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第十話  浸水する世界で

   第十話  浸水する世界で

    

 鈴花が本に書かれた文章を良く読もうとしたとき、背後で何か音がした。鈴花はすぐにその音のするほうを振り向く。その体に、水の塊がぶつかる。直後彼女の体に衝撃が走り、その場にうずくまった。ハルは彼女の体を抱えて飛ぶ。彼女が屋根を見るとそこには水が飛散っていた。同じものをもう一度撃ってきたようだ。しかし、何処から撃ってきたのだろうか。周りを見てもそれらしいものは無い。水の中を泳ぐ魚が水の塊を飛ばしてきたのだろうか。とにかく、今はどこか安全なところで休みたい。

「おい、しっかりしろよ。」

 ハルが鈴花に声をかけてくる。彼女は無言で頷く。あまりしゃべりたくない。

 鈴花は家から近い四階建てのビルの屋上に降ろされた。他の建物よりも高いため、水面からの距離もある。彼女は屋上に寝転がり、空を見た。今日は晴れていて、太陽も出ている。太陽の光でこの水がみんな蒸発するのなら本当に楽なのにと思った。

「そんな事している暇は無いぞ。」

 彼女は頷きながらゆっくりと立ち上がり、本の倒し方のページを見る。今回も十個の数式が書かれている。前回に割り算を加えた四則演算のようだ。割り算が加わった点が前回よりも厄介な点である。しかし、書く場所を指定していないため、今回は楽かもしれない。なぜなら、水面から距離のあるここですべて書いてしまえば良いのだ。

 鈴花は早速一問目から順に間違わないようにしっかりと書き始めた。足し算、引き算は何度も計算しているためか、素早く答えを出せるようになっている。慣れとは面白いものである。掛け算、割り算についても単純な計算は早く解くことが出来た。

 鈴花が四問目の答えを書き終えたとき、どこからか声が聞こえてきた。

「だれか、誰か助けてくれ。」

 鈴花は立ち上がり、ビルから周りの建物を見る。近くに居るのなら、ここから見えるはずである。案の定、少年が近くの家の屋根に居た。周りを水に囲まれて動けなくなっている。よく見れば先ほどよりも水位が上昇しているようだ。彼女はすぐにハルを見る。

「本が見せてるわけじゃない。本物だ。多分な。」

 鈴花はハルに彼を助けるように言うと、式の計算に戻った。一問を解き終わる前に、ハルは少年を屋根の上に連れてきた。彼女は答えを書きながら礼を言う。すぐに背後から声が聞こえたが、気にしないようにした。

 鈴花は六問目の式を書き始めると、すぐに手を止めた。そういえば、ハルはこの世界にはもう誰も居ないと言っていた。しかし、すぐそばに一人の少年が居る。この世界の人間が居たのだ。これはどういう事なのだろうか。

「おい、そいつは邪魔するな。」

 鈴花はハルの声に振り向く。すると、目の前に少年が立っていた。彼女よりも少し年上のように見える。見たことの無い顔で、髪型はショートだ。

「荒谷、荒谷じゃないか。」

 少年はうれしそうに近づき、その場にしゃがむ。鈴花は彼に首をかしげる。何故彼は彼女の名字を知っているのだろうか。

「あなた、誰。」

 少年は鈴花に必死に自分の名前を言う。彼は真部宗太と言うらしい。彼女は今まで生きてきた中でそのような名前の人物と知り合ったことは無い。

「あの、人違いでは。」

 鈴花はそう言うと書きかけの式を書き終わらせた。宗太は彼女の言葉にさらに返してくる。彼女は反応せず、代わりにハルが彼を止めようとする。背後から聞こえてくる声。計算に邪魔で仕方が無い。

「二人ともちょっと黙ってて。」

 鈴花は二人を見ず計算しながら言った。声が大きかったのかすぐに静かになる。彼女は六問目を終えて七問目の式を書き始めた。式を素早く書き写し、計算を始める。しかし、背後の宗太がしゃべり出した。慌てふためく声、それを黙らせようとするハル。慌てるのは構わないが、邪魔はしないで欲しい。彼女は軽く頭をかきながら答えを書く。彼女はそこで一呼吸する。あと三問だ。

 鈴花はチョークを持ち直し、黒い本を片手に持つ。そして、八問目の式を書き始めた。その直後、彼女は自分の体が浮く感覚を覚える。すぐにハルが抱えているのだと理解した。しかし、何も言わずに飛ぶほど緊急だったのだろうか。彼女は周りを見る。すると、ビルにくる前よりもかなり水位が上がっていた。そしてビルの周りには見たことの無い魚が居る。

「あの魚が水を飛ばしてきやがった。」

 ハルの話では、鈴花が計算に集中している間に魚たちが集まり、水を飛ばしてきたらしい。そのため、ハルは急いで彼女を抱えてビルを離れたとの事である。彼女は屋根の上で受けた水の塊も魚が飛ばしてきたのだろうと理解した。宗太はというと、ハルの両足を必死に掴んでいるようだ。彼女の背後にハルが居るために宗太は見えない。そこで、ふと彼女は考えた。ハルの足を掴んでいるということは、彼女のスカートのあたりに顔があるのではないだろうか。ためしに足を後方に曲げてみる。すると彼にぶつかった。彼は何か言っているようだが、聞かないようにした。

「ハル。真部って人が変な動きをしたら、そのまま蹴落として良いから。」

 彼女はあえて冷たく言い放つ。変なことをしたら私も蹴落とすだろう。彼女の言葉に宗太と何度か言い争う。結果彼は納得し、名前を宗太と呼ぶように言ってきた。よく知らない相手の名前を呼ぶ気にはなれないが、呼んで欲しいのなら呼んであげよう。

「鈴花。これからどうする。昨日のビルに行くか。」

 ハルは駅前に向けて進む。昨日洋服や食品を買ったビルだ。しかし、もっと近くに高いビルがある。鈴花は西を見る。そこにある高いビル。大学にある二十階建ての校舎だ。この地域ではもっとも高い建物だと思われる。彼女はハルに行き先を告げる。ハルは進路を変えて、一直線に大学へと向かった。

 大学の敷地内に入ると、昨日走り回った校舎が見える。原型をとどめているが、地震があったら簡単に崩れてしまうだろう。その左に二十階建ての校舎がある。ハルは屋上に向かって高度を上げていく。

「うわ。高い。」

 地上を見れば遠く。落ちたら即死だろう。さらに高度を上げて、校舎の上に到達する。屋上に降りると、周りを見渡す。遠くに山が見える。あれは方向からして富士山かもしれない。空を見上げれば太陽が手に届く近さに感じた。

「悪いがそういうのは終わってからにしろ。」

 鈴花はハルの言葉を聞いて我に返ると、早速残りの三問を書き出した。どう書いたとしても水位は上昇を続ける。水位が彼女たちの居る高さに到達するまでに書き終わらなければさらに高い建物を目指すしかない。しかし、これ以上高い建物はこのあたりには無い。他の地域に行くとしても時間がかかる。ここで終わらせなければならないのだ。コンクリートの上に音を立てながら白い線を付けていく。九問目の問題を書き始めたとき、手に振動が伝わってきた。

「おいおい、魚どもが集まってきやがったぞ。」

 ハルの声が聞こえる。彼の姿は見えないが、屋上から地上を見下ろしているのだろう。しかし、魚が集まったからといってこのような振動を発生することが出来るのだろうか。

 手に伝わる振動に邪魔されながら、式と答えを書いていく。振動はさらに強くなり、建物が揺れだす。ここまでくるとまるで地震である。高い建物は地震の時の揺れ方が気持ち悪い。今もそのような状態である。揺れが苦手な彼女は吐きそうになりながらも最後の式を書き、答えを計算する。彼女は自分の呼吸が荒くなっているのがわかった。

 鈴花は最後の答えを書き終えると、堪らずその場に寝転がる。ハルや宗太が駆け寄ってくるのが分かったがそれ以上気にしていられない。その状態で黒い本のページを見た。すべての数式が青白く光る。その後、すべてのすべきことが順に光ると最後にすべきことが浮かびあかがった。今回も空に投げろというお達しだ。

 鈴花は起き上がり、黒い本を両手で空に投げた。投げた本は空中に静止する。そして、黒い本は黒く丸い塊へと変化した。その直後、黒い塊は弾けて細かい粒となり、周囲に広がっていった。彼女は立ち上がろうとする。しかし、あまり体力が残っていないのかなかなか立てない。その体を宗太が支える。ハルも彼女の前に来た。

「大丈夫か、鈴花。」

 鈴花はハルの言葉にただ頷くだけである。今彼女を支えている宗太という人間はよく知らない。しかし、彼女の名前を知っているということはこの世界の彼女を知っているということなのかもしれない。彼女はポケットから写真を取り出す。家を出る前に持ってきたものだ。それを彼に見せた。

「あなたが知っているのはこの子なんでしょ。」

 鈴花は宗太に写真を渡すと、彼から離れて周りを見ようとする。すると、彼女の背中に何かが付いた。首だけそちらを向ければ、ハルが体を支えているようだ。

「ここからI can flyされたら困るからな。」

 鈴花は英語の部分だけ妙に発音の良いハルに力なく笑う。彼女はそのまま手すりまで移動した。

 屋上から見える世界に彼女は何も言えなくなる。見渡す限りすべての地面が黒いのだ。真っ黒い地面の上に校舎や商業ビル。元は触れることのできない液体だということはすぐにわかった。しかし、あえて黒くしなくてもと思う。敵を吸い込むときや取り付くときは何時も黒い。たまにはもっと明るい色にならないのだろうか。

 鈴花は手すりに体重をかけながら、元に戻る世界を眺めた。

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