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秀秋の天下  作者: 1235711
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大垣評定

西軍は秀秋の西軍加勢により勝利を収めた。

しかし東軍は余力を残したまま岐阜城に退却。西軍は大垣城に入った。


~秀秋屋敷~

秀秋は自身の屋敷にて、関ケ原での戦についてひとり考えていた。

秀秋「私の選択で先の戦はお味方は勝利した、自分が東軍に味方すれば明らかに西軍は負けていた、

あの場で私は勝利者を決める決定権を持っていた」

秀秋はひどく興奮した。この体験は秀秋という人間の今後の生き方を大きく決定づけた。

秀秋「すべてを決める権力者、天下人となりたい」

天下人になる、今後の秀秋の行動規則はすべてこの目的のため達成するために何が最良かということで決まっていくのであった。


松野重元「殿、三成殿より戌の刻に評定を行いたいとのことです。」

秀秋「さようか、あいわかった」

秀秋は戌の刻までまだ少し時間があることを確認すると足早にある人物の元へ向かった。


~戌の刻、西軍、大垣評定~

三成「みなみな、此度の戦でのご働き誠に大義でござった。家康の首こそ上げられなかったが、敵兵2万程を打ち取った。先ほど大津城攻めを行っていた毛利元康殿、立花宗茂殿、小早川秀包殿が合流なされた。

これより一気に岐阜城を攻め、家康の首を打ち取りましょうぞ!」


秀秋「あいやしばらく」

三成「これは金吾中納言殿、いかがいたした」

秀秋「岐阜城は堅城にござる。しかもまだ内府側の軍勢は5万以上おりまする。

力攻めでは時間がかかりその間に徳川秀忠の大軍や北陸の前田利長の軍が迫ってくる可能性がある。」

三成「ではいかがせよと」

秀秋「現在我らの軍勢が内府の軍勢より勢いあるは事実でござる。この段階で豊臣恩顧の大名、福島、黒田などに所領安堵する故我らにお味方するように密使を送る。彼らが寝返ればもはや我らの勝利は決定的にでござる。」

三成「内府についている豊臣恩顧の大名はもはや逆臣でござる。そやつらを許すと申されるか」

秀秋「内府さえ倒せば豊臣の天下は安泰。他のことは小事でござる。副総大将殿はいかがお考えか?」


副総大将とは宇喜多秀家のことである。彼は西軍最大兵数1万7000の兵を持ち、また西軍全体の副総大将であった。


秀家「闇雲に乱を長引かせるわけにはならない。迅速に内府を討つためここは金吾中納言の意見を尊重したい。」

三成「備前宰相までそういわれるならば致し方ない。」

秀家「石田治部、かたじけない。では密使を送る。」

三成では内府方についた武断派に角が立つということ署名は宇喜多秀家と小早川秀秋の名となった。


~数日後~

兵「福島、黒田等内府方に付いた豊臣恩顧の大名こぞって我らに帰順致しました。」

秀家「よし、今こそ全軍を挙げて岐阜城を攻める。」


大津城からの合流組、内府側からの帰順組を合わせた西軍は岐阜城を攻め寄せた。

しかし家康はすでに城を捨て江戸へ逃亡していた。


中央において西軍の勝利は決定した。

「戦を終了した後、自分ができる限り力を持てるように」秀秋の策が今なお動いている。

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