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心折(しんせつ)勇者の日本帰還

 その日は大雨だった。


 異世界に召喚されてから十年が丁度経過したその日に、俺は助けた異世界人の兵士達に囲まれていた。


 俺の前に立つ異世界の女王は激しい雨の中、傘も差さないで俯いている。そんな彼女に苦笑いを浮かべ、肩を竦めるしかなかった。






 雨に打たれながら動こうとしない女王を見かねたのか、二人の人物───騎士団団長と大賢者と名高い魔女が女王に歩み寄ると、俺を取り囲む兵士達が穂先を向けてきた。




 向けられた刃はほんのりと淡い光を放っていた。


 どうやら彼等は本気のようだ。


 目の前に立つ女王や他二人に敵意は無いが、周りの兵士達は違う。


 恐怖や憎しみのようなものが、魔力と共に僅かに込められている。


 世界を救ったのにこれでは、なんの為にここまで頑張ってきたのか分からなくなる。


 こういう状況でなければ、激怒していたかも知れない。




 でも、今はもう諦めの溜め息しか出てこない。




 苦笑いと共に溜め息を吐きながら、改めて周囲を見渡して思う。


 世界を救ってくれと行き成り呼び出され、右も左も分からない内に地獄の訓練を受けさせられ、決死の覚悟で魔王を討伐した。


 そしてテンプレ通り、魔王を裏から操っていた邪神もボロボロになりながらなんとか下した。


 元の世界に戻る手立てが無いと言われ、今後の生活は人知れず片田舎で隠居生活を送るつもりでいた。




 だが、蓋を開けてみればこれである。




 多くの兵士に取り囲まれ、助けた異世界人に刃を向けられている。


 自暴自棄にもなった。当たり散らした事もあった。


 でも自分が助けた人達に手を掛ける事など、できるはずもない。


 それに結局は自分の未熟さが今の現状を招いたのだ。


 誰かを責めることなど到底できなかった。




 女王は普段の凛々しい表情を青くさせながら、隣に立つ騎士団長と小声で二三言葉を交わす。


 そして手渡された白銀の剣を黒檀の鞘から引き抜いた。


 女王は兵士達の静止を手振りで黙らせ、俺の手が届く距離に立つ。


 そして目尻に涙を溜め、今にも泣き出しそうな充血した瞳を真っ直ぐに向けてくる。










――私達を呪ってもらって構いません。


――私達を憎んでもらって構いません。


――貴方にはその資格があって、私達にはそれを受ける義務がある。


――貴方に縋るしか無かった私を許してください。


――貴方に苛酷しか強いなかった私達を許してください。


――貴方を苦しめて来た全ての根源である私の言葉など、優しい貴方の耳を穢す以外に無いとは思います。


――だけど、せめて最後に御礼を言わせて下さい。


――こんなどうしようも無い世界に、こんな救いようもない私に手を差し延べてくれて、ありがとうございました。










 嗚咽で吃る御礼の言葉を合図に、悲痛に満ちた女王の刃に胸を貫かれた。


 しかし不思議と痛みは無く、可笑しなことに安らぎすら感じる。


 ただ死が迫りつつあるのは確かなようだ。


 胸を貫く剣が光の粒子に変わって俺の体を包み込むと、身体が透けて細部から崩れ始める。


 聞こえる音は徐々に遠のき、脚の力が抜けて立っていることすらままならない。




 兵士に拘束され、遠くで泣き叫ぶ魔王討伐の仲間達。


 死に行く俺を直視できずに顔を背ける魔女と、逆に見届けるように視線を外さない騎士団長。


 少しづつ崩壊を始める俺の体を抱き留め、涙が溢れ出ている女王。




 悲しみに暮れる知人達をよそに、意識が遠のきつつあった俺は微笑でいた気がする。




 痛みも苦しみもなく安らきすら感じていた俺には、逆に死に逝く俺よりも辛そうにしている彼等の姿が可笑しく思えたからだ。


 泣き崩れている女王の頬に手を伸ばす。


 女王は不意の出来事に凄い早さで顔を上げ、囲んでいた兵士達に動揺が走る。


 勇者を殺す為だけに作られた剣に胸を貫かれ、生きているとは思っていなかったのだろう。


 まったく、俺を誰だと思っているんだ。




 世界を救ってみせた勇者様だぞ。




 女王は何かを喚き散らして俺にすがり付くが、俺の耳はもう音を拾ってくれない。


 いや、逆に聞こえなくて良かったかもしれない。


 きっと彼女の言葉を聞いていれば、折角の決心が鈍ってカッコよく決めたのが台無しになっただろう。




 最後の力を振り絞って俺を抱き締める女王を引き剥がし、潤んだ艶のある唇に自分の唇を押し当てる。


 ただ残念ながら、人生初のキスは感触が分からなかった。




 泣き腫らし、普段の凛々しさなど微塵もない女王の顔が驚愕に染まる。


 最近だとちょっとでも手が触っただけで睨み付けられた挙句、言い訳の時間も無く30メートルは殴り飛ばされるのだ。


 そんな奴からのキスなんて嫌がらせにはちょうどいいだろう。


 へへへ、俺を召喚した対価はこれぐらいで勘弁してやろう。


 触れるだけのキスを終えると、困惑と何故か喜色の表情が目の前にあった。


 しかも漸く泣き止んだと思ったのも束の間、さっきよりも酷い勢いで涙が溢れ出している。




 おいおい、何でまた泣くんだよ。


 いつもみたいに笑ってくれよ。












 やっと、世界が救われたんだから。












 ◇ ◇ ◇






「……夢、か」




 窓に打ち付ける雨音に男は顔を顰める。


 もう一年も経過した過去の出来事が、男の脳裏に蘇るのは決まって大雨の日だった。




「あぁ、恥ずかしい!! 恥ずかしいたらありゃしない!!」




 朝の五時。


 眠っている人間の方が多い時間帯に古ぼけた枕を抱きしめながら、男はジタバタと布団の中でもんどり打って転げ回る。




(どうせ死ぬんだからってカッコつけたのに、本人が実は生きていて、吐き出した台詞の数々をふと思い出して悶え苦しむ。コレって一体どんな羞恥プレイだよ!!)




 恥ずかしさを追い出そうとしてみるものの、男の心を支配する羞恥心は中々消え去ってくれなかった。


 仕方なく使い古された中古の布団から抜け出し、気晴らしにノートパソコンを起動させる。ついでにバイト先の高校生に教えてもらいながら這う這うの体で取得した、無料のサイトメールを開く。




田中(たなか)永嗣(えいじ)


 株式会社マルタ国際商事の加藤と申します。


 先日は、当社の社員採用試験にお越しいただきありがとうございました。


 厳正なる選考の結果、誠に残念ではございますが、今回は採用を見合わせていただくことになりました。


 多数の企業の中から当社に応募いただきましたことに感謝するとともに、田中様の、より一層のご活躍をお祈り申し上げます』




「……ふむ」




 声に出しながら頷いてみたものの、永嗣の瞳は半分を過ぎたあたりから目が滑っていた。しかし文字を目で追ったおかげか、心の方は大分落ち着いたようだった。


 永嗣は割れ物を扱うように画面に手を掛け、ゆっくりと閉じながらノートパソコンを叩き割る。


 どうやら落ち着いたように見えたのは表面だけのようだ。


 叩き割ったパソコンを眺めながら、記憶にある経歴を更新する。




 通算不採用数:369社


 現在23歳。


 最終学歴は一応公立中学。


 10年間の空白期間あり。




 大学卒の就活生が溢れている現代日本で、こんな人物を雇ってくれる会社があるだろうか。いや、ない。


 魔王を倒して世界を救った救世界の英雄は、地球ではド底辺の独身フリーター。


 笑い話にもなりゃしない、そう自嘲しながら立ち上がって今住んでいる部屋を見渡す。






 五畳一間のボロアパート。


 キッチンとトイレ、風呂は備わっているが、床や壁は薄汚れて傷だらけ。


 家具は最低限揃ってはいるものの、リサイクルショップで買い揃えた中古のものばかり。


 辛うじて住居としての体裁を保っているに過ぎない酷い環境だった。




 かつての英雄として手にした栄誉が、まるで嘘のようである。


 周囲を見渡してみて、永嗣の口元には再び自嘲の笑みが浮かんでしまう。








――ピンポーン








 過去の夢を見たせいか、胸に去来する虚しさを噛み締めていると、ボロアパートに住み始めてから一度も鳴った事の無い玄関チャイムが音を響かせる。




「はいは~い、今出まーす」




 不審に思いながらも返事をし、玄関のドアを開け放つ。


 そこにはスーツをキッチリ着込んだ凛々しい女性と、これまたスーツを着込んだ筋骨隆々な男が二人。




















「田中永嗣、貴方を無許可魔法使用の容疑で逮捕します」
















 明らかにボロアパートに来訪する類いの人種には見えない三人組に、永嗣が呆気に取られていると女性は端的にそう言った。


 そして呆然としている永嗣を他所に女が両手を素早く掴むと、気付けば手錠のように両手の動きを封じる魔法陣が浮かび上がっていた。




「なるほど、異世界の次は刑務所に強制連行か……世は無情なり」




 誰にも聞き取れないような小さな声で呟き、まだ始まったばかりだと言うのに何度目かも分からない諦めの溜め息を吐き出した。

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