第一話 骸骨使いの女
骸骨使いの女 その一
鴉が屍を啄んでいる。屍は虚ろな眼窩で薄暗い空を眺めている。眼窩の虚ろは何かを訴えるかのように空を睨む。雑草はぼうぼうと伸び、人里離れた街道の上では屍を仏として扱う者はいなかった。通りががかった男を邪魔そうに見ると、鴉はかあと威嚇するような鳴き声を上げて飛んでいった。
「もう誰だがわからねえなあ・・・行き先は地獄だろうが、往生しろよ・・・南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
腰に太刀を太刀を佩いた男は白骨化しつつある屍に手を合わせる。
「ん? 動いたぞ?」
白骨はどす黒い血を吸った大地に肉を失った手を置き、ぐいと体を起こし始める。
「うわあぁぁ! 動きやがった! 怨霊化しちまったか! 安らかに眠れって言っているんだぜ!」
男は六尺、二十貫という恵まれた体躯から振り出される太刀を白骨に叩き付ける。白骨は抵抗も出来ずにまともに受け、頭蓋を街道の向こうに飛ばされていった。白骨は力を失い、首の無い屍に戻った。
「名前も残らず、屍を晒すか。全ては空なり。権兵衛よ、この世のものは全て空、一つとして存り続けることは敵わぬのだ・・・安らかに眠るが良い。観自在菩薩行深般若波羅蜜多・・・」
男は懐から数珠を取り出すと経を唱え始める。男は上物の狩衣と右胸から右腕までを覆う籠手を纏っている。侍烏帽子は既に無くしてしまっていた。
男は経を終えると、再び駅路を歩き始める。
「栄えある南海道も、こう屍ばかりじゃあなあ・・・」
駅路とは都と太宰府、畿内を結ぶ街道のことである。本来は役人が往来する街道の事だ。今は戦が続き、往来する人はめっきり少なくなっている。
男は懐から竹筒を取り出し、乾飯と言う乾燥させた飯を口に含み、唾液で戻しながら腹に入れる。
男は駅路から一本の道が山に向かって延びているのを見つける。
「恐らく山村があるな・・・一晩の宿と飯をだな・・・」
脇道は鬱蒼とした松林を進み、登りの道となる。男は息を切らしながら登っていく。
「馬があればな・・・」
汗を拭いつつ、登っていく。登る前は未の刻だったものが陽が傾き始め、申の刻を過ぎて酉の刻になろうとしていた。
空が朱く焼け、鴉が巣へ羽ばたきながら鳴いた頃、深かった松林が切れ、村が現れた。
「臭え。奴らの匂いがするがな・・・見たところ居なさそうだな・・・どういうこった・・・まあお邪魔するぜ・・・」
男は意を決して村に入っていく。随分静かじゃねえか。これは一体・・・」
薄暗い村は、まるで霧が立ちこめた様に空気が粘り着き、肌に触った。人気の無い村を男は歩いて行く。家は三十件くらいだろうか。板張りの家を過ぎると、竪穴の家が増えて来る。
家の屋根からは炊ぐ煙が上って行く。煙を見て男は安心し、左右を見る。
「あんた、どうしてここに・・・」
不意に女の声がして驚いて振り向くと、色白で艶のある女が立っていた。村女にしては色気があり、美しかった。
「違ったね。侍さんかい。どうしたんだい、こんな辺鄙な村にさ」
「一夜の宿を探している。ここは人の気が無くて困っていた」
「駄目だ。帰りな。今すぐだよ。ここは侍さんが来る所じゃないんだよ。ちょっと前に船乗りにするからってごっそり連れて行ったじゃないか。誰も戻らないんだ。さ、出ていきな」
男は誰も戻らない、という言葉に何も言えなかった。わかったと呟き、村の出口へ向かった。村を出るといっても、野宿になるだけである。男は玄関が開けられている家を見つける。覗くと家屋内は埃にまみれ、草も生えてきている。
「御免よ、一晩借りるぜ・・・」
男は埃も気にせず、横になる。瓢箪から水を飲み、乾飯を口に含む。
「米の粥が食いてえな・・・仕方ねえ」
男は窓から夕陽を見る。夕陽は次第に傾き、朱さを増して行く。陽が落ちると雲が燃えるように朱くなる。宵月が登り始め、月明かりが横になっている男の顔に振り注いだとき、締めたはずの木戸ががたがたと音を立てた。
「!」
男は驚いて立ち上がり、太刀に手を添えながら窓から外を見る。
「なんだと・・・?」
男は驚いた様な声を出した。骸骨が扉を開けようと木戸に手を添えていた。骸骨は酷く不器用で、開ける事が出来なかった。
がたがたと木戸は音を立て続ける。男は窓から目を離し、木戸が開けられた時にそなえ、太刀を抜く。がたがたがた・・・骸骨は飽きもせず木戸を開けようとしている。
「おや? 戸が閉まっているね。侍さんだろ? 大丈夫だから開けるからね」
女の声が響くと、がらりと木戸が開けられた。骸骨と一緒に女も入って来る。骸骨が囲炉裏に向かって歩き、座り込む。何かを持つ振りをして、何かを口に運ぶ動きをする。
「飯を食っているのか・・・?」
「秘密を知られちゃったわね。驚いた? ここは髑髏の村よ。私はさじめ。侍さんは?」
「俺か・・・? 俺は・・・どうでもいいだろ」
「侍の癖にはっきりしないわね。ちゃんと名乗りなさいよ」
「藤原直純」
「藤原に純の字・・・あんた・・・」
「済まぬ。この村から兵を募ったのはお祖父様だと思う」
男、直純は軽く頭を下げる。
「お侍さん、伊予掾さまの・・・」
朝廷から任命される役人の最上位は守である。次席は介、三番目は掾と呼ぶ。
「亡き祖父純友に代わりお詫び申し上げる」
「く・・・今更・・・く・・・」
さじめは膝を付き、大粒の涙を流し始める。直純は藤原の名を名乗る、貴種である。既に京から出て、土着して兵を興し、破れて子孫が彷徨っていても村人からしたら貴種なのだ。
直純の詫びは、村人に取って最大の栄誉に近いのだった。さじめがむせび泣く中、骸骨は飯を食い終えたのか、何も持っていないのに刃物を研ぎ始める。
「立ってくれ。俺はもう藤原ではない。藤原の一族であるが、既に都から落ち、藤原ではない」
直純はさじめの手を引いて立たせる。
「供養をしていいか」
「無理なの。私は何回も壊そうとしたけど駄目だったの。一日経てば夜に戻って来るの。無理よ。どうしちゃったのよ、死んでも死ねないってどういう事よ。お前達は船乗りを匿ったとか賊の家族だといって村人を皆殺しにしたじゃないの・・・」
「すまない。だがそれは我らではない」
「そうだね、すまないね・・・で、侍さんは成仏させてあげれれるのかい」
「出来る」
直純は太刀を抜く。
「成仏しろ」
見えない刃物を研ぐ骸骨に太刀を振り下ろした。太刀は髑髏をたたき割り、骨屑に変えた。それきり動かなくなる。
「現世は辛かったであろう。浄土へ行けよ・・・南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」
直純は数珠を取り出し、経を唱える。横で経を聞くさじめは堪えきれず、嗚咽が漏れ始める。
「ありがとう、侍さん、ありがとう。私の許嫁だったの。ありがとう」
さじめは堪えきれず、直純の無の中で涙を零した。直純はどうして良いかわからず、震える細い肩を眺めるだけであった。