第71話-ミル・ノトー
大聖堂の豪華な会議室に集まったのは、フレイア・スヴァルトリング女王と近衛のアサヒナ、それにヨルの三名。
ティエラ教会側は法王フロージュンとその側近である枢機卿ら数名だけだった。
そして、法王の挨拶に対して無言で対峙するヨル。
その視線は法王の隣で佇んでいる一人のセリアンスロープに注がれていた。
「……」
法王の挨拶へ反応しないヨルに、室内にいる誰かがゴクリと喉を鳴らした。
「―――っっ!!」
突如、厳かな会議室内に似合わないドンッッ!と言う音が響き渡った。
王国側の参加者のうち、その瞬間を目で追えたのはアサヒナだけだった。
真ん中に巨大なテーブルがあるにもかかわらず、突如ヨルの目の前に現れたセリアンスロープの女性がヨルの顎を目掛けて掬い上げるようなアッパーカットを繰り出す。
それをヨルは顔をひねりギリギリで交わすと、振り切った脇腹へ超速の正拳を叩き入れた。
その拳の衝撃波でテーブルの花瓶がいくつか倒れる。
入った!とヨルが思った瞬間、女性は左手でヨルの拳を防ぎ、そのまま右腕を引き戻す勢いを利用して再びヨルの側頭部へ蹴りを繰り出す。
「ヨルっ!」
こめかみに襲いかかってくる蹴りを受け止めたヨルは、口角を吊り上げ、その脚を掴み投げ飛ばそうとするが。
「そこまでです!!!」
法王がストップをかけ、二人同時にフッと力を抜く。
そしてその女性はジッとヨルを見つめ、涙を浮かべながらヨルをギュッと抱きしめたのだった。
「ぁ……」
ヨルの口から小さな呟きが溢れた。
抱きしめられたヨルがその背に手を回そうと、両腕をそっと女性の背中に回す。
――次の瞬間、ヨルの身体は天井ギリギリまで放り投げられており、シャンデリアが目の前に迫っていた。
「――っ!」
ヨルは空中でくるりと一回転して姿勢を整え、テーブルの反対側にいる法王の隣に着地した。
「え、なにこれ……」
それは誰の呟きだったか。
何が起こったのか理解していたのは、突然襲いかかってきたセリアンスロープの女性と法王フロージュンだけだっただろう。
法王を挟んで左右に着地したヨルと、ヨルにそっくりの女性。
フレイヤは真顔でこの様子を見守っていたが、単純に何が起こったのか未だに理解が追いついていないだけだった。
アサヒナはヨルに殴りかかった女性へ反撃をしようと一瞬構えたが、その容姿をはっきり見た途端その考えは吹き飛んでいた。
「ヨルちゃん強くなったね。昔は片手で振り回せたのに」
「……お母…さん?」
「残念、おばあちゃんよ」
「「「――!?」」」
少し顔を赤らめていたヨルは「もしかしたら」と思い口に出した言葉だったが、一瞬で否定された。
そして思っても居なかった方向の真実がそこにあった。
言われてみればそうだ。
父と母が居るからには、祖父と祖母という人物も存在いなければならない。
確かに自分の祖父母については一度も父から聞いたことが無かったが、先日フランツ司教に「ノトー枢機卿」と聞いた時にその可能性に気づくべきだった。
フランツ司教が昔会った事があるというのは彼女のことだろう。
「改めて、ミル・ノトーよ」
「……ヨルです」
ミルと名乗った女性は、長らくティエラ教会で枢機卿として活躍していると法王フロージュンが説明した。
ミルがいきなり殴りかかってきた事については「娘と会った時の癖で…」と目をそらしながら釈明する
セリアンスロープが人間に比べると寿命も長く年を取りづらいと言うが、ミルの年齢が全くわからないほど若く見えた。
ヨルと並んで立っていれば普通に姉妹と言われても信じてしまうだろう。
それぐらい、ミルはヨルにそっくりの容姿だったのだ。
「改めまして、どうぞお座りください。枢機卿がご無礼を働き失礼しました」
法王が着席を促し、フレイアとアサヒナ、ヨルが着席をする。
ミルの話は一旦あとにして、まずは本題からということになった。
部屋に控えてるのは、法王のお付きとして本国から来た大司教たちだと説明をされる。つまりこの部屋には、このシンドリ教区の人物は一人も居ないことになる。
「お話し合いの前に一つお願いがございます。この部屋でのことは例え教会の人物であっても他言せぬようお願いできますでしょうか」
(……つまりそういうことか)
ティエラ教会には上層部しか知り得ない秘密があるということだった。
「では、初めに親書にてやり取りをさせていただいておりました、王都の教会で起こった事件についてですが」
まずフレイヤが口を開く。
「はい――」
「こちらの調査結果およびティエラ教会に対する要望は既にお伝えしている通りですが、改めて書面にいたしましたのでご確認ください」
フレイヤが取り出した羊皮紙をテーブルの上に広げ、法王へと示しながら一行ずつ読み上げていく。
「こちらに関しましては異存ございません。寛大な処置ありがとうございます」
ヨルも既にフレイヤから聞いている通りの内容だった。
教会の上層部は一度全員本国へと送還。その後改めて各国に新しい司祭が派遣され、その後も数年後とに強制的に交代を行うそうだ。
その後、この国で活動するにあたっての細かな取り決めが提案決定されていく。
王都の大聖堂再建費用の見舞金として王国が提示した金額にヨルは少し血の気が引いた。
「さて、これでフレイア様との取り決めごとは確認が終わりました。次にヨル様の事ですが」
「――はい」
ヨルは少し背筋を伸ばして返事をする。
「我々ティエラ教会はヨル様に対して何かを強制する考えはございません。ただ、これまでより親密な関係を築けたらと思っております」
「その前に、私のことは信じるのですか?」
そもそもの話、犯罪を犯したエイブラム大司教と、謎のロリっ子メイドが「この子が神ヨルズの生まれ変わりなのだ」と言っていた証言しか無い。
何をもって、ティエラ教会の最高責任者がそれを信じるのかがヨルは理解できなかった。
「ヨル様が大地神ヨルズさまのお生まれ変わりだということは信じておりますし、本来ならすぐにでも本国にお連れして信者たちを導いて頂きたいです」
「……」
「貴方様のことは六日ほど前にヴェル様より伺っておりました。エイブラム大司教により報告されたことは事実であると」
「えっ……ヴェルの事知っているのですか?」
またヴェルの仕業かと内心思ったヨル。
どおりで今日この場に来るのを嫌がっていたわけだと、今朝のヴェルの様子を思い出した。
「もちろん、この教会を作られた方ですので」
「それも信じてるのですね」
「詳しくは言えませんが、あんなお姿を見せられてしまうと信じないわけには……聖典も全て暗記されてましたし」
「……なにやったのよヴェル……」
ヴェルとヨルは前世では良く一緒に行動しており、ヴェルの行動パターンはある程度理解していた。「何をしでかすか判らない」という意味ではあるが。
法王はなぜか頬に手を当て、顔を真っ赤にしている。
この様子では、またとんでもないことをしたんだろうなと容易に想像がつく。
しかし首を突っ込んで巻き込まれるのも得策では無い。
「こほんっ、それにもし違っていたとしてもミル枢機卿のお孫さんというだけで、十分お会いする理由でした」
「その、ミル……さんは――」
「お姉ちゃん」
「……? ミルさんは――」
「お姉ちゃんってゆって?」
微動だにせず、にっこりと微笑みながら同じことを繰り返すミル・ノトー枢機卿。
「ヨルそっくりだ……」
アサヒナがそんな感想を漏らす。誰にも聞こえないように言ったつもりなのだろうが、シンとした室内にその声が妙に響く。
「……ほら、恥ずかしがらずに」
「えー……」
「圧の掛け方とか似てますわ」
少なくともフレイアにそんな詰め寄り方はした事がないと心の中で言い訳をするヨル。だが、机に両手をついて上半身を乗り出してくるミルの圧に耐えられなくなった。
「み、ミルお姉ちゃん……は、どうして教会に?」
「……なんとなく? 先先代が巡礼中に魔獣に襲われてたのを助けて、危なっかしくて護衛していたらいつのまにか……かなぁ」
(なんだろう……他人事じゃない気がする)
「ふふっ、ミル枢機卿は教会内外の敵と長きにわたり対峙し、ここまで教会を大きくするのに尽力してくれた方です」
法王がそんな事を付け足したのだが、要は影の番長ってやつなのでは?と気が気でないヨルだった。
「ヨルちゃんの事は娘から……貴方のお母さんから聞いていたのだけれど、気軽に会いに行ける距離でも無かったからね」
「あの、お母さんのことほとんど覚えていないんですが、どんな人だったんですか?」
「んーそうねぇ、摩訶不思議?」
「へっ?」
親のことを聞いて、娘のことを聞かれて、一番最初に出てくる単語では無いのだが、ミルは本当にそう思っているようだった。
「私でも良く判らないわ、あの子のことは」
「そ、そうですか」
反応に困っているヨルを見かねたのか、単純に聞きたいことがあるのかミルが「私からも聞いていい?」と挙手をする。
「あの娘、今なにやっているの?」
「えっ……私が小さい頃に亡くなったって」
「えっ?」
「え?」
「なんだろうこの会話……」
アサヒナが思ったことを正直に口にする。この場合、フレイアも同じことを考えたのだろう、目を閉じてうんうんと頷いている。
ヨルは、もはや表情が無くなっている。
「生きてるわよ? ほら【生命探知】の指輪も光っているし」
「……私、会ったことないんだけれど」
「依頼で村の南の遺跡に行ってくるー! って伝言が十何年か前に届いたっきりだから、まだそこに居るんじゃない?」
「いくらなんでも……そんなまさか」
「今度帰ったらお父さんに聞いてごらん?」
南の遺跡というのは、ヨルの村がある樹海にあるといわれている遺跡のことだろうとヨルは推測する。
すぐ近くの場所に死んだと思っていた母がいるなんて誰が想像できるだろう。
「でもお母さんは亡くなったってお父さんが言って……あれ?」
『――ヨル、お母さんが居なくなったのは遠いところに行ったからだ。しばらくは寂しいかもしれないがお父さんがいっぱい遊んであげるからな』
(そうだ、五歳の誕生日だ――お父さんがそんなこと言っていた……「なくなった」じゃなくて「いなくなった」……?)
「でも貴女が生まれる前も十年ぐらい行方不明で、突然赤ん坊の貴女を抱っこして帰ってきたのよね。貴女のお父さんはその直後、謎の怪我で数日寝込んだわ」
突然孫を連れて音信不通の娘が旦那と赤ん坊を連れて帰ってきたら、この武闘派ミルが何をしたのかは先ほどの行動を考えると明らかだった。
「あっ、あの、ヨルの家庭の話はとても興味あるのですが、終わらなさそうなので進めてもよろしいでしょうか?」
長くなりそうだと思ったのかフレイアが話に割り込んでくる。
「あ、そうね、えっとヨルちゃん? 貴女はちゃんとユキの娘よね? 中身がごっそり変わっているとか……」
ユキというのは久しく聞かなかったヨルの母親の名前だった。
「わたしは生まれた時からお父さんとお母さんの娘です。ただ前世の記憶と力を突然知ってしまっただけです」
「そ。じゃあなにも問題ないわ」
ミルはそれだけを聴きたかったのか、ヨルの返事に満足したように頷く。
しかし今度は隣に座っていた法王が頭を抱えだした。
「ティエラ教会としては……これからどうしましょう……悲願だったヨルズ様との邂逅が叶ってしまいましたし」
「今まで通りでいいんじゃないかな、例の件も大体目論見がついたんだし」
法王の呟きにミルが口出しした事で、ヨルもアルから話を聞いてからずっと気になっていた事を思い出した。
「あっ……そう言えばどうしてティエラ教会は勇者の捜索を?」
「我々の活動は全て神ヨルズの為にあります」
ミルが背筋を伸ばし凛とした表情で答えると、法王が後に続ける。
「神が復讐を望まれるなら、我々はその手助けをするのが当たり前だということです」
「えー……」
まさかの理由だった。
「神ヨルズ様は復讐は考えておりませんか? 勇者と昼神ダグの発見は聖典に記載されている最重要項目の一つなのですが」
「普通に話してください、ミル……さん」
「お姉ちゃんって呼んで?」
「……ミルお姉ちゃん」
すごく硬い態度か、すごく柔らかい態度しか無いんだなと、ヨルはある程度理解した気がした。
「その為我々は設立から現在に至るまで神ヨルズへの信仰以外にも、昼神ダグおよび勇者の捜索を史上命題として動いております。もちろんこれについては特定の大司教以上のものしか知りません」
「今日に至るまで、勇者および昼神ダグの魂を持つものを捜査確保し、教会の責任ある立場に任命し監視下に置いてきました」
「それってつまり……」
つまりティエラ教会とは、ヨルの捜索と復活後の復讐相手の確保を目的としてヴェルによって造られた教会だった。
世代が変わるごとに対象を捜索し監視を続けていたとのことだった。
「えぇ、恐らく……という程度ですが」
ティエラ教会の要職についているものの中に
当然当時からは二千年以上が経過しているため、本人に当時の記憶はない。
昼神ダグなら腐っても神であるため、もしかしたらということもあるが。
「改めてお伺いいたします。神ヨルズが復讐を望まれるなら我々は喜んでそのものを差し出しましょう」
「…………」
実際ヨルはこうなってしまった原因を作った兄と勇者……その場に居た魔王は巻き込まれただけだったが、二人を殺したいほど憎んでいるかと言われればそうでもなかった。
一発ぶん殴りたいと思っていたぐらいで、この世界で彼らの生活を営んでいるだろうし、それを奪うつもりも無かった。
「私は、とりあえず一発ぶん殴りたいって思ってただけなので、復讐とかはどうでもいいです」
その答えに法王とミルは微笑んで目を伏せた。




