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殺人少女、異界に遊ぶ  作者: 広瀬 月草
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こうして私は殺された

前話のあらすじ:殺人嗜好を有する少女、深見里奈は、朝食の席で義父の有島健吾に夜間の外出を咎められる。健吾は新興宗教に傾倒した末に命を落とした姉夫婦に代わって、その娘である里奈の面倒を見ているのだった。

里奈は自分が生きていく上で保護者の存在は不可欠であると理解しながらも、彼のことを疎ましく思っていた。

 朝食を摂った里奈は自室に戻り、スマートフォンを眺めていた。SNSからの通知がひっきりなしに送られてくるが、それには目もくれない。

 彼女の興味は、最近になって多発している浮浪者の不審死に関するニュース記事に向けられていた。

(わたしはもう長いことホームレスを襲っていない。と、なると、いったい誰が……)

 警察は最初、一連の殺人はホームレス狩りを目論む若者によるものだと考えていたらしい。しかし地元のヤンキーや半グレに目を光らせていても被害者は増える一方だった。

 奇妙なのは被害者が殺されたことについて、その近くで寝起きしていた他のホームレスは全く気づいていなかったということだ。気がつくと仲間が死んでいたというのが彼らの証言だ。

(特別な訓練を受けた人間が犯人なのかも。だとすると浮浪者を襲う意味が分からないけど……単純に人を殺したいだけかしら)

 もしそうなら同類だ。里奈はひっそりと笑みを浮かべた。

 (ぜひ会って、色々とご教授願いたいものね)

「里奈!そろそろ出ないと電車に遅れるぞ!」

 健悟が部屋の前で叫んでいる。里奈はスマートフォンをスカートのポケットに滑り込ませた。姿見の前に立ち全身をざっと改める。

 同年代の女子と比べると高めの身長。紺色のブレザーとスカートを身に纏い、目立たない程度に着崩す。リボンは緩めに、スカートは軽く折り上げて、膝が見えるくらいにしておく。セミロングの黒髪は後頭部の高い位置で纏めておく。いつものスタイルだ。

「よし……頑張るか!」

 自分に気合をいれるように呟いた。

 こうして普通の女子中学生、深見里奈のいつも通りの平日が始まる。

 そのはずだった。



 制服の上からコートを着込んだ里奈は、駅に向かって歩き出した。外は薄曇りで、チラチラと雪が舞っている。道行く人々はみなしっかりと着込み、首をすぼめて歩いていた。

 街頭ではサンタの服装をした男女が、何やらビラを配っている。あと一週間ほどでクリスマスだ。

(クリスマスかぁ)

 里奈は呑気に考えた。

(早く終わってくれないかな……夜に人が多いとやりづらいのよね)

 ホラー映画よろしくお楽しみ中のカップルを襲いに行こうかな……そんなことを考えていた里奈は、ふと足を止めた。背後が妙に騒めいている。

 何気なく振り返った里奈はその瞬間を目撃した。

 灰色のボロ服を纏った巨漢が、サンタの服装をした男と揉み合っている。巨漢はサンタを押しつぶすように地面に組み伏せていた。必死の抵抗をものともせず、岩のような拳を振り下ろす。白いボンボンのついた赤い帽子が、赤黒く変わっていく。

「うううううぅぅぅん。むぅぅぅん」

 ボロの男はゆらりと立ち上がった。不気味な呻き声を漏らしながらよたよたと歩き出す。

 周りからけたましい悲鳴が上がった。「警察!警察!」と叫ぶ声。道ゆく人々は男を遠巻きに見ながら、それぞれのスマートフォンを構えていた。

 喧騒の中心にありながら、男の視線は揺らぐことなく里奈を捉えていた。まるで夢遊病にでも罹っているかのような不安定な動きで、彼女の方へと歩みを進める。

 一方の里奈は白けた目で男を見返した。

 (軽くあしらって警察に引き渡そう)

 そう考えたその瞬間、男はそれまでの動きが嘘だったかのように、里奈に向かって駆け出した。霞むほどの速さで右拳を突き出す。緩急をつけた動きと相まって、常人であればその拳を見切れずに昏倒していただろう。

 里奈は直感的に左腕を立てると、相手の拳を受けつつ外側に払いのけた。男の上体が前方に流れる。それにタイミングを合わせるように里奈は上体を逸らし、頭突きを繰り出した。

 カウンターの一撃が顎に打ち込まれる。ガツンと硬い音が響いた。

 男は糸の切れた人形のようにその場で崩れ落ちた。脳が揺さぶられ、気を失ってしまったのだ。目を覚ましたとしても脳震盪でしばらくは立ち上がれないだろう。

 早業で男を倒した里奈に、周囲から驚きの声が上がった。人の頭を拳で割るような大男にこの小娘が抵抗し得るとは、誰も思っていなかったのだろう。

「君!大丈夫かい?」

 人混みの中からスーツ姿の男が駆け寄ってきた。遠くからサイレンの音が聞こえる。

「ええ、大丈夫。どうもありがとう」

 里奈は笑顔を向けたが、すぐに顔をしかめた。額が引きつるように痛い。触れてみると手にべっとりと血がついた。頭突きをした際に男の歯が当たり、裂けてしまったらしい。

「ほらこれ、使うといいよ」

 スーツの男がハンカチを手渡してくれた。ありがたく受け取り、額を抑える。

 見ると結構な人数が里奈たちを取り巻いていた。その中に自分と同じ制服の中学生を見つけ、里奈はげんなりした。しばらくはこの話題に追われることになるだろう。

「彼らのことは、気にしなくていい」

 スーツ男が小声で言った。

「所詮は野次馬だ。集まって騒ぎたいだけの連中さ」

「見世物になったみたいです」

 里奈は苛立ちを隠して小さく笑った。

「見たいやつには見せておけ。関係ないさ。ところで……」

 スーツ男はいっそう声をひそめると、

「君は暴力に慣れているようだね」

 里奈はどきりとした。

「さっきの動き、格闘技の経験のある人間ならできてもおかしくないものだが、君のはどこか違った」

「何をおっしゃっているんですか?」

「君の技には容赦がない。普通の人間は暴力を振るわれても、とっさの判断はできない。足がすくんでしまうのだ。もし反撃しようと思えても、全力など出せるものではない。だが君は……」

 男は里奈の額に手を当てた。傷跡がズキズキと疼く。

「君のあの動き、戦いに慣れているものの動きだよ。君は一瞬で相手の動きを見抜き、それを合わせて体を動かし、そして彼を倒してしまった」

「あれは偶然です……あまりに怖くて……」

 里奈は涙を浮かべて見せた。憐れみを誘う常套手段。だが男には通じなかった。

「いや、君は怖がってなどいない。私には分かるよ。君は彼との戦いに退屈していたようだった。もっと戦い甲斐のある相手が欲しかったんじゃないかね。あるいは、殺し甲斐のある」

 そして言葉を切ると、感極まったように呟いた。

「ずっと君を探していた……やっと見つけたよ」

 里奈が口を開こうとしたとき、赤い回転灯が2人を照らした。

「また今度、ゆっくり話そう」

 スーツの男はそう言って里奈から離れた。あっという間に彼は人に紛れ、里奈の視界から外れた。

 駆けつけたパトカーから、二人の警察官が降り立った。一人は倒れたままの男に近づくと、それをうつ伏せにして手を後ろに回し、手錠を取り出した。 

 もう一人の警官が里奈の元に歩み寄った。がっしりした体格の男だ。ラグビーあたりのスポーツをやっていたのか、首が異様に太い。

「被害にあったのは君かい?」

「ええ、私です」

「さっきの男は?」

「さぁ……」

 里奈は首を巡らせて、スーツの男の姿を探した。警官は無線機に向かって小声で何かを呟いた。応援を呼ぶつもりなのだろう。

(わたしを……探していた……?)

 心当たりはなくとも、なんとなく不安な気持ちになった。

(わたしに何の用があったんだろう)

「大変だったね」

 通信を終えた警官が言った。

「いくつか話を聞かないといけないんだけど、まず親御さんの連絡先は」

「危ない!」

 野次馬の誰かが叫んだ。

 その瞬間の警官の動きは、見事としか言いようがなかった。彼は一瞬の判断で里奈に飛びつくと、彼女に覆いかぶさるように地面に伏せた。里奈は何が起こっているのか分からないまま警官の身体に押しつぶされ、うめき声をあげた。

 ぐちゃっ。濡れたタオルを床に叩きつけたような湿った音が聞こえた。

 警官の呆然とした呟き。

「なんだと……」

 目線を上げた里奈は、それを見た。

 手足があらぬ方向に折り曲げられ、破壊され尽くした人体。それが道端に置かれていた赤いポストに半ば埋まるようにして存在している。

 それは男に手錠をかけようとしていた警官の、激しく損壊された遺体だった。

「ふォォォォォ、おおおおおおおん」

 ゾッとするような雄叫びを上げ、一度は倒れたはずの男が立ち上がっていた。彼は先ほどと何も変わりない様子で里奈に視線を向けると、一歩踏み出した。

「待て!そこで止まりなさい!」

 片割れを失った警官は声を張り上げると警棒を抜いた。振って伸長させ男に向かって構える。

 男はゆったりと歩を進めた。まるで警官が見えてないかのような動き。それゆえに動くタイミングが絞りづらい。

 警官は警棒を握ったまま姿勢を低くした。レスリングのタックルのように、肩から男にぶつかっていく。押し倒して拘束するつもりだ。

 衝突の直前、男は確かに視線を下げ警官を見た。その口元が笑ったように見えた。

 肉と肉がぶつかり合う音。

 一瞬の接触の後、警官の体が宙に浮いた。野次馬から悲鳴が上がる。

 里奈は戦慄した。優れた動体視力を有する里奈には、男の動きが見えていた。

 男は警官との衝突の直前に、すくい上げるようにして足を振り上げていた。男のつま先は前かがみになっていた警官の胸元を直撃し、その身体を3メートルほど宙に浮かせた。

「ふぅぅぃぃぃぃ」

 ドサリと落ち動かなくなった警官には目もくれず、男は里奈に向かってきた。奇声を上げながら手を伸ばしてくる。

「触らないでもらえます?」

 里奈はからかうように言いながら一歩引いた。男の平手が一瞬前まで里奈の頭があった位置を薙いだ。彼の膂力を鑑みると、まともに受ければ顔の形が変わってたかもしれない。

「そんなに私が好き?座っておしゃべりする?」

 声をかけながら、里奈は焦っていた。相手はまるで映画に出てくる機械人間のように、タフで攻撃的だ。本当に人間なのかすら疑いたくなる。

 里奈はフェイントをかけるように一歩前に出た。応じるように男の左足が動く。里奈は相手の膝蹴りをギリギリのところで躱すと同時に軽く跳躍した。男と里奈の体が交差する。

 パンッと爆ぜるような音が響き、男の巨体が僅かに沈んだ。里奈は直立している男の右膝に向けて、足裏で踏み潰すような蹴りを放っていた。相手は今、膝蹴りのために全体重が右足に掛かっている状態だ。その右足の膝を逆向きに折り砕いた。

 膝を折られた男が倒れるより早く、同じ右膝に下段回し蹴りを繰り出す。男の膝が正面から見て「く」の字に折れた。流れるように肘打ちを鳩尾に。後ろに回り込んで男の髪を掴むと、後頭部をアスファルトの地面に叩きつけた。

「ああああウウウン」

 これだけされても男の表情は変わらない。ぐちゃぐちゃにされた右足をものともせずに立ち上がる。

(ああもう!どうすればいいのよ)

 里奈はステップを踏むように男の右側に飛び出した。放たれた右拳をすんでのところで躱す。里奈は手を伸ばして男の右目を突いた。彼が顔を背けたところで足払いをかける。男はアスファルトに尻を打ち付けた。

 この程度の攻撃が効くわけが無いということは分かっていた。里奈は男が転んだ瞬間、背を向けて逃げ出した。

 この男は化物だ。まともに勝負して勝てる相手ではない。

(ここは人目も多いし、さっきの警官が呼んだ応援だってくるはず。とにかく、一人じゃこの男には勝てない!)

 里奈は後ろも見ずにひたすら駆けた。しかし、

「えっ」

 軽快に動いていた両脚が、急に重くなった。

(なんで……)

 里奈の足を、地面に腹ばいになった男の両手ががっしりと掴んでいた。そのまま引き寄せられるように、アスファルトに叩きつけられる。

(体勢を立て直すのが早すぎる……こいつは)

 男の両掌から鮮血が吹き出すのを見て里奈は悟った。

(這ってきたのか……両脚で駆けるわたしに追いつくほどの早さで)

 絶望する里奈に覆いかぶさるように、男はにじり寄った。

 鈍器のような拳が、里奈の小さな顔に叩きつけられる。


 一発目で頬骨が砕け、皮膚が裂けた。

 二発目で顎関節が歪み、顔貌が歪んだ。

 三発目は眼窩の真下に当たった。視界が真っ暗になり、涙が溢れる。

 四発目は額に。強固なはずの頭骨が砕け、粘ついた血が滲んだ。

 五発目は鼻先に。拳は皮膚を突き破り、顔面に穴が穿たれた。


 男は嬉しそうに拳を振るい続けた。少女が動かなくなり、その頭部が形を無くしてもなお止まらない。

 集まった野次馬たちは、声も出せずにただそれを見つめていた。目にした暴威の前に体がすくみ、逃げることすらできない。

 殴打は数分に渡って続いた。

 男はおもむろに拳を下ろすと、天を仰いだ。

「むォォォォォォォォォォォォォォォ」

 長い雄叫び。彼は少女の残骸に寄り添うように倒れこむと、動かなくなった。

 

 まるで、役目を終えたかのように。


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