、ありがとう。」
ヌルは消えて元の宗太に戻ったようである。しかし、鈴花は彼にありがとうと言われる事なんてしていないと思った。彼女は必死に首を横に振る。
「違う、違うわ。私はただこの世界を破壊しただけよ。」
結局彼女が世界を破壊することですべて終わったのだ。ヌルが言った言葉が彼女の頭に響く。
『そして決めよう。どちらが本当の破壊者かを。』
本当の破壊者は鈴花だったのだ。彼女はうずくまり力の限り叫ぶ。彼女の言葉にならない声が世界に響く。彼女は大切なものを破壊した。それらはもう二度と戻らないのだ。
鈴花は叫び続けていると、ふと地面に足が付いていないように感じた。目を開ければ地面が遠くにある。
鈴花は辺りを見る。彼女を抱えているのはハルだ。すると、幾つもの黒く丸い円が上空に現れた。それはすべてのものを飲み込むには十分な大きさだった。
「ちょっと、待ってよハル。宗太も一緒に連れてってよ。このままじゃ危ないじゃないの。」
鈴花は暴れるが、今度はしっかりと掴んでいるためかハルから離れることは出来ない。彼女は無駄な抵抗を止めて地上にいる宗太を見る。彼も立ち上がり彼女を見る。
さらに鈴花の体が上昇する中で、彼女は宗太に手を伸ばす。決して届かなくても彼女は手を伸ばし続けた。
鈴花が次に気がついた時には、真っ白い世界に居た。何も無い真っ白い世界である。先ほどの世界とのつながりを示すのは彼女が着ている服だけである。
「目覚めたようだね。お疲れ様。」
白い世界のどこからか男の声が聞こえてくる。鈴花は辺りを見回す。それでもどこから聞こえてくるのかはわからない。その声は嫌に落ち着いていて気分が悪い。
「お疲れ様って何よ。此処から出してよ。宗太に会いたいのよ。」
鈴花は白い世界へと叫ぶ。どこに居るのかわからないならどこにでも聞こえるように大声で言うしかない。
「駄目だ。奴は感染者だ。助けることは出来ない。」
鈴花は体の力が抜けるとともに地面にひざと両手を付いた。感染者とは何か。ヌルも宗太を感染者と言っていた。
「感染者って何よ。宗太を早く助けて、お願いだから。」
彼女は白い空を見上げて懇願する。彼を見捨てることはできない。ただ、それだけだ。
「鈴花。君を選んだばかりに辛い思いをさせてしまったね。本当に済まない。」
瞬間鈴花の体の中を何かが突き抜けた。男の言葉。呼ばれた「鈴花」という名前。彼は何故彼女の名前を知っているのだろうか。彼女は頭の中で彼の声と言葉を繰り返す。この声を何処かで聞いたことがあるような気がした。
「この声を昔何処かで聞いたことある。けど、どこで聞いたのか思い出せないわ。ねえ、あなた誰なの。私とあなたはどこで会ったの。」
鈴花の中に疑問が膨らんでいく。その膨らみは際限を知らない。そのとき、ふとポケットに入っている写真を思い出した。写真を取り出して見る。そして、白い空を見た。
「まさか、私のお父さんじゃ、ないよね。」
鈴花がその言葉を言った後しばらく男は沈黙する。その沈黙が長引けば長引くほど彼が彼女の父親であるように思えた。彼女は再度彼に聞こうとする。しかし、それは彼の言葉によって遮られた。
「そうだ。君に黒い本を返そう。中を見ると良い。そこに宗太と言う男を助ける方法やお前の知りたい事が書いてある。」
男の言葉の後、鈴花の目の前に黒い本が現れる。ヌルに消えた黒い本である。彼女は宗太を助けるために黒い本に触れた。すると、手が触れた瞬間本が一瞬光る。彼女は嫌な予感がしたために手を離そうとした。しかし離れない。
「どういうことよ。手が離れない。嘘をついたのね。」
鈴花の手はまるで強力な接着剤で張り付いたようにまったく取れない。無理に取れば腕が壊れるんじゃないかと思うぐらいである。
「済まない、こうするしかなかった。君はこの世界に居てはいけない存在なんだ。それに、少々世界を知りすぎた。」
鈴花の体がゆっくりと光りだす。突如強烈な風が彼女に吹き、指先、頭から細かい粒が風にのって流され始める。彼女は自分の手を見る。その光景に現実を受け入れたく無いと首を横に振り顔を遠ざける。彼女の体が先端から良く分からない粒に変化して風に流されているのだ。良く見ればその粒は英数字の羅列のようだ。しかし、それを知っても現状は変わらない。手、足の先と頭からゆっくりと体は粒に変化し風にのってどこかへ消えていく。
「なんで、なんでなのよ。お願い。お願いだから助けて。」
鈴花はただ白い空を見ながら叫んだ。そこに居るだろう男に向かって。
「さあ、帰るんだ。君の居るべき世界に。」
男の声が聞こえたとき、鈴花の両腕は流され両足が流され始めた。彼女は目の前で繰り広げられる現状に恐怖を覚える。ただただ彼女は痛みを感じず消えていく自分の体を見ながら、何も無い白い世界に向かって叫んだ。何も出来ない自分に、これから起こる何かに向かって。
そして、ついに鈴花は目の部分も流されてしまった。彼女はいよいよ何も見えなくなり忍び寄る恐怖に絶叫する。その声が聞こえなくなったとき、彼女は小さな光の粒となって何処かへ消えてしまった。