魔女狩り
前話までのあらすじ:狩人ドフと戦士リーヴスと行動を共にする里奈は、森の中で魔狼と呼ばれる狼の襲撃を受ける。何とかそれを退けた一行だったが、リーヴスは負傷し、里奈も高い戦闘力からその出自に疑問を抱かれることになってしまった。
「ありがとうリナ、君には助けられた」
森を歩きながらリーヴスは言った。その歩みは遅い。腹部に受けた後ろ蹴りは想像以上の威力だったようだ。
「手負いとはいえ魔狼を追い払うとは……大したものだな。……君は戦闘の経験があるんじゃないか?」
「う~ん」
記憶喪失ということになっている里奈は考え込むフリをした。
「そうかもしれません、さっきは身体が勝手に動いたように感じました」
「リーヴス、ここ数年で行方不明になった王家の戦士はどれくらいいた?」
ドフの問いを受けて、リーヴスはかぶりを振った。
「数え切れないほどだ。リナくらいの歳の子も居たはずだが」
「その子らのうちの誰かが記憶を失ったという可能性は?先程のこやつの動き、どう考えても素人じゃない」
「うむ、特別な訓練を受けていたようだ……俺は別のことを考えていた。まるで暗殺者の動きのようだったと」
一瞬の沈黙。ややあってドフは言葉を選ぶように口を開いた。
「エラミス共和国では殺し屋は廃れたと聞いたぞ。儂の故郷でもそうだ。今の時代、殺しの痕跡は魔術で暴かれる。下手人の特定まで1日もかからぬ」
「確かに暗殺者は激減した……だが絶滅したわけじゃない。今でもほんの数人だが、腕利きが残っていると聞く」
「リナもそういう訓練を受けていると?それならなぜこんな森の中に……」
ドフとリーヴスに見つめられ、里奈の神経が張りつめた。2人の考えていることが手に取るように分かる。ここで疑われるのはまずい。今の里奈には、無実を証明する手段がない。
(ここで2人とも殺すか?)
幸か不幸か、里奈は本当に暗殺者になれるだけの技量を持っている。不意をついて2人に襲いかかれば……。しかし万が一仕留め損ねると、この謎の多い土地で敵を作ってしまうことになる。
(仕掛けるか……? だがもしこの子が無実だったら)
( 今の俺は万全じゃない。剣も失った。短剣と素手でどこまでやれるか)
(一人を不意打ちで、その血で目くらましをしながらもう一人を狙うのがいいわね。幸いリーヴスは弱っているし、剣をも持っていない。仕掛けるなら後回しにしてもいい)
三者三様の思いを秘め、互いに視線を交わす。何かきっかけがあればそれが発破となって大爆発を起こすような、ピリピリとした緊張感。
不意にそれを打ち破る声が響いた。
「あ~っ! やっと見つけました!」
3人はビクリとした。
「リーヴスさん!ドフさん!何をしてるんですかこんなところで!わたし心配したんですからね?」
木々の合間から灰色のローブを纏った人影が現れた。不健康なほどに白い肌に、大きな目をした少女だ。年齢は里奈よりも上、高校生くらいだろうか。彼女はリーヴスとドフに向かって、手にした白木の棒を向けた。
「わたしだけじゃありません!リリィ教授もとっても心配しています!すぐに戻ってください!リーヴスさんはそんな怪我までして!大事な任務の最中だってこと、忘れてませんか?」
里奈は目を瞬かせた。見間違いではない。リーヴスとドフに向かってガミガミと声を上げる彼女は、地上2メートルほどの場所に浮いている。どうりで誰も接近に気付かなかったわけだ。
「ドフさんもドフさんですよ。わたしは偵察に行くの反対しましたよね? それをあなたは」
マシンガンのように言葉を発していた彼女は、里奈を見据えると言葉を切った。端正な顔に怪訝そうな色が浮かぶ。
「あれ?どなた……?」
「ミューイ、心配を掛けて済まんかった」
ドフが言った。
「魔狼に襲われて、リーヴスが怪我をしてな……。この子はリナ。森の奥で儂が見つけた子だが、記憶を失っているようだ」
「記憶を……」
ミューイは浮かんだまま里奈を見下ろし、一礼した。
「初めまして、わたしはミューイ。偉大なるラネッシュ老師の一番弟子にして、王属魔術師隊の副隊長を務めています」
「これはご丁寧に。里奈といいます」
「リナちゃんですね。忙しなくて恐縮ですが、わたしたちの野営地が近くにあります。そちらに向かってもよろしいでしょうか。色々と伺いたいことはあるのですが、この森は色々と危ないので」
「その前に、彼女の足を治してやってくれ。森の中を歩いて怪我をしている」
ドフが言った。
ミューイはふわりと里奈の前に降り立った。木の棒を手の中でくるりと回すと、里奈の足を指した。
「承知いたしました。その傷、癒して差し上げますね」
「え、その棒で?」
「……棒ですか」
ミューイは苦笑した。
「確かにそう見えるのでしょうね。しかし、これはただの棒ではないのです」
里奈はまじまじとそれを見た。長さは里奈の腕ほど。捻れた白い木の枝を切り落としたような形。
「そこに座って、足を出してください」
里奈が言う通りにすると、ミューイは傷だらけの脛にその棒を向けた。
里奈はドフの言葉を思い出した。
(傷はうちの魔術師に治して貰えば良い)
「もしかしてそれ、魔法の杖みたいなものですか?」
「みたいなもの、じゃなくて、そのものですよ」
里奈の足が熱くなった。棒……ではなく杖の先から、金粉を思わせる光が降り注いだ。光は里奈の傷口に集まると、それを埋めるように肉体に同化する。恐ろしいほど簡単に、ものの数秒で傷ひとつなくなった。
「すごい……」
便利、という本音を飲み込んで言った。
「ありがとうございます。これくらいの傷ならすぐに治せるんですよ。リーヴスさんほどの重症では、もう少し時間がかかりますけど」
「俺はいい。それより早く移動するべきだ。リリィ教授が野営地で一人なんだろ」
リーヴスは言った。
「かなり強固な結界を張ってきましたが、早く帰るのに越したことはないですね。あなたはわたしが運んであげます」
ミューイはリーヴスに近寄ると杖先で軽く突いた。リーヴスの身体が宙に浮く。
「リナちゃんとドフさんは、ごめんなさい、徒歩で」
「問題ない。リナは儂が面倒を見る」
里奈は立ち上がった。ドフがその腕を取る。
「急ぐぞ、リナ」
野営地は、ミューイと出会った場所から数十分の場所にあった。木々が切り倒され、円形の空き地を作っている。半透明の膜が、ドームのように空き地全体を覆っていた。ミューイの結界だ。
「はーい到着です」
ミューイとリーヴスが地面に降り立った。ミューイは里奈に近づくと、額に杖の先を押し当てた。押し付けられた先端が、じわりと熱を持つ。
「魔法の刻印です。これでリナちゃんもわたしの結界に入れるようになりました」
里奈は空き地に近づいた。
「これ……どうやって入るんですか?」
「普通に進んでもらえばいいですよ」
ミューイは里奈の背を軽く押した。里奈はつんのめるように一歩踏み出した。顔に冷たい風が吹き付けられたような感覚。一瞬、視界が白い霧に覆われた。思わず目を閉じる。数秒後、
「あ?なんだテメェ。何勝手に入ってきてんだよ」
低い女性の声が聞こえた。
(ここは?)
気がつくと里奈は白いドームの中に立っていた。中には焚き火が焚かれており、火の番をするかのように1人の女性が腰掛けている。里奈に敵意むき出しの声をかけた彼女の隣には、猫のようなネズミのような、金色の毛をした小動物が一匹丸まっていた。
「リリィ教授、ただいま戻りました」
里奈が振り返ると、ミューイが結界のを通り抜けてこちらに向かってくるところだった。後ろにはドフとリーヴスが続いている。
「ミューイよ、なんだいこの小娘は。部外者を入れるなんて、お前らしくねぇ」
「ドフが見つけたそうです。森の奥に倒れていたとか」
「はぁ?」
リリィは不機嫌そうに顔を歪めた。美人なのに勿体ないと里奈は思った。
「今アタシらがどういう状況か分かって言ってんのかよ。イルス王の特命を遂行する上で、邪魔にしかなんねぇ。どきな、アタシが殺す」
「まぁそういきり立たなくてもいいじゃないか」
不意に小動物が口を開いた。短い四本足をせかせかと動かし、ミューイの足元に駆け寄る。
「ボク達は常に正義の側に立つべきだ。敵でもないのに人を殺すわけにはいかないよ」
「わたしたちも警戒していないわけではありません。リナちゃんがどういう立場の子なのか確信が持てるまでは、しっかり見ています」
小動物は里奈の方を見て言った。小さな口から、変声期前の少年のような高い声が流れ出す。
「君はおとなしくしていてくれると嬉しいな。ボク達には使命がある。それの邪魔をしないでいてくれれば、悪いようにはしないから」
(ああ……)
里奈は現実を認めたくなかった。
(動物が話してる……)
「そこの口の悪い彼女はリリィ。意外かもしれないけど、王立魔術大学で教授を務めている才媛だよ。ボクは特に名前ないから、好きに呼んでよ。ミューイのお目付役として、付いてきているんだよ」
「要するに使い魔だ。ミューイの……ではなく、彼女の師匠、老ラネッシュの。儂らの任務をサポートしてくれている」
野営地の真ん中にどっかりと座り込んだドフが言った。
「リナも名乗っておけ。リリィは口と態度は悪いが、知識量は誰にも負けん。……仲良くしておけば色々と役に立つ」
最後の一言はリリィに聞こえないよう、小声だった。
「あ、はい、わたしは里奈です。ここまでドフさんとリーヴスさん、ミューイさんに連れてきてもらいました」
「あっそ。別に聞いてねぇけど」
リリィは目も合わせずに言った。しかし里奈は気にしていなかった。リリィの腰に、見覚えのあるものがあったからだ。
「それ!銃じゃないですか?」
「は?何?喋んないでくれる?」
悪態をつきながらもリリィは腰のホルスターからそれを抜いた。青味がかった光沢を持った材質の、回転式の拳銃に見える。
「火薬の力で鉄のかけらを飛ばすんだ。まだ試作品だが」
「へぇ……」
里奈はまじまじとその銃を見つめた。この森で目を覚ましてから初めて、文明的な物を見た気がする。
「何見てんだよ、やらねぇぞ」
「いえ、欲しがってるわけでは……」
里奈の背後でリーヴスとミューイが話している声が聞こえた。
「では治療します。っと、このアザ、すごいですね。魔狼の蹴りって怖いですねぇ」
「首に剣が刺さったまま逃げていったよ。ドフから話しは聞いていたが、あれほどの化け物だとは」
「おい」
リリィは声を上げた。
「魔狼とやりあったってのか?」
「ああ、リナがいなければ、ドフはともかく俺は危なかった」
「本当か!」
里奈はリリィに肩を掴まれた。
「魔狼を近くで見たのか!?」
「へっ?!はい見ました!」
驚いて変な声を漏らす里奈。リリィは矢継ぎ早に言葉をついだ。
「どんな見た目だった?匂いは体温は?走る速さも知りてぇ!やっぱり力は強かったのか?歯は何本あった?体毛は?」
「おい、その辺にしておいてやれ」
ドフが言った。
「戦闘中のことだ、覚えてねぇよ」
「そっか……」
しゅんとしたリリィを尻目にドフは里奈に耳打ちした。
「リリィは知的好奇心の塊みたいなやつだ。儂も以前質問責めにされて参ったことがある」
「ああ、大学教授って仰っていましたからね」
「本当はボクを含めた3人と一匹で旅をする予定だったんだけど」
小動物も話に加わった。
「出発直前になって自分も連れてけって言ってきたんだよね。重要かつ高難度な任務だし、ボク達も王様もラネッシュ様も止めたんだけど……まぁこの森に入れる機会なんてなかなか無いから、色々調べたい気持ちは理解できるけどね」
「なるほど……あ、そうでした」
里奈が言った。
「その、任務ってなんなんですか?リリィさんもさっき特命って」
ドフが考え込むように唸る。小動物が言った。
「まぁ、これくらいなら教えても良いだろう。リーヴスの恩人だしね」
小動物はヒゲと耳をひくひくとさせながら目を閉じた。焦らすようにゆっくりと口を開く。
「ボク達の任務は、魔女討伐。かつて殺しに殺しを重ね、世界の人口の3割を殺戮し尽くした、邪悪な魔女を討伐することだよ」