恋愛詐欺師ですが、悪役令嬢になって婚約破棄を依頼されました!
「ディーナ! 僕と結婚してくれるんじゃなかったのか!?」
歌劇場の柱の影から飛び出してきた男に、ディーナは瞳を瞬いた。その顔は、先日までよくこの劇場で出会っていた貴族のものだ。それに気がついて、ディーナは黒髪に包まれた空色の瞳を美しく細める。
「あら、レアス様。私はそんなこと一言も約束しておりませんわ」
だが扇を手に持ち艶麗に微笑むディーナに、レアスと呼ばれた青年は、拳を体の前で握り締めている。
「僕は君のために自由になる資産全てをつぎ込んだのに! お蔭で故郷の父に叱られて――!」
「ごめんなさい。私、お金を持っていない男性に興味がないの」
「この悪女が!」
けれども、そのレアスの叫びに、これ以上ないくらい艶やかに笑ってみせる。
「そうよ? 知っていたでしょう?」
その前でレアスがぐっと言葉を詰まらせた。
――まったく、最初からわかっていたでしょうに。
そう背中を向けると、ディーナは美しい肢体を、ホールの明かりに華やかな光沢を放つ青いドレスに包みながら進んだ。
するとその前に、早速色とりどりの花束と一緒に沢山の男達の手が差し出されてくる。
「ディーナ。明日はぜひ、私と観劇に」
「いや、僕と遠乗りに」
それに笑って応じる。
「皆さん、ありがとう。ええ、もちろん順番にね」
そう華麗に微笑むと、一番手前に差し出された高級店の小箱を受け取った。
「ありがとう。じゃあ、明日は貴方にお願いするわ」
「ディーナ! 贈り物なら、私だって!」
「僕も!」
その声と共にたくさんの宝飾品の箱が差し出されてくる。それにディーナは薔薇のように笑った。
「まあ、皆さん。私の体は一つですもの。皆さんのお気持ちは、順番にしか受け取れませんわ」
困ったようにかわいらしく肩を竦めると、最初のに次いで有名な店の箱を受け取る。
「だから、お約束は順番に」
「おお! 美しい、ディーナ! 君の心を射止められるのなら、全資産をなげうったってかまわない!」
――だったら、私に全財産をかけたって満足でしょう?
だってと、社交界の華と讃えられる美貌で笑ってみせる。
――私、本当は男なんて信用していないんだもの。
ふと思い出した幼馴染の面影を振り切り、次の箱へ約束と引き換えに手を伸ばそうとした時だった。
「ディーナ」
その言葉に、後ろを振り返る。
すると、そこには隣国の大使のボレア伯爵が立っているではないか。何度か声をかけられて、二三度観劇を共にしたぐらいだが、もちろん鮮やかに微笑んでみせる。
「まあ、ボレア伯爵様。お久しぶりです。今日は奥様とこちらに?」
「ああ、いや。実は今日は折り入ってお前に仕事を頼みたくてね」
「仕事?」
それにディーナは、真珠色の指で唇をおさえた。
「それは、どなたかの恋人のふりをしてほしいとか?」
なにしろ有名な社交界の悪の華だ。断りにくい政略結婚を申し込まれた時に、悪女に誑かされていてと格好の言い訳にできることは熟知している。
「いや、故国で生まれは問わないが、機転のきく美しい女を知らないかと尋ねられてね。魅力的で、男を虜にできる女性が良いと言われたので、お前の名前を話したのだが、どうかね? 興味があれば、先方に伝えておくが」
――胡散臭い。
依頼相手の名前も内容も告げない話などそれに尽きる。けれど、名誉を何よりも重んじる貴族ならありがちな話だろう。
――だけど、それなら借金の次の返済に間に合う。
「光栄ですわ。私伯爵様の期待に必ず応えてみせます」
――どれくらいの報酬がもらえるか知らないけれど、ここまで用心するなんて、相手は大抵高位貴族。しっかりふんだくってやるから!
それから暫くたった明るい昼下がりに、その依頼者はディーナの館を訪ねてきた。
その男の見た目は、二十代半ばだろうか。黒髪を後ろで一つに束ね、まっすぐにこちらを見つめる黒い瞳はひどく理知的だ。
身につけているのは、隣国のリスデン王国特有の長裾と呼ばれる上下一続きになった衣装。それから推し量るに、おそらく文官なのだろう。
一目でそう判断すると、ディーナは恭しく礼の姿勢を取った。
「初めまして。ディーナ・リドと申します」
――さて。貴族の男ならば、下手な貴族の真似事は禁物だ。
それよりは、生まれ通り上品な市井の娘でいた方が好感をもたれやすい。逆に富豪の男などは劣等感があるのだろう。貴族の令嬢そのものの振る舞いをしてやると、喜びやすいのを知っている。
「この度は、遠路よくお越し下さいました。どうぞ。喉を潤すお茶をご用意しております」
――確か、リスデン王国に独自のお茶はなかった筈。
だとしたら、その国に輸入されている物の中で、最も高価なお茶を出すのが定石だろう。そう判断すると、無理をして僅かに用意した茶葉で、白いカップに華やかな香りを醸すお茶を差し出した。
「いえ、お構いなく」
けれど、相手の男はそれを断ると、姿勢も変えずにディーナを見つめている。
「単刀直入にお話に入らせていただきます。私は、リスデン王国でラオス公爵閣下の命により、王宮で公爵令嬢の身の回りの補佐をしておりますイルディ・グミルヴァと申します」
――公爵。
予想よりも高かった相手の身分に、そっと口の中で笑む。
「まあ。ではボレア伯爵様とは王宮でお知り合いに?」
そう艶やかに微笑むと、目の前のイルディは頷いた。
「はい。先日彼が帰国されました折、幸い大層な女好きと窺っておりましたのでご相談したところ、貴方をご紹介いただけました」
――なに、この男。自分より上の相手に対して何気にずけずけというわね?
いくら公爵令嬢つきの補佐官でも、伯爵に比べたらかなり下位な筈。それなのに、まったく遠慮や躊躇をした様子もない。むしろ、薄く笑ってさえいる。
――うーん。これは少し厄介な相手かも?
けれど、すぐにいつもの美しい笑顔に戻した。
「それは光栄な話ですわ。確かラオス公爵令嬢といえば、リスデン王国の王のご婚約者とか。そんな方の御一族から、私にお話なんて。どんな御用でしょうか」
「本題に入らせていただきます。ディーナ嬢、貴方にはリスデン王の寵姫候補となって、リスデン宮廷に入っていただきたいのです」
「は!?」
さすがに間抜けな声しか出てこなかった。
今言われた言葉をもう一度頭の中で反芻してみて、やっとその意味を飲み込む。
「何よ、それ!? なんで、王の婚約者の一族から王の恋人になんてお願いが来るのよ!?」
あまりに驚きすぎて、思わず素が出てしまう。それなのに、目の前の男は眉一つ動かそうとしない。
「もちろんこれには理由があります」
「なかったらおかしいわよ!? なに、王とその令嬢は仲が悪いとでもいうの!?」
「いえ! 王は大変公爵令嬢を愛しておられます。初めて会われてから、この十年。出会って愛を囁かれなかった日など一度もないでしょう」
「だったら何で!? それだけ想われていたら、その気がなかったとしても令嬢だって満更でもないでしょう!?」
何しろリスデン王国は、この辺では突出した大国だ。軍事方面に特に秀でており、近年も隣国のドット王国の一部を飲み込んだという。そしてその立役者が、若き日のラオス公爵だったというのも有名な話だ。
「確かに王は、公爵令嬢を熱烈に愛しておられます。王ももう御年二十七歳。二年後、公爵令嬢が十八の成人を迎えられて御成婚式を挙げられるのを、毎日指折り数えてお待ちになられております」
「だったら何で――!」
叫びかけて、ふと気がついた。
「え? 十年間想い続けて、令嬢が二年後に十八歳?」
「その通りです」
――まさか。
嫌な予感に額に汗が滲んでくる。
「王が公爵令嬢に結婚を申し込んだ年齢は?」
それなのにイルディは眼差し一つ動かさない。
「十年前。出会われた十七歳の時です」
――その時、令嬢は六歳!
「ちょっと待って、それ普通だったら犯罪でしょう!」
がんと頭を殴られたような衝撃に、最早礼儀も何もなく叫んでいた。それなのに、相手は妙に冷静だ。
「やっぱり、そう思われますか?」
「当たり前じゃない! ほかにどう思えというのよ!?」
「いえ、控え目に言って変態かと――よかった、私の感覚がおかしいんじゃないんですね?」
「お願い、ちょっと待って。私の感覚がおかしくなりそうだから――」
――え? なに、これ? 一国の王がロリコン? しかも臣下公認で変態扱い?
それなのにイルディときたら、その表情を崩しもせずに頷いている。
「かまいませんよ。私もロリコンと変態とストーカーと、どれを今口にしようかと迷いましたから」
「まさかの三拍子――!」
さすがに突っ伏してしまった。
「あ、でも今十六なら――」
はっと一縷の望みに縋る。
「ちなみに公爵令嬢は今も人より小柄で大層愛くるしいです」
「まさかの逃げ場もなかった!」
――え、なに? つまり、幼い公爵令嬢にストーカーして婚約を取り付ける代わりに、ロリコンと変態の名前も欲しい儘にしたというわけ?
それはさぞ臣下も苦渋の決断だっただろう。さすがのディーナも眩暈を感じてしまう。
「だから、これは公爵令嬢よりのご依頼です! 貴方には、王を虜にして大人の女性の魅力に目覚めさせ、無事この婚約を破棄に導いて欲しいのです!」
――まさかの王の籠絡!
しかも相手はロリコン!
雷に打たれたような衝撃に、思わずディーナはその場に立ち尽くした。






