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太陽の母親

 天高く群青の空に昇った太陽が出産の時を迎えようとしている。18歳で皇国観測院の次席観測官に就いた(きし)秋葉(あきは)は、丸めた羊皮紙とガラスのインク壺を抱えて螺旋(らせん)階段を駆け上がっていた。最上階のフロアで待ち受けていた職員が、観測台へとつづく扉を開け放つ。




「見たまえ秋葉! 太陽が破水しているぞ!!」




 先に到着していた新田(にった)誠司(せいじ)中将が興奮気味に言った。彼に一礼した後、秋葉は据え置きの書述台に羊皮紙を広げて針で留めた。高揚感で手が震えていることを自覚しつつ、口に咥えていた羽ペンの先をインク壺に浸す。それから羊皮紙の上でサラサラとペン先を滑らせた。




≪皇紀2018年3月7日正午、快晴。東より頂に昇りし太陽が巳ノ刻に産気付いたとの報あり。我、観測台に到達せし頃には太陽の下半分に亀裂あり。破水確認さる。出産の時は近いと推測、観測を続ける≫




 赤々と燃え盛り地上を照らし出す太陽は、強烈な光と熱を有している。肉眼でこれを観察し続ければ目を傷めるし、失明の可能性もあった。そのため皇国観測院では望遠鏡に取り付けられた太陽投影版を観測で用いていた。秋葉は板に映し出されている太陽を凝視しつつ、リアルタイムに状況を書き記していく。




「おお、裂け目から卵が見えている……!」




 新田が感嘆の声を上げた。百戦錬磨の猛将とはいえ、2000年に1度とされる奇跡に立ち会えた感動には勝てないのだろう。だが、秋葉はそうはいかない。事実を後世に伝えることが、自らの使命だと考えている。




≪太陽に生じた亀裂より卵を確認せり。月と同じく表面は黄色。表面には凸凹あり≫




 秋葉がそこまで書き連ねた瞬間、こんにゃくを握りつぶしたような音が世界に響いた。言うまでもない。太陽の裂け目から、卵が地表へ産み落とされたのだ。




 太陽の卵は轟音と共に白熱しながら落下。地表に接触する直前、上空30キロメートル付近で爆裂した。凄まじい閃光と共に、大地を揺るがす衝撃波が巻き起こる。




「きゃあぁっ!?」




 観測台を襲った激震により、秋葉を含めた全職員が転倒した。そのなかで、真っ先に立ち上がったのは新田だった。今年で67歳になる老人の容貌には、子供のような笑顔が浮かんでいる。




「神の子が落ちたのは我ら皇国領か! 皆、急ぐのだ!!」




 秋葉は慌てて観測記録を記した羊皮紙を丸め、他の観測官の紙も集めた。そして彼らを先に向かわせた後、自らは文書課へと向かった。書記官の前で資料を開示し、サインを入れ、ナンバリングした上で箱に収める。それが法律上、為さねばならない手続きだった。




「次席観測官殿、こちらをお持ちください」




 秋葉の事務手続きを応対した主席書記官の天野が、予備の悶石(もだえいし)を渡してきた。身に着けることを忘れていたのだ。秋葉は「感謝します」と言って皇国観測院の外へと飛び出した。




 外は既に薄暗くなりはじめている。太陽は出産を終え、その命を燃やし尽くそうとしていた。やがて空には太陽を孕ませた月が居座ることになり、大地を月光で照らすことになるだろう。




「お待たせいたしました」




 秋葉は陸軍式の敬礼で、待ち構えていた新田に相対する。制度上、皇国観測院は陸軍省の管轄下にあった。そのため陸軍式の礼を取る必要がある。




「待たされた。では行こう、秋葉」


「はっ」




 目の前にはずらりと馬車が停められている。ここは皇都中心部にある官庁街。商業区と違い、馬車や荷車の往来は少ない。場所柄、異様な風景と言ってもいいだろう。




「急がねばならん。太陽の子が落ちたのは白神山地。あそこから15キロ北には帝国の第3独立竜騎兵隊の陣地がある」


「はい、閣下」




 馬車は全部で5台ある。巨大な荷車を引く馬も別にあった。秋葉はそれを見て、絹製の巾着から1円紙幣を6枚取り出すと「後で分けなさい」と車掌の上着へねじ込んだ。彼らが軍に徴用された民間人だということくらいは理解している。半ば迷惑料のつもりだった。




「まさか、この生あるうちに日没を拝むことになるとは思いませんでした」




 馬車に乗り込んだ秋葉は隣に座る新田へ、先ほどまでとは打って変わって年相応の笑顔を見せる。老人は親愛の情を浮かべながら苦笑した。




「そうかもしれんな。しかし同時に、儂にとっては頭の痛いことでもある」




 新田は先程までの興奮を恥じるように言った。そんな養父の顔を、秋葉は見つめている。頭の痛いこと、たしかにそうかもしれない。少女は思考を整理した。白神山地はあくまでも皇国側の呼称でしかなく、帝国側ではツングースカ山地と呼ばれている。森林資源を巡り、皇国と帝国が長きにわたって係争を続けている土地でもあった。




「帝国の連中が黙っておるはずがない」


「ええ、おそらくは」




 馬車は皇都から北方へ伸びる北陸道を進み、白神山地手前の樹林帯へと至った。だがそこは、卵の爆裂に伴う衝撃波によって木々がなぎ倒されている。馬車で進むことは困難だろう。




 秋葉は外に出て、状況を観察することにした。車窓越しに見えていたが、やはり惨々たる状況であることに変わりはない。木々がなぎ倒され、火災が発生している。そんな惨状の中心点に、それはいた。思わず息を呑み、目を見開いてしまう。




「――これ……が……」




 伝承で語られる神話生物が、クレーターのなかで横たわっている。月明かりのみとなった世界で、それは淡く発光していた。黒の体表には緋色のブチ模様がまだらに配されている。ヘビに手足が生えたようなフォルムだが、爬虫類とは異なりまぶたがあった。




「なんと、美しい……」




 新田がガクリと膝をつく。秋葉は養父に一礼し、駆け出した。他の観測官たちも続く。近付けば近付くほど、発酵した魚介類を思わせる独特の臭気が鼻腔を侵す。秋葉はその臭いに眉をしかめながら、生まれ落ちたばかりの眠れる竜に声を掛けた。




「お日様、どうかお目覚めください。あなたをお迎えするためにはせ参じました地上の民でございます」




 すると翼なき竜はゆっくりとまぶたを開く。赤く灼熱する瞳がぎょろりと秋葉たちを捉えた。そしてズズズと身体を起こして四肢で立ち上がると、まるで獲物を品定めするかのように眺めまわす。やがて竜は秋葉にだけ視線を集中させると、真っ赤な口腔を開いた。




「……まま」




 捕食される。そんな危機感を抱いていた秋葉は、何を言われたのか理解しきれなかった。呆然としていると、太陽の子はゆっくりと顔を近付けてくる。




「まま、まま」


「ママ……?」




 秋葉が困惑の声を発すると、竜ははしゃぎはじめた。地面にひっくり返ったかと思うと、右へ左へゴロゴロと転がり四肢をバタバタさせている。そしてキャッキャと喜声を上げながら、しきりに「まま」という単語を繰り返していた。




「次席観測官殿」


「どうした」




 一等観測官の冴島の呼び掛けに応じると、彼は遠慮がちに言う。




「もしやと思いますが、お日様は次席観測官殿を母親だと思っているのではないでしょうか」


「……なんですって?」




 それは一体どういうことなのか。冴島に問い掛けようとした秋葉だったが、悶石がぶるぶると震えはじめたことに気付いた。皇国観測院からではなく、陸軍省からの緊急通信だ。コード化されたリズムを把握することで、送り手の意思を理解できる。




「えっ、帝国軍の竜騎兵2000騎が白神山地を駆け上がっている……!?」




 なんということだろう。早い、展開が早すぎる。秋葉は胸を押さえながら、呼吸を整えていく。




 帝国軍の竜騎兵とは、ヤモリが大型化した生物・這竜に兵が騎乗した兵種を指す。這竜はどんな壁面でも昇り降り可能な踏破性に優れた生物であり、戦闘能力も高い。寒さに極端に弱いうえ食事のコストも高いという欠点に目をつぶるなら、馬よりも優れた軍用生物だった。




「各員、馬車に戻れ! この場を離れる!」




 戦場仕込みの新田の大号令が下った。観測官たちが馬車へ向かって駆ける。秋葉はゴロゴロと猫のように喉を鳴らしている竜を眺めながら言った。




「ママ!」


「まま!」




 秋葉の声に竜は即応する。尻尾を器用に使って跳ね起きると、少女を丸呑みできそうな頭をすり寄せてきた。凄まじい異臭が漂うが、文句は言っていられない。鼻先を優しく撫でてから、スッと身体を離す。途端、竜の瞳には絶望が宿った。まるで飼い主に棄てられた犬のようだと思った。




「ママ!」




 パンパンと手を叩き、竜に呼びかける。それで理解できたのだろう。赤い双眼から絶望は失せ、喜色のみが燃え盛る。




「まま! まま!!」




 秋葉はうなずくと、手を叩きながら馬車へ向かって駆けた。その背後を、四肢で大地を踏み締めながら竜が続く。スタミナもスピードも心配なさそうだ。運搬する必要もないだろう。




「お養父とうさま!」


「うむ!」




 新田の下知が轟き、馬車が動き出す。秋葉は車窓から身を乗り出して、竜に向かって手を叩き続けた。竜は馬車を楽しそうに追いかけているが、そのはるか後方――白神山地には黒の生地に白の鉄十字を象った帝国軍の軍旗が翻っている。




 彼らが山を下れば、皇国は国境を侵害されたものとみなして即座に軍を差し向けるだろう。もう既に、各軍団が陸軍省から悶石で指示を受けて出撃準備を完了しているに違いなかった。秋葉の心臓が激しく脈打ち、背中には冷や汗が流れていく。




「まま! ままぁ!!」


「おいで、早く、早く!」


「まま! はやく! まま!」




 戦乱の気配が色濃く漂うなか、陽気で無邪気な子供の声が響き渡っている。太陽がうしなわれた世界で、自らが戦争の火種となることを知らずに。

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